籠の鳥
「古城? まさか旧家の?」
眉間に皺を作り怪訝な表情を浮かべながら、ティラは言った。
「そうだ。街の外れにある王家の城だよ」
「あそこに寄りつく物好きはこの国にあまりいないんだけど」
フェリンのように全く拒んでいる様子ではなかった。彼女は一瞬間を空けてから「いいよ」と軽い調子で承諾した。ルージュが拍子抜けするほどにあっさりとした答えだった。
「いいのか?」
彼は思わず問いただした。
「え? だって行きたいんでしょ?」
「まぁそうなんだが。あそこは近付くなと先ほど言われたばかりなんでね。あまりにあっさり承諾されて驚いている」
ティラは僅かに頬を強ばらせながら、言葉を選んでいるようだった。彼女の口から飛び出すその言葉をルージュは大人しく待った。その空白の間で彼はいくつかの予想されうる彼女の言葉を考えていた。「じゃあやめとくか?」と神妙な表情で翻されるか、「大丈夫だよ」とヘラヘラと笑いながら楽天的な言葉を吐かれるかのどちらかだと、彼は予想した。だが、ティラの言葉と態度はそのどちらでもなかった。
彼女は体中に纏った馬鹿そうな空気を取り払った上で、真剣な表情を浮かべて彼の目を見た。
「むしろ見ておいた方がいい」
ティラの言葉に反応せず、彼は唖然としてしまう。
「アンタには見てもらった方がいい」
念を押すように彼女は続けた。
「どういう意味?」
「そのままの意味。まさかいきなり古城に行きたいなんて言葉が飛び出すとは思わなかったけどね」
「そうか。俺は物好きなんでね」
「アンタが行きたい所を言わなかったら、私は古城へ案内するつもりだったよ」
「何故?」
「本当のレリスを見てほしいから、かな」
彼女はそう言って、古城があるであろう方角に目をやった。相当遠方にあるのか、砂による霞のせいか、その姿を確認することはできない。ティラの意外な回答に戸惑うルージュも傍でむくれているリュダも、言葉を失ったまま、遠い目をして佇む彼女を眺めていた。
誰かが言い出すわけでもなく、3人は同時に歩きだした。その動きが奇妙なほどシンクロしていて、ルージュは内心こっそり笑ってしまう。
「アンタら、何のためにレリスに来たの?」
ティラは足を動かしながら相変わらず、軽い調子でそう訊ねる。更に彼女は、言いたくないなら答えなくてもいいけど、と付け加えた。
「捜し物だよ」
「ふーん。こんな砂漠に探しにくるなんて、アンタら相当困ってるんだね」
彼女は自らの故郷を卑下し、大げさに笑ってみせた。妙に芝居がかっているようにも見えた。
「困っているよ」
ルージュは眉を曲げながら笑みを浮かべる。
「捜し物が見つかったところで解決する問題ではないんだ」
肩を竦めて浮かべる笑みは若干ひきつっていた。
「冒険者ってやつは気楽にただ旅をしているもんだと思ってたんだけどアンタらは違うんだね」
彼女は感心したような声色で言ったが、顔は全く無表情だった。こんな小娘に口先だけのお世辞を言われたことは初めてだったので、屈辱感よりも新鮮さが強かった。
先ほど通った道を逆向きに歩く。廃墟と呼ぶにふさわしいあの風景が近付くにつれ、暗く重たい空気が肺に流れ込んでくるような気がした。気がつくと死後の世界に迷い込んでしまったような静寂が思い出される。
「巫女に会ったことがあるか?」
ルージュが唐突に訊ねると、彼女はビクリと肩を揺らし「ない」と短く答えた。
「巫女の姿を知る者はほとんどいないんだよ」
彼女は不満をぶちまける幼い少女のようだった。少し過剰に演じている女優にも見えた。
「巫女は神聖なるものだから、邪なものを映した民の眼で汚すわけにはいかないんだって。超くだらないよね」
彼らと巫女の間に置かれたついたてを思い出し、ルージュは納得する。
――器以外は全て殺してしまえ。
脳裏に烙印のように焼き付いた邪悪な声と情景がふいに甦る。赤く轟々と猛る炎と耳を劈く悲鳴が、ルージュの中で交錯する。自らの眼窩にはまっている目も間違いなく邪なるものを映した眼であることに苦笑し、暗い色を帯びた息を吐く。何も聞こえてないのか、彼女は話を続ける。
「私は巫女なんていなくていいと思う」
強い口調だった。
「その様子では巫女が随分嫌いみたいだね」
リュダが指摘すると彼女は「嫌いなんてもんじゃないよ」と吐き捨てるように言った。
「巫女のせいでレリスは狂ったんだよ」
「どういう意味だ?」
「この国は数年前に大規模なクーデターで、大勢の命が失われたんだよ。私の周りの人も死んだ。事の発端は巫女なんだ」
クーデターの話は先ほど聞いたが、フェリンの話では「王が国宝を私物化したことが原因」だったはずだ。ルージュは首を捻り、しばらく思案してから小さく「あっ」と声を上げる。
「巫女は祈る。何を祈ってるかは知らないけど、その祈りの力でレリスを守るんだよ。だから国は巫女を民のための宝として扱っていたの」
「宝、ねぇ」
「宝というと響きはいいけど、実際は道具のように扱われていたんだ。部屋に閉じ込めて、ただ祈らせる。自由なんて勿論ない。籠の鳥ってやつ」
足下に転がっていた拳大の石を爪先で器用に蹴りながら彼女は歩いている。いつの間に見つけたのだろう。
「しかも巫女はみんな短命でさ。祈りってやつが命を削るからって言われてるけど」
「報われない祈りだな」
「それでも巫女は次々に生まれる。血筋とか関係なしに、死んだらどこかで新しい巫女が生まれてっていう繰り返し。生まれた巫女は国に仕える掟になってる。可哀想で巫女を隠す親とかもいたみたいだけど、歴代の王達はみんな巫女を見つけ出しては親から引き離して拘束してたみたいだね」
「生け贄みたいだな」
「うん。そうだね」
あまりにケロッとしていて、他人事のように言うので、「君もその生け贄の上に生きるレリスの民の1人なのだ」と責め立てたくなる。
「まだ、力なき民の中に巫女が生まれたうちは良かったんだ。でも、ある時王家に巫女が生まれちゃったんだよ。非情な王ならば探す手間が省けたって喜ぶんだろうけど、王も人の親だったんだね。巫女を隠そうとしたんだ」
「なるほど。それがバレてクーデターか」
「巫女のせいで生まれた悲しみの数は計り知れないよ」
そう呟く彼女の横顔は、チャラチャラした身なりにはマッチしない真剣なものだった。黒い夜空のような瞳が美しかった。
あの砂にまみれた土壁の廃屋が並ぶ通りへと戻ってきた。フェリンがいるとまた不機嫌な調子で追い返されるのだろうなと思い、周囲を見回すが人の姿はなかった。見たことのないオレンジ色の小さな鳥が一匹で地面をつついているだけだった。
国を守るために、世界を守るために闇を封じ込め続ける巫女。命を削り、名も知らぬ誰かのために身を捧げる巫女。そして時がきたら厄介な楔として扱われ、殺されてしまう巫女。
ルージュはエルースに残してきた1人の少女の顔を思い出す。彼女は巫女だった。呪われた運命を背負った可哀想な存在だった。
――時が来たら私を殺してね、ルージュ。
彼は首を横に振る。急に腹の底から不安が沸き立つのをどうにか抑え、ルージュは先を急いだ。