陽の当たらない場所
「で、俺はこれからどうなる?」
城門まで来たところでルージュは訊ねる。脅えこそなかったものの、先のことが分からないのは彼にとってやりづらいことこの上ない。
「好きにしていろ。ただし街から出るな」
ナシュアの言葉にいち早くリュダが反応する。
「これでゆっくり観光ができるね」
輝くような笑みを綻ばせながら、彼はルージュの袖口を引っ張った。
「行こうよ」
ぴょんぴょん跳ねているリュダを眺めるナシュアの横顔はやはり美しく、どこか寂しげだった。今にも大理石の彫刻に亀裂が入り、中から別の生き物が顔を出しそうな危うさがあった。
「どうした?」
ルージュが訊ねると、ナシュアは我に返ったように目を見開き、少し乱れていた黒髪を撫でた。
「いや……。明日までに案内役を用意しておく。夜には兵舎に戻れ」
砂を撒き上げるようにして風が通り過ぎ、ルージュの背中を押した。ナシュアは再び乱れそうな黒髪を押さえながら、踵を返し城の方へ戻っていった。彼女の背中が見えなくなるのを見届けてから、ルージュは「行くか」とリュダに呼びかけた。
砂漠の街の生命線とも言える水路が城から8方向へと放射線状に伸びている。そのひとつが大通りに沿って敷かれている。ルージュは大通りとは真逆に伸びる水路を選び、広い砂利道を歩き始める。
「竜の居場所は分からなかったけど、巫女が協力的で良かったね」
前方を歩いていたリュダが振り返り言う。器用に後ろ向きに歩きながら、ルージュと向かい合う。
「あぁ。だが、砂の巫女がダメだということは他の巫女もダメかもしれないな」
敢えて口にすると腹の底に鉄の塊を放り込んだように身体の重さを感じた。
「竜が見つからなければ、王はじきに闇に食われてしまう」
「焦ってるね。じゃあ巫女を殺してみる?」
「だからそれはイヤなんだって。王の意志にも反する」
「悠長なことを言ってるけど、あまり時間はないんだよね」
リュダの言っていることは間違っていない。綺麗事では世界を救えない。平和を掴めない。それを重々理解しているからこそ、ルージュは残酷なことをあっさりと口にする彼を咎めたりはしなかった。
「このまま他の巫女に聞き込みをする意味はあるだろうか」
「分からないよ。巫女達が嘘をついている可能性もある」
「竜に対する私怨がある巫女達だから、その可能性も大いにあるが、少なくとも尋問も脅迫も、彼女らには通用しないだろう。巫女達は使命ためなら命を捨てる覚悟のできる女達なんだから」
厄介だなとルージュは吐き捨てた。力なら持て余すほどあるのに、と嘆きたくなる。
「早く王様を助けたいね」
柄にもなくリュダはルージュの意思を読みとり、優しく前向きな言葉をかけた。
「そうだな」
ルージュも素直に彼に同意する。
水路を辿って歩き続けていたルージュだが、特別あてがあったわけではない。ただレリスという町並みを見ておきたかった。国のあり方を目に焼き付けておきたかった。楽園と呼ばれるエルースとの違いを知り、有用なものは自国に反映させたいと彼は思っていた。
「リュダ、どこに行こうか」
「どこでもいいよ。夜になるまではつまらなそうだし」
「夜? そういえばやたらと賑やかだったな」
「毎日お祭り騒ぎみたいだよ。仮面をつけて狂ったように踊って、少女へ祈りを捧げるんだってさ」
珍しく博識なリュダに対しルージュは若干の驚きを抱いたけれど、「フェリンに聞いたんだ」と付け足した彼の言葉で納得する。
「少女が闇に魅せられないように。その汚れ無き魂が清く在り続けるために、ね。おれも踊ろうかな」
少し大きめの白い犬歯を見せながら、リュダは腰を振って笑っている。
「やめてくれ。疲労が蓄積するだけだ」
「別に疲れないよ」
「勘違いするな。俺が、だ」
今夜無駄な体力を消費されて、明日の旅立ちで弱音を吐かれたり、ごねられるのは厄介だ。リュダはその若さ故に自分の力の加減を知らない。闇の器という特異な存在であることは間違いないが、精神はまだ未熟なただの生意気なガキにすぎないのだ。
水路に沿うように煉瓦造りの家屋が並んでいたけれど、人の気配はなかった。くすんだ壁と崩れた屋根などがやたらと目に付く。それらに被さった白い砂の量は今朝見た大通りの比ではない。行き届かない管理。次から次へと襲いかかる砂嵐の爪痕。燦々と輝く太陽に照らされているはずの建物達はどこか暗く、色を喪失したモノクロの世界に入り込んでしまったように見えた。
「スラムか?」
城から伸びた8個の水路のうち、最も寂れた方向を選択してしまったのかもしれない。砂漠の宝石と呼ばれるレリスであっても、こうした掃き溜めのような場所がある。エルースであろうとどこの国であろうと、そういった陰と陽を抱えて存在しているのだと、彼は再認識する。
「あれ? あんたらは……」
砂塵で霞んだ景色の向こうから突然聞き覚えのある声が聞こえた。前方に姿を現したのはフェリンだった。
「ルージュさんとリュダじゃないか。こんなとこで何してる?」
「適当に街を散策するつもりが、妙なところに迷い込んでしまったんだ。ここはどこなんだ?」
フェリンは目尻に皺を作りながら「迷子ってわけか」と冷やかした。目的地があったわけではないので正確には違うが、説明が面倒だったのでルージュは笑って誤魔化した。
「この道はレリスの旧王家の者達が住んでいた古城へと続いている。もう誰もいないが」
フェリンは首を竦めて笑っている。今は無き旧王家。ルージュは不穏なものを感じ訊ねてみる。
「今のこの国は別の血筋の王が建国したのか?」
「あぁ。数年前にクーデターがあってね、現職の王であるミースラが軍を先導して前王を殺害し、新しい国を興したんだ」
レリスのことどころか、エルースの外の世界について全く知らない彼にとって、他国のクーデター話は新鮮かつ恐ろしいものに思えた。
「以前のレリスはそんなに酷かったのか?」
フェリンはすぐに「いや」と短く否定した。
「全ての憤怒は、王による国宝の私物化が原因だった」
「国宝の私物化? その国宝とは国家が転覆するほど民にとって大事なものだったのか?」
「そうだな。柱が失われた家に住むような不安があったことは間違いない」
「詳しいな」
「俺はこの国で生まれたし、今もここを拠点に冒険者をやってる。知ってて当たり前だ」
「なるほど」
耳が痛くなるほどの静寂に気まずさを感じた。これ以上教える気はないと言いたげに、フェリンは小さく咳払いをし目を逸らした。
「この廃屋の横の路地裏を通れば、もうひとつ隣の通りに出られる」
訊ねてもいないのにフェリンは丁寧に誘導してくれた。
「せっかくだから、古城を見ておきたいな」
ルージュが気楽にそう告げると彼は頑なに首を横に振った。
「この先にはあまり行かない方がいい。旧レリス派だと思われるからな。まだこの国は過敏で不安定な状況にある」
それならば何故フェリンはここに? 訊ねたい衝動に駆られたものの、リュダが袖口を引っ張り小道へと誘導したので、質問するタイミングを損じてしまった。
「気をつけろよ。レリスは余所者には牙を剥くことが多い」
フェリンの目尻にまた皺ができた。そのせいで、自分よりも若いとリュダからは聞いていたが、少し老成して見えた。