目的2
ルージュの言葉に最も反応したのはナシュアだった。
「貴様、まさか最初から巫女が目当てだったのか?」
彼女は腰に身につけていた剣を抜いて構えた。声を荒げ、ルージュに刃の切っ先を向ける。ルージュは両手をヒラヒラして敵意がないことを示した。鋭利な刃を向けられることにさほど恐怖を感じはしない。幾度となく魔族との戦に赴き、死と向き合ってきた彼にとっては身震いするようなことでは決してない。
「怒るなよ。あんたが勝手に連れてきたんだろ?」
ルージュはやんわりとそう告げて、再度巫女のいるついたての向こうに視線をやる。巫女はこちらの状況を把握しているのか落ち着き払った声で「やめて下さい、ナシュア」と宥めるような言葉を口にした。
「ルージュ。貴方の目的は私を殺すことではないのですか?」
巫女はそう言った。脇にある大きな窓から生暖かい穏やかな風が吹き込んできた。
「さっき言ったとおりだよ」
巫女は何かを思案しているのかしばらく沈黙を保った。そして決意を固めたのか、「分かりました」と強い口調で言った。
「ナシュアにも解るように、説明して下さい」
「は?」
意味が分からなかった。ナシュアどころか、自分に分かりやすく説明してくれと言いたくなった。巫女は当惑するルージュのそのような心を読みとるように告げた。
「彼女は信頼に足る人物です。エルースの内情を知って、あれこれ画策するような醜い野心家ではありませんよ」
巫女が嘘を言っているとは思わなかった。ナシュアには命を救ってもらった恩もある。一瞬躊躇ったものの、彼は拳を握り締めてナシュアと向き合う。相変わらず彼女は表情に乏しい様子でこちらを見つめていた。
「あんたは伝説を知ってるか?」
「闇やら光やら出てくる話なら知らない者は幼い子供だけだろう。勿論知っている」
彼女は滑らかな黒髪をかきあげながら言った。確かにこの伝説を知らない者はほとんどいない。隔絶された王国エルースが世界と唯一繋がるものがこの伝説であり、この物語であることを彼は知っている。
「闇に包まれた世界を竜が光を以て救うという伝説だが、それは史実であり、過去に本当にあった話だ。これはエルースの一般市民すら知らないことだがね」
彼女は黙って聞いていた。美しい黒い瞳はぱっちりと開かれたままで、瞬きすらしているのか怪しい。人形に対して話しているようなぎこちなさを感じながらもルージュは続けた。
「エルース王は闇を閉じこめる資質を備えた選ばれた器なんだ。もう何百年も前から王の身体に闇を封じ込め続けている。しかし絶大な力を持つ王の身体であっても、時が経てば闇に蝕まれてしまう。その度に王は新しい王を選び、その闇を引き継いできた。そして今、我がエルース王の肉体は闇に蝕まれ朽ちつつある。新しい王へと闇を引き継ぐ必要がある」
「もし引き継がなければどうなる?」
彼女は世界に広まった曖昧な伝説が史実だということに対して過剰に反応することはなかった。そもそもどのようなことにも動じない人間なのかもしれないが。
「闇の正体はいまいち詳しくないが、それが世界を混沌をもたらすことになるのだろうな」
「混沌の世界、か。想像しがたいな。お前が世界に関わると言ったのはこのことか」
「そうだ。俺に与えられた使命は当初2つだった。『闇の器となる次の王を連れてくること』。これは既に完了している。信じられないことに、今ここにいる馬鹿面の少年こそが次の王なんだ」
ルージュは傍らにちょこんと立っている銀髪の少年を見下ろした。リュダはその史実を知っているからか、興味なさそうに窓の外から入り込む砂塵を眺めていたが、急に視線が集中したことに気付きビクッと身体を動かした。
「これが王?」
軽蔑や侮蔑の色はなかったけれど、信じられないと言いたげだ。「俺も信じたくない」と賛同したくなるが、リュダの癇癪の後始末が面倒なので止めた。
「そしてもう1つの使命は『5人の巫女を殺すこと』だった」
ナシュアの頬がピクリと強ばるのが見ていて分かった。それは僅かな疼きに過ぎなかったが、普段から表情が無い分、動きは明確に分かる。
「どうして巫女を?」
「伝説に登場する少女とは巫女達のことだ。彼女達は闇を閉じ込める器を生み出した張本人だ。だが彼女は伝説の中で描かれるように重大な罪を犯した」
「少女は闇に魅せられ、剣で竜を貫いたのだったな」
「その通り。その結果、生まれたのは少女に対する竜の憎悪だ。竜は巫女が生きていては憎悪に囚われ、闇を閉じ込めるだけの光を出せない。俺達が竜の光の加護を得るには、巫女達を殺す必要がある。そうして歴史の中で王や巫女は何度も死んだ。彼らは死んでその力を引き継ぎ、歴史を繰り返した」
「伝説の解釈やお前の任務は分かったとして、何故お前が使命を果たさないと決めたのか、経緯を聞こうか。それがレリスにやってきた理由でもあるのだろう?」
ルージュは頷く。速やかに進行を促すナシュアに感謝の言葉を述べたくなる。
「エルースで、とある事件が起こった」
「事件?」
「国境の森に住む竜がいなくなった」
彼の言葉に過剰に反応したのは砂の巫女だった。あの澄んだ落ち着き払った声が裏返り、ついたての向こうで激しく取り乱しているのが分かった。
「どういうことです? 竜がいなくなった?」
「詳細は分からない。だが竜の光がなければ器に闇を閉じ込められない。蝕まれつつある王の器は既に限界にある。俺が今やるべきことは竜の居場所を探ることだ。世界を見通す巫女なら知っていると思って隣国のレリスに住む砂の巫女を訪ねた。だが」
ルージュは深い溜息を洩らした。
「その調子だと竜の居場所は分からないみたいだな」
「はい。過去の因果により巫女と竜は対立していますからね。竜は私達を警戒し、気配を隠しています」
巫女は囁くように「すみません」と言った。不思議なことにその声はついたてを容易に乗り越え、彼らの耳に鮮明に届いた。
「巫女に対して苛立った竜が姿を眩ましたとすれば、巫女を殺せば姿を現すかもしれないですね」
あまりに自虐的な巫女の言葉に、ルージュは顔を顰める。
「その可能性もあるが俺は無意味な殺戮はしたくない。それに、姿を眩ましただけなら、この世界のどこかにはいるさ」
ルージュの言葉に、ナシュアは胸を撫で下ろした。そして深く息を吐きながら黒髪をかきあげて、「話はそれだけか?」と訊ねた。
「いや、まだある。これはお願いなんだけど」
お願いという響きに不穏なものを感じたのか、ナシュアは機嫌を損ねたように眉を顰める。次は何だと云わんばかりに溜め息まで吐く。
「誰かに外の世界を案内してほしいんだよね。俺達、分かんないし」
「は? 本気で言っているのか?」
「勿論。巫女が竜の居場所を分からないというなら、これから俺達は手当たり次第に竜を捜し歩かなければいけないからさ」
ナシュアのような権力を持ち聡明な女性なら、誰か適切な人間を1人ぐらい紹介してくれるのではないか。そういう期待がルージュの中にあった。エルースで生まれ、エルースで育った彼にとって外の世界は未知すぎて、再び遭難する可能性は高い。そのような無駄足をできるだけ減らすべきだと彼は今回の一件で感じていた。
「なるほど。そういうことならナシュア、私からもお願いします。私も世界が闇に飲み込まれるのは見たくない」
ナシュアはついたての向こうに視線を遣る。姿を見せない巫女の顔を彼女は知っているのだろうか。彼女は素直に「了解しました」と答えて、深くお辞儀をした。次に顔を上げた時、ナシュアの表情は僅かに曇っていたように見えた。
彼女の誘導により、そのまま巫女の前から立ち去ることにした。またあの暗く狭い廊下へと引き返し、ひたすら歩く。
「巫女には随分素直なことで」
彼が冷やかしてみるが、ナシュアは背中を向けたまま答えることは無かった。