契約満了につき、永遠にさようなら
上品で洗練された家具が並ぶ応接間。
中央のソファに座ったアイリス・フォンティーヌは、ただただ微動だにしなかった。控えている侍女も、出入口に控えている数人の護衛も同じだ。
重厚なテーブルの上に置かれた紅茶の湯気は、だいぶ収まっている。飲むと少々苦いかもしれない。
「その……」
ようやく向かい側に座っている人物が口を開いた。
「あの人が亡くなったばかりで、こんなことを言うのもはしたないのだけど……」
そうですね、と言おうかと思ったが、止めておく。同じところに落ちるべきではない。
「その、もう少しお金を融通してもらえると、助かるのよ……」
なんて図々しい。
平民全員がこうではない、と知っている。いや、身分関係なく卑しい人種というのは一定数存在しているから、この人たちはきっとそれに当てはまっているのだろう。
「ねえ、おねがいよ。義理とはいえ、私はあなたの母で、リリアーナは妹でしょう?」
ああ、そういえばそんな名前だったな、とアイリスは、ちらり、と女の隣に目をやった。
『それ』は木の皿に品良く盛られた筈のクッキーを、ぼりぼりと音を立てながら両手で手づかみで口に入れている。両頬は風船を膨らませたかのように、パンパンだ。
喉が渇いたのか、カップを掴んで口に付ける。
ズルルルルルッ! ゴクッ!!
聞き苦しい音に顔を顰めたくなったが、膝の上で爪をたてることアイリスは何とか堪えた。
そうして『それ』はクッキーを紅茶で流し込んで、ぷはっ! と大きく息を吐き、またクッキーに両手を伸ばす。またぼりぼりと聞き苦しい音をたてながら。
「ねえ、聞いてるの?」
苛立ったのか、女が声を少々荒げた。
「そのように大きな声を出さずとも聞こえております」
アイリスは静かに答える。
「まず訂正しておきますが、貴方は私の義理の母親ではありません」
「な、なにを言うの!?」
女が目をひん剥いて怒鳴るが、アイリスは平然と聞き流す。
「そもそも父と貴方は婚姻しておりません」
「何を根拠に……! 私はちゃんと署名をしたわ!」
そう言いつのる女。
アイリスは閉じた扇の影で口元を隠し、目を細めてみせる。
「あれは婚姻届ではありません。『あなたの娘が12歳になるまでは、生活を保障する』という契約書です」
女の口が、ぽかん、と開かれた。
見苦しいにも程があるが、あえて真っすぐに見据えながら言葉を続ける。
「そもそも、あなた方がここに住むことを許されているのは、父の恩義によるものです。あなたの夫は、平民でありながら学生時代
、父の親友とも呼べる存在だったそうですね。ですが戦争で兵役に就くことを余儀なくされ、戦死。戦場に行く前に、父へ充てた手紙により、残された妻子を引き取った……という経緯です」
ご理解いただけましたか? と小首を傾げてみせるが、女は目を見開いたままだ。
「そのことは口頭での説明及び契約書にも書いてあった筈なのに、何故それが父と結婚している、などという勘違いをなさるのか……あなたも同じ学校に通っていたのですから、読み書きや文書の理解ができない、などという理由は通じませんことよ?」
「な……」
女の顔は怒りと屈辱で真っ赤に染まっている。
頭の中身がお粗末です、と証明してみせたのが恥ずかしいのだろう。
そして隣にいる『それ』はクッキーを食べ尽くしたらしく、げふっ、と聞き苦しい音を口から吐き出した。
そして。
「ん! ん!」
こん、こん、と空になった木のトレイが机に打ち付けられた。
どうやらクッキーのお代わりを要求しているらしい。
あれだけ食べておいてまだ足りないのか。だから縦にも横にも大きく育ったのだろうが。
「ん! ん! ん! ん~~~!」
『それ』は口を一文字に引き結んで鳴き声をあげながら、木のトレイを机に打ち付け続けている。
確か引き取られたばかりの頃は、もう少し人間の言葉を話していた気がするのだが。そのどれもが「わたしもドレスきたいから、ちょうだい! ん!」「ほうせきがほしいから、ちょうだい! ん!」という欲望丸出しの言葉ばかりだったから、聞き流していたけれど。
この親子は庭の片隅にある離れに住まわせていたのだが、何かと夜会に連れてけだの茶会を開けだのと厚かましい要求をしては、護衛によって追い出されていたのをついでに思い出す。
この国では12歳ともなれば、協調性や本格的に教育を学ぶべく学校に行くことになる。が、目の前の『それ』は、成人の言動のそれでないどころか、退化している。
(この女が勘違いして甘やかしまくったせいね。お父様が家庭教師を付けても、奇声をあげて癇癪を起こしすぐに辞めさせるものだから、最終的に見放されたのよね……)
ここまで手助けしてやったのに、この女と『それ』はそれらを全て無駄にした。
だから父からも見放され、ロクに会話もしていなかったのに何故婚姻しているなどということになるのか。立てていた見張りからの報告で動向は把握していたようだが、それだけだ。死の寸前まで、あの親子を気に掛ける言葉など欠片も出てこなかったし。
アイリスがそう思考している間、『それ』は要求が通らないことに、「んん~、んむ、んきぃ~!」と奇声をあげながら、ソファの上でうごうごと身体を捩らせて蠢いてる。
スカートが太腿まで捲れて、むっちりとした足が晒された。顔を顰めそうになるのをアイリスは懸命に堪えた。
「そういう訳ですので、あなた方の身分は平民です。そして、あなたの娘は成人を迎えておりますので、契約は終了いたしました。そして父が亡くなった今、爵位を継いだのはわたくしです」
そう言うと、女は憎々し気にこちらを睨みつけて来た。その口から罵詈雑言が飛び出す前に、アイリスは口を開く。
「……ですが、このままでは我がフォンティーヌ家の醜聞を言いふらされる可能性があります。それはこちらの望むところではありません」
今までの恩も忘れて、と内心で付け加えたが、女には通用しなかったようだ。その目にぎらり、と期待の色が宿る。
それを冷めた目で見ながら、アイリスは控えていた護衛に目線で合図を送った。護衛は静かに頷いて、ソファに座っていた2人を素早く拘束した。
「な、何をするの!?」
「キイヤアァー!!」
女は驚き、『それ』は奇声をあげた。
「キィー!! キャァー!! アアァーーー!!」
超音波にも似た奇声に頭が痛くなりそうだ。「黙らせて」と指示すれば、護衛は手慣れた様子で『それ』に猿轡を噛ませる。
「ぐぅー! むぐうううう!!」
くぐもった声に変わったが、先程よりはマシだ。
アイリスは冷めた表情のまま、改めて口を開く。
「『それ』には、更生施設に入っていただきます。こんな『モノ』にフォンティーヌ家が関わったと知られれば、醜聞にも程がありますから」
「なっ、なんてこと言うの!? 私の娘を『モノ』だなんて!」
女がそう反論する。
だがアイリスは扇をバッと広げ、目を細めてみせた。
「人間らしい扱いをされたいのなら、人間らしい行動をしていただかないと」
明らかな嘲笑に、女の顔が怒りに歪む。
「ご安心を。更生すれば、貴方の下へお返しいたします。その間貴方には、北方にある我が家の領地で労働に励んでいただきますね」
「は……?」
今度は、訳が分からない、とばかりに口がぽかん、と開かれた。
随分と表情が豊かなことだ、とアイリスは思いつつ、言葉を続ける。
「馬車は一週間に一度しか来ませんが、自然豊かで良いところですよ。ああ、もちろん働きによって給金は支払われますので、ご心配なく。ですがその一部は、更生施設への料金に当てられますのでよろしくお願いいたしますね」
女が何か言う暇も与えずアイリスは一気にそう言って、扇を口元に当ててにっこりと微笑んでみせた。
「これが、あなた方にかける最後の『情け』です。そしてお父様が亡くなり、『それ』も12歳を迎えたため、契約は終了いたしました」
ぱちり、と扇を閉じて、控えていた侍女のトレイへと静かに置いて、ソファから立ち上がる。
「それでは、あなた方の行く末に興味など欠片もございません。永遠にさようなら」
綺麗なカーテシーを披露してみせれば、それを合図に護衛たちは無言で2人を担ぎ上げた。
女が我に返ったのか喚こうとするが、すかさず猿轡が噛まされる。
言葉にならない呻き声が扉に遮られ完全に聞こえなくなった頃、アイリスは姿勢を正した。控えていた侍女たちが素早く茶器を片付け、机を磨き、新しい紅茶の入ったカップを置いてくれた。
それに礼を言い、アイリスはソファへと静かに座り、カップに口を付ける。馥郁たる香りと味が、ささくれた心を少しだけ癒してくれた。
(ああ、言い忘れていたわ)
『あれ』が収容される更生施設は、『更生の見込みなし』と判断された場合、人を人とも思わぬ扱いを受ける『別の施設』に強制収容されるということを。
(……まあ、どうでもいいわ。興味なんてありませんもの)
アイリスはそう思いながら、カップから口を離し、ふ、と息を吐いた。
(終)




