村の救世主たち
その1 田舎の選挙事情
憂鬱な町長選挙の年がやってきた。
四年前は現・田畑町長が僅差で当選した。元市長・野山候補の敗因は組織票をまとめ切れなかったこととされた。盤石の基盤だった土建業界の票が割れたのだ。業界では裏切り者探しに躍起になった。選挙対策委員だった松木が、野山から厳しく叱責された。
松木は三足村に生まれ、ふもとの町で小さな土建会社を営む。松木は業界から干され、最近は県道のトンネル工事が一件回ってきた程度。苦労人の松木は社員を半分に減らして、なんとか乗り切ったのだった。今回の町長選こそはと、雪辱を期していた。
三足村の豪農・杉原と田畑町長は旧制中学の同級生だった。
杉原家は昔、庄屋だった。代々、人望が厚く、三足村のまとめ役となってきた。
前回の町長選に親友の田畑が立候補し、杉原は三足村の票のとりまとめを依頼された。知名度では現職の野山に到底かなわなかったものの、利益誘導型の町政に批判が集まり、田畑は野山の再選を阻んだのだった。
勝敗を左右したのは三足村の票のゆくえだったとされた。
三足村は二〇軒あまりの小さな村ながら、大家族が多く、一軒あたり五、六人の選挙人がいた。選挙に際して公平中立を保ってきたことから、毎回、草刈り場とされた。それが一転、反野山派の牙城となったのである。
松木の生家は廃屋になっているとは言っても、縁者は村に残る。農閑期には村人を臨時雇いしてきたこともあって、松木は三足村で一〇〇票は固いと読んでいた。松木は、顔を潰されてしまった。松木にとって杉原は不倶戴天の敵となった。
その2 棚田と傾斜畑
三足村は徳島県西部、ほぼ四国の中央部に位置する。大河・吉野川と支流の祖谷川に挟まれた小さな村である。
村は祖谷川に向かって開け、三方を山に囲まれる。西北部の山腹から一本の渓が村を横切り、祖谷川へと注ぐ。その標高差およそ五〇〇メートル。渓の流れは村に差し掛かると急に緩やかになり、渓の南北に連なる田んぼを潤す。田んぼは棚田だ。長い年月をかけて開墾してきたものである。
山野の勾配がきつく、また水の便が悪い場所では、村人は稲作をあきらめ、傾斜畑にして雑穀類や野菜を栽培した。平地の耕作と異なり、独特のノウハウを必要とした。伝統の傾斜地農法である。
機械化されていない時代、農作業は過酷を極めた。加えて、農作業の時機を逸すると高い収穫は望めなかった。そこで定着していったのが共同作業、いわゆる手間替えだった。
田植えのシーズンになると、村の家々から人が出て手伝う。麦蒔きの日には急な畑に横一列に並び、専用の鍬で土を掻き上げる姿があった。
田植えの日は
「本日はお田植えということで、まことにおめでとうございます」
と被り物を取って挨拶することから始まる。
冗談を言い合っての長い一日が終わると、夕食の膳が供される。村人はいったん帰宅して湯あみし子供たちを引き連れて、客人を待つ家に急ぐ。田植えは子供たちの楽しみにしている行事のひとつだった。
村の生活は古来、助け、助けられることによって成り立ってきた。
その3 共生社会
村に生きているのは人間だけでなかった。
空にはカラスやトンビがのどかに円を描き、畑には小鳥や蝶、トンボ、バッタなどが群れる。田んぼの水面にはアメンボが軽やかに滑る。水が濁っていれば、ドジョウが人影に気付いて潜った跡だった。
渓ではカワヨシノボリやムツゴ、カワエビ、沢ガニなどが清流の恵みを満喫していた。ウナギは時々、田んぼに迷い込み、大捕物になることもあった。
一歩、山に踏み込むと、低い灌木のなかに獣道があった。ウサギやタヌキ、キツネなどの生活道路である。動物たちはここを通ってエサを探し、水飲み場に向かう。
イノシシもたまに山奥から降りてくることがあった。イノシシはヘビやマムシを貪り食う反面、田畑を掘り返したり収穫期のたんぼでぬたくる習性があって、有害鳥獣の筆頭とされた。
ほとんどの農家が牛を飼っていた。
子牛から育てる。成長すると、牛は貴重な労働力となる。田畑を耕すのである。また、牛の糞は得難い肥料となった。農家では堆肥小屋を建てて牛糞を発酵させ、畑に撒いた。
牛は、農家の数少ない現金収入源でもあった。肉牛として市場に出される朝、哀し気に鳴いたという話は枚挙にいとまがなかった。農家では家族同様、牛を大事に育てていた。
もうひとつ、農家の風景に溶け込んだ家畜がいた。
鶏である。鶏たちは農家の人々に重要なタンパク源を提供した。粟やヒエなどのほか、庭や畑にはミミズなどのエサも豊富だった。放し飼いにされるなど、農家ならではの健康的な環境のもと、鶏は長く卵を産み続けた。
鶏の糞もまた畑に撒かれ、作物の生育を助けた。人糞と言い、牛糞と言い、なにひとつ無駄のない、循環農法だった。
猿は今日のようには人里に現れなかった。あれでもって、警戒心が強いのか、あるいはプライドが高く、人間とは一線を画していたのか定かではない。したがって、村に棲む動物たちの中で、一番の知恵者はタヌキだった。
徳島県にはもともとIQ(知能指数)の高いタヌキが多い。妖怪に身をやつした「阿波の豆ダヌキ」と袂を分かち、秘境において天賦の才能を人知れず発揮、世のため人のために尽くしてきたタヌキもいるのである。
三足村のタヌキの長老は無名ながら、かつての庄屋・杉原家に負けず劣らず、村の動物たちの信頼を得ていた。長老は村人の出来事について、かみ砕いて動物たちに説明してきた。このかいあって、村の時事問題に関心を寄せる動物も少なからずいたのだった。
その4 超激戦区
町長選がスタートした。
三人が立候補した。ひとりは選挙マニアとして名高い女性候補であり、田畑と野山の事実上の一騎打ちとなった。やはり三足村が決戦の行方を左右しそうだった。
野山候補は足しげく三足村に顔を出した。松木が先頭に立って案内し、あいさつ回りした。
松木の息のかかった家には手土産が準備された。菓子折りの底には一万円札が入っていた。買収の常とう手段だった。
ある者は良心の呵責から、返しに行った。
「あんたな、自分で入れたんと違うで。野山先生がなんでそんなことする。先生を陥れようという算段かいな。帰れ、帰れ!」
運動員は凄んできた。
田畑は地道に演説会を開いて、政策を訴えた。
その日、三足村の会場には開演時刻になっても人はまばらだった。村の辻々に人相の良からぬ野山の運動員が立ち、にらみを利かせていたからだ。無視して会場に向かおうとした村人は小競り合いとなった。さなかに振り払った腕が相手の顔に当たり、相手は大声を上げて痛がった。
「傷害罪や」
すべては計算通りだったのだ。
三足村で野山の運動員が暴行されたという話は、一瞬にして広まった。黒幕は田畑の同級生の杉原という尾ひれまで付いていた。
策士の野山も安閑としていられなかった。
どこかの村のおばあさんが期日前投票に訪れ、係員に訊いたらしい。
「投票したらゼニがもらえるらしいけんど、どこに行ったらええのかのう」
耳聡く、菓子折りの話を聞き込んでいたのである。係員の誘導尋問により、おばあさんはすべて白状してしまった。
およそ、選挙期間中、村人は夜の外出を控えた。ライバル候補の運動員と間違われ、危害を加えられる恐れがあったからだ。
村人の疑心暗鬼はぬぐえず、選挙が終わってもノーサイドというわけにはいかなかった。
とりわけ、町議会や村議会議員選挙の場合、当落が数票差で分かれることもあった。当落線上の候補者は二万円、三万円と積んで投票を依頼する。何人もから金を受け取り、しれっと当選祝賀会に駆け付ける厚顔の徒も散見された。
地方議員の選挙は往々にして、のどかな村人の生活から性格まで変えてしまう。
選挙結果は即日開票された。
今回も僅差で田畑候補の勝利となった。野山は結果に異議を申し立てた。集計し直しても結果は翻らなかった。それどころか、さらに得票差は開いて、野山は赤っ恥をかいてしまった。
「こうなったら町議会に、ダンプで突っ込むしかない」
松木はいきり立った。
野山が殊勝にも
「民主主義の世の中にあらざる蛮行だ」
と叱って、不名誉な前例を残さずに済んだ。松木は忠臣のひとりではあった。
傷害事件に関連して、杉原も警察に呼ばれた。三足村からは野山の戸別訪問を受けた者も事情聴取された。こうして、多くの村人たちが何日も留め置かれることとなった。
その5 一大事
「長老! ひどい話ですね。杉原さん、飛んだとばっちりじゃないですか」
若いタヌキは拳を振り上げた。
「そうや、そうや」
キツネやウサギからも声があがった。
「裁きは人間がする。われわれ畜生の出る幕じゃない。そんなことより、三足村が大変な事態になっていることがお前たちには分からんのか」
長老は全員を見渡して言った。
「なんやろ、大変な事態って」
みんな首を傾げた。
「田植えの時期になっとるのに、働き手は警察から帰れん。苗かきが済んでも田植えができていない農家があれば、まだ苗かき前の農家もある。どっちにしても、今年は不作になるぞ」
苗かきは苗代に育った稲の苗を数十本ずつまとめる作業である。苗かきと田植えのタイミングは稲の出来を左右する。
長老の言葉に全員の顔色が変わった。思い浮かべたのは牛だった。あんなに一生懸命、働いていた牛が、気の毒で仕方なかった。
「ほな、急いで田植えしましょうよ。杉原さんらの田んぼだけなら、なんとかなりますよ」
シカが絞り出すような口調で言った。シカにはくくりワナにかかっていたところを杉原に助けられた恩義があった。
「お前はまだ若い。困っとる農家があんなにあるというのに。村は運命共同体じゃ」
長老は一喝した。
一同からしわぶきひとつ聞こえなくなった。
「手、貸しますぜ。要はアレをやればいいんでしょ」
突然、沈黙を破ったものがいた。山ザルだった。
「長老が困っとるというので山を降りてきたら、そんなことだったのかいな。任せときな」
イノシシだった。
二頭は大勢の仲間を従えていた。抗争の勃発とでも思ったか、サルとイノシシたちの目が血走っていた。
モタモタしているイノシシたちをよそに、ボスが一声かけると、サルたちはあねさん被り、モンペ姿に変身していた。観察力が並でない。
その6 幻影
闇夜だった。明かりと言えば、星の光だけだった。
家々の灯は早々と消えた。どの家も警察に呼ばれた村人を案じて、静まり返っていた。
杉原の奥さんが厠に立った。憔悴し切っていた。夜はまだ明けていなかった。
奥さんは村の田植えのことも気がかりだった。何げなく眼下の田んぼに目をやると、星空のもと、黒い影がうごめいていた。
(いかん。寝不足が続き、幻が見えるようになっとる)
奥さんは少しめまいを覚え、慎重な足取りで寝所に戻った。
「杉原さん! えらいことやで」
となりの若奥さんの声で目を覚ました。
「田んぼが、田んぼが…」
寝巻のまま庭に出た。
満々と水をたたえた田んぼに、整然と苗が植わっていた。
その上をツバメが猛スピードで飛び交う。
朝日が射し始め、村じゅうの田んぼという田んぼがキラキラと陽光を反射していた。
杉原家に嫁いで四〇年、初めて覚えた感動だった。
朝日が村の入り口に、人影を浮かびあがらせた。動かない。同じ光景に目を奪われている様子だった。村の人たちが警察から帰ってきた。
村に再び平穏な日々が訪れた。村人の交流は選挙騒動前にもまして盛んになり、明るい笑い声が絶えなかった。
杉原夫妻は後々までこの話を語り聞かせた。
しかしながら残念なことに、世代が下るにつれ
「クソごじゃじゃ」(「ごじゃ」は徳島弁。標準語の「でたらめ」に当たる)
と耳を貸さなくなった。
夫妻は多くを語らなくなり、ひっそりと暮らすようになった。八〇歳を目前に相次いで亡くなった、と伝えられる。
二一世紀に入り、一帯は平成の大合併によって市に併合された。
その頃、三足村最後の住人が都会に流出し、村は消滅集落となった。歴史ある村も、過疎化の奔流に呑み込まれたのだった。
残された動物たちは独立国家を建国した。詳細は『動物王国捕物控』(山谷麻也著 Amazon刊)に譲るとして、筆者が三足村の出身であることだけは記しておこう。




