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役立たず令嬢と呼ばれ婚約破棄されましたが、実は古文書解読で王国中枢を支える唯一の存在でした。今さら必要だと言われても遅いです、私は戻りません   作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第123話 王城、“条件付き成功”という言葉に戸惑う

 王城に初回往復の速報が届いた時、政務調整局の会議室には、短い安堵が走った。


 全員帰着。

 重傷者なし。

 荷損一部あり。

 細荷および薬草束の限定通行は成立。

 第二往復候補者発生。


 そこまで読めば、誰もがまず息をつく。


 戻ったのだ。


 初回往復隊は、戻った。

 リゼット・マルタンも、フェリクス・ドーレンも、道守りも、人足も、全員が戻った。


 それだけで、王城の机に座る者たちの肩から、見えない重しが少し落ちた。


 だが、その安堵は長く続かなかった。


 速報文の中央に、見慣れない語があったからだ。


 条件付き成功。


 最初に眉をひそめたのは、交通管理局の若い文官だった。


「……成功、ではないのですか」


 その声には、苛立ちというより困惑があった。


「全員帰着。細荷通行成立。第二往復候補あり。ならば、初回往復は成功と整理してよいのでは?」


 別の文官も紙を覗き込む。


「条件付き、という語を入れると、かえって曖昧になりませんか。成功なら成功、失敗なら失敗としなければ、次の判断が遅れます」


 そう言いたくなる気持ちは、会議室にいる多くの者が理解できた。


 王城の机は、判定を好む。


 可か不可か。

 成功か失敗か。

 継続か中止か。

 進めるか止めるか。


 そこを曖昧にすると、次の部署が動きにくい。責任も割り振りづらい。布告も出しにくい。


 しかし、クラウス・ベルナーは黙って速報文の補注を読んでいた。


 ――現場帰還証言として、初回往復者リゼット・マルタンは「行けます。ただし、朝ではなく昼です」と述べた。

 ――本証言は、通行可否ではなく時間帯条件付き通行を示す急所として扱うべきである。


 ベルナーはその一文を二度読んだ。


 そして、静かに言った。


「この“ただし”を消すな」


 会議室の空気が止まった。


 若い文官が顔を上げる。


「ベルナー殿」


「成功、とだけ書けば、この“ただし”が落ちる」


「しかし、王城内の判定語としては」


「王城内の判定語が、道の状態より偉いわけではない」


 ベルナーの声は大きくない。

 だが、その一言で会議室の温度が少し下がった。


 ザイスは黙っていた。

 いつものように、勝ち誇った顔はしない。

 ただ、ベルナーがどこまで言うかを見ている。


 ベルナーは、今度は添付されたフェリクスの観察記録を手に取った。


 泥の跡が残った紙だった。


 王城へ届く前に乾いてはいたが、紙の端は少し波打ち、文字も普段のフェリクスらしくない。

 線は震え、ところどころ潰れ、それでも必要なことだけは逃すまいと書きつけられている。


 ――朝、橋板鳴る。

 ――表面固し。下水動く。

 ――昼前、水筋見える。

 ――細荷なら可。太荷不可。

 ――人足の声かけで馬落ち着く。

 ――声なければ荷主戻らぬ、の意味を現地で確認。


 ベルナーは、最後の一行で少しだけ目を細めた。


「ドーレンが、こう書いたか」


 ザイスが頷く。


「はい」


「王城の記録管理局で、最も“感情語”を嫌った男が」


「泥の上では、音も声も資料だったそうです」


 ザイスがそう言うと、会議室の端で誰かが小さく息を漏らした。


 笑いではない。

 驚きと、少しの気まずさが混じった音だった。


 フェリクス・ドーレンは、旧案作成側の人間だ。

 整った表、責任分担、読みやすい制度語。

 それらを信じていた文官である。


 その彼が、泥にまみれた紙に“人足の声”を書いてきた。


 これは、ただの現地側主張ではない。

 王城の人間が、道の上で見た記録だ。


「成功と書きたい気持ちは分かる」


 ベルナーは文書を机に戻した。


「だが、成功と書けば、誰かが一般再開へ進めようとする。あるいは、布告の文言が“初回往復成功”になる」


「それでは駄目なのですか」


 若い文官がなお食い下がる。


 ベルナーは、その文官を責めなかった。


「駄目というより、危うい」


「危うい」


「現場へ届く時、言葉は削れる。王城で“細荷限定の条件付き成功”と書いても、市場では“行けるらしい”だけが走ることがある」


 その時、ザイスがようやく口を開いた。


「リゼット・マルタン本人も、同じ懸念を示しています」


 彼は別紙を出した。


 隣国館からの添付記録。

 リゼットの証言部分だ。


 ――条件が落ちて“行ける”だけになると、誰かが太荷を出します。


 会議室が再び静かになった。


 この一文は強かった。


 王城の文官が言うより、現地商人が言う方が、ずっと生々しい。

 しかも彼女は、実際に道を往復して戻ってきた本人だ。


 ベルナーはその証言を見て、短く言った。


「ならば、条件付き成功でよい」


「正式な中間判定として、ですか」


 ザイスが確認する。


「そうだ」


 ベルナーは頷いた。


「初回往復は成立した。だが一般再開不可。第二往復および再集合確認期を要する。これを成功と失敗の間の判定として置く」


 文官の一人が急いで書き取る。


 条件付き成功

 ――初回往復成立。

 ――一般再開不可。

 ――第二往復および再集合確認期を要する。


「この判定を入れると、既存の表に欄が足りません」


 別の文官が言った。


 いかにも実務的な指摘だった。


 ベルナーは即答する。


「足せ」


「既存表の様式を改める必要があります」


「だから足せと言っている」


 そのあまりに短い返答に、ザイスがほんの少しだけ口元を動かした。


 ベルナーはそれに気づいていたが、何も言わない。


 会議室の空気が、少しずつ変わっていく。


 最初は“条件付き成功”という語に戸惑っていた者たちが、次第にそれをどこへ置くかを考え始めている。


 戸惑いが、作業に変わる。


 それは王城が動き始めた証だった。


「次は第二往復です」


 ザイスが言った。


「隣国館からは、布商ルカ・ミーナ兄妹が候補として挙がっています」


「軽荷か」


「はい。軽布。通常量の三分の一。本人たちはリゼットの帰還証言を聞き、荷量を制限する意思を示しています」


「よい兆候だ」


 ベルナーが言った。


「勇気だけではなく、怖さがある」


 若い文官が不思議そうに顔を上げる。


「怖さが、よいのですか」


「条件を守るからだ」


 ベルナーは答えた。


「初回往復は、どうしても踏み出す者が必要だった。第二往復は、踏み出しすぎない者の方がいい。怖い者は、条件を聞く」


 それは、リゼットの言葉をそのまま受け取ったような判断だった。


 ザイスは書類を揃えながら言う。


「では、第二往復を仮承認しますか」


「仮承認でよい。ただし、条件を追加する」


 ベルナーは即座に言った。


「第一に、荷量は通常の三分の一以下。第二に、出発は昼前後。第三に、道守り二名以上。第四に、人足の声かけ誘導を必須。第五に、太荷への拡大不可。第六に、帰還後証言を即時記録」


 文官が慌てて書き取る。


「王城確認役は?」


 ザイスが問う。


「フェリクス・ドーレンを継続させる」


 会議室に、わずかなざわめきが走った。


「ドーレン殿を、もう一度ですか」


「本人の体調次第だ。だが、可能なら続けさせる。初回を見た者が第二を見なければ、差が取れない」


 ベルナーは、泥のついた記録紙を指した。


「この男は、一度泥の上で字を書いた。ならば、二度目の泥も見せた方がよい」


 ザイスが、今度は少しはっきり笑った。


「なかなか厳しいですね」


「記録管理局の者には、よい薬だ」


「ベルナー殿も記録畑のご出身では?」


「だから言っている」


 そのやり取りに、会議室にごく小さな笑いが起きた。


 重い議題の中に、わずかに人間らしい空気が戻る。


 だが、決定は重かった。


 条件付き成功を採用する。

 第二往復を仮承認する。

 ただし安全条件を追加する。


 それは、王城が初めて“成功したから進める”ではなく、“成功したからこそ条件を落とさず次へ進める”という判断をした瞬間だった。


 ベルナーは最後に、隣国館宛ての文面を確認した。


 ――初回往復報告、受領。

 ――王城は、当該往復を「条件付き成功」として中間判定に採用する。

 ――本判定は、初回往復成立を認めつつ、一般再開には至らず、第二往復および再集合確認期を要するものとする。

 ――第二往復については仮承認する。

 ――ただし、荷量三分の一以下、昼前後出発、道守り二名以上、人足誘導、太荷拡大不可、帰還後即時記録を条件とする。

 ――王城確認役については、フェリクス・ドーレンの継続可否を現地で判断されたし。


 ベルナーはその文面に目を通し、ひとつだけ加えた。


 ――現場語「行けます。ただし」は、今後の現場向け伝達語候補として保持すること。


 ザイスはその一文を見て、少しだけ目を見開いた。


「入れますか」


「入れる」


「王城文書としては、かなり踏み込みます」


「分かっている」


 ベルナーは短く答えた。


「だが、ここで落とせばまた同じことになる」


 誰も反論しなかった。


 封書が用意される。


 王城は、“条件付き成功”という新しい判定語を、ぎこちなくではあるが受け入れた。


     *


 隣国館へ返書が届いたのは、その日の夕刻近くだった。


 アリアは、その封を見ただけで胸が少し緊張した。


 王城がどう返すかは分からなかった。

 成功か失敗かの二択に戻される可能性も、ないとは言えなかった。


 グレゴールが封を切り、文面を確認してから、アリアへ渡す。


「通りました」


 その一言だけで、アリアは息を呑んだ。


「通った……」


 文書を受け取り、読む。


 条件付き成功。

 中間判定に採用。

 第二往復仮承認。

 安全条件追加。

 現場語「行けます。ただし」を保持。


 最後の一文まで読んだ時、アリアは思わず目を閉じた。


 通った。


 ただ戻ったことだけを成功とはしない。

 “ただし”を落とさない。

 第二往復へ進むが、条件を守る。


 王城が、それを受け入れた。


「……よかった」


 小さく漏れた声は、ほとんど独り言だった。


 フェリクスが横から文面を読み、少し苦い顔で笑った。


「私の継続可否は現地判断、とありますね」


「体調は?」


 アリアが聞くと、彼は姿勢を正した。


「行けます」


 少し間を置いて、付け加える。


「ただし、替えの靴を用意します」


 その場にいた全員が、少しだけ笑った。


 アリアも笑った。

 昨日から張りつめていた何かが、ほんの少し緩んだ気がした。


 けれど、仕事はまだ終わらない。


 第二往復が仮承認された。

 つまり、次の一歩が始まる。


 アリアは記録帳を開いた。


 ――王城、条件付き成功を中間判定として採用。

 ――第二往復、仮承認。

 ――ただし、条件多数。

 ――現場語「行けます。ただし」保持。


 そこで一度、ペンを止める。


 そして最後に書いた。


 ――“ただし”が、王城の文に残った。


 その一行を見つめながら、アリアは静かに息を吐いた。


 道はまだ完全には戻っていない。

 それでも、言葉は一歩、戻るべき形へ近づいた。

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