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第61話

 ――白の盆地。

 風が遅れて鳴き、雪が浮いてから落ちる。目のない顔にまぶたばかりを貼りつけた監視者が、静かに首を傾けた。


「おまえは――この世界の人間ではない」

 声は先に届き、意味が後から追いつく。


 主は肩をすくめ、わずかに笑った。

 「A world a hell of a lot more boring than this.」


「ならば見に行こう。おまえの“先”を。“ここではない場所”から今へ流れてきた順を」

 監視者のまぶたが一度だけ開閉し、雪が反転した。


 ――視界が裏返る。



 蛍光灯の白。机の落書き。冬用セーターの毛玉。

 十三の少年が、片手で古いスマホを支え、もう片手でノートを隠すように持っている。

 黒い肌、短く固いアフロをジェルで無理やり尖らせた。ドリュー。


「おい、また撮ってるぞ」「何人だ今」「3。3人だって、はは」

 背中から笑いが飛んできて、前から紙玉が転がった。

 画面の隅、チャットはほとんど動かない。時々、知らない誰かの「yo」が落ちるだけ。


 ドリューは無視した。

 カメラの向こうに向かって、小声で言う。「今日の給食、ピザとミルク。点数は……3/10。改良の余地あり」

 教科書の端には、配信予定が小さくびっしりと書かれている。

 ――放課後:ゲーム、夜:雑談、深夜:ラップ少し。


「ドリュー」

 先生が止まった。眼鏡の奥が冷たい。「授業中です。スマホを片付けなさい」

 「はい」――と言って、彼は角度を少し下げただけだった。

 チャットがやっと一行。「lol」


「おい、3人のスターさん」「世界的だって?」

 隣の席の男子が囁く。

 ドリューは一度だけ横目で見て、首を戻した。「世界は広い。今は3でも――いつかは3万。3百万」


 笑いが走る。

 先生のチョークが止まった。「放課後、反省室。繰り返すなら保護者を呼びます」


 黒板に白い円が描かれる音。

 ドリューはカメラを胸の高さに下げ、小声で続ける。「見てろ。いずれは世界的になる。俺は続ける」


 世界はまだ、彼の声に振り向かない。

 けれど、画面の向こうで3の数字が4になって、すぐ3に戻った。

 彼はそれでも笑った。

 机の中には、折り畳まれた紙。

 ――“To-do:マイク貯金/編集ソフト無料版調査/母さんに咳の話はしない”。



 チャイムが遅れて鳴る。

 廊下へ出た瞬間、時間の継ぎ目がひとつ弛んだ。

 監視者の声が、上から落ちる。


「なぜ笑っていられた」

「笑ってたか?」主――今のドリューが鼻で笑う。「他に選べるもんが少なかったからだろ」


「孤は順を伸ばす。軽視される日々は、のちの暴圧を選びやすくする」


「語るね、まぶた男。だが俺は選んだ。……続けることを」

 教室の窓に雪が重なって、白と白が入れ替わる。

 場面が裂け、灯りが遠くなる。



 反省室。

 時計の針だけがやけに大きい。

 紙に「放送ネタ」と書いては消し、「タイトル案」と書いては丸める。

 監視の先生が欠伸を噛み、ドリューはスマホのバッテリーを睨む。18%。

 充電器はない。家でも足りない。

 画面の3は、2になって、1になって、0にはならない。


 (見てるやつが一人でも、戻ってくるなら――続ける)

 彼はカメラに囁き、机に額をつけて息を整えた。



 現実が戻る。

 雪と風。白い盆地。主は目を開け、指先で雪を払った。

 監視者が立っている。相変わらず、名は名乗らない。


「見た。――軽い。だが、長い影を作るには十分だ」

「語るな。次だ」

「望むなら」


 まぶたが一度、上下する。雪が逆に舞う。

 主は白の底へ沈み、別の白へ浮かぶ。



 台所の湯気。黒いエプロン。

 「配信は“持続”しないわ」

 ダイアナの声が再び届き、十三のドリューは笑って聞き流す。

 彼は――知っている。

 この先の何年も、笑って続けることしかできないと。

 雪の上の彼も、薄く笑っている。


 (退屈は割れる。……俺が割る)


 白が閉じ、風が遅れて鳴る。

 監視者のまぶたが、静かに上げ下げする。


「次は十五。――家が二つ。病の匂い、古い機械の匂い」


 主は頷いた。

 「見せろ。全部だ」


 雪がまた裏返り、白が過去に繋がる。

 十三の教室は遠のき、次の部屋が開く。

 ――記憶潜行、一段目終わり。

 二段目へ、沈む。

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