第57話
――轟。
月鎌が再び振り下ろされるより早く、主の触腕が根を掴んで折った。
斜光の骨が悲鳴を上げ、前兆の胴が軋む。
海圧が一点に畳まれ、女の胸郭――核が割れる。
爆。
黄都上空の雲が一枚消え、石と塵が逆落としに降った。
グロースは巨体のまま仰け反り、月の肉片が闘域に雨となって散る。
主はさらに一歩前へ。深圧核を二重に組み、拳で胸を押し潰した。
沈黙。
次の瞬間、巨体は内部から崩壊。
鎌はただの石へ、髪は灰へ、歌は空気へ。
前兆は、終わった。
障壁の外で歓声も悲鳴も出ない。
ただ、見ていた。
静羅が拳を掲げる。「主様!」
ゾスは父の死角に半歩寄り、「視界、良好」
由衣は息を整え、三人(翔真・悠真・彩音)に目で安堵を伝える。
エースはひざまずき、額を砂につけた。
◆
王政院の代表が砂を踏み、札を掲げる。
「第二節・勝者――海の側」
短い礼のあと、彼は声を落とした。
「次へ進む。危険は増す」
主は顎をわずかに上げる。「どういう意味だ」
「距離は曲がり、方位は裏返る。時は味方をしない。……戦域を移す」
代表が指を鳴らす。
黄の印が列をなぞり、由衣たちの水印が青を返す。
「えっ――」彩音の声が途切れ、
翔真・悠真・彩音・静羅・ゾス・エース、そして随員の術士らが一斉に薄れていく。
由衣は白で四人の手を繋ぎ、「離れないで!」
光が畳まれ、彼らは消えた。
残ったのは主だけ。
闘域に風が戻り、王はなお姿を見せない。
代表が最後の札を伏せる。
「海、単独転移。――第二回戦、開始」
主は肩をすくめた。「早いほうが退屈しない」
地面が裏返り、空が近づいた。
◆
――白。
冷。
静。
主は人の姿で立っていた。
雪原。
遠くに鋸歯の山脈。
風は吹いているのに、音が薄い。
足元の粉雪が舞う――遅れて落ちる。
「……どこだ、ここは」
吐息が白くほどけ、空に残る。
残った息が凍りつく前に、足跡が一歩、その先に刻まれた。
踏んでいない場所に、先の足跡。
主は目を細める。
遠くの山が近く見え、近くの雪面が遠く沈む。
日は出ている。だが温度は上がらない。
風が頬を撫で、遅れて冷たさが来る。
(つまらん。――だが)
彼は首を回し、潮を指先に呼ぶ。
雪が水路に変わり、地形の筋が露出する。
道はある。誰かが置いた道。
隊は――先に飛ばされた。
「歩ける。……すぐ追いつく」
主は一歩、白を踏んだ。
雪が鳴る――半拍遅れて。
足跡が先に伸び、次に踵が沈む。
遠くで、金属が擦れるような音が一度。
方角は掴めない。距離も。
だが、潮は嘘をつかない。
彼は海だ。
「退屈は、凍ったところのほうがよく割れる」
主は笑い、白の中へ歩み出す。
山は黙り、空は乾き、時間は遅れて追ってくる。
――第二回戦、雪域。
敵はまだ名乗らない。
だが、見ている。どこからともなく。
海は、進む。