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第46話

 ――黄国の岸。

 湖は油膜のように静まり、遠くに黄都の稜線。斜めに傾いた塔と、縫い合わされた石壁。風は乾き、布の旗が数え切れないほど並ぶ。


 主は皆を無造作に地へ降ろした。

 「列。――離れるな」

 声は平板。命令だけが残る。


 由衣は四人へ目配せ。「私の線から出ないで」

 ゾスは父の半歩前に立ち、白い睫毛の影で周囲を掃く。「前路、潮で洗浄します」

 静羅は顎を引く。「近距離、私が落とす」


 堤上の街道を進むと、土嚢と鉄条網、土塁に監視塔。

 検問所の屋根には黄の紋章。左右に据え付けの投射器、砂袋の後ろに兵が十数。

 遠目にも分かる編成。前列は祈祷服、後列は黒い甲冑に符の束。命令がよく通る。


 門前に立て札。

 〈勅令二十二号:黄都周辺への武装接近は禁止。従わぬ者は処断〉


 兵のひとりが拡声筒を上げた。

 「停まれ! 所属、目的、武装――」

 最後まで言えなかった。主の視線が一度、その上を撫でただけで、投射器の軸が崩れた。鉄が海砂のようにほどけ、砲身は音もなく垂れた。


「退け。三秒やる」

 指が一つ、二つ――三で止まる前に、前列の祈祷兵が符を撒き、土塁の前面に封陣が立ち上がる。

 由衣は即座に告げた。「印、二時と八時。ショウマ、消せる?」

 「二秒」天羽翔真が両指で×を描く。滅の消しが線を奪い、封陣の根が砂になる。


 「前」

 主の声と同時に、水圧が地中から立ち、土塁の空気を掴んで押し潰した。

 砂袋が潰れ、兵が浮き、陣列がひと息で折れる。

 静羅の滅が残りを刈り取り、ゾスが潮で飛沫を外へ流す。

 「父上の衣を汚させません」ゾスの声は静かだった。


 反撃。後列の甲冑兵が連射符を展開。眩い閃光が線で襲う。

 由衣は掌を斜に切る。「線、低く」白い路が足元に走り、弾道が逸れる。

 悠真が最短の角を取り、矢を二本、投射器の支点へ。金具が割れ、塔の監視灯が落ちた。

 綾音は由衣のこめかみに冷を触れ、「戻ってる」。呼吸が均される。


 門の脇で、政治将校と思しき男が書記を連れて現れた。黄色の肩章、高圧の口。

 「貴様らは私戦を犯した! ここは黄王政庁の――」

 男の足元で水が噴いた。主が視線で地脈を掴み、言葉の土台を抜いた。

 男は尻餅をつき、喉が鳴るだけになった。


 主は彼の襟を指先でつまみ、気のない声音。

 「補給線、弾薬庫、指揮所。――言え」

 男は顔色を失い、顎が震え、城外補給庫と中継塔の位置を地図に描いた。

 主は地図を一瞥し、投げ返す。「価値は口だけだ。――帰れ」

 男は転がるように土塁の陰へ消えた。



 検問は陥落。

 だが黄都の外縁には第二線。

 堀の先、索橋が二本。支柱に蜘蛛の意匠。アトラク=ナチャの織架だ。

 橋脚ごとに監視眼が複数、上空の偵察球が漂う。


 「橋は切られる」由衣が判断を置く。

 主は肩を回した。

 「橋は要らん」


 湖面が盛り上がり、主の影が長く伸びた。

 水が背骨のように隆起し、そのまま堀を塞ぐ堰になって固まる。

 「渡れ」

 ゾスが潮で表面を滑らかにし、静羅が前方の狙撃位を潰す。

 ショウマが監視印を二つ消し、悠真が偵察球を矢で落とす。

 綾音は渡る隊の脈を揃え、「急がないで速く」と短く置いた。


 堀の向こうで機甲が轟音を上げる。

 黄の紋章を塗った脚付き砲塔が二両、石畳を踏み鳴らしながら横付け。

 砲口がこちらへ向く。

 主は退屈そうに首をひねった。


 「止まれ」

 水の指が両砲塔の旋回輪を握り潰し、油が白い堰に散った。

 砲塔は吠える前に黙る。

 主は一度、指を弾いた。砲塔の装甲板が剥がれて板金に戻り、兵の度胸だけが裸になった。


 「退け。生きたいなら」

 数秒の硬直。やがて、砲塔上の旗が降りた。兵は目を逸らし、道を空ける。



 外縁の市場区に入る。

店は板で塞がれ、徴発の掲示。

 〈穀・塩・徵兵、黄王政庁へ〉

 〈反抗は連座〉

 広場の片隅で、若者たちが腕章を配られている。志願の顔ではない。


 由衣が声を落とす。「民間は触らない」

 主はつまらなそうにあくびを噛み、黄都の内郭へ視線を這わせた。

 「政庁はあの高台だ。指揮系を折れば、全体が鈍る」

 地図で吐かせた位置と一致。中継塔が四基、内郭の角を固めている。


 「二手に分かれる?」静羅が問う。

 「要らん」主は即答した。「真ん中を踏む。最短が最小被害だ」


 ゾスが父の横顔をちらと見て、白い声で告げる。「左側、潮の流れが悪い。伏せ兵の匂い」

 「右で抜ける」由衣が路を引く。

 ショウマが遠目の封印柱を削り、悠真の矢が罠のトリガを抜き、静羅が前線を小さく穴にする。

 綾音は最後尾の胸に冷を置き、「怖いは置いていく」。



 第一防衛線の本丸は、土石の堡塁だった。

 上に黄の旗、脇に黒い印。ツァトゥグァとグロースの支援を示す紋。

 城門前に障害。撒き釘、鹿砦、石車。


 主は一言。「掃除」

 水が地面の下から押し上げ、撒き釘を飲み、鹿砦を横倒し、石車を転がす。

 堡塁上の弓兵が慌てて放つ――矢は風に乗る前に落ちた。潮の膜が上向きに張られている。


 門の内側で金属音。増援が駆け上がる。

 由衣は掌を切る。「低く」

 白い線が門口へ舌を伸ばし、出てくる足の角度を奪う。

 静羅が滅で膝を折らせ、ショウマが印を一つ消し、悠真が柱の継手へ二本。

 綾音が「今」と短く。由衣の線が太り、主が前へ歩く。


 門が落ちた。

 叩き割ったわけではない。内側の蝶番が水圧で伸びて、仕事をやめた。


 内庭。連絡兵がどこかへ走る。怒号。鐘。

 主はその真ん中を歩く。誰も彼に触れない。触れたものは水になるからだ。

 ゾスは父の死角を埋め続け、飛び道具の線を沈める。

 由衣たちは側面を切り、民間の通路を開けながら前へ。


 石段の上、政庁中継塔が見えた。四基のうちの一。

 「まず一本」主は顎で示す。

 悠真が射角を取り、ショウマが土台の封を削り、静羅が基部の機関に滅を通す。

 由衣は路を塔の根へ直線で敷き、綾音が脈を揃えて揺れを殺す。

 主が指で地脈を捻る。

 塔は沈んだ。音は控えめ、影響は大きい。遠くの旗が乱れ、兵の指示が半拍ずつ遅れる。


 広場の端で、黒幕車が止まる。

 幹部が降り、布告を読み上げようとした瞬間、主が横目で湖を起こした。

 車体が浮き、回転し、そっと地に置かれる。

 「読むな。時間の無駄だ」



 短い戦で線は突破された。

 由衣は周囲を確認し、浅く息を吐く。「犠牲、最小。――行ける」

 静羅が刀を収め、ゾスが父の袖口の水滴をそっと払う。

 「父上、内郭までは一気に」


 主は退屈そうに頷いた。

 「そのつもりだ。――次の塔も落とす。補給庫は後回し。王の首が先だ」


 黄都の内郭が、石煙の向こうで身構え直す。

 兵の移動が速い。統制が戻りつつある。

 だが、第一防衛線はもう無い。


 主が手を上げた。

 「歩け。戦は続く。――決定権は俺」


 風が変わった。黄都は戦の匂いを強める。

 政治は命令に変わり、命令は血に変わる。

 侵攻は、加速する。

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