第34話
――深夜。
地下連絡環状線・廃駅。
案内板は消え、ホームは黒に沈んでいた。
線路脇に巨大な白袋、アルミ反射布、携行アーク灯、石灰と塩のドラム。
ミハルが手短に告げる。
「円を作る。光源は地面ごと固定。汚穢は剥がす、緑は逸らす、影は縁取る。
**四角**で行く」
「前、私。右、悠真。左、翔真。後、彩音」
由衣は頷き、掌に薄い面を二枚、同時に起こした。防ぐためじゃない。境界を置くためだ。
悠真が光柱を二本、縛呪の杭で枕木ごと地中へ縫い付け、角度を固定。
翔真は反射布を結び、半拍のずらしを与え、風路で揺れても戻る遊びを仕込む。
彩音は四人の脈に触れて震えを取り、避難民の息だけを先に揃える。
◆
最初に匂いが来た。
鉄と湿りの奥で、失敗の臭気。
線路の間から泥が息をし、アボースの産声がホームの下で膨らむ。
「剥がす」
由衣は面を斜めに入れ、母と子の間を裂く。形になる前に崩す。
泥の手が一本、床を探る。届かない。
次いで、緑が灯る。
灯りは燃えない。見る者の内側だけを焼く。トルズチャ。
彩音の指がこめかみに触れ、冷が熱を先回りして摘む。
「視線、落として」
由衣は眉と胸に一枚ずつ面を置き、意図の向きを外へ滑らせた。
翔真の結びがその道を反射布へ投げ返し、緑は白に薄まる。
天井の配管が黒で塗り潰される。
ニョグサの袖が、光を食う。
アーク灯の輪は手前で折れ、奥が夜になる。
「縁取る」
悠真が光粉(白墨+塩+反射微粉)を振り、床へ角線を引く。
反射布の返しで黒が縁を持ち、輪郭だけが見える。
由衣はそこへ面を差す。二つ同時、十七。
(持つ)
◆
環が立つ。
光柱を中心に、白い反射の檻。
影は中へ入れない。
泥は縁で止まる。
緑は道を失う。
「救出線、通す」
ミハルの声。
ホーム端、倉庫室に民間人が十六。足元は影の糊。
由衣は路を一本、最短で扉へ引いた。
「――今」
悠真の杭が踝の角を抜き、翔真のずらしが膝の硬さを半歩分ほどき、彩音が恐怖を胸から抜く。
ひとり、浮く。
影は音もなく遅れる。
倉庫室の奥で、瓶が割れた。
緑のステップ。正気を舐める踊り。
由衣はその縁だけを撫で、路の外へ滑走させ――
「刺す」
悠真の杭が緑の根へ噛み、翔真の結びが炎の足を躓かせる。
彩音は視界の裏に残る熱を摘み取り、「戻った」と短く置いた。
◆
アボースが怒った。
線路の下で塊が身を起こし、複数の口が同時に産声をあげる。
白の檻の外が波になる。
「白環、起動」
ミハルの合図で、天井梁に張った反射布が回転する。
光が円を描き、白の輪が泥の上に落ちた。
塩が霧になり、石灰が白く降る。
(鎮泥)
由衣は面で産声の芯を剥がし、翔真が裂け目を広げ、悠真が縁を杭で留め、彩音が嘔気を抜いて呼吸を戻す。
泥は育たない。
失敗は、失敗のまま崩れて消える。
「七、出た」「八、出した」
救出が流れになる。
◆
影は諦めない。
天井の黒が伸び、光柱の根を摘みに来る。
悠真の杭が地を深く噛み、反射布の返しが縁を増幅。
黒が縁を持つほど、見える。
由衣の面がそこを裂く。
見せないは、見える縁で分けられる。
「司令、前へ出ます」
ミハルの報告に、陣雷は短く応じた。「要らん」
灰の眼は路の外のもっと奥――見えない袖を睨む。
拳は握られたまま、殴る場所を待つ。
◆
最後の三名。
足元の糊は濃く、恐怖は深い。
由衣が床に面を薄く這わせ、糊の意味を剥ぐ。
翔真が肩の震えをずらし、悠真が踵の角を外し、彩音が名前を呼んで心を戻す。
――浮く。
そのとき、奥の暗がりで紙が一枚、ひらり。
黄いろ。
文字が勝手に現れる。
――『中入り。王はすぐ戻る』
由衣は視線だけで無視し、封筒へ落とす。
ミハルが短く指示。「撤収線、強める。――終わりにする」
光柱の電源が上へ切り替わり、白の檻が濃くなる。
泥は退き、緑は薄れ、影は輪郭だけ残した。
◆
ホーム上。
最後の担架が昇降路に消える。
彩音が手袋を外し、由衣の指先の震えを両手で包んだ。
「十八は?」
「……やってない。線を増やした」
「正解だよ」
彩音の声は柔らかく、強い。
翔真が反射布の結びを解きながら笑う。「白い檻、効いたな」
悠真は杭を肩に、「角も生きてた。次は四本に増やせる」
ミハルが四人を見回し、短くまとめる。
「白環で影を縁取る。
鎮泥で汚穢の産声を落とす。
返しとずらしで緑を空へ逃がす。
――四角、運用良」
陣雷はホームの奥、黒の座をもう一度だけ見た。
灰の眼は約束していた。
(次は殴る)
◆
地上。
風は冷たく、街は少しだけ明るさを取り戻している。
搬送車のテールランプが遠ざかると、階段の陰で黄が一片、笑った。
――『終幕はまだ。
――王は、司令を待つ』
由衣はそれを踏まない。
封筒に入れて、ファイルに挟む。
見る場所は、こちらが選ぶ。
四人は拳を軽く合わせた。
力はこめない。重さだけ確かめる。
「切って、結んで、留めて、戻す」
四人の声が、同じ高さで重なる。
廃駅の白は、夜風の中で消えずに残った。
四角は、今夜も崩れない。