第7話 魔獣
「あれは、獣?それとも……魔獣?」
森から出てきた黒い熊のような獣を見て呆然としてしまったロナだったが、ブランカに強く腕を引かれて我に返って言った。
「分からない、けど、無理はしないでくれ」
デリーはそう言ってロナの隣に並んだ。彼の手には幅広の短刀が握られている。
獣は警戒しているのか空き地に入ってきたところから動こうとはしない。
「睡眠魔法が効くかやってみます」
リズがそう言って精神集中を始めた。
その時、
「この化け物がぁああーーーー!」
無精髭が叫びながら森から出てきて短剣で獣に攻撃した。
「やめるんだ!」
デリーが叫ぶ。
ガァアアアアーーーー!
獣は獰猛な鳴き声を上げて後ろを振り向き、攻撃してきた無精髭に腕を振り下ろそうとした。
「眠れ!」
リズが獣に魔法を放つ。
ガッ……
獣の動きが止まった。
「効いたの?」
ロナが聞くと、
「そ、そのはずですが……長くは保たないかもですわ」
リズは両手を前に伸ばし、歯を食いしばるようにして言った。
「へへ……お、俺の攻撃が効いたみてえだな」
無精髭がニヤけながらも怯えが残る声で言った。
「今のうちにその獣から離れるんだ!」
デリーが叫ぶ。
「う、うるせぇーー!こんな化け物俺が始末してやらぁ!」
無精髭が強がって言いながら短剣を獣に刺した。
すると、
ガァアーー……
獣が唸り声を上げてゆっくり動き出した。
「とどめだぁーー!」
と無精髭が突き出した短剣を、獣がゆっくり手で叩き落した。
「ぎゃぁああーーーー!」
無精髭は短剣を落として悲鳴を上げた。
「くそっ!」
デリーが悪態をついて獣に向かっていった。
「リズ、もう一回魔法を!」
そう叫びながら、ロナは剣を抜いてデリーとは反対側に斬り込んだ。
「ええ!眠れ!」
既に準備していたリズはすぐに魔法を放った。
半分眠った状態でも獣は動いている。そして獣は足元に腕を押さえてうずくまっている無精髭に、大きな手を打ち下ろそうとした。
デリーが頭から飛び込み無精髭にタックルした。そして二人はゴロゴロと転がっていった。
一瞬前まで二人がいたところに獣の手が振り下ろされる。
「やぁああああーーーー!」
ロナが気合いを込めて獣の右脚に斬りつけた。
ガァアアアアーーーーーー!
切られた痛みに獣が鳴き叫ぶ。獣は崩れ落ち四つん這い状態でなおも鳴き続けた。
ロナは剣を構えて次の攻撃の態勢に入っている。
「ロナ、無茶はするな!」
デリーはそう言いながら、無精髭の腕を肩に回して立ち上がらせた。
「でも……」
ロナは不満そうだ。
「皆さん、私の方に下がってください」
リズが鋭い声で言った。
「何をするの、リズ?」
と、ロナ。
「魔法を撃ちます」
「魔法?まさか火の魔法とかじゃないわよね?」
森の中で火の魔法は危険だ。
「いいえ、火は使いません」
獣は呻きながら立ち上がろうとしている。
皆が後ろに下がったのを確認すると、リズは腕を水平に構え、
「風よ、斬り裂け!」
と叫びながら手刀で空気を斬るような動作をした。
リズの手から放たれた青白く光る三日月が獣の胴を切り裂いた。
ガァアアーー……
獣の胴から大量の血が噴き出した。月明かりで見る限り獣の血は赤い液体のように見えた。
だが、地面に滴る頃に液体と言うよりは砂のような細かい粒子になっていた。
獣はまだ倒れず動こうとしているようだった。
「とどめよ!」
そう言っ時には既にロナは獣の懐に飛び込んでいた。
ロナの剣は薄っすらと光っていた。
ズンッ!
ロナは光る剣を獣の胸に突き刺した。
グッ!ゴボッ……
獣が気味の悪い呻きを上げる。
ロナは素早く剣を引き抜き後ろに飛び下がった。
そして獣は真っ直ぐ正面に倒れて動かなくなった。
「やはり魔獣、だったね……」
デリーが肩から無精髭を地面に下ろしながら言った。
「なんだかおかしいですわ、血が砂みたいに……」
魔法を撃った時の勇ましさが消えて、怯えたような声でリズが言った。
「魔獣は死ぬと骨と牙や鉤爪以外は砂のようになってしまうんだ」
と、デリー。
「デリー様、その人の傷を治しましょう」
ゾフィーがそう言ってデリーのもとに駆け寄った。
「ああ、頼むよ。でも、とんでもなく臭いよ、この男」
さすがのデリーも嫌悪をあらわにしている。
「大丈夫です」
ゾフィーは顔の前でサッと手を振ると、倒れて唸っている無精髭の横にしゃがみ込んだ。
「臭くないのかい?」
驚いてデリーが聞いた。
「はい、臭いを遮断する魔法を使いましたので」
そう言ってゾフィーは無精髭の傷口に手をかざした。
ゾフィーの手がほんのりと黄色く光り始めた。
「治療をする時には細菌にも注意しなければいけないので」
手をかざしながらゾフィーが言った。
「そうですよね!そいつの臭さは細菌と同じ、てかそれ以上に凶悪ですよ!」
と鼻にしわを寄せてロナが言った。
「本当にそうですわね」
リズも顔をしかめている。
「そうだ、リズ?」
「なんですの、ロナ?」
「火って悪を浄化するって言うわよね?」
「そういえば聞いたことありますわね」
「そしたらさ、あなたの火の魔法でこの臭い奴を浄化できるんじゃない?」
「あら、それはいいかもしれませんわね」
変な所で意気投合するロナとリズである。
「今は僕もそれに賛成しちゃいそうだよ。ほんとに臭いからねこの男は」
腕を組んでしきりに頷きながらデリーが言った。笑いを噛み殺しながら。
「や、やややめてくれぇーーー」
無精髭が情けない声で叫んだ。
ゾフィーに傷を癒してもらい意識がはっきりしてきたようだ。
「あら、気がついてしまいましたのね」
「もう少し寝てれば楽に浄化できたのにねえ」
邪悪な笑みを浮かべて無精髭を見下ろすリズとロナ。
「ど、どうか許してくれ、お願いしやすーー!」
無精髭が土下座して頭を地に擦り付けた。
「そうしたら、どこかに行ってしまったお仲間を探してきなさい。けが人もいるでしょうから」
静かではあるが落ち着いて重みのある声でゾフィーが言った、
「は、はいっ!」
無精髭は飛び上がるように立ち上がると、仲間が逃げていった方角を探しに行った。
「ここで一夜を過ごすのも気が進まないね」
砂の山になった獣を見ながらデリーが言った。
「政庁に報告したほうがよろしいでしょうか?」
ブランカがデリーに聞いた。
「そうだね。牙か爪を持っていかなきゃだけど頼めるかい、ブランカさん?」
「はい、おまかせを!」
気をつけの姿勢でデリーに答えるブランカ。
「それじゃ、しばらくここで臭い男が来るのを待ってから街道に出ることにしよう。街道の脇で交代で仮眠をとろう」
デリーの言葉に皆が頷いた。
しばらくして戻ってきた無精髭はスキンヘッドとにニヤケを連れてきた。
「結局それだけかい?」
デリーが聞くと、
「へえ、面目ねえです」
今や卑屈そのものになった無精髭がヘコヘコと頭を下げる。
スキンヘッドとニヤケは大した傷ではなかった。
ゾフィーに治癒してもらっている間、二人ともニヤニヤ鼻の下を伸ばしてゾフィーを見ていた。
スチャ……
ロナが剣を抜き二人の前に突き出した。
「あんた達、もし変な気を起こしたら、素っ首切り落とすわよ」
冷酷な声でロナが言った。
「「ひぃいいーーーー!」」
怯えてガタガタと震えるスキンヘッドとニヤケ。
「大丈夫ですわ、ロナさん」
いつもの聖女笑顔でゾフィーが言った。
「でも……」
「そうですわ、ここは私もロナに賛成です」
不満げなロナにリズも乗っかった。
「私、攻撃はできないけれど、治癒魔法も使いようなのよ」
「使いよう、ですか?」
「それはどのようなもの、ですの?」
ロナもリズも不思議そうな顔をしている。
「お薬も飲み過ぎると毒になるけど、治癒魔法も同じなの」
「同じ、ですか?」
「ええ、治癒魔法を過剰に注ぎ込まれるとね」
「ええ……」
「鼓動がどんどん速くなって心臓が破裂しちゃうの」
「「破裂!?」」
驚いて叫んだのはスキンヘッドとニヤケだ。
「そうなんですね!」
「とても勉強になりますわ!」
「でしょう?」
ロナとリズ、ゾフィーは顔を見合わせると、
「「「ふふふふふ」」」
と邪悪な魔女のような笑みで男達を見た。
「あ、ああありがとうごぜぇやした!」
「おかげで、あっしらもすっかり元気になりやしたんで、へえ!」
そう言ってスキンヘッドとニヤケはサッと立ち上がった。
そして少し離れたところで様子を伺っていた無精髭のところに駆けて行った。
三人は怯えた子犬のように固まってこちらを見ていた。だが、とりあえず逃げようとはしなかった。
「ははは、僕は頼もしい女性に囲まれて恵まれてるなあ」
デリーが半分嬉しそうに、半分冷や汗をかきながら言った。
デリーの号令で森の野営地を出ると、一行は街道まで出た。
街道は月明かりで明るかった。
「僕とゾフィーが見張りをするから休んでくれ」
デリーの言葉にそれぞれ頷くと手近な木の根元に座り、幹に寄りかかって休んだ。
ロナとリズは隣り合わせて座った。
「さっきの魔法、すごかったわね」
ロナが素直に感心して言った。
「あなたの剣もですわ、魔法剣ですわよね?」
リズもロナの剣の凄さに気がついていたようだ。
「まあね。これでデリー様にもしっかりアピールできたはずよ」
ドヤ顔で言うロナ。
「私だってそうですわ。あの状況で魔法を放つのは難しいんですから」
負けじとドヤるリズ。
その後も二人は、細かいことで競い合ってしばらくは話し込んでいた。
だが、先ほどの戦闘で体力を消耗した二人は、いつの間にかどちらともなく寝息を立て始めた。
そんなロナとリズを称えるように、月の明かりが二人を照らし出していた。




