第4話 ユベの村
真夜中過ぎの宿屋の二階、二つの人影が忍び足で廊下を歩いている。
「……お部屋は中ほどです……」
一人の女性が囁いた。
「……こんなことして大丈夫かな……」
もう一人が心配そうに囁いた。
「……何を言っているのですか、女は度胸ですよ……」
「……そ、そうよね、うん……」
二つの人影、それはブランカとロナだった。
目指すは勿論デリーの部屋だ。
「……ここでデリー様との距離を縮めるのです……」
「……そうだよね、うん……」
一方――――
「……足音を立てないように……」
「……わかってますわ……」
こちらにも女性が二名、宿屋の廊下を忍び足で進んでいる。
ロナとブランカとは反対側から中央へ向かっている。
「……もうすぐです、リズ様……」
「……ええ……」
リズとジョアナだ。
そして――――
「……ロナ様……!」
ブランカが鋭く囁いて、ロナを制した。
「……何……?」
「……誰かいま……っ!」
そこまで言ったところでブランカが鋭く動いた。
「……ブランカ……」
衣擦れの音と共に何かを叩く音が聞こえてきた。
タンッ!バシッ!ビシッ!
暗闇に目が慣れてくると二人の人影が拳や蹴りをの応酬をしているのが見えてきた。
(二人が闘ってる……!)
そう思ったロナは、
「ブランカ!」
と、声を潜めるのも忘れてブランカの名を呼んだ。
と、同時に反対側からも声が聞こえた。
「ジョアナ!」
リズの声だ。
「「「「え?」」」」
四人の声がシンクロする。
闘っていた二人がパッと跳び下がった。
「ジョアナ、なの……?」
「ブランカさん……?」
二人は戦闘の構えを解いた。
「てことは、あんたリズなの……?」
ブランカの横に進み出たロナがジョアナの後ろに向かって言った。
「一体何してるのよ、こんなところで……!」
囁き叫びでロナが言った。
「あなたこそ、何をしているのかしら、こんな夜更けに……!」
リズも負けずに囁き叫びで返した。
「まさか良からぬことを考えてたんじゃないわよねぇ……」
「あなたこそふしだらな目的で来たんじゃないこと……?」
ロナとリズは前に出て睨み合った。
すると、物音と声を不審に思ったのだろう、直ぐ側のドアが開いた。
「一体何事だい?」
大きくはないが鋭い声だ。ランタンを掲げて出てきたのはデリーだった。
それまでほぼ真っ暗だったところにランタンの光が眩しかった。ロナ達四人は目に手をかざしている。
「あれ、君達……」
デリーが気づいたところで、
「す、すみません私達デリー様のお部屋を見張ろうと思いまして!」
ロナは猛烈な早口でそう言うと、口裏を合わせろとばかりにリズにウインクで合図した。
「そ、そうですのデリー様に危機が迫ってもすぐに対処できるようにと思いまして!」
リズもロナに負けない早口で答えた。
「そうだったんだね、ありがとう。でも僕は大丈夫だよ」
と、ロナとリズに爽やかイケメン笑顔で答えるデリー。
((ごめんなさい……!))
夜這いじみたことをしようとした恥ずかしさと、嘘をついてしまった罪悪感でロナとリズは恐縮して縮こまってしまった。
「そ、それでは私達は部屋に戻ります」
「え、ええ、そうですわね」
ロナとリズがどもりながら言うと、
「どうだい、せっかくだから少し話でもしないかい?」
とデリーが扉を大きく開けた。
しょげていたロナとリズの顔がぱあっと明るくなった。
「「はい!」」
「ブランカさんとジョアナさんもどうぞ」
デリーが言うと、
「い、いいいえ、私がデリー様のお部屋になんて恐れ多いです!」
「そ、そそそうです、私達は隠密メイド、人知れず立ち去りますです!」
と、凝縮しまくりのブランカとジョアナ。
「ははは、そんなこと気にしないで」
そう言ってデリーは二人のメイドを部屋に引き入れた。
こうして、ロナとリズの「王子様と深夜の密会作戦」は失敗に終わった。
とはいえ、密会ではないもののデリーとのおしゃべりをロナもリズも楽しんだ。
「あ……そういえば」
ロナがふと思い出したように言った。
「なんですの?」
リズが聞くと、
「ゾフィーさんにも声をかけたほうがよくないかと」
そもそもが密会のつもりだったのでリズは勿論ゾフィーにも今夜のことは知らせてなかった。
「いや……もう時間も遅いからいいんじゃないかな」
デリーが言った。
「そうですわね。私たちもそろそろお部屋に戻ったほうがよろしいかと」
リズもデリーに同意した。
「そうですね、ゾフィーさんにはちょっと悪い気はするけど」
と、ロナ。
「大丈夫、ゾフィーさんなら分かってくれるよ」
と、デリーが請け負ってくれたのでその場はお開きとなった。
アバーの街で一夜を過ごした一行は、翌日は早めに朝食を済ませた。
「ニーヴに着くまでに村が二つあるね」
食堂で地図を見ながらデリーが言った。
「そうするとニーヴまではあと四日ですね」
ロナが聞くと、
「そうでもないらしいんだ」
「もっとかかりますの?」
と、リズ。
「うん。村同士が離れているから徒歩の旅だと野営をしなければならないと思う」
「野営ですか!楽しみです!」
ロナは遠足を楽しみにする子供状態だ。
「あなたみたいな野生児は良いでしょうけど文化人の私には厳しいですわ」
弱々しさを強調するようになよっとしてリズが言った。
「むーー」
頬を膨らませるロナ。
「皆も一緒だから大丈夫ですよ」
ゾフィーが励ますように言った。
昨夜のことはゾフィーは知らない。ロナもリズも敢えて話してはいない。そのへんのところはロナとリズの間に暗黙の了解が成立していた。
先ほど食堂に集まった時ゾフィーは、
「おはようございます。皆さん昨夜はよく眠れましたか?」
とロナ達に笑顔で挨拶した。
ロナとリズは瞬時に「余計なことは言うなよ!」とお互いに目で合図を送り合った。
「おはようございます!ぐっすり眠れました!」
「おはようございます!ええ、もう子供のように眠れましたわ」
と素早く答えるロナとリズに、
「それは良かったわ」
と聖女笑顔でゾフィーが返した。
((よし、気づかれてない!))
と、ロナとリズは安堵の胸を撫で下ろしたのだった。
「それじゃ野営のための物資を買ってから最初の村に向かおう」
「「「はい」」」
デリーの言葉にロナ、リズ、ゾフィーが答えて立ち上がった。
ブランカとジョアナは、
「先に行って様子を見ておきます」
と言って明け方に宿を出ていった。
街の道具屋に行くと、野営に必要なものはほぼ揃えることができた。
「最近は冒険者が増えたもんでねぇ、色々取り揃えてるんだよ」
と、商売が順調のようで、道具屋の店主もホクホク顔である。
「北の街道はどんな感じですか?気をつけたほうがいいことはありますか?」
デリーが丁寧に店主に聞いた。
「そうだねぇ……ここからユベの村の間で魔獣が出たって話は聞かないね。でも……」
「でも?」
「冒険者が増えたのはいいんだが、にわか冒険者も多くてね。そういう冒険初心者を狙う野盗連中がいるみたいでね」
「なるほど」
店主の話に真剣に頷くデリー。
「見たところあんた達も初心者みたいだから気をつけるんだよ」
と店主が親切に言ってくれた。
「分かるんですか?」
ロナが聞いた。
「まだ装備がきれいだからね。それに買い物をするときの物腰でも分かるんだよ」
「すごいですわ、ご主人!」
リズが感心して言った。いつもより声のトーンを上げて。
「いやぁそうでもないけどなぁ、ははは。どれ、念の為にこれも持っていきな、サービスだ」
と、女子に褒められて気分を良くした店主が保存食を追加で持たせてくれた。
「わあ、ありがとうございますぅ!」
「はははは、気をつけてな、お嬢さん」
「中々やるわね」
リズの手管に、ちょっと見直したようにロナが言った。
「生活の知恵ですわ」
と、リズは控えめにドヤ顔で返した。
「ふふ、頼もしいわね」
「そうだね」
と、ゾフィーとデリーにも褒められて、
「ふふん!」
と胸を張るリズ。
「そんなにふんぞり返って、ひっくり返ったって知らないんたから」
ロナが負け惜しみ交じりでつぶやいた。
ユベの村に向かう街道もよく整備されていて歩きやすかった。
だが、王都からアバーの街までに比べると徒歩の旅行者は少ない。
「ユベには今日中には着きたいね」
「そうですわね」
デリーの言葉にゾフィーが答えた。
「少し強行スケジュールになるけどよろしくね、皆」
「「「はい」」」
途中休憩も簡単に済ませて歩いたおかげで、日が暮れる頃にはユベの村近くまで進めた。
「標識があるわ」
ロナが駆け寄って道端に立てられている標識を見た。
「ユベの村まであと1kmです」
「やっとですのね……」
そう言うリズは疲労の色が隠せないようだ。
そんなリズに、
「大丈夫なの、リズ?」
と、ロナが言いながら駆け寄り、リズの荷物を持とうとした。
「大丈夫、ですわ……」
明らかに強がって言うリズ。
「無理しないの」
と、ロナは有無も言わせずにリズの荷物を自分の肩にかけた。
「あ、ありがとう、ですわ」
両肩に荷物を掛けて先を行くロナの背にリズが小さい声で言うと、ロナは手を挙げてそれに答えた。
すっかり日も落ちた頃にユベの村の入り口が見えてきた。
アバーの街ほどではないが、通り沿いには灯りがついた宿屋や食堂が多かった。
「結構賑やかだね」
村の中央の通りを歩きながらデリーが言った。
「ブランカが宿を取ってくれてると思うんだけど」
ロナがキョロキョロとしていると、
「宿をお探しですか、冒険者のお方?」
と明るい女性の声がした。
見ると派手な装いで濃い化粧の女性がにこやかにこちらに近づいてきた。
「宿はもう決まって……」
と、デリーが言いかけたが、
「さあさあ、こちらへどうぞぉ、立派な冒険者様に相応しいお宿にご案内しますのでぇ」
と、派手な女性はデリーの腕を掴んで強引に連れて行こうとした。
「いや、僕達の宿はもう決まっているはずなので」
と、デリーが言うものの、
「ということはまだ確定ではありませんわよね、そちらは断って私共のお宿へどうぞ」
と、派手女性は強引に話を進める。
「ちょっと、あんたねぇ」
見るに見かねたロナが派手女性に言った時、サッと影が横切った。
「デリー様、お待ちしておりましたわ」
と言いながらブランカがデリーと派手女性の間に割って入ったのだ。
「ちょっと何するのよ、こちらの方はウチのお客さんよ!」
それまでの慇懃な物言いを捨てていきり立つ派手女性。
「こちらの方々は私達のお客様です」
いつの間にかジョアナも来て落ち着いた声で言った。
「そんなこと言ってただで済むと思って……」
と派手女性が言ったところで、
「ウチの宿は……」
とブランカが派手女性に耳打ちした。
それを聞いた派手女性の顔が一気に青ざめた。
そしてデリーを掴んでいた手を離すと、悔しそうにブランカを睨みながら去っていった。
「さあ、参りましょう、デリー様」
ジョアナが普段通りの明るい声で言った。
「あ、うん、ありがとう」
いまひとつ状況がつかめない様子でデリーが言った。
「大丈夫ですの、ジョアナ?後で面倒なこととか……」
リズが心配そうに言った。
「はい、心配ご無用です。隠密メイド組合の息がかかったお宿にご案内しますので」
ジョアナが明るく答えた。
「またそれですのね……」
「隠密メイド組合ってどんな組織なのよ……」
そう言ってリズとロナは顔を見合わせた。
「それじゃ行きましょう」
何事もなかったかのようにゾフィーが言った。
「ゾフィーさんも中々……」
「肝が座った方のようですわね……」
ロナとリズは感心してゾフィーを見るのだった。




