緑色のバカ
私がそのバカに会ったのは、尻もソワソワする、新緑の頃であった。
バカも緑色に染まりながら、バカ丸出しの笑顔で、私にフラスコを差し出してきた。
バカは言った。
「この薬を君にあげよう」
私は聞いた。
「薬? なんの薬?」
バカは困ったように笑った。
そして何も考えていないような顔と大声で、怒鳴った。
「薬だ!」
私は爽やかな笑顔になった。春だったからだ。
「薬か!」
私はフラスコごとそれを受け取ると、旅に出た。
揺れるフラスコの中の液体は鮮やかな緑色であった。
聞いたことがあった、『緑色の液体をもらったら、東へ行けばいいことがある』と。どこで誰に聞いたのかは忘れたが──
もしかしたらさっきこの薬をくれたひとから聞いたばかりかもしれないと思いながら、気にしないことにした。
申し遅れたが私の名前は高橋京四郎、猫である。
バカとは初対面であったが、彼を信じることにして、熱い視線を東にまっすぐ向けて、東をめざして歩いた。
その港町に辿り着いた時、私は初めて気づいたのであった。東というのは方角で、場所の名前ではないと。東という場所はないのだと。
かなり遠い場所まで来てしまった。どこの港かはわからない。さびれたどこかの港町だった。
私は困り果てて、鳴いた。
「アホー」
するとそれは何かの合言葉だったのか、黒い服を着た人間が何人か私を取り囲み、船に乗せてくれた。
船は東へ向かって進んだ。
乗客はぱっと見て10人ぐらいに見えた。
その中に黒猫のチビという女性がいて、さかりがついていた。
「あうー、うぅあー」
私はそれをきっかけに彼女と仲良くなり、よろしくやった。
船の中では連日パーティーが行われた。昼も、夜も、朝になってもみんなパーティーで盛り上がっている。
私が疲れてチビにゃんと一緒に隅っこで寛いでいると、人間のおじさんが話しかけてきた。
「その緑色の液体はなんだい?」
彼の目は楽しそうながらどんよりと、私が床に置いているフラスコの中で揺れる夢のような液体を見ていた。
私は疲れた声に愛想笑いを乗せて、答えた。
「薬です」
「綺麗な色をしているな」
「純粋な薬ですからね」
私は勘づいていた。この船の乗客は皆、ずっとどんちゃん騒ぎをしているが、心の奥に冬の風を引きずっている。心の底が寒いから、一日中パーティーを開き、まるでうんこが漏れるのを我慢するように笑っているのだと。
おじさんが、聞いた。
「ちょっと飲ませてくれるかい?」
「どうぞ」
おじさんは大切そうに、自分の娘でも口に入れるかのように、緑色の液体を、飲んだ。
私は聞いた。
「ところでこれはどこへ行く船なんですか?」
「なんだ、あんた、知らずに乗ったのかい?」
おじさんは口元のよだれを拭きながら、驚いた。
「これは自殺者たちを乗せた船だよ」
「えっ?」
「ちらなかったの、あんた?」
隣のチビにゃんが教えてくれた。
「あたちたちはこれから死にに行くの。ロチアの核ミサイルが実験で落ちてくるとこへ、行くのよ」
「知らなかった」
「知らなかったのかい」
おじさんがフラスコを返してくれながら、言った。
「でも、もうどうしようもねぇな……。乗っちまったからには、あんたも行こうぜ、美しい次の世界へよ」
どうしようもなかった。
私は潔く、諦めた。もうかなり沖まで来ている。おそらく核爆発が起きても誰も迷惑しない海域まで出てしまっていた。
まぁ、いいか……。
ここで死ねば、転生できて、次の美しい世界へ行けるのなら──
「ちょっとそれ、あたちにも飲ませて?」
チビにゃんが好奇心におおきな目をキラキラさせながら、ピンク色のベロを出した。
「やめときなよ」
私は、止めた。
「自分でも飲んだことないんだ。飲んだらどうなるか、わかんないよ?」
そう言いながら、おじさんを観察した。
薬を飲んだおじさんに、どんな変化が起きるか、観察した。
「ぶべぼ!」
おじさんの体が、破裂しそうなほどに膨張した。
「ばかぼ!」
おじさんはスーパーマンみたいに変身すると、満月を浮かべた海の上へ、颯爽と飛んでいった。
「見た?」
チビにゃんに、私は言った。
「これは空を飛べるようになる薬だ。一緒に飲んで、ここを脱け出そう」
「ケケケ」
チビにゃんは、笑った。
「あたちはここで死んで、次の美しい世界に転生するんでち。邪魔すんな」
船は進んでいった。
北へと向かっているようだ。だんだんと海の上に流氷が見えるようになってきた。
おじさんは帰って来なかった。
どうなったのかも知れなかった。
私は緑色の薬を、飲めなかった。飲んだおじさんが、あのあとどうなったのかがわからないので、怖かった。成り行きに任せることしかできなかった。
船がポイントXに辿り着くと、海の中から、あのバカが飛び出してきた。手に立て札みたいなのを持って──
『ドッキリ大成功!』




