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みにくいハズレの子

 創世龍クレトヴァと三人の使いによって創られた世界、エルトーヴァ。

 この世界の人間は、系譜を辿ってみると誰もが龍に繋がると言われている。

 人間の始祖とされているのが、クレトヴァと三人の使いとの間に生まれた子どもだからだ。


 かつては龍の特徴とその力を濃く受け継いだ子が多く生まれていた。

 しかし、生まれた子と子で繰り返し交わっていくにつれ、龍の血は薄まっていった。

 創世から数千年が経った今では、能力の発現はあれど、龍の特徴を持たない人間のほうが圧倒的な数を占めている。


 それでも稀に龍の血を強く引く者が生まれることがある。

 それが"龍血の子"だ。

 祖先である龍の血を強く受け継ぎ、常人よりもはるかに強大な力を宿し、個人差はあれど様々な分野に秀でた能力を持つとされている。

 所謂先祖返りというもので、昔は貴重な存在として優遇されていたこともあった。

 しかし、今では畏怖の象徴である。


 何せその存在が当たり前だった時代から、十人に一人、百人に一人、千人に一人、万に一人──とその存在は減少していく一方だ。

 頭や額に生えた角。肌には鱗。そして妖しい輝きを放つ金色の瞳。いずれかひとつ、またはすべての特徴を持った人間というのは、何も持たない人々の中にいると異様な存在感があった。

 人によっては、悪魔──または怪物のようだと思うだろう。


 抱いた恐怖心は、伝播する。

 そうしてかつて尊敬された者は、虐げられる者へ。


 それがルセントラ王国における、龍血の子という存在だった。




 ▼▼▼




 バシャンッと水をまき散らしたかのような激しい音で、アヴリットは我に返った。


(あれ、私……)


 自分が今、何をどうしようとしていたのかをすぐに思い出せない。

 直前まで夢を見ていたかのような気分だった。それも、すごく現実的な夢を見ていた気がする。

 感情も、感覚も、すべてが夢とは思えないくらいはっきりとしたものだった。

 その夢の中でアヴリットは雷に打たれ丸焦げとなったのだが、そのときの凄まじい衝撃だって鮮明に思い出せる。

 自身を見下ろすと、アヴリットはフリルのついたエプロンドレスを着ていた。元は純白だった布地は薄汚れているものの、どこも焼け焦げていない。

 龍血の子の特徴である鱗を隠すためのハイネックのインナーも、角を隠すためのヘッドドレスもちゃんと着用している。

 

 視線を自身から外し、今度は前を見た。

 窓がある。雑巾を持った手をガラスに宛がった状態の自分と目が合った。

 そこでようやく、アヴリットは状況を把握できた。どうやら窓拭きの途中でぼんやりとしていたらしい。


 怪しい輝きだと言われる金色の瞳。

 闇をそのまま纏ったかのような漆黒の髪。

 目を隠すために長く伸ばした前髪が陰気な印象を醸している。

 ──その前髪が邪魔で、アヴリットの背後に立つ人物が映っていることにまで気づけなかった。

 

「私を無視するなんて、いい態度ね。アヴィー!」


 金切り声が紡いだアヴィーという名は、アヴリットの愛称ではない。

 名誉あるキャナルディカ侯爵家に龍血の子はいないと、アヴリットの存在を認めたくない両親によってつけられた偽名だ。


「聞いてるの、アヴィー!」


 グイっと肩を掴まれ、むりやり身体を振り向かされる。

 その拍子にヘッドドレスがずり落ちそうになって、アヴリットは反射的に雑巾を手放してそれを押さえた。

 手から離れた雑巾は当然、重力にならって床へと墜落する。

 まもなくビチャッという音が聞こえた。

 アヴリットの肩を掴んだ人物の、長い睫毛に縁取られた青い目が下を向く。


 彼女にぴったりのアイスブルーの靴。大きな宝石の装飾が気に入っているのだと以前言っていたように思う。

 アヴリットが落としてしまった雑巾が、彼女の小さい爪先を覆うかのように乗っかっている。その細い足首でひらひらと揺れるフリルは、水を吸ったのか変色している。

 視線をアヴリットへ戻した青い瞳に、鋭い怒りが宿る瞬間を目撃した。


 一歳違いの実妹、ブローベラ。

 両親がよく「愛らしい」と形容している顔が、みるみるうちに赤くなっていく。


 ──ああ、怒られる。

 そう思った直後、バチーンという音が左頬に炸裂した。


「なんてことしてくれるのよ! 私の靴に雑巾を落とすなんて! アンタのせいで、ドレスの裾まで濡れたのに!」


 ジンジンと痛み始めた頬を押さえながら、アヴリットは状況を察していた。

 先ほどの音は、ブローベラがバケツを蹴ってしまった音だったようだ。

 アヴリットが水を汲んで持ってきた木製のバケツは、置いた場所から少し離れたところに転がっていた。中は見事に空っぽで大理石の床に大きな水溜まりが作られている。


(廊下の真ん中ではなく、ちゃんと邪魔にならないところに置いていたのに……)


 おそらく、わざと蹴り飛ばしたのだとアヴリットは思った。

 妹は姉いじめを趣味としていると言ってもいい。キャナルディカ侯爵家の使用人として扱われているアヴリットを何かとつけて叱責し暴力を振るう。

 今回もそうしようとしたものの、水の跳ね返りを考えもしなかったために裾を濡らしてしまったのだ。

 つまり自業自得である。だが、ブローベラが自身の行いを反省するはずもない。

 じんじんと痛む頬は、彼女の八つ当たりである。


「ゼラニス、着替えを用意して! このドレスはもう着たくないわ! 新しいドレスを買いに行くわよ!」

「かしこまりました、ブローベラお嬢様」


 ブローベラがアヴリットから視線を外し、そばに控えていた侍女ゼラニスに言いつける。

 その隙に、アヴリットは雑巾を拾おうと屈んだ。


「──っい!」


 雑巾を掴んだ手の甲に、突き刺すような衝撃。頬を打たれたときとは比べものにならない痛みが奔った。


「……い、いたい……っ!」

「ほんっとうにみじめよね。お父様やお母様から愛されず、毎日毎日このボロ雑巾のように働かされて……」


 痛みに呻きながら見上げると、愛らしいとはほど遠い表情でこちらを見下ろすブローベラの微笑みがあった。

 アイスブルーの踵でアヴリットの手の甲をぐりぐりと踏みながら、ブローベラがそっと耳打ちする。


「くれぐれも、知られないようにしてちょうだいね? あなたが姉だなんて、恥ずかしすぎて死にたくなるから」

「……っ!」


 アヴリットは侯爵令嬢として振る舞うことを許されていない。

 それ故に、社交界にも出させてもらえていなかった。

 世間には、非常に身体が弱く常に寝たきりということにされている。

 だから、アヴリットが外に出てこなくても誰も不審に思わない。それは侯爵家で働く使用人たちもそうだ。

 まさかその病弱な令嬢が使用人として扱き使われているなんて、誰も思わないだろう。

 でなければ、使用人たちまでアヴリットを愚図だののろまだのと言って嘲笑ったりしない。


「いつ見ても、気色が悪い鱗だわ」


 ブローベラの手が伸びてきて、また叩かれるのかと思って身構える。しかし、彼女の指先が捉えたのはハイネックの襟元だった。


「本当に可哀想……私は美しく生まれたのに、お姉様はみにくく生まれて。私は治癒の力を持って生まれたのに、お姉様はなんの力も持たずに生まれて。せめて役に立つ能力があれば、待遇が違ったかもしれないのにねぇ……?」

「…………」

「龍血の子のくせに、なんにも恵まれなかった、みじめでみにくいだけのハズレの子……」


 言い放たれた言葉に、ずきりと胸が傷んだ。

 それでもアヴリットは反論も抵抗もせず、静かにこの時間が終わるのを待った。

 無駄に抵抗したところで、苦痛が延びるだけ。それならただただ黙って堪え忍ぶ。

 それがアヴリットが唯一学んだ処世術だった。


「はぁ……陰気で本当につまんない女」


 ブローベラの手がパッと離れる。

 アヴリットは急いで乱れた襟元を直した。少しでも特徴が見えそうになっていると、両親の怒りまで買うことになるからだ。


「ちゃんと綺麗にしておきなさいよ、アヴィー。返事は?」

「……はい、ブローベラお嬢様」


 アヴリットが返事をすると、ブローベラは最後にフンと鼻を鳴らして去っていった。

 カツカツと、苛つきを乗せた足音が遠ざかっていく。

 その音を耳にしながら、アヴリットはようやく雑巾を拾い上げた。


<アヴリット、だいじょうぶ?>


 ポケットの中でもぞもぞと何かが動いた。それと同時に、小さな声がアヴリットの耳に届けられる。

 声がしたのは、シャツの胸ポケットだ。そこからひょっこりと顔を覗かせていたのは、世にも珍しい白銀の鱗を持ったトカゲだった。

 アヴリットはちらりと周囲を窺う。人の気配は感じないが、念のため声量を落として話しかける。


「平気よ。心配してくれてありがとう、ジヴル」


 雪のように白いから、冬を象徴する氷花の名前をつけた。

 三年前の冬の日。雪に埋もれて弱っていたところを保護してから、ジヴルはアヴリットの一番の友だちだ。


<ほっぺた、すごく赤いよ。おててがいちばん、痛そう。ぼくの身体で冷やしてあげる>


 白い体躯がするりとポケットから抜け出し、慣れたようにアヴリットの身体を這い進む。

 肩を経由して、濃紺の長袖の上をするすると進み続ける彼が向かったのは、ブローベラに踏まれた左手の甲だった。

 ジヴルの腹部が肌に触れた途端、ひんやりとした冷たさが広がる。氷嚢を宛てがわれているのと同じくらいの冷感で、不思議と痛みが和らぐ。


<どう? きもちいい?>

「うん、気持ちいいわ。ありがとうね、ジヴル」


 指先でジヴルの頭を撫でると、くすぐったそうで嬉しそうな笑みが聞こえてくる。


 ──龍血の子のくせに、なんにも恵まれなかった、みじめでみにくいだけのハズレの子……。


 先ほど言われたブローベラの言葉が頭の中に蘇る。

 生まれたとき、確かにアヴリットにはなんの能力もなかった。

 龍血の子でなくとも、なんらかの技能を持って生まれるのが普通だ。

 例えばブローベラのような癒しの力や、職人向けの才能、または一部の属性魔法に特化しているなど──どんな者にも与えられる能力が。


 その普通から外れているから、ハズレの子だった。


 だが、そうではなかった。

 アヴリットがそれに気づけたのは、ジヴルがきっかけだ。

 普通はトカゲと会話などできない。ジヴルに世話のお礼を告げられたときに、アヴリットは自身の能力を知った。


 植物や動物はもちろん、万物に宿る精霊と対話ができる。それがアヴリットの能力だった。

 今までそれに気づかなかったのは、声を聴こうとしなかったからだ。

 意識して耳を傾けると、ひそひそと囁くような声が聞こえてくる。

 屋根裏に住むネズミ、庭園に咲く花々やそれに群がる蝶やハチ。時には道端の石ころからも。

 精霊というのは滅多に人前に姿を現さないそうだが、人の身近に存在しているらしい。ジヴルと出会って以降、あらゆるものの声を聴くようになった。


 しかし、アヴリットはそのことを誰にも言っていない。

 家族のことだ。ブローベラの治癒能力と比較して、なんの役にも立たないと言うに決まっている。実際にブローベラの力は強力で、重傷も難なく癒やしてしまうらしい。


 もしくは、他の人には聞こえない声を聞けると知って、アヴリットを余計に気味悪く思うかのどちらかだ。

 それに、今さらアヴリットに能力があると知ったところで興味なんて沸かないだろう。


 だから、誰にも言わずにいる。ジヴルと話すときに声を落とすのは、念のためだ。


(それに……もう、利用されたくない(・・・・・・・・)……あんな思いは二度と(・・・)……)


 そう思って、アヴリットはふと疑問を覚えた。


(……利用されたって、一体誰に?)


 虐げられ、扱き使われてはいても、誰かの利益や都合のために利用された経験はない──はずである。

 だって、なんの能力も持たないアヴリットを利用したい者などいるはずがない。

 なのになぜ、そう思ったのだろう。


 それに、「あんな思い」なんて。

 そんな言葉は、利用されたことで何かしらの辛い思いをしていなければ出てこない。経験もしていないことをそんなふうには言えないはずだ。


 ──もしかしてと、ある考えが過る。

 実は本当にそんな経験をしているのかもしれない。ただ、覚えていられないくらい、遠い昔に──。


「ねぇ、聞いた? お嬢様のこと……」

「ええ? お嬢様って、どっちの?」

「やぁねぇ、もちろん引きこもりじゃないほうよ!」


 おしゃべりをする女性たちの声が窓の外から聞こえ、思考を逸らされた。

 引きこもりじゃないほう──使用人たちのあいだで使われているアヴリットを示す単語だ。


 病弱なアヴリットは年中寝たきりなせいで家族以外と関わったことがなく、そのせいで極度の人見知りになってしまった。だから専属の世話係をつけることもできず、別邸に引きこもる長女を両親たちは献身的に支えている。


 ──というのが、使用人たちに伝わっている話だ。


 他には、甘やかされ続けてきた結果ワガママな性格に育ち両親の手を焼いている、健康的なブローベラに嫉妬して冷たく当たっている等、好き勝手な噂が流されている。もちろん、噂の出どころは家族だ。

 実際にワガママ放題なのはブローベラなのだが、彼女は人前では聖女の仮面を被っている。幼い頃からブローベラに付き従っているゼラニスやアヴリットの前以外では決して外さない。上手いこと本性を隠しているため、両親も彼女の裏の顔を知らないくらいだ。

 だから噂を否定したくてもそうできるほどの材料がないのである。アヴリットはこの状況を甘んじて受け入れるしかできなかった。


「あんないい話が引きこもりのほうに来たら、みんなびっくりしちゃうもの。絶対にあり得ない」

「えぇ? 本当になんなの? もったいぶらずにさっさと教えなさいよー」


 きゃっきゃっと盛り上がる声は、窓のすぐ下あたりから聞こえてきていた。

 そうっと窺い見ると、箒を持って立ち話をする二人の女性が確認できた。


「リーヴァル王子との婚約が正式に決まりそうなんですって」

「ええ、本当に?」


(リーヴァル、王子……? ──っう!)


 聞こえた名前を脳裏で反芻した途端、ずきりと頭が痛んだ。

 それも一瞬では終わらず、ずきずきと継続した痛みが現れ、アヴリットはその場で膝をついた。


<アヴリット? どうしたの? アヴリット!>


 突然頭を抱えて蹲ったアヴリットを見て、ジヴルも焦ったのだろう。

 心配する彼の声が耳に届くも、アヴリットはなんの反応も返せない。痛みが酷いせいだ。


(頭が……割れそう……っ! 急に、どうして……)


 それもまた、唐突だった。

 どこから現れたのか、とある記憶が次々と蘇る。これまでの人生を遡るかのように、いくつもの場面が雪崩のようにどっと押し寄せた。

 それが収まったときには、凄まじい頭痛は不思議なくらいに綺麗さっぱり消えていた。


 ──リーヴァル・ディア・ルセントラ第二王子。

 ブローベラと彼の縁談が持ち上がったのは、アヴリットが十七歳のとき。

 十八歳の誕生日を迎えるちょうど三ヶ月前のことだった。


 しかし、結局ブローベラが彼の婚約者にはなることはなかった。


 ──よく、覚えている。

 なぜなら、彼との婚約が決まったのはアヴリットだったからだ。


 この身に流れる龍血が覚醒したために──。


(私……過去に戻ってる……!?)


 アヴリットは自身に起きたことをすべて思い出していた。

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