プロローグ
──いや……! もうやめて!
いくら叫ぼうと喉は望んだとおりの音を鳴らしてくれない。むしろ望んでいない言葉を放ってしまう。
身体の持ち主である、アヴリットの意思などお構いなしに。
「墜落の星々」
それは、破壊の呪文。かつて破壊神が使ったという、許されざる魔法。
アヴリットの頭上で大量の魔法陣が展開され、そこから召喚された燃え盛る隕石が次々と飛び出す。地上目がけてまっすぐに突き進む隕石は、そこにいた龍たちを薙ぎ払った。
その衝撃で起きた風が、アヴリットの頭を覆うフードをパタパタとはためかせる。
覆いが外れないように、その縁をぎゅっと握り締めた。
ここはルセントラ王国とディオラトス帝国との境目にある霊峰グレスオール。
帝国領であるそこは、美しい自然に囲まれ龍の棲む地として知られている。
(もういや……お願い! 止まって!)
辺り一面、火の海、龍の死骸の山。
青々とした緑が茂り、美しい自然を保っていた姿はもうない。
こんな惨いことを自分がやっているなど、到底信じられなかった。否、信じたくなかった。
身体が言うことを聞かなかった、そんな言い訳はきっと通用しない。
たとえ絶対服従の呪いをかけられ、破壊の限りを尽くす兵器にさせられていたのだとしても。
<熱い、熱いよ……>
<どうして、こんなことするの?>
<イタイ、アツイ……キエチャウ……>
何せ、今この瞬間も、アヴリットの身体は破壊と殺戮のために動いている。
あちこちから聞こえてくる悲痛な声を払うかのように。
この声はすべて、万物に宿る精霊のものだ。アヴリットにはそれを聞く耳がある。
──でも、こんなの聞きたくなんてなかった。
(……私は、もうきっと誰からも愛されない)
精霊は、優しい存在だ。
家族から実子として扱われず、虐げられてきたアヴリットにとっては友人のような存在だった。
それを、自らの手で傷つけてしまった。
例えは大地は大地の、草木には草木の。同じ種族同士の精霊であればどこにいても交信し合えると聞いた。
──アヴリットについて、もうとっくに共有されてしまっているだろう。
二度と、精霊がアヴリットに話しかけることはない。仲間を死に至らしめた存在を許すはずがないからだ。
──だからあの子も、私の前から消えてしまった。
(すべてを終えて、ルセントラ王国に戻っても……きっと誰も私を受け入れてくれない)
甘い言葉を信じなければよかった。
少しでも、必要とされたことを喜ぶんじゃなかった。
どれだけ後悔してももう遅い。
ここまで力を見せつけたのだ。
無事に王国へ戻れたとしても、危険分子として処分されかねない。
アヴリット自身でも制御できていない力を、他の誰かが制御できるはずもない。
いっそそれでもよかった。
アヴリットは勝手に魔法を放つ自分に嘆きながら、ずっとこう思っていたのだから。
──誰か私を殺して、と。
そのとき、アヴリットの真横を稲妻が通り過ぎた。
耳を劈く激しい雷轟にビリビリと鼓膜が震える。稲妻はアヴリットの左腕側面を焼いていた。
ジュウッと火に炙られたような凄まじい痛みに腕を押さえ、背後を振り返る。
そこにいた人物を目に留めて、アヴリットは赤い目を大きく見開いた。
燃え盛る炎を閉じ込めたかのような赤髪。
アヴリットを冷たく睨む眼差しは髪と揃いの金色で、驚くことに本来白色であるはずの部分が黒かった。まるで闇夜に浮かぶ月の如くだ。その異様さにはきっと誰もが畏怖してしまうだろう。
それだけでなく、その人の彫刻のように整った顔には、頬の部分に龍のような鱗まである。極めつけは、左側の額に生えている大中小と揃った三本の角だ。
龍が人間に化けたかのような容姿を持つ男性だった。
(私と同じ……龍血の子……!?)
龍血の子。
それは龍のような特徴を持って生まれる人間の総称である。
しかし、その存在はとても稀だ。同じ存在に出会うのは、生まれて初めてである。
今はフードに隠れているが、アヴリットの頭頂部にも二本の小さな角があり、先ほど焼かれた左腕を含む身体の側面には鱗がある。
だが、同じ金色の瞳でも、白目の部分は黒くない。龍血の濃さは彼のほうが強いようだ。
(それじゃあ、この人が……)
ずっと噂には聞いていた。自分自身と同じ存在の彼のことを。
いつか会って、聞いてみたいことがあった。
────あなたは龍血の子として生まれて、幸せですか? と。
まさかこんな形で叶うことになるとは、なんて皮肉なものだろう。
彼はアヴリットを殺しにきたのだ。
ここは彼が統治する場所。それを荒らす者がいれば、排除するのが統治者の使命。
彼の形のいい唇が、何かを呟く。
きっと自分を倒すための呪文だとアヴリットは思った。
だからだろうか。今まで何度叫んでも言うことを聞いてくれなかった身体が、ようやく主人の声を聞いてくれた。
アヴリットはなんの抵抗もしなかった。
やっと自分を止めてくれる、こんな惨いことから解放してくれる存在に出会えて、安堵してさえいた。
だから、微笑んで受け入れる。
すると、アヴリットを睨んでいた男の表情が変わった──かのように見えた。
きっと、気のせいだ。
眩しい白光に包みこまれ、彼の顔はすぐに見えなくなってしまった。
直後、アヴリットを襲ったのは、身体の内側から弾けてしまいそうなくらいの衝撃。
痛みを感じたのはほんの一瞬で、次の瞬間にはもう、アヴリットを覆っていたフードは灰と化し、肌は真っ黒に焦げ、全身からプスプスと煙をあげていた。
(ああ……やっと、終わるのね……)
絶対服従の呪いが解けるのは、命が尽きるとき。
身に迫る死を実感した途端、頭の中を覆っていた靄が晴れていくような感覚があった。
それと同時にアヴリットの身体から力が抜け、その場に膝をつき、そして地に伏した。
──ざく。
──ざく。
地面を踏む足音がゆっくりと近づいてくる。
身体を動かすのももう難しい。
だが、辛うじて目は動かせた。
アヴリットを見下ろす、長身の男性。
つい先ほど、自分を雷で貫いてくれた人だ。
おぼろな視界で彼を捉えると、自然と口が開いた。
「……り、が……」
「……?」
「…あ……り、……とう……わ……しを……ろして……れて……」
こぼれたのは感謝だ。
しかし、まさか自身を討伐しに来た相手に礼を告げられるとは思わなかったのか、彼は金色の瞳を再び見開いた──ように感じた。
(もう……ほとんど見えない……)
アヴリットを貫いた雷は、身体に行き渡る神経までも焼いていたようだ。
視界が虚ろになっていくと同時に、周囲の音が少しすつ萎み、じゅわりと焦げ付く肌の痛みも徐々に感じなくなっていた。
それでも、アヴリットにはまだ言わねばならない言葉があった。
「……れから……ご……なさい……みんな……ひどいことを……」
謝罪だ。
服従魔法をかけられどうしようもなかったとはいえ、彼が美しいこの地を荒してしまった。
無数の尊い命を奪ってしまった。
「……服従か」
相手はアヴリットの状況を察したらしい。
視界が何かに覆われ、アヴリットは反射的に瞼を下ろした。
目を閉じたら最後、もう二度と開ける気はしない。アヴリットの目が何かを映すことはもうないだろう。
このまま、終わりを迎える。そのつもりだった。
(……あたた、かい……)
額のあたりからじわじわと全身へ巡っていくように、ほんのりとした熱が広がっていく。
まるで湯の中に浸かっているかのような心地だ。
「……せめて、最後は安らかに」
その一言で、アヴリットはもう一度目を開けることができた。
やや神経が回復したのか、目を閉じる前より視界がはっきりとしている。
アヴリットを見下ろすその人の姿も視認できた。
(おとこの、こ……?)
アヴリットの顔を覗き込んでいたのは、美しい少年だった。
それも、つい先ほど自分を殺してくれた男をそのまま幼くしたかのような。
(──ああ、なんて綺麗な目……)
宵闇に浮かぶ月の瞳が、痛ましそうにアヴリットを見下ろす。
異様で恐ろしげにも見える眼差し。
だが、アヴリットには神々しく見えた。
きっと天使だとそう思った。
(よかった……こんな私でも、天使が迎えに来てくれた……)
ずっと不幸だった自分にようやく訪れた奇跡。
血の繋がった家族とは違う容姿を持って生まれたせいで、誰にも愛されず虐げられてきた。ボロ雑巾のように扱き使われ続け、しまいにはアヴリットの力に目をつけた王家に利用され兵器にさせられた自分へ、神様がくれたご褒美。
でなければ、最後に良い思いをさせてもらえるはずがない。
少年の優しさのおかげで、心置きなく次へ向かえる。
視界が闇に染まっていく。
(これで……次の人生では、きっと幸せになれるわよね……?)
そう約束されていることを願い、アヴリットは十九年の生涯に幕が下りる瞬間を見たのだった。