第9話 捨てる神、拾う神
第一章 始まります。
「はぁ……。あー……警察の方から話は聞いてる。電車の中で痴漢冤罪に巻き込まれて、何故かお前が取り押さえられたんだってな…」
疲れたようなため息、それに続く少し枯れた声が静寂の教室に小さく響いた。
季節は四月の上旬。今月に入って一週間が経過したばかり、月曜日の午後は心地の良い日差しが窓から入る、快晴の桜日和である。
「……で、事情聴取が終わって、どうせ入学式には遅刻だからって入ったコンビニで、強盗に巻き込まれたから、取り押さえに協力したと」
「………はい…」
結局買い物は出来なかった。コンビニ強盗って普通は深夜とかにやるもんだろ。なんで白昼堂々と決行したんだろ、あのお兄さん。いやまあ、普通の思考回路ならやらないんだけども。
「……で、突然道端で倒れた婦人を助けるために救急車が来るまで応急処置をしてたら、学校の全日程が終わっていたと…」
「…………はい…」
「…まあ、なんだ…。災難だったな…」
果たして“災難”なんてたった二文字の言葉で済ませてしまって良いのだろうか。
今日は高校の入学式だったのに。
俺は朝から向かう先々で、今目の前に座っている、壮年の男性──どうやら教頭先生らしい──が挙げた事態に巻き込まれてしまい入学式に参加できなかった。
高校一年の登校初日から、あまりにも幸先が悪すぎる。
現在時刻は午後2時を過ぎた頃。
もう他の生徒は皆帰ったり、上の学年は部活をやっていたりする。
不意に、がらがら、と背後のドアが開いた。
会議室で教頭先生と話していたところ、突然他の先生が入って来た様だ。
振り向くと、そこに居たのはとても身長の高いスレンダーな女性。ショートヘアがボーイッシュな印象を受ける若い先生だった
「いたいた、君だね赤瀬君。一年ニ組、君のクラスの担任になった東出萌恵です。よろしくね」
どうやら俺が入るクラスの担任になる先生がわざわざ足を運んでくれた様だ。
「あ、えと……赤瀬理桜です。初日からこんな事になって、すみません」
大人しく謝ると、東出先生は微笑みを返して来た。
「いいのいいの、さっき病院から連絡入って来たよ。君が応急処置したっていうご婦人さんが、意識を取り戻したみたい」
「……そっすか」
呟き、つい先ほどの事を思い出す。
信号を待ってたら突然隣で女の人が倒れるのだから、本当に驚いた。
人集りができた割には、誰も声をかけようとしないから、俺は救急車を呼んですぐに女性の側に膝を付いて、呼吸を確認したりと、処置を始めた。
……取り敢えず、ああいう状況なのに、どれだけ声かけてもAED持ってきてくれない人達を見て、正直、泣きそうになってた。
しかも使ったら使ったで、セクハラがどうとか言われるかも知れない訳で……本当に泣きそうだった。
辛かったよあの時間は。
「不整脈による心停止…とか言ってたかな。君の応急処置がなかったら、病院に着く前に亡くなってたかも知れなかったって、お医者さんも感謝してたよ。校長先生も『素晴らしい生徒が入って来てくれた』って。君の行動で助かった人が居るんだから、そんな顔しないで、堂々としてなさいね。たかだか遅刻なんて、気にしないで」
遅刻というか、今日の日程はもう終わってるんですけど。精神的なダメージは消えないんですよ。
言った所で何にもならないから、俺は小さくため息を吐くしか出来なかった
「ところで東出先生、書類は?」
不意に教頭先生がそう言うと、東出先生はぽかんと首を傾げた。
「……あ、教室に忘れてきました」
「…………ついでに、赤瀬を教室に案内しなさい」
「それもそうですね。じゃあ赤瀬君、書類取りに行こっか」
余計な手間を増やしただけなのでは?多少なりとも責める所じゃないのだろうか。
俺は訝しんだが、聞かなかった事にして何も言わずに頷いた。
元々教室に寄る予定はあったから、俺にとっても特に不都合はない。
会議室を退出して、俺は東出先生の後をついて行く。
「明日の日程はね、五教科の課題テストと、午後からは新入生歓迎会。部活の紹介とかちょっとしたレクがあるから。クラス内の自己紹介とかは今日やっちゃったけど……どうする?明日の朝、時間取ったりもできるよ?」
「いえ、その辺は自分でどうにか出来ますから。わざわざ時間取らなくて大丈夫ですよ」
「まあ高校生はそのくらいは出来るか。私去年までは中学校で教えてたんだけどね?小さい学校ならともかく大きい学校だと転校生とかが、ま〜馴染めなくってね」
転校生という言葉には馴染みのない人生を送ってきたから、先生の話にはあまり共感できそうになかった。
「あの……義務教育の先生と高校の先生って、教員免許別々ですよね」
「あ、そうだよ。よく知ってるね?」
「……姉が先生目指してるらしいんで、それで」
「お姉さん……って、もしかして詩織さん?生徒会の」
「そうです」
「へえ〜姉弟揃って優秀だ。私はねえ、元々地元の中高一貫の学校に通っててね、そこにすっごいお世話になった恩師が居たんだ。だからその学校の先生になりたかったんだよね。でも中高一貫って地域によっては中学高校両方の免許必要になるんだよ」
「恩師ですか」
姉さんが教員を目指してる理由も似たような物だと聞いた。俺が中学校に入った時には、もうその先生は居なかったが……姉さんにとってまさしく恩師と言える人が居たらしい事を母さんから聞いたことがあった。
「そう、恩師。私も誰かにそう言われたいもんだね。ところで赤瀬君ももしかして先生目指してるの?」
「いえ、俺はまだ将来のことは決めてなくて……」
「そっか。まあ難しいよね〜。あ、ここだよ、一年二組の教室。一応、まだ黒板にクラスメイトの席と名前貼ってあるから確認しておきなよ」
「はい」
言われて、黒板に貼られた紙を確認する。
少しそれを眺めて、俺は思わず「マジか」と声を漏らした。
「どうかした?」
「あ、いや。見覚えのある名前がいくつかあったんで」
「そう?まあこの辺りじゃ一番有名な学校だからね、同じ中学校から来る人も多いよね」
それは承知の上だ。
俺は姉さんが居るから信頼できる学校だろう、と言う理由だけでここに来ているが……それはともかく。
星野と四ノ宮と花ヶ崎の三人組と同じクラスで一年過ごすことになるとは思っても見なかった。どんな確率なんだこれは。
「はいこれ、ちゃんと目を通しておくんだよ。それと……」
東出先生は職員デスクから追加で書類を取り出した。
「えーっと、こっちが一人暮らしに関する奴で、こっちがアルバイトの申請書類ね。今月中には提出してよ?私でも良いけど、面倒くさいから出来れば直接教頭の方にお願いね」
「あ、はい」
態度と言い口ぶりといい、随分とラフな人だ。こう言う先生に限って怒らせるとマジで怖いんだろうな。元々義務教育の先生だったくらいだから余計に想像がつく。
「ちなみに何時からバイト始めるの?」
「来週の土曜からです、今月にオープンしたばかりのレトロ喫茶で……」
「あー!私行ったよそこ、アレはねぇ、放課後あたりでデートスポットになりそうだね」
「まあ、学校と駅の中間ですからね。そういう層を集めるための立地と言って良い様な場所ですよ」
「私も放課後に喫茶店でデートとかしてみたかったな……」
切実だ。
青春を勉強に捧げて教員になった人の、切実な言葉。ここで恋人が云々話をするのはやめておこう。
「んー……と、こんなもんかな。じゃ、明日こそ普通に登校出来ると良いね」
「あ、はい。これからお世話なります」
「はいはい、また明日ね」
俺が机の上で連絡書類を確認していると、東出先生は一足先に教室を後にした。
「……えぇ……?」
普通なら、こういう時って昇降口まで見送る物じゃないのだろうか。別に良いんだけどさ。
何と言うか、変な先生だ。
まあいいや、帰るか。
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ところで、第一章の始めなのにメインヒロインの出番無しですか……。




