第8話 親友
四ノ宮伊緒の視点はまだ続くぜ。
お風呂から上がった伊緒が自分の部屋へと戻ると、向かいの家に住んでいる美香が伊緒の寝室に転がり込んでいた。
伊緒は美香にドライヤーをかけて貰いながら、ぼんやりとお風呂場からの思考を続けていた。
「結局、いっちゃんの恋人は見つかんなかったね」
不意に美香にそう言われて、伊緒の思考は理桜の方に偏った。
彼の事だから合格してないという事は無いだろう。
となるとやはり、先に行ってしまったか自分達が先に帰ってしまったか。
「あ、そうだ。今度買い物行こ?」
「……?」
「私ノート欲しいんだよね。ついでに寄りたい所あってさ、二人だけで行こうよ」
どうやら二人だけでお出かけがしたいらしい。
悠岐を連れて行かないのはいくつか理由がある。
一番大きい理由は三人で行くと、悠岐が美香を除け者のようにぞんざいに扱ってしまうからだ。
正確には悠岐は常に伊緒を優先して会話や行動を進めるから、美香の思う通りに事が進まないだけなのだが、それは二人にとって不都合だった。
「いいよ」
伊緒が小さく肯定すると、鏡に映る美香は笑顔を見せた。
「じゃ、四月一日ね」
「……明日は?」
「明日じゃないのはね、寄り道したい所のオープン日が合わないからなんだよね。一日に高校に近い所の喫茶店が新しくオープンするらしくてさ、そこ行きたいんだ〜」
美香は上機嫌に言いながら、ドライヤーを片付けた。
それを横目に、ドレッサーの鏡を見ながら簡単なフェイスミストを済ませる。
ふと、鏡の向こうで美香が伊緒のことを恨めしそうに見ている事に気づいた。
「……いっちゃんてさ、スキンケア簡単な事しかしないよね」
「…………面倒」
「気持ちは分かるけどさ、それだけで問題無いんだからいいよね。私なんてニキビ跡消すのに必死なのに……」
ここで「私ニキビとかできたことない」なんて言ったら叩かれても文句は言えないだろう。伊緒は珍しく、口数が少ない自分の性格を有り難いと思った。
「わ、ほっぺスベスベだ。私混合肌ひどいのに」
急に頬を両手で包まれ、伊緒はビクリと肩を震わせた。
美香の切実な台詞には苦笑いすら出来ないまま、伊緒はしばらくの間大人しく頬を弄ばれた。
美香はおそらく自分よりも健康的な生活をしているし、丁寧なスキンケア何かをしているのだろう、こればかりは体質だろうから伊緒には何も言えなかった。
「……私ももう少し可愛かったら悠岐に見てもらえたのかな……」
美香の弱気な姿を見る度に、伊緒はその場に居ない悠岐に対して若干の怒りを覚えるのだった。
それはそうと、卑屈になって来た美香を鼓舞しようと、伊緒は言葉を探した。
「……美香は可愛い。それに、私より真面目」
「えっ、そうかなぁ……?でも私、いっちゃんより成績悪いし、目立たないしモテないよ」
「…………大事なのは、周りの目じゃない。美香が……どう、在りたいか」
それは好きな人からの受け売りの言葉だった。
伊緒の言葉に、美香は少しぽかんと口を開けた。
伊緒は一度、想い人である理桜に自分の極度の口下手を相談した事があった。
けれど、彼はあっけらかんとした様子で「別に良くない?」と答えてきた。
彼が言った言葉は一言一句覚えている。
『改善したいって思うのは良いことだと思うけど、一朝一夕でどうにかなる物じゃないでしょ。周りの意見が嫌で変えたいって思っても、そういう動機で上手くいくことってあんまないし……』
結果的にやる事が全く同じであったとしても、マイナスをゼロに戻す考え方よりも、ゼロをプラスにする考え方の方が楽だし上手くいく。
『何かが“嫌”で変えたいって思うんじゃなくて、そうなった方が楽しいとか、その方が嬉しいって思って行動した方がやる気起きるよね』
伊緒が口下手を改善したいのは、周囲からの意見を変えたいからではなく、好きな人ともっと話がしたいから、という単純明快な動機だ。
そう思わせてくれたのは紛れもなく彼だが。
物は言い様だ。
考え方を変えると、物事の見方も変わる。
それがたとえ同じ物であったとしても、見る角度を変えれば違う物に見えるかも知れない。
達観している様で、当たり前の事だ。
理桜の口ぶりはそれをよく知っている様だった。
例え考え方が似通っていても、あまり周囲と関わりを持とうとしない理桜と、何をせずとも人が周りに集まる悠岐とでは、伊緒に対する考え方や接し方に違いがあるのは当たり前のことなのだ。
それは伊緒と美香にとっても同じ。
自分と美香とでは悠岐に対しての見方、見え方が全く違うのだから、彼への対応が変わるのも当然。
伊緒は理桜に恋をするまで、美香が悠岐に想いを寄せている事が全く理解できなかった。
それもまた、同じことだ。
「……どう在りたい、って言われてもね。私が何やっても悠岐変わんないんだもん」
「なら……悠岐が変わる方法……。美香への見方を変える、とか」
「えぇ〜……そんな方法ある?」
そう聞かれて、伊緒は少し考えた。
そして案外、簡単に答えは出た。あまり、難しくもないかも知れない。
「今の美香は、悠岐と居るのが当たり前」
「まあ……幼馴染みだし?」
「だから、一旦引いてみる、とか」
「押して駄目なら、的な奴?」
「…………そう」
「具体的には?」
「……悠岐じゃない男の子と、仲良くしてみる、とか」
「あ〜……嫉妬心を煽るってこと?」
「……そう」
伊緒は自分が言ったことながら、中々難しい事を言っているような気がしていた。
美香はこう見えて内気な性格をしている。
元々、自分と変わらないくらい物静かだったのに、悠岐に振り向いて欲しくて明るく振る舞うようになった。そういう経緯を知っているから、彼女が伊緒や悠岐以外と居るときは大人しい少女なのだと、伊緒は知っていた。
だから、これは難しい話だ、と思っていたのだが……。
「一応、アテはあるしやってみよっかな」
「……出来そう、なの?」
「んー……多分?」
伊緒にとってこれはかなり意外だった。思い付く限り、美香が悠岐以外の男子生徒と仲良くしている姿を確認した覚えはなかったから。
「だ、誰……?」
「いっちゃん知らないと思うよ、関わり無さそうだし」
美香がそう言うのなら十中八九知らない相手だろう、と伊緒はその相手の名前を聞くことを諦めた。なにせ伊緒が名前以外の特徴や性格を知る男子生徒なんて物は片手で数えられる程度しか居ないのだから。
二人はその後も、しばらく雑談した。
伊緒が眠気を訴え、美香が四ノ宮家を出るのは日を跨いでからだった。
美香は月明かりのない夜の路上で冷たい空気を肺に入れてゆっくりと深呼吸をした。
親友との何気ない雑談の時間は、いつも不思議と有意義な物になっている。
普段はあまり口を開かない親友も、二人きりならある程度話をしてくれる。
自分のことはあまり話さない彼女だが、とても聞き上手で少し達観した考えを言ってくれる事も少なくない。
果たしてそんな親友が想い人の事を話してくれるのは何時になるのやら、と美香は欠伸と共にゆっくりと伸びをしてそんな思考を頭の隅に追いやった。
「……今日見かけたのって、多分赤瀬だよね」
彼とは中学一年の時に少なくない関わりがあった。
互いをよく知る関係という訳ではないが、仲は良いつもりだ。交友関係が狭くて口が固くて、彼自身も信頼に値する性格をしていた覚えがある。
それどころか、彼と関わりがあった頃は「惚れる相手間違えたかもな〜」と感じたくらいだ。
まあ、相談相手には丁度いいかも知れない。
いざという時は、彼のお姉さんを経由して連絡すれば、断られることはまず無いだろう……なんて少しイジワルな考えを思い付き、夜空の下で誰の目にも留まらない苦笑いを浮かべていた。
入学前、プロローグはここまで。
次回からは第一章が始まります。




