第33話 魅力的な物
火星食の観測、撮影が終わったのは13時過ぎ頃。
その間俺と咲智さんは天体望遠鏡の側でずっと話をしていた。
撮影を終えてからは一足遅れて昼食のカレーを頂き、一旦は自由時間となった。
「……あれ、咲智さんは?」
「さあ、お昼食べ終わったらすぐに居なくなった」
「あの人、一人にして大丈夫なのか?」
「大丈夫でしょ、一応ここに来るの初めてじゃないらしいし」
「心配なら探して来たらどうだ?」
「いや、迷子になりそうなんで止めときます」
誰も心配してなさそうだから、俺も一旦は心配しないでおくとしよう。
「二人は自由時間、どうするんだ?」
「近くに川あるみたいだから、そこ行ってみようって話してたよ。一緒に行く?」
「あー……」
いや、待てよ?女の子二人と水場は……なんか、トラブル起きそうだから止めとこう、うん。
「俺は先生と居るよ。なんか準備してるし」
神里先生に視線を移すと、なにやらさっきまで使っていた物とは違う天体望遠鏡を用意している。
「そっか、じゃあまた後でね」
花ヶ崎はご機嫌な様子でどこかに行ったが、秋村は何故か俺のことを眺めている。
「えっ、なに?」
「や、赤瀬はこういう時、水に濡れて下着が透けて見えるハプニングとか期待したりしないんだ、と思って」
「俺は思春期男子かよ」
「めちゃくちゃ思春期の男子じゃない?」
「……確かにそうだな、何言ってんだろう俺」
「赤瀬ってそういうの興味ないの?」
「そういうのって?」
「……こう、R指定入るような、話題」
なんかごめん、めちゃくちゃ言い辛い事言わせたな。そもそも同性同士ならともかく、異性に振る話題では無いけど。
「俺は純情で健全な男子高校生だからそういう話題はNGだよ」
「……何を訳の分かんない事言ってんの?」
「両親はそういう話に寛容だけど、姉さんが厳しいから俺ほぼ無縁で育って来たんだよね。だから自分から知りたいと思ったりはしないって感じかな」
「……そこお姉さんの管轄なんだ」
「家で一番序列高い人が姉さんだから、姉さんが『関わるな』って言った物には関わらないように生きて来たんだよ」
「……赤瀬ってシスコンなの?」
「好きか嫌いかで言えば好きだけど、正直なところ苦手かな」
「また訳分からない事言ってる……」
混乱した様子で秋村は、随分と遠くに行った花ヶ崎を追って走っていった。
まあ中々理解されない関係だろうとは思ってる。
俺が一方的に姉さんに逆らえないで居るだけなんだけど。
今のところそれで不便したことは無いから、これからも多分そうしていくんだろうと思ってる。
まあそんな事はどうでも良いか。
思考を切り替えて、俺は天体望遠鏡を覗き込んでいる先生に目を向けた。
「あの、神里先生……それ、太陽見て大丈夫なんですか?」
「それ専用の望遠鏡だから問題無い。見てみるか?」
どうやら太陽を観るための機器らしい。恐る恐る望遠鏡を覗くと、そこは真っ赤な球体が映し出されているかのようだった。
「……すげ、なにこれ……」
「いわゆる太陽望遠鏡だな、最近衝動買いした」
衝動買いって……いくらするんだこれ。
「太陽って確か、普通に肉眼で見るのも危険なんですよね。さっきも聞きましたけど、望遠鏡で見て大丈夫なんですか?」
「それは特殊なフィルターが使われてて、目に有害な大抵の電磁波はカットされてる。今そこに見えているのは太陽の『彩層』部分だ」
「いやあの、そう言われても、あんまり分かんないです」
「……中学の理科って、太陽についてどの程度教えるんだったか……」
「えっと……白に近い黄色の恒星であるとか、主な構成物質は水素とヘリウムだとか、地球の百何倍くらいの半径があるとか、太陽までの距離が1天文単位であるとか、そんな話です」
「あとは表面や中心の温度か」
「はい、そんな感じだったと思います」
なんか、意外に覚えてるもんだな。
「軽く話すと……そうだな、太陽は核融合が行われている中心部分を核と呼び、そこから放射層、対流層、光球面、彩層面、コロナという順に層が分類されている」
突如として授業が始まったので、俺は一応持っていたメモ帳に先生の話を書いていく。
「大抵の場合『光球』『光球面』というのは太陽等の恒星の表面を指す。地球で言うなら地面や海面と言うことになるか」
「……で、この望遠鏡で見えるのは……」
「光球のすぐ上にあたる彩層面。人工衛星なんかで観測するのも、大抵はこの彩層だ。プロミネンスやフレア、フィラメントと言った現象を観測するのに適しているからな」
それからも神里先生による太陽の授業は続き、太陽望遠鏡と先生の話も相まって妙に太陽について詳しくなった様な気がした。
夕食では先生特製の水炊きに舌鼓をうち、夜明け頃に備えて一度仮眠を取る。
……そうして時刻は午前一時過ぎ、虫や鳥の鳴き声すら耳に入って来ないほど、静寂に包まれた草原。
スマホを見る限りでは気温は高い筈なのに、妙な寒気に襲われる。
焚き火やランプの明かりもすべて消すと、辺り一帯は完全な暗闇となる。
そんな中で空を見上げると────
「…………」
「花ヶ崎と秋村は起きそうにないな」
「勿体無い、ここからがゴールデンタイムなのに」
「まあ無理に起こしてやるな。こんな時間に活動してる方がおかしいんだ」
月明かりはなく、異様に空が近く見える。
都会の街でこんな物を拝める事はまず無い。
普段なら街の明かりで見えなくなっている微かな星の光すら、今は燦々と煌めいている。
夜明け前というこの時間帯、流星群はまだ始まってないので、今のうちに望遠鏡やカメラの準備をして置かなければ行けないのだが……。
「……感動してる?」
「っ!」
突然耳元で艷やかな声が響いて、思わず声の主から距離を取った。
「そんな、過剰反応しなくても」
「……耳元は止めて下さい」
「何してんだ?カメラの準備しろよ、すぐに撮影始めて、調整しておけ」
「あ、はい」
三脚を立てて、高感度カメラに超広角レンズ、レンズヒーター等を用意、それらを二台分セッティングする。片方は普通に動画で、もう片方は自動でタイムラプス動画になるように撮影設定をしておく。
その間も不意に空が目に入ると、目を奪われて最早気が散るくらいだ。
「……こっちは撮影始めました」
「お疲れ。あとはゆっくりしとけ」
「赤瀬、こっちおいで」
「えっ……?」
咲智さんに暗闇の奥から声をかけられたと思ったら、突然細く柔らかい指に手を握られた。駆け足のまま彼女に連れられ、少し森の中を進んで近場の山を登った。
「……さっきの自由時間、どこに行ってたのかと思ったら……」
岩山の上、少し開けたそこには折りたたみ式のクッションチェアが二つ並んでいる。小さなテーブルにはカバンが置いてあり、中にはおやつとか飲み物、そして勿論カメラも用意してある。
どうやらここは部活動とは別に、咲智さんの趣味空間の様だ。
「星空の下でデートのお誘いですか、ロマンチックな事しますね」
「デートに天体観測って、そんな事ある?」
「いや……プラネタリウム見に行くカップルとか居るでしょ」
「そうなんだ」
咲智さんは興味なさげに呟いてキャンプ椅子に座り、背もたれを少し倒した。
軽い雑談でもしようと、俺も彼女の隣に座り、口を開こうとした時……。
「……凄い」
咲智さんが、ポツリとそんな事を呟いた。
「えっ?」
「これは予想外」
咲智さんの呟きを聞いて俺も空を見上げてると……声も出せない程に幻想的な光景が目に焼き付いてきた。
いっぺんに現れた無数の光線は放射状に広がり、星空を強く輝かせる。
そんな、刹那的な感動の余韻に浸る間もなく、俺は隣で放射状に空を彩る光を見上げる少女に目を向けた。
初めて部室で彼女を見たその時以上に、真紅の瞳を輝かせて夜空を見つめる咲智さんの姿が、どうしようもなく美しく見えて……俺はしばらくの間、咲智さんの横顔を眺めてしまった。
「私じゃなくて、空見なよ」
「……さっきは『私のことみて』って言ってたじゃないですか」
「そういう意味で言ってない」
「分かってますよそんなのは……。気にしないでください、見惚れてただけです」
「見惚れ……っ……!?」
星空を見ていた顔をこちらに向けた咲智さんは、普段からは考えられないくらいに狼狽えた表情をしていた。
「……何言って、こんな──」
「外見の話はしてないですよ」
先にそう言って自虐的な言葉を言わせないようにした。もし外見の話だったとしても、彼女の白い髪や肌を美しいと思う感性がおかしいとは思わないし。もし白く無かったとしても、この人は美人なままだろうし。
「咲智さんって、照れると分かり易いですね。こんな暗いのに赤くなってんの丸分かりですよ」
「っ……うるさい」
「俺はただ……好きな物に対して真っ直ぐ、純粋に向き合ってる先輩が魅力的だなって、そう思っただけです」
「…………変な事言わないで、ばか」
咲智さんの精一杯の罵倒に軽く笑って、俺はもう一度空を見上げた。
流星群は一時間に渡って観測することが出来た。最初の光景とは違って数分から十数分に一度、キラリと流れ星が見えるくらいの物だったが、それでもかなり神秘的な物に感じた。
そしてその間、俺と咲智さんの間には時々会話があるだけで、殆どの時間は静寂と流星を堪能した。
「……予測してたより、随分と見れた」
「ですね。聞いてた話と違います」
事前に先生から「流星群とは言っても、多くて10回も流れ星を観られたら良いほうだ」って聞いてたのに……。
「こんな事だと、次も期待しちゃいますね」
「七、八月くらいは……どうなるかな」
「あ、前にちょっと調べたんですけど……しし座流星群って11月に見れるらしいですね」
「……そう。今年の文化祭では、それを撮影してプラネタリウムとして展示する予定」
「へえ……。その時は晴れると良いですね」
「でも、今回はかなり好条件で、しっかり撮れたから、取り敢えず展示物は大丈──」
「あぁいや、今日みたいに二人で見れたら良いなって」
「………………」
特におかしな事を言ったつもりはないのだが、咲智さんは突然黙ってしまった。
……まあ何でも良いか。
満天の星空と共に余韻に浸りながらゆったりと夜風に吹かれている時間は、自分の人生の中で一番だと思えるほどに有意義な物に思えた。
「……そういうとこだよ、赤瀬」
不意に遠くから、微かに声が聞こえた。
何となく聞き覚えのある台詞だった様な気がして、噴き出た汗が夜風に吹かれ、妙に寒気を感じるのだった。
赤瀬くんはこんな事ばっかり言ってるから「浮気しそう」とか言われるんですよ。
ともかく第一章はここで終了。第二章もぜひ読んで下さいな。四ノ宮さんの活躍機会はあるのかな……。
因みに、科学知識について間違った事があればじゃんじゃん指摘を下さい。
それと超どうでも良い余談ですが、「小さい頃に連れていって貰ったキャンプで流星群を見た」という七沢咲智の過去は作者の実体験だったりします。