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第30話 伊緒と理桜②

「……課題、進めてるの?」

「ん、早めに終わらせようと思って」


 彼女がこの部屋に来るのは何度目だっただろう。

 風呂上がりでさり気なく隣に座ってきた四ノ宮の距離感にはまだ若干慣れない。


 泊まりはまだ二回目だが、休日や放課後に何気なく部屋に来る事が少し増えてきた様な気がする。


「なんで……俺の服着てんの?」

「……パジャマ、無かった」


 元々の格好からして、泊まるつもりは無かったらしいのでその言い分には納得しておく。

 七分袖のシャツはともかく、短パンなんて俺は夏場でも履かない。

 家から持って来たつもりはなかったのだが、どこから見つけて来たのやら。

 母さんが荷物に紛れ込ませていたのだろうか、それとも単に俺の記憶から抜け落ちてるだけなのか。


 何にせよ、彼女にとってはワンサイズ大きいようだ。

 四ノ宮は普段着から少し大きめの緩い服を着る事が多いから、見てて違和感はないが。


「……嗅ぐなって。てか、それ……」

「……?」


 ずっとしまっている服だったから少し埃っぽいのかとも思ったが……。

 よくよく確認してみたら、短パンはともかく彼女が着ているのは俺が昨日寝る時に着ていたシャツだ。

 寝間着は普段、三日おきにしか取り替えないから……。


「だから嗅ぐなって……」


 四ノ宮は何故か、さっきから服の裾を持ち上げて鼻先に近付ける仕草を定期的に繰り返している。

 なんで四ノ宮はこれで「まだ付き合ってない」って言い切ってんの?

 分からない。こういう時は、この子がなにを考えているのか全然分からない。

 普段は割と分かりやすい方なのに……。


 まあ、風呂入って機嫌は直ったみたいだから良かったけど。


 四ノ宮の様子見もほどほどに、俺はまた手元の課題に意識を向けた。


 切の良いところまで終わらせる……前に、疲労に限界を感じたので俺は風呂に行く事にした。


 四ノ宮が入った後の風呂だと考えると、なんとなく浮ついた、落ち着かない気分になるが、気にしないようにと自分に言い聞かせて無心で入浴を済ませた。


 風呂から上がって、少し眠そうにしている四ノ宮の側を通ってキッチンに向かう。

 湿った髪にタオルを軽く巻いていたのだが、四ノ宮はそれに気付いて立ち上がり、ソファの近くにドライヤーを持って来た。


「あぁ、ありがと……って、やってくれんの?」

「ん」


 ドライヤーをかけられているわけだから髪を触ったり撫でたりするのは構わないし、丁寧にやってくれるのも良いんだけど……なんか、やたら首筋とか耳とか触ってくるのは何なの?


 ドライヤーの音が止むと、今度はうなじの辺りに息がかかる感触があった。


「っ……嗅ぐなっての、シャンプーの匂いしかしないだろ」

「……君の香り」


 自分の体臭なんて自分では分からないが、そう何度も服や俺自身を嗅がれると気になって仕方がない。


「それに、君と同じシャンプーの香りがするのは……少し、ドキドキする」

「…………言われなきゃ気になんなかったのに……」


 風呂上がりなのにまた顔が熱くなってきた。

 すると、腕を回そうとして来たので一旦手で静止してドライヤーを片付けてからソファに座る。


 ただ、四ノ宮はとうとう膝の上に乗ってきた。


「ん…………」


 本格的に遠慮がなくなって来た……と言うのも何となく違う気がする。


 ある意味で他人に頼り切りで、一方で自ら人に甘える事はできない、そんな人生を送ってきただろうから純粋に自分を出して心を開ける相手は少ないのだろう。

 なんて、これは俺の勝手な予想で実際どうなのかなんて知ったことじゃないけど……。


 少なくとも俺の知っている四ノ宮は「自分は周囲に迷惑をかけている」という強い劣等感を常に抱えて生きている少女だった。

 出来ないのは自分が悪い、これは自分のせいだ、自分には悪く思う権利はない、とそんな事ばかり考えて、いつも悩み疲れている。

 言うなればそれは「自分を否定することで自分を保っている」様な。正直、そんな印象が強かった。


 ……だからこそ何をやるにも真面目で、痛々しいくらいに努力家で、その姿を他人に見せようとしない。

 だからと言う訳ではないけど、俺は四ノ宮に何かを求めようと言う気にはならない。


 今のところ側にいる以上の事を求められている訳でも無いから、距離感さえ間違わなければ良好な関係で居られるだろう。距離さえ、間違えなければね。


 ……物理的な距離はもう、何も言えないけど。


「……君が、お風呂に居る時」

「ん?」

「……少し部屋、見てた……」

「俺の寝室?面白い物は無いと思うけど」

「ん、無かった、何も」


 強いて言うなら俺の趣味はキッチンにあるし、それもスイーツやそれに合う飲み物に偏っている。

 ただそれは実家にいた頃に姉さんの気まぐれや来客用に作っていた物ばかりで、一人暮らしになってからは全くやってない。

 料理そのものは、赤の他人でも自信を持って出せるかなと言う感じ。そうなったのも雪さんのせいだ。


 俺自身が自分の娯楽のためだけにやっている趣味というのは無い様な気がする。


 俺が一番影響を受けている相手である姉さんがあまり興味を持ってない物、それこそゲームとかアニメ的なサブカルチャーなんかは俺も関わる機会が少なかった。

 ……まあ、姉さんは趣味でギターやってるけど。


「四ノ宮はなんか、趣味ってあるのか?」

「……身体を動かすのは、好き。小さい頃は……苦手だった、から」


 俺は運動が得意な四ノ宮しか知らないから共感は出来ないけど、やっぱりそうなのかと少し納得する部分はある。


「……こんな事言うと、皆は『嘘だよ、絶対最初から出来てたでしょ』って……言うけど」

「今の四ノ宮見てたら、そう言う気持ちも分かるよ」

「君は、否定しないの?」

「四ノ宮が努力家なのは知ってるし」

「っ……」


 苦手だった事を、今は好きって言えてるんだから素直に凄いなって思う。


 もし自分が同じ立場になったとしても、俺は絶対に改善しようとはしないだろうから。何かの拍子に改善することがあっても、それを好きだと言えるほど心持ちを変えられるとも思えない。


「……君の、そういう所」

「ん?」


 若干聞き覚えのあるセリフを言われた気がするが、俺は気にしない事にした。


「趣味か……俺もなんか探してみようかな」

「……一緒に、ジョギングとか……してみる?」

「ジョギングか……。一緒にやるってなると、一々どっちかが電車乗る事になるけど」

「それなら、私が早朝にここに来れば良い」


 これまた星野に目を付けられそうな提案をしてくるじゃないか。この提案は四ノ宮がただ朝から俺と居たいという主張をしているだけな気がする。


 嫌な気はしないけど、なんだかなぁ……。


「どう?」

「……考えとくよ。今はちょっと忙しいから日課作るのは難しいけど、バイト辞めたらやってみようかな」

「……辞めるの?」

「ん?うん、そのうち辞めるよ、そんなに遠くない内に。元々、喫茶店のバイトは店主が仕事辞めて店の方に専念できるようになったら辞める予定だったし」


 本当なら今頃にはもう辞めてる筈だった。雪さんのせいで別にやる事も増えてるから訳のわからない事になってるけど。


「ちょっと、勿体無い」

「え、そう?」

「……君の制服、似合ってたのに。眼鏡も」

「あれただの伊達メガネだけど」

「私と、おそろい」


 前に店に来た時になんか嬉しそうだったと思ったら、眼鏡姿を見たからか。

 別に、眼鏡なんていつ着けても一緒だと思うけどな。


 普段オシャレに気を遣ったりするタイプじゃないから、新鮮に見えるんだろうか。


「そんなに眼鏡姿みたいなら、今度デートでもしようか?」

「する」


 それは即答するんだ。

 まあ、二人で出掛ける機会なんて今まで無かったらから、案外良いとは思うけど。


「……じゃ、軽く予定とか組んでみる?」

「ん」


 それから俺たちは眠くなるまで、どんなデートをしてみたいかを話した。

キミたちデートとか今更じゃね?

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