第19話 切れ端
ずっっっっっと書きたかったシーンが遂に来ました。
放課後になると、一つの迷いが無くなったからか不思議と雨は止んでいた。相変わらずの曇り空だが、傘が必要無いだけでもマシだと思えた。
時間はあっという間に過ぎていく物だが、伊緒にとって今日という日は随分と長いものに感じた。
その理由は考えない様にしておき、伊緒は昨日と同様に悠岐と二人で下校の帰路を歩いていた。
校舎を出る前に教室の窓から、美香と理桜が二人で並んで下校する姿を見て酷く憂鬱な気持ちを味わったりもしたが、道中でトラブルに遭遇することも無く概ねいつも通りに帰宅する事が出来た。
帰って来たのはモダンなデザインで統一されている大きな洋館。
伊緒の父である四ノ宮大輝という男が金に物を言わせて趣味とノリと勢いだけで建てた家だが、自宅と呼ぶにはいささか広すぎて不便さを感じる事も少なくない。
広い自室は趣味の少ない伊緒にとっては持て余すばかりで、自分の物よりも親友である美香の私物の方が多いのでは無いかと思うほど。
そんな部屋で伊緒が制服を着替えていると、ノックもせずに悠岐が部屋に侵入してきた。
「なあ伊緒、来週父さんが……って、まだ着替えてたのかよ」
悠岐は目の前で下着姿のままの幼馴染みから軽く睨みつけられても小さく笑うだけで、それを横目にダブルサイズのベッドに腰を下ろした。
伊緒は盛大なため息を吐いて、ワイシャツをハンガーに掛ける。
「……」
「なあ伊緒、余計なお世話かも知れないけど……もう少し可愛げのある下着着けたらどうだ?」
勝手に部屋に入ってきてコレとは本当に余計なお世話だが、伊緒は一旦言い分を聞いてみる事にした。
「そりゃ、俺以外に見られる事なんかねえだろうけどさ──」
伊緒はその時点で話を聞くのを止めた。
自分は見る、見てもいいという前提がある事に若干の嫌悪感を覚えたからだ。
悠岐は長々と女性物の下着について語っている。
一体何を聞かされているのだろう、これは。
幼馴染みの性癖なんて欠片も興味がないので、参考にすらならない。
話は全て聞き流して伊緒は着替えを済ませる。そして小さいころからずっと使っている勉強机に座った。
「せっかくスタイルも良いんだから、まあ派手なのとは言わないけど──」
顔が良くてスタイルが良くて、周りの誰もが褒めてくれるし嫉妬を向けられる事も多い外見なのは、散々言われてきたから認めざるを得ない。
だが、だからと言って好きな人が振り向いてくれるのかと言われれば大違いだ。
例え伊緒が見るに堪えない不細工な少女であったとしても、きっと理桜は何も変わらない接し方をして来たに違いない。そういう男の子だから好きになったのだから。
彼にとって外見はキッカケにすらならないが、伊緒だって一人の女の子だ。
好きな人には可愛いとか美人だとか思われたいし、褒められたいに決まっている。
「──って、こんな話のために来たんじゃない。来週の土曜に父さんが久々に帰って来るんだ。結構人呼んでパーティーするみたいだから、予定空けておけってよ」
「司さん?…………珍しい」
「だろ?」
星野司は悠岐の父親は、普段は海外で大きなIT企業の経営を行っている。
「兄貴への引き継ぎが一区切りしたから、とは言ってたけど兄貴はまだロスだって」
「……そう」
「んで、美香は不参加」
「……?」
「なんか、外せない用事があるってよ」
「…………」
本当に大事な用事なのか、それとも悠岐から少し距離を置くための口実なのか。
それは後で聞いてみれば答えてくれるとは思うが、それにしたってこちらも珍しい事態だった。
「美香、だけ?」
「おう」
つまり彼女の両親や姉妹は来る。
一体何故美香だけ来ないのかと疑問符を浮かべていると……。
「ん?」
不意に悠岐が、伊緒のスクールバッグに手を伸ばした。
「なんだこれ?」
そして伊緒も何がなにやら知らない封筒を、カバンの外側に着いているポケットから見つけ出した。
軽く中身を見て、取り出さずともそれが手紙であると確認するなり、大きなため息を吐いた。
「……ったく。伊緒、お前もう少し警戒心を持てよ。前にも言ったろ、変な奴が寄り付くって」
そう言いながら悠岐は、その封筒を見てもいない中身もろとも半ばから破った。
「……やりすぎ」
以前にも伊緒は手紙を貰った事がある。
特設陸上で少し交流があった後輩から手紙を貰い、悠岐はその現場を目撃するなり、目の前で破り捨てた。
その時には悠岐が「お前と伊緒が恋人同士になる事なんて万が一にもあり得ねえよ」と吐き捨てて怒りを露わにしながら去って行った。
その後で伊緒が、怒って追いかけて行きそうになった後輩に謝り倒していたことも知らずに。
伊緒にとって手紙や筆談という手段はかけがえの無いものであるため、彼がどうして手紙を毛嫌いするのかは分からない。
悠岐は手紙に限らず、自分の知らない場所で伊緒を狙う人は皆平等に敵視しているが……。
何にせよ、これだけのことで悠岐はとても機嫌が悪くなったらしい。
「どこのどいつか知らないけどな、俺の伊緒を奪おうとする奴は兄貴であっても許さねえからな」
一体、いつ誰が悠岐の物になったのか。
全く身に覚えは無いが、いつもの事なので伊緒は小さくため息を零して彼が破いた手紙に目を向けた。
「なんだよ、気になるのか?」
「……一応、私に……」
「読まなくて良いよこんなの……」
悠岐はそう言ってバラバラになるまで破いてから、ゴミ箱へと捨てた。
「ついでだ、ゴミ出しておくよ」
どうやら部屋においておく事すら嫌な様だ。
ついでという言葉の通り、別の部屋のゴミも片付けて回っている悠岐に「なんでこういう、変な時にだけ男前なんだろう」と微妙に納得の行かない感情を抱きながら……不意に見つけたのは、さっき悠岐が見つけた手紙の破片だった。
手紙の差出主には申し訳ない事をしたと思いながら、それを拾い上げる。
「……ぇ………?」
伊緒は小さく声を漏らして、その破片をしばらく呆然と見つめていた。
どうして考えつかなかったのか。
というより、何故確認しなかったのか。
真っ先にその可能性を考えるべきだった筈なのに。
少し部屋を見回しても、これ他に破られた手紙の欠片は残っていない。全て、悠岐が持っていったゴミ袋の中にある。
本当なら今すぐに部屋を駆け出して、悠岐が持っているゴミ袋を隅々まで漁り、破片を全て回収したい。
そうしなければならないとすら、思っている自分がいる。
けれどその行動は寧ろ、手紙をくれた彼の気遣いを踏み躙る結果になる。
そう考えた伊緒は部屋から出る事は出来なかった。
「……理桜、より……」
それは手紙の破片に描かれた丁寧な文字だった。
伊緒の小さな声は、言葉を発した本人の耳にすら届かなかった。
伊緒は小さい頃、幼馴染みである悠岐の事が嫌いだった。
悠岐に好意を持っていた美香の事が理解出来なかった。
そして自分に好意を持ってくれている彼を嫌っていた自分の事が、なによりも嫌いだった。
悠岐や両親に口を利かなかった時期だって決して短くない。今は話せないだけで、話したいと思うことだって少しくらいはある。
自分を理解してくれない、理解しようともしない両親や姉妹、同級生。
自らを取り巻く全ての人間を目障りに感じていた。
今でも人の多い場所は苦手だし、人と話すのはもっと苦手だ。
……でも、そんな自分を拒絶する事はなくなった。
嫌いだった人達。今でも好きだとは言えないが、理解しようと思える様になった。
そういう物なのだと納得できる柔軟さを身に着けられた。
僅かではあるが、誰かと話をする時に自分から言葉を投げかける事が出来るようになった。
四ノ宮伊緒という人形が、何処にでも居る普通の少女に近付いた。
そうなったのは、そう成れたのは、一人の男の子に恋をしたからだ。
伊緒はそんな自覚を強く持っている。
「……っ……あぁ……」
伊緒は自分を変えてくれた赤瀬理桜の事が好きだ。
理桜がくれた手紙を破り捨てた悠岐の事が嫌いだ。
こんな状況でも行動が出来ない自分の事がもっと嫌いだ。
感情は理性で抑えられるが、理性で感情を変化させる事は出来ない。
この怒りも、虚しさも、嬉しさも、愛しさも、誰かに共有する事は出来ない。
ただ、グチャグチャに混ざり合った感情の中に揺らがない気持ちを見つけた。
伊緒はその気持ちだけを強く感じて、手に取った手紙の切れ端を胸に抱いた。
「……よかった……っ……!」
彼がくれた手紙の内容は何一つ分からない。
それでも、伊緒が書いた手紙を理桜は確かに手にとって、読んでくれた。
それを受けて返事を書いくれた。それが自分の手元に届いた。
理桜は今、間違いなく伊緒の気持ちを知っている。
この手紙の切れ端は、その事実を伊緒に伝えてくれた。
彼が聡明な男の子だと言うことを伊緒はよく知っている。とても優しい人だと身を以て知っている。
元々、自分が出したのは彼の優しさに付け入った様な手紙だった。
彼が返事をくれたと言うだけで、内容が良い返事であると確信できるくらいに。
足踏みしていた計画は一歩踏み出すことが出来た。
伊緒自身の感情はグチャグチャになっていても、進捗があったのは紛れもない事実なのだ。
今はそれを、喜ぶことが出来る。
いくつもの感情が混ざり合り、いつの間にか頬を濡らしていた涙を手で拭って、伊緒は手紙の切れ端をゴミ箱に捨てた。
この切れ端を持っていると、この決意が揺らぎそうな気がしたから。こればかりを大切にしては居られないから。
手紙の内容は本人の口から直接聞く。
でも、だけど。
……明日、彼と顔を合わせたとして……。
こんな状態でまともに話せるだろうか。
この不憫さはメインヒロインの風格ですね。心グチャグチャになってて可愛い。




