第17話 空似
「美香、お前昨日結局、何の連絡も入れて来なかっただろ」
「えっ?何の話?」
「こいつ昨日は本当に聞いてなかったのかよ……」
呟きながらため息を吐いた悠岐の隣に座る伊緒は、周辺に立っている自分たちと同じ制服を着た十数人の男女から注がれる視線に困惑していた。
伊緒には自分が悪目立ちする外見をしている自覚はあるが、人からマジマジと観察される経験はあまりない。
ただ、そんな伊緒の困惑は不意に耳に入って来た言葉によってすぐに消え去った。
「ね、やっぱ似てない?赤瀬先輩と……」
伊緒は無意識に声の聞こえた方に視線を移した。
そこで話していたのは全く見覚えのない何人かの女子生徒だった。
伊緒が女子生徒たちがコソコソと話しながら見ていた方向を確認すると、今度は何となく見覚えのある女子生徒が不機嫌そうな顔でスマートフォンに視線を落としている所を見つけた。
「あれ、昨日の代表挨拶の人。たしか、詩織先輩」
「…………」
自分と同じ様に視線を移していたらしい悠岐の言葉を聞いて、伊緒は自分が昨日の入学式で生徒会の代表挨拶を一瞬たりとも聞いていなかった事を思い出し、思考を切り替えた。
やはり一つ気になったのは赤瀬というこの周辺地域ではあまり聞かない苗字が一致している事。それが偶然にしては出来過ぎている様に感じた伊緒は、周りの生徒と一緒になって赤瀬詩織という女子生徒を観察し始めた。
「昨日はあんまり分かんなかったけど、この距離で見るとめっちゃ綺麗だねあの先輩」
美香の呟きに、伊緒と悠岐は一緒に頷いた。
どこか少年の様で、中性的な印象の顔立ち。
カラーメッシュの入ったショートボブ。
制服姿でも分かる抜群のスタイル。
伊緒はその立ち姿をじっくりと観察して、昨日は見ていない筈なのに見覚えがある様に思ったその既視感の正体に気付いた。
「……なんか……こうして見ると似てんな」
どうやら悠岐も何かに気付いた様で、伊緒はゆっくりと頷いた。
そう、似ているのだ。
「確かに、いっちゃんと似てるかも」
「そうだよな」
「そう──…………っ!?」
思っていた人物とは全く違うどころか、自分の名前が出た事に驚愕することしか出来なかった。
そして幼馴染み二人から視線を向けられ、伊緒は柄にもなく口を挟んだ。
「わ、私じゃなくて、才羽雪に似てるって……」
自分にしては珍しく、思っていた言葉がすんなりと口から出た事に少し驚きつつ、自分に言われてから気付いた二人を見て、伊緒は隠す事もしないで大きなため息を零した。
「えっ?あぁ……!」
「あ、ホントだ似てるかも!」
「……はぁ……」
すると苦笑いしつつ、美香が辺りを見回した。
「でもさ、他の子たちも似てるって思ってるっぽいよね。いっちゃんとあの先輩のこと」
「……どこ?」
「どこってか、雰囲気とか……」
「とにかく全体的に、かな?」
もう一度、注目の的になっている赤瀬詩織という先輩を見た。不思議と、彼女に似ていると言われて嫌な気はしなかった。
いつもより騒がしい電車から降りて、今後数百回と歩く事になるだろう通学路でも、美香と悠岐はさっきの赤瀬詩織と言う二年生らしい先輩の話を続けていた。
「すご、写真見るとめっちゃ分かる」
「確かに、姉妹って言われても違和感ねえな」
二人は二人のスマホ画面を注視しながら通学路を歩いていた。
その画面に映るのは昨年に瀬川高校で行われた文化祭の時に撮られた赤瀬詩織だ。
彼女を含めて5人いるバンドメンバーと一緒におり、5人とも玉汗を浮かべながらも朗らかな笑顔をしている、とても良い写真だと思った。
因みに瀬川高校のホームページにある文化祭紹介の写真として使われている物らしい。
それと比較する様に並べられているのは才羽雪本人のSNSアカウントに3月頃に載せられた画像だ。
一切の加工どころかすっぴんで流行りのパフェと共に映る売れっ子女優はテレビで見る時とまるで変わらない美しさをしている。
そんな二人は顔立ちから笑顔の質から、とても良く似ていた。
「いっちゃん良く気付いたねぇ」
「……寧ろ、なんで私に……」
伊緒にとってはそんな事も実はどうだって良くて、問題は赤瀬詩織という先輩と、自身の想い人である男の子との関係性が気になるところだった。
教室に入ると、伊緒は無意識に廊下側の一番前にある席に視線を送った。
「っ……!」
随分と久しぶりに見た様な気がする後ろ姿が、そこにはあった。
彼は隣で騒ぐ女子生徒たちに煩わしそうな視線を送ると、顔を横に向ける際に少し長い前髪を耳にかける女性的な仕草をした。
自分が隣の席にいた時にもよく見た、そんな些細な仕草に懐かしさを覚える。
彼に見惚れていたからだろうか、それとも集中していたからだろうか、伊緒はさっきまで自分の隣に居た美香が離れていた事に気付かなかった。
……美香が、理桜の隣に立つその瞬間まで。
「やっほ赤瀬、今日は流石に来たんだ」
「ん?あぁ、花ヶ崎。おはよ」
「ね聞いてよ、昨日さ──」
「「……は?」」
伊緒はこれ以上無いくらいに困惑し、不本意だと思う感情すら忘れて悠岐と声を揃えて驚愕しながら、思わず隣と顔を見合わせた。
言いたいことは色々あっても、何一つ言葉として出力されない自分に嫌気が差すのはいつもの事。
そうだとしても、伊緒は今回に限っては本当に何を思えば良いのかすらも分からなくなった。
それは普段ならとても饒舌な悠岐にとっても衝撃だった様で、彼ですら少しローテンションのまま理桜と仲睦まじく話している美香を見て、思う所があったようだ。
「……あいつも赤瀬って言うのか」
「!?」
微かな呟きを聞いて、伊緒は隣の悠岐を二度見した。
さっき美香に「話聞いてなかったのかよ」みたいな事を言っていたばかりだと言うのに、彼自身も昨日の話を覚えていない様だ。
彼の話をしていた時、悠岐は友達は選べみたいな趣旨の話を延々としていたにも関わらず。
伊緒が二重の意味で幼馴染みに愕然としていると、一瞬だけ強い視線を感じた様な気がして視線を理桜へと戻す。
彼は席に座ったまま、黒板の方へと向きなおる所だった。
「……?」
伊緒は一瞬だけ、彼が自分の事を見ていたのではないかと考えて、すぐに首を横に振った。
きっと偶然だ。そう結論付けて、一人ため息を零す。
伊緒は以前から薄々、自分には彼の興味を引けるほどの魅力が無いのでは無いかと思っていた。
自分が大多数の異性から強い興味や関心を向けられる対象である事は散々身に沁みている。
それはそうと、理桜から何かしら熱のある感情や興味関心を感じた事は無かった。
その他にも色々と理由はあるが、中でも伊緒がそう思っている最も大きな理由は、理桜と学校以外の場所で関わりを持った記憶がないからだ。
元々の理桜の気質的に、自分から周囲に興味を抱いて関わりに行く様な性格ではない事は何となく気付いている。伊緒は彼が大抵の知り合いにはフラットな接し方をしている様な印象を持っていた。
一方で、理桜の方から自身へと積極的に関わってくれていた事はあっただろう、と思っている。
いや……思っていた。
あの美香の様子を見る限りでは自意識過剰なだけだった可能性が高いと、そう考えて伊緒はひっそりと落ち込んだ。
伊緒が席に座り、静かにしていると悠岐も自身の席に向かった。
するとそれを見計らって、昨日見た様な気がする数人の男子生徒が伊緒の周囲を取り囲んだ。
「おはよう四ノ宮さん」
「あのさ、昨日聞けなかったんだけど、四ノ宮さんって西片中だよね?」
「俺去年の夏に試合観に行ってたんだよ!」
「陸上でめっちゃ可愛い子居るって話題になってたの君でしょ?」
「俺陸上部入るつもりなんだけど一緒にどう?もし競技やんないならマネージャーとか……」
男子生徒が群がってきたのに悠岐が来ないという異変に気付き、伊緒は少し視線だけで周囲を確認した。
美香はさっきと変わらず自分を差し置いて理桜と仲良さげに話をしており、こういう時にこそ居て欲しい悠岐は、自分と同じ様に席で女子生徒に取り囲まれていた。
またも零しそうになったため息をそっと飲み込み、男子生徒達の話を一つ一つ思い出す。
「……部活……」
伊緒はぽつりと呟き、男子生徒達の間から見える理桜の後ろ姿に目を移した。
「あ、もしかしてもうどこ入るか決めてんの?」
「てかさ、クラスでチャットのグループ作るから連絡先──」
彼はどこかの部活に所属するのだろうか。もしそうなら一緒に活動したい。
陸上、と言うと確かに少しだけ思い出がある。
中学校の特設陸上部では二年生の時は理桜も参加させられていたので、放課後に同じグラウンドで練習をする機会は何度かあった。
そういう時には必ず悠岐が一緒に居たので、伊緒は少し遠くから一方的に理桜を見つめているだけだったが……。
そして三年生のときは彼が怪我を理由に辞退した事を知らず、非常に虚しい練習時間を過ごしていた。
「お前無視されてんだろ、いい加減にしろよ」
「そっちこそどうでも良い話しすんなら退──」
思えば三年生の時には何をやっても裏目に出ていた様な……と伊緒がまた過去を振り返って少し落ち込んでいると、ホームルームが始まる頃になって美香が伊緒の近くに戻って来た。
そこでは、伊緒がぼんやりと思慮を深め、その周囲では男子生徒が言い争っている。
悠岐の方を見ると、女子生徒に囲まれながら少し面倒くさそうに対応し、視界の端でチラチラと伊緒を追っている姿を確認出来た。
「……なんか混沌としてない?」
そんな美香の呟きは、すぐに校内の喧騒に紛れて消えていった。
ビックリするくらいなにも噛み合わないな、なんだこいつら。ところで四ノ宮さんも星野に居て欲しいと思う事ってあるんですね。
もうちょっと四ノ宮側で話が続きます。
 




