第16話 冷たい手
ヒロインの出番来た〜!
「えっと……?一人来てない……あれ?ち、ちょっと待ってね?確認してくるから!」
入学式が始まる数分前、割り当てられたそれぞれの教室に集まった新入生。
それらを纏める為に教室に入ってきた担任となるであろう先生は、全員を席に座らせた後で一番前に空いた席がある事に気づく。
慌てた様子で教室から出て行った先生を見送り、伊緒はひっそりとため息を吐いた。
先生が居なくなったのを良いことに教室内は少し騒がしさを取り戻し、それは伊緒の周囲も同じだった。
大抵のクラスメイトはまだお互いに名前も把握しきってない様な相手だろうけれど、中には高校以前から顔を知る者も居るだろう。
ぼんやりとそんな事を考えていた伊緒にとってもそれは同じで、このクラスにはよく知る相手が居る。
一人は「居てよかった」一人は「何で居るの?」とそれぞれに抱く感想は全く違うところだが、それでも知った顔が居るのは心強い物だ。
ただ何の運命のいたずらなのか、よりに寄って伊緒が一番心待ちにしていた男の子はまだ学校に来ていなかった。
「赤瀬まだ来てないんだ、遅刻とかするタイプじゃないのに、珍しい」
他の生徒たちに紛れて自身の席に寄って来た親友の口から出た意外な名前に、伊緒は思わず聞き返した。
「赤瀬……」
「って、誰だよ?」
悠岐が直球にそう聞き返すと、美香が少し肩をすくめた。
「あれ?二人とも知らないんだっけ、いっちゃんはともかく悠岐は──」
「……知ってる。一応……とも、だち……」
まさか蚊帳の外にされそうになるとは思っておらず、伊緒はポツリと言い返した。友達、という言葉に自信を持つことは出来なかったが。
「……いっちゃんが男子生徒を友達って言うの珍しいね」
「男かよ」
それも悠岐の前で、となるとまず無かった事だ。
ただ、ある程度自身の事情を知っている筈の美香ですら自然な態度でそう言ってしまう姿を見て、伊緒は改めて自分の人間関係は酷く希薄な物だと周りから思われている事を再認識した。そしてやはり、それを否定できることでは無い。
「あのな、よく分かんねえ奴を友達とか言うのはマジで止めとけ」
「悠岐は相手が男子だと絶対そう言うじゃん」
「当たり前だろ、俺の目に入らない所で寄って来てる時点で下心しか見えねえよ。てか美香、お前にも言ってるんだからな?両方にちょっかい掛けるとかロクな奴じゃないだろ」
言われてみれば、と伊緒は少し美香に視線を移した。こう見えて物静かで内気な面がある美香が、自分たちの知らない間に男子生徒と仲を深めているのは、相手が誰であれ珍しいことだ。伊緒には自分も人のことを言える立場ではない自覚はあるが……。
伊緒は想い人の不思議な魅力に少し感心を覚えながら、二人のやり取りを聞き流す。
「赤瀬はそういうタイプじゃないよ〜」
「ならどんな奴だよ?」
「えっ?うーん……全体的に一回り大人しい悠岐」
「なんだそれ……?」
「……それは、赤瀬くんが可哀想」
伊緒は彼の名誉を考えて、流石に悠岐と一緒にされるのは嫌がりそうだと思って口を挟んだ。
「そっか。ごめん赤瀬、悠岐と比べたら大体皆大人しいかも」
本人はここに居ないから謝っても聞こえない。
なので伊緒はすぐに、悠岐へのちょっとした皮肉だと気付いてごく微かに笑みを零した。
「どういう意味だそれ?」
「別に〜。悠岐はもっと偏差値高い所行けたもんね〜アタシと違って」
「まあ……でも伊緒の志望校だからな」
「高校くらいは自分の行きたいところ行けば良かったんじゃないの?」
「いや、伊緒と離れる訳には行かないだろ」
伊緒も美香も、彼が何を持って「離れる訳には行かない」とまで言うのか理解が及ばなかったのでそれは無視した。
その後も二人は少し話をしていたが、先生が戻って来る頃には流石に皆が席に戻っていた。
「えー遅れてごめんなさい。一人ちょっと、トラブルで来られるか分からないそうなので、今日はこのまま進行します」
先生はトラブル、という一言で済ませたが果たして彼にどんな事が起こっているのか。伊緒は気が気じゃなかったが、時間はいつもと変わらず進んでいく。
周囲の話が耳に入らないまま、入学式を行うために体育館へ向かう。
ほとんど話を聞いていなかったから前の人に合わせて同じ動きしたり、大人の長話を延々と聞かされる時間が続いた。
昔から変わらない定型文を言うだけの自己紹介も、今後興味を持つ機会も無いであろうクラスメイトの自己紹介にも関心は向かず……。
伊緒は結局、会いたかった人の顔を見ることすら出来なかったことく気落ちしたままの半日を過ごすことになった。
その日、高校での日程を終えてからすぐに、美香が誰かから届いた連絡を見て目を丸くした。
「えっ、ちょっとごめん二人とも、先帰ってて!」
「……?」
「どうした急に?」
悠岐がそう聞き返しても、美香は荷物をまとめる手を止めない。
「お姉ちゃんが倒れて救急車で運ばれたって。お母さんが様子見に行けないから、アタシ行ってくる」
「俺達は……邪魔になるか。分かった、先帰ってるよ、状況分かったら俺達にも連絡……って、人が話してんのに無視かよ」
「……急ぎ、仕方ない」
「ま、そうだな。俺達は帰るか」
悠岐が何気なく呟いた時、近くに居た数人の男子生徒が話していた二人に目を向けた。
「あっ、四ノ宮さん帰るの?」
「帰りに軽い親睦会みたいなことしたいんだけど、四ノ宮さんも来ない?」
「おい男ども、何で伊緒しか誘わねえんだよ?そもそもさっきから──」
男子生徒達に悠岐が突っかかっていった姿を横目に通学用のショルダーバッグを手に取った。大きさの割に重さはないそれを肩にかけて、一人教室を出る。
校舎を出る頃には悠岐が隣に戻ってきて、校門を出ると悠岐は伊緒の手を取り、当たり前の様に優しく握った。
「ったく、あいつらもうしばらくは懲りないだろうな。気をつけろよ」
「……大丈夫」
「どっから来るんだよその自信。あのな、伊緒はもう少し自分がいかに美少女かって事を自覚した方が良いと思うぞ?」
時々という程ではないが、伊緒は自身に素直な言葉で好意を伝えてくる悠岐を羨ましく思うことがある。
「例えば朝話してた…………えと……」
「……赤瀬、くん?」
「そうそれ。そいつみたいなのもそうだけどな、お前に寄ってくる奴ってのは──」
そんな悠岐の話は左から右へと聞き流しながら、伊緒はふと物思いにふけった。
もしも理桜が自身に初めて話しかけて来た時、彼が悠岐の言う様な下心を持っていたら、自分は彼に好意を抱いていただろうか……と。
いつも冷たい指先は悠岐の手を握り返す事を知らないかの様に脱力している。
馴染み切った触れ合う手の温度に抵抗感は無く、ある種の日常の一部となっていた。
いつの間にか悠岐は話を終えて静かにしていたが、伊緒はまだ理桜の事を考えていた。
しばらく考えて辿り着いた結論は「恐らくもっと早く付き合えていた」だった。
形が何であれ彼が自分に少なからずの想いを抱いていたのなら、両想いだっただろう……と。
伊緒には、どうしても彼に強い気持ちを持たない自身の事を想像出来なかった。
例えばこの冷たい手を握っている相手が理桜であると想像した時──
「……〜〜っ!?」
「うわっ、どうした急に?」
伊緒は、不意に自身がしていた想像に強烈な恥ずかしさを覚えて、咄嗟に悠岐の手を振り払った。
急激に上がった体温はすぐに落ち着いたものの、突然振り払った事をどう誤魔化せば良いかと冷や汗を浮かべた。
「あらあら、もう、別に繋いでて良かったのに」
すると伊緒が口を開ける前に、近くに止まっていた見覚えの無い車からグラマラスな女性が姿を見せた。
「……お母さん」
「生美さん見てたんですか……って、何だよ伊緒、もしかして今更恥ずかしがってんのか?」
伊緒はそっと視線を逸らした。
すると、くつくつと笑う母と幼馴染みが視界の端に映ったので、バレない様に誤魔化す手間が省けたと安堵の息を吐いた。
「あ、てか生美さん、なんすかその車」
「ああそうそう。ごめんね雪ちゃん、車乗せてもらっちゃって」
「いえいえ、私もこっち来たら用事思い出したんで」
見るからに高級そうな車の中から、女性の声が聞こえた。
俳優の仕事をしている生美には専属のマネージャーが着いているので、伊緒は他人の車に乗って帰ってくる母の姿を見慣れている。
けれど今回は知らない車、知らない声だったので伊緒はこっそり隣にいた悠岐を肘で小突き、中を見る様に促した。
悠岐は一瞬だけ伊緒と目を合わせると、すぐに意図に気づいて立ち位置を変え始めた。
挨拶をする生美の横からこっそりと車を覗き込んだ悠岐は……しばらくの間、運転手の女性に見惚れていた。
「じゃ、娘さん達もまた今度、機会があれば」
それだけ言って暗い窓の奥で手を振るシルエットを見送ると、隣に戻って来た悠岐が顔を近付けてきた。
「……誰?」
「才羽雪」
それは時事や流行にあまり興味のない伊緒にとっても、その名前は聞かない日がない様な人だった。
「……本人?」
「本人本人、ガチで」
「…………」
悠岐と顔を見合わせて驚きを共有していると、彼の後ろで何処となくドヤ顔をしている母を見つけて、伊緒は少しだけ煩わしさを覚えるのだった。
意外にちゃんと仲良い幼馴染みなんですよ、この二人。
伊緒の視点はまだ続きます。




