お菓子好きな妖精とお友達になったと思ったら、いつの間にか隣国の王子様に見初められていました
ライセル王国。精霊達が作り出した国の一つ。しかし科学技術が進歩する中で、王国は大国の地位を得たが、代わりに不思議な存在はほとんどいなくなった。今も精霊は信仰を集めているが、多くの人があくまでもお伽噺の世界だとも思っている。
それはさておき、そんな王国の王都郊外。とある屋敷の一室で、一人の少女がマドレーヌを焼いていた。
「うーん、良い香り! 大成功だわ!」
卵とバターの甘い香りに歓声を上げるのはヴィオラ。ライセルでも知られた名門商家、ブレトン家の長女だ。
幼い頃に母を病気で亡くした彼女が母から受け継いだのは、カスタード色の滑らかな髪と、お菓子作りの腕前に、小さなキッチンの付いた私室。
商家の令嬢として忙しい日々の合間に彼女が焼く焼菓子は、ブレトン家を訪問する客達に大人気。もっとも彼らはそれをヴィオラが焼いたとは知らなかった。なぜなら……
「ヴィオラ! またマドレーヌなの? シェルフィ伯爵夫人には前もマドレーヌをお出ししたじゃない、気が利かないわね! まあ良いわ……もらってくわよ」
そう言って味見もせずにマドレーヌを皿ごと持っていくのはジュリア。ヴィオラの母が亡くなったすぐ後に、父が再婚した相手との間に生まれた妹だ。
奇しくもライセルは空前のハンドメイドブーム。自尊心の高いジュリアと、彼女に良縁を掴ませようと必死の継母は、ヴィオラの菓子を利用して、「可愛く、そして家庭的なジュリア」を演出し、ライセル社交界から早くも注目を浴びていた。
最初はヴィオラも抗議していたがすぐに諦めた。背が高く、どちらかと言えばきつい印象のある顔立ちの彼女が、清楚でふんわりとした容姿のジュリアに強く抗議すると、まるでいじめているように思われる。
その上、一人目の妻とはそりが合わなかったらしい父は、ヴィオラに冷たく、その分ジュリアには甘い。
味方のいないブレトン家で、ヴィオラがお菓子作りを楽しめる理由が、皮肉にもジュリアがリクエストするから、ということもあり、結局ヴィオラは現状に甘んじているのだった。
「……さ、お片付けをしないと」
家族と、現状を変えられない自分にモヤモヤを抱えつつ、そう呟くヴィオラ。と、そこで彼女はフワフワ、というよりフラフラと飛行する小さな物体を見つけた。
「あ、あなた誰? と言うか大丈夫?」
よく見るとその物体は真っ赤なドレスを来た掌程の女の子。思わず両手を差し出すと、彼女はフラリ、その上に着地した。
「……」
「どうしたの?」
「おなか……すいた。まいごなの」
「えーっと……、そうだわ、さっき焼いたマドレーヌがあるけど食べる?」
「うん……たべる」
マドレーヌ、と言う言葉にさっきより少しだけ元気よく返事をした女の子をテーブルにそっと座らせると、ヴィオラは自分用に一つだけ隠しておいたマドレーヌを取ってきて、小さくちぎって差し出した。
「このくらいの大きさで食べられる?」
甘い香りに誘われたのか、くったりと瞑っていた目を開いた女の子はパクリ、とマドレーヌにかぶりつく。とそこから小さな口を大きく開けて、猛然とマドレーヌを食べ始めた。
「これ、あなたの手作りね! とっても美味しいわ」
「そ、それは良かったわ……。まだたくさんあるからゆっくりね」
そう言いながら、またマドレーヌをちぎって彼女に差し出す。なんだかんだでマドレーヌを一つ食べきった女の子は見るからに元気になり、体はほのかに赤く光っていた。
「ありがとう! えーっと」
「あっ、挨拶がまだだったわね。ヴィオラよ、よろしくね」
「ヴィオラって言うのね。私はフレーズ、よろしく」
そう言うとフレーズは背中の羽根を羽ばたかせ、ふわっと宙に浮き、ヴィオラの周りを飛び回る。
その不思議な光景に、今更ながら混乱してきたヴィオラは、思わず矢継ぎ早に質問を重ねた。
「ね、ちょっと待って。あなた何者? 妖精なの? それにどこから飛んできたの?」
「私はフレーズよ。妖精ねぇ……だいたいそんな感じ。いつもはロイドって子の家に住んでるんだけど、お散歩してたら方向がわかんなくなっちゃって……東ってあっちよね?」
「向こうは西よ……」
どうやらこの妖精、空を飛べるが方向音痴らしい。それで家に帰れなくなり、空腹で弱っていたのだろう。
「あっ、本当だ。ありがとう、ヴィオラ。私、あなたとあなたの作るお菓子が気に入っちゃった! また来るわね」
ふわりと窓の方へ飛んだフレーズはそう言うと、換気のために開けていた小さなまどから飛び去っていく。ヴィオラはしばらく現実を受け入れられず呆然としていた。
それからフレーズは、本当にちょくちょくとヴィオラの元を訪れ、お菓子をねだるようになる。ヴィオラはその時間をとても楽しみにするようになった。
人形用の小さな食器を小さな手で使い、お菓子を食べるフレーズは可愛い。それに、目の前で美味しい、美味しい、と言いながら自分の焼いた菓子を食べてもらえるのも嬉しい。
それにフレーズは新しい出会いも連れてきてくれた。
「そうだ、ヴィオラ。今日もお手紙を預かってるわよ、手を出して」
そう言われるままにヴィオラは両手を差し出すと、ポスン、と音がして便箋が掌に落ちる。それはフレーズの友人、ロイドからの手紙だった。
ロイドとはフレーズを助けたお礼の手紙が届いて以来、やり取りが続いていて、いまでは文通友達。その上お土産と称して、ヴィオラが焼いたお菓子を持ち帰るフレーズによって、ロイドもまたそのファンとなっていた。
「『この前はキャロットケーキをありがとう。とても美味しかったよ。人参があんな美味しいケーキになるなんて信じられない。ヴィオラはまるで魔法使いだね。一緒に送ってくれたレシピを見ながら僕も作ってみたけど、やっぱりヴィオラと同じようにはいかないな。フレーズには正直に『ヴィオラのケーキの方が美味しかったわ』って言われちゃったよ。
我が儘かもしれないけど、また作ってくれると嬉しいな。ヴィオラのケーキはいつも優しい味がするんだ。きっと作ってる人がとっても優しい人だからだろうね。いつかヴィオラに会うことが出来れば、と思っているんだけど……ヴィオラはなかなか外出出来ないんだよね。きっといつか迎えに行くからその時まで待っていて……』だって、相変わらず情熱的ね」
「ちょっと、フレーズ! なに勝手に人の手紙読み上げてるの!」
「ごめんって、でも本当にロイドはヴィオラが大好きね」
開いた手紙を覗き込まれ、いつの間にか読み上げられていたヴィオラは、顔を真っ赤にして怒った。
ロイドは王都に済む貧乏貴族の次男らしい。フレーズの友人とだけあって、お菓子もお菓子作りも好きらしい彼は、いつもヴィオラのお菓子を手放しに褒めてくれる。
そんな彼との文通内容は季節の挨拶に始まり、お菓子の感想に、レシピを教え合ったり、アドバイスを送りあったり。
そして仲良くなるにつれて、ヴィオラは自分の境遇や、うまく行かない現状への悩みや愚痴を手紙で零すこともあった。
そんな中身の時でもロイドは優しく慰めてくれ、そしていつかブレトン家から連れ出して、自由にしてあげる、と言ってくれる。
すでに文通を始めて数ヶ月。顔も見たことはないが、ヴィオラにとってロイドはなくてはならない存在になり始めていた。
フレーズと出会い、一年以上。お菓子作りもフレーズとのお茶会も、そしてロイドとの文通も変わらない。
しかしそんな平和な日々は、普段ほとんどヴィオラと話さない父からの、突然の呼び出しで崩れた。
「喜べ、お前の婚約がようやく決まった」
「婚約ですか!」
ヴィオラは思わず大声を上げる。
「やかましいぞ、ヴィオラ! お前は貰い手が現れなかっただけでとっくに適齢期だろう? それもと誰か良い人でもいるのか?」
「そ、それは……」
一瞬ロイドのことが頭によぎるヴィオラだが、続けようとした言葉は父により遮られた。
「まあ、いたところでどうにもならんのだがな。すでにこれは決定事項だ。明日の昼、お相手がうちへいらっしゃる。名前はそう……レーベナー子爵といったかな。貴族だが随分と金に困ってるらしい。持参金を少しだけ弾んだらいたく喜んで結婚を了承してくれた。これで我が家も晴れて貴族の仲間入りだ」
古株の商家であるブレトン家にとって、上流階級への仲間入りは何代もの念願。父が最近よく王都の社交界に出入りしている、との噂は聞いていたが、そういうことだったのか、とヴィオラは嘆息した。
「と、言うわけだ。明日は何があっても子爵の機嫌を損ねないようにな。ようやくお前も我が家の役に立つんだ」
そう尊大に言い放つと、呆然とするヴィオラを置いて、父親は書斎を出ていった。
「ヴィオラー! 大ニュースよー! ……ってなんだか元気がないわね。なにかあった?」
「あのね、私……結婚しないといけないみたい。お父様が婚約をまとめたようだわ」
なんとか私室に戻ったヴィオラの元へ飛び込んで来たのはフレーズ。その姿を見て安心したヴィオラは、思わず涙を零しつつそう、呟いた。
「えー! また急じゃない。ヴィオラはロイドのお嫁さんになるって思ってたのに……ちなみに相手の名前は?」
「レーベナー卿。子爵だそうよ」
力なく答えるヴィオラに、フレーズはピクッと固まり、それから満面の笑顔になった。
「ヴィオラ! それならとっても良いニュースよ。レーベナー子爵といえばロイドの2つ目の名前だわ」
「ふ、2つ目の!?」
「名前が2つあるのも変な感じだけどね。お仕事で使うんだって……とにかくロイドはたまにそう呼ばれてるし、それにヴィオラを迎えに行く準備ができたって言ってたわ。だからあなたの婚約者はきっとロイドよ!」
婚約者がロイド。その言葉に沈んでいた心が一気に晴れ渡り、同時に鼓動が早くなった。
「ね、大ニュースでしょ?」
「え、えぇ! そうねフレーズ。……私明日お菓子を焼くわ。心を込めて、ロイドに喜んでもらえるものを」
「やったー! 私の分もあるわよね?」
「ふふふ、もちろんよ、安心して」
調子の良いフレーズに、泣き笑いのヴィオラがそう微笑みかけた。
翌日、宣言どおりヴィオラはお菓子を焼いた。
バターたっぷりの生地はサクサク、その上には卵とミルクの甘い香りのする濃厚なカスタード。さらにその上には真っ赤な苺が整列している。
一口頬張れば甘酸っぱい苺と、甘いカスタードが口一杯に広がる苺のタルトの出来栄えに、ヴィオラはため息をついた
「これならきっとロイド様も喜んでくれるわ。苺が好物だっておっしゃってたしね」
好きな食べ物を聞いたら、『苺』と返ってきて、綺麗だが硬質な文字とのギャップに笑ってしまったのも良い思い出。
そろそろいらっしゃる頃かしら? と心を弾ませていると、急にノックもなく部屋のドアが開かれた。
「ヴィオラ! やっぱりお菓子を焼いていたのね。ちょうど良いわ、レーベナー子爵とは私が結婚するわ」
「はい?! ジュリア、何を言っているの?」
昨日の晩餐でヴィオラの婚約話が出たときは「いくら爵位があっても貧乏貴族なんて……」と、あからさまにレーベナー子爵をばかにしていたジュリアの変わりように、ヴィオラは唖然とする。そんなヴィオラの問いにジュリアは興奮気味に答えた。
「子爵様が想定より早くいらしてね、さっきお父様とお話してるのをこっそり覗いてきたの。そしたらね……子爵様、とんでもない美形だったのよ! それに貧乏ってのきっと嘘だわ。すごく良い服を着ていたもの! あれはちょっと背伸びして買える品ではないわよ」
「そ、そうなの?」
「ええ! あんな好物件ヴィオラにはもったいないわ。だから私に頂戴! 代わりにヴィオラがお婿さんを貰えば良いから」
矢継ぎ早にまくしたてるジュリア。彼女はいつもそうだ。おもちゃ、ドレス、友人。ヴィオラのものは全て奪っていく。でも……
「だ、駄目よ! 子爵様と婚約することになっているのは私だもの」
最近では珍しくなったヴィオラの反論にジュリアは「ふーん」と目を細めた。
「あら……やっぱりヴィオラもお金持ちの美青年には興味があるんだ。気持ちは分かるわよ、でもだーめ。幸せは全て私のもの! みんな、やってしまって」
「な、なにをするの、みんな!」
意地悪く笑ったジュリアが、控えていた侍女たちに指示をする。すると彼女達が一斉にヴィオラを縄で縛り始めた。まさか自分の家の使用人に縛られる、と思っていなかったヴィオラは、あっという間に動きを封じられてしまった。
「ふふふ、悪く思わないでね。子爵様との話がまとまったらすぐに開放してあげるから。じゃあお菓子はもらっていくからね」
そう言うとジュリアはタルトの載った皿を持って彼女の部屋をあとにした。
「そんな……いくらなんでも酷いわ……」
「ヴィオラ! 大変よ、ジュリアが苺のタルトを自分が作ったものだって嘘ついて……ってどうしたの!? まさかジュリアが?」
一人残された部屋でどうすることも出来ず、涙を流すヴィオラのもとへ、フレーズが大声を上げて飛んでくる。
彼女の様子を見て驚いた様子のフレーズに、ヴィオラは力なく頷いた。
「酷いわね……流石にここまでされたら黙っていられないわ。待っててね、ヴィオラ。すぐ自由にしてあげるから」
「で、でもフレーズ? その身体じゃ」
いくらなんでも小さすぎて縄を解くのは無理では? というヴィオラの疑問にフレーズは澄まし顔を作る。
「大丈夫よ、精霊はなんでもできるの。さ、始めるわよ!」
「せ、精霊!?」
唖然とするヴィオラの周りを、フレーズは何度も飛び回る。すると彼女を赤い光の粒が包み込み、縄が緩んだかと思うと、そのまま身体がフワッと宙に浮いた。
「キャ、キャァ! 何をしたの? フレーズ」
「うわぁ! フレーズ! いくらなんでもこれはやりすぎだろう? ヴィオラさんがびっくりしてるじゃないか」
身体が空中に浮かぶ感覚に、思わず目を閉じたヴィオラが、ポスンと着地したのはブレトン家の応接室。
目を開けると、そこには彼こそが精霊なのでは? と見紛う程美しい、黒髪の美青年がこちらを伺っていた。
「ろ、ろいど様?」
「そうだよ、ヴィオラさん。フレーズが驚かせて済まないね。立てるかい?」
「は、はい。んっ!」
慌てて立ち上がろうとするヴィオラだが腰が抜けてしまい動けない。
そんな彼女にロイドは優しく手を差し伸べつつ、彼女がさらに驚愕する名を名乗った。
「急がなくて良いよ、ゆっくりね……そうそう。初めましてヴィオラ・ブレトンさん。こうして実際に合うのは初めてかな? ロイド・ド・フェンジェルベルだ。どうぞよろしく」
「フェンジェルベル……フェンジェルベルの王太子殿下!? あ、その……ヴィオラ・ブレトンにございます。どうぞ見知り置き下さいませ」
フェンジェルベルは、ライセルと海を挟んだ南に位置する小国だ。「精霊に愛された国」の異名を持つそこは、今でも精霊の目撃談が多い不思議な国とされ、精霊を信仰する国々にとっては畏敬の対象でもある。
そんな国の王子と文通をしていた、ということを知り、またしても腰を抜かしそうになったヴィオラ。しかし、なんとか自分を叱咤し、王族に対する深い礼をとった。
「いつもお手紙ありがとう、それにお菓子も。さっきいただいたタルトもとっても美味しかった。苺が好きって覚えていてくれたんだね」
「は、はい。ロイド殿下とのお手紙はみんな覚えていますわ」
「それは光栄だね。可愛らしすぎる好物だからあまり人には言ってなかったんだけど、好きな人に覚えてもらえるのは嬉しいね」
「す、好き!?」
「そう、僕はヴィオラさんのことが好きだ。今日はあなたを迎えに来たんだ」
そう言うと、ロイドはさっとその場に跪いた。
「ヴィオラさん。あなたを生涯愛すると精霊に誓います。どうか、フェンジェルベルに来て、私の妃になってはいただけませんか?」
美貌の王子、それ好きな人の求婚。しかし彼女はただそれを喜ぶことは出来なかった。
「大変光栄なお申し出にございます……しかし私は一介の商家の娘。殿下とは身分があまりにも違います。きっと周りが許してくださいませんわ」
そう言うヴィオラだが、王子はキラキラした笑顔で彼女の不安を一蹴した。
「それなら問題ありません、ヴィオラさん。なんといってもあなたは『精霊のお気に入り』ですから」
「『精霊のお気に入り』?」
「えぇ、あなたはフレーズと話せるでしょう? 精霊に愛された国とは言え、今でも精霊と会話が出来る人は片手ほどしかいません。国民はあなたのことを大喜びで歓迎してくれますよ」
「本当……ですか?」
「ええ。ですからあとはあなたの気持ちだけ。どうか、私の手を取っていただけませんでしょか?」
「そういうことでしたら……喜んで!」
「ヴィオラ!」
見つめ合うヴィオラとロイド。とそこで急に怒鳴り声が二人の間に割って入った。
「いけませんわ! ロイド様。ヴィオラは貧乏貴族との結婚が嫌で、あなたとの顔合わせをすっぽかそうとしたのです。それなのにあなたが王子だと知った途端求婚だなんて……」
「おや……求婚しているのは私なのですが……まあ良いでしょう。それでジュリアさんは、ヴィオラさんが私が嫌で逃げようとしていた、とおっしゃるのですか?」
「えぇ、もちろん!」
「精霊の前で隠し事はおすすめしませんよ」
「精霊? そんなものお伽噺の存在でしょう?」
あからさまに精霊を馬鹿にする態度にロイドは表情を険しくすると、側を飛ぶフレーズに
「仕方ない……頼むよ、フレーズ」
と囁いた。
すると突然応接室の壁がグワンと歪み、そこへ何かが映し出される。それはさっきのヴィオラの部屋での出来事だった。
『ヴィオラ! やっぱりお菓子を焼いていたのね。……』
ジュリアが部屋に来てから、ヴィオラを縛るまでバッチリ写った映像にジュリアは思わず後ずさりし、テーブルにぶつかった。
「な、何よ、これ!」
「私はこの映像をいつ、どこででも流せます。『優しいジュリア嬢』としては困るのでは?』」
「そんな!」
「それが嫌でしたら、これ以上ヴィオラを傷付けないことです。ああそれと……」
ジュリアを追撃した王子はさらに奥のソファで固まっているヴィオラ父継母にも冷たい視線を投げた。
「もう少ししたら城から官吏が到着するはずです。かなり派手に税をごまかしていたようですからね」
「な、なぜそれを! いや、それは……」
「今更繕っても無駄です。女王陛下はずいぶん前からお疑いでしたよ」
そう言っているといくつもの馬車の音が外が聞こえてくる。城から来た官吏達だろう。
「さ、ヴィオラ。なんだか慌ただしくなりそうだし、とりあえずこの家を出ようか?」
「は、はい! ロイド様」
止めようとする使用人たちにも構わず、屋敷入ってくる官吏に逆らうようにして、ロイドと共にヴィオラは屋敷を出たのだった。
「ヴィオラさん。そろそろ焼き上がるみたいね。ふふふ、ライセル仕込のビスケット、楽しみだわ」
「はい、お義母さま。とっても良い匂いです」
柔らかい笑顔が印象的なロイドの母、ライサに微笑まれ、ヴィオラもまた笑顔を返す。
「ヴィオラのビスケットは絶品なのよ! 早く食べたいわ」
「フレーズ、急がないの。ライサとヴィオラが困るでしょ」
その周りでは、待ち切れないとばかりに声を上げるフレーズを、ライサの友人の精霊、オロンジュが諌めていた。
あのあとヴィオラはロイドと共に、ライセルの王城へ向かった。『精霊のお気に入り』として、女王との謁見も果たしたヴィオラは、同時に事の真相も聞いた。
ロイドはやり手と名高いライセルの女王の元で、為政者修行をしていたらしい。その課題の一つがブレトン家の不正調査だったそうだ。
正体を隠し、ライセル経済界に潜入している最中に、フレーズとヴィオラが友達になったのは、まったくの偶然だったという。
なにはともあれ、大規模な不正が発覚したブレトン家は王族御用達を剥奪される。突然の醜聞に商会は揺れ、ブレトン家は経営者の座から引きずり降ろされた。商会は女王が信頼する人間のもと、再建中だという。
一方女王の計らいで、彼女直属の侍女から花嫁教育を授けられたヴィオラは、その振る舞いを一段と洗練させて、ロイドと共に海を渡った。
浮いた話のなかった王子の婚約者が、『精霊のお気に入り』だったといいうことで、ヴィオラは想像以上の大歓迎を受けた。
ロイドの父アンリは、国王らしい威厳を持ちつつも、普段は茶目っ気のある愛妻家。そして『精霊のお気に入り』である母ライサは、公の場ではキリリとしつつも、普段は優しくてお菓子作りが大好きな女性。
どこか実母を思い出させるライサに、ヴィオラはあっという間になつき、忙しい日々の合間を縫っては、共にお菓子を作るようになった。
ロイドの兄弟、レオンとベルもヴィオラのことを随分と慕ってくれる。新しい家族を得てヴィオラは幸せ一杯だった。
「ヴィオラ! すまない、また間に合わなかったようだ。それは……ビスケットだね」
「ロイド様! お忙しいのですからお気になさらないで下さい。それに今でしたら焼きたてを食べていただけますわ」
国に帰ったら一緒にお菓子を作ろう、と約束していた二人だが、王族の結婚はとにかく準備することが多い。
特にこれまでライセルにいた分、フェンジェルベルでの足場づくりをしなければならないロイドは、かなり忙しい日々を送っている。
お菓子を焼くどころか、食事もなかなか一緒にとれない二人だが、とはいえロイドは忙しい日々の中でも、こうして短時間でもヴィオラとの時間を作ってくれていた。
「それは楽しみだね……うん! サクサクしていてとっても美味しいよ。ほらヴィオラも一緒に食べよう?」
「良かったですわ! ……え、とそれは?」
ロイドの言葉に笑顔をはじけさせるヴィオラだが、そのあとビスケットをもう一枚手にとり、ヴィオラの口元へ近づけるロイドには、困惑した表情を見せる。
しかしロイドは、いつの間にかビスケットを持っていない方の腕でしっかりと腰を抱いており、二人の距離はぐんと近くなった。
「父上と母上はよくやっているよ。ほらヴィオラ、口を開けて?」
「い、いやでも、フレーズが……ってどこにいったの?」
義母はビスケットがたっぷり載った皿を手に、夫がいる執務室へ差し入れにいったが、フレーズはまだそのへんを飛んでいるはず。そう思ったヴィオラだが、空気の読めるフレーズは恋人たちの時間を邪魔しまい、とどこかへ姿を消してしまっていた。
「ほら、誰も見ていない。ね、ヴィオラ? あーん」
「お、おいしいですわ」
結局ロイドにビスケットを食べさせてもらったヴィオラは、顔を真赤にしつつも、バターが香るビスケットの味に顔を綻ばせる。
そんな彼女を可愛くてい仕方がない、と言うように見つめるロイドの視線は、どんなお菓子にもまして甘い。
束の間の逢瀬を楽しむ恋人達の周りを、いつの間にか戻ってきたフレーズが、楽しそうに飛び回っていた。