お分かりいただけただろうか?【完】
翌日。教室の栗原さんに昨日までの明るさはなかったけれど、世界の終わりの様相でもなく、失恋前よりはちょっと暗めぐらいのさじ加減だった。坂上さんの感情吸引は、きっと上手く行ったのだろう。
それはそうと、僕の方をちら見しながらひそひそ話すクラスメイトたちが鬱陶しかった。坂上さんといっしょに帰った件が、もう知れ渡っているらしい。
昨日、彼女と別れたあと。路地裏で呆けていた僕のスマホに叔父から着信があった。
「──そっちは大丈夫か?」
僕と叔父は確かに、秘匿された常世神信仰の存在について仮説を立てていた。だけど、まさか現在進行形で大規模に──しかも中心には本物が据えられ──街に潜んでいるとまでは予測もしていなかった。
興奮冷めやらぬ様子の叔父にどこまで明かすべきか迷いつつ「こっちは大丈夫」「怖い人たちは来なかった」と伝える。
僕らの生まれ育ったこの街に、地域密着系のホラーでよくある「その街では行方不明者が全国平均より多い」的なネガティブな話は一切ない。
むしろ幸福度や平均寿命は国内トップクラスだ。──このへんの結果に、何らかの形で信仰が影響している可能性は否定できないけど。
「──例の女の子から、何か接触は?」
あの夜の少女が常代大社の娘とよく似ていた、ということは軽く話してあった。
「坂上さんとは、さっきまで一緒にいたよ。ちょっと、色々あったけど……」
「けど?」
叔父は僕にとってヒーローだ。それでも。
「……何があったかは、秘密にしていいかな?」
しばらく、耳元のスピーカーは沈黙した。
何かを言いかけて留まるような息遣いが、数度聞こえた。
「脅されたりしているわけじゃ、ないんだな?」
「うん、大丈夫。危ないことはもうない。──叔父さん直伝の護神術もあるし」
「……わかった。早人を信じるよ」
甥っ子、ではなく、名前で呼んでくれた。
それから叔父は、少しためらいながら言葉を続ける。
「こういう話は、したことなかったな。俺の初恋のひとも坂上って苗字だったよ。そう、常代大社の娘さんでね、おそろしく綺麗な子だった」
年代的に考えて、それが坂上さんの母親──先代の依代なのだろう。
「そういえば似てたな、あの女の子。……ま、俺はけっきょくまともに話すこともできなかったけど」
もしかすると。
日本中を飛び回るオカルトライターの叔父が、地元の常代大社を掘り下げずに放置してきたのは、そこに振り返りたくない感傷があったからなのかも知れない。
──ともあれ、叔父にデートの行き先を相談するのは、やめておこうと思った。
そんなこんなと色々がぐるぐる渦巻いて、なんにも授業が頭に入ってこないまま、気付けば放課後になっていた。
鞄を手にそそくさと教室を出て、足を昇降口とは逆の図書室へと向ける。色々を踏まえて、郷土史を改めて調べ直したかった。
しかし、僕の歩みはその直後にぴたりと停まる。前方に坂上さんの姿が見えたから。
今日も天使のように愛らしくも美しい、僕のか……かっ……クッ……!?
なんてことだ。「僕の彼女」というフレーズがあまりにもあまりにもすぎて、脳内に浮かべることさえリミッターが掛かってしまう。いまのも括弧で隔離してようやくだ。
我ながら、よくもまあ告白なんて出来たものだ。
前後の記憶もふわふわと曖昧だし、何なら昨日の出来事がすべて僕の妄想だったとしても、驚きはない。
だから彼女に声をかけたくとも、喉が詰まったように何の言葉も出てこなかった。
軽やかな足取りでまっすぐ歩いてくる坂上さんもまた、こちらにいっさい視線を向けない。
呆然とする僕の目の前まで来て、ようやく彼女の桜の花びらみたいな唇は美声を発した。
「いっしょに帰りませんか?」
昨日と同じセリフ。でも違う。坂上さんの言葉と視線が向かう先は、僕の後方。
「──栗原さん」
ちょうど教室から、下を向いて廊下に出てきた栗原さんに向けられたものだった。
そうしてほんのわずかも歩調をゆるめることなく、甘い香りのそよ風を残して彼女は、僕の真横を通り過ぎて行った。
また、ひそひそ声が聞こえる。今日も誘われると期待して、まんまとスルーされた哀れな勘違いくんを、笑わば笑うがいい。
僕は図書室へ向かって歩き出す。うつむいて、足早に。
ゆるんでしまう口元を、悟られないように。
──お分かりいただけただろうか?
いいや、日ごろ鍛えた僕でなければ見逃しただろう。
すれちがう瞬間、彼女のスカートの裾からしゅるりと顔を出した二本の触手が、交差しながら描いた小さな────薄緑色のハートマークを。
ちょっと普通じゃない二人の物語に、最後までお付き合いありがとうございます。よろしければ★にてご評価いただけますと、最高のモチベになります……!