とっても大切なお話があるの
羨望の視線に背中を見送られながら、僕は彼女と並んで校門を出た。
最寄り駅までの道行きで彼女から投げかけられたのは、今日の天気にテストの出来とか、そんな他愛もない話題ばかり。
「──えっ、そうなの! ふふ、おもしろい」
トークスキルとか丸腰の僕は、拡げもせず答えるだけなのに、彼女はちょっとした言葉の端をすくい上げ、驚いたり面白がったりしてくれる。
柔らかな笑い声に耳を撫でられながら、天使の微笑をチラ見しているうちに、もろもろの疑問は薄れて、僕はふわふわした心地よさに支配されていた。
「それじゃあ、お休みの日は何してるの?」
「休みの日は……うーん、だいたいオタ活かな……」
「佐藤くんって、何が趣味なの?」
「オカルトだよ」
「おカルト……?」
「ええと、まあその、要はコワい話系かな。坂上さんは興味ないでしょ……」
「そんなことないよ? 私も怖い映画とか好き。でも、ひとりじゃ見れなくて」
こんど二人で一緒に見ようか? とかいうキラーフレーズが脳内に浮かんだけれど、喉元にさえたどり着かない。僕にそんな意気地があるわけない。
「じゃあずっと、おうちにいるの?」
「たまに、フィールドワークもするよ。心霊スポットとか、あと伝承のある古い神社とか遺跡も見に行ったりする」
「あ、じゃあうちにもそれで来たことある?」
「うん、もちろん!」
坂上鴇子の実家は、由緒正しい神社である。
市街地から三駅離れた、県境に位置する霊峰「上蔵山」。その中腹、数百段の石段の先に、千年以上の歴史を誇る「常代大社」は、厳かな空気をまとって鎮座している。
「最近?」
「うん、あ……えーと、初詣には行ったよ」
少しドキリとしながら、はぐらかす。本当は初詣以外でも、そしてごくごく最近にもお邪魔したのだが、諸事情でそれは伏せておきたい。
ちなみに僕だけでなく、我が校の男子生徒のほぼ全員が常代大社に初詣に行っている。神様ではなく、坂上さんの神々しい巫女装束を拝むため。
「うん、それは覚えてるよ? ようこそのお参りでした」
御守を渡す時のセリフと共に、立ち止まってこちらに深々と頭を下げる彼女。本当に覚えていたのか、なんて疑問は所作の可愛さの前に四散した。
神職は商売ではないから「ありがとうございます」とは言わない。男子生徒たちは全員、この耳をくすぐる優しいフレーズをかけられたくて御守を買うのだ。
「あっ、え、いやそんな、どういたしまして」
返しに困っておろおろする僕に、さらさらと流れ落ちた黒髪のすき間から、上目遣いでえへへと彼女は笑った。
──あああ、心臓が痛い。息が苦しい。坂上さんは僕を殺す気だろうか。
やっぱり彼女の正体は、僕のようなウブな男子を惑わせ地獄に引きずり込む邪悪な存在なのかも知れない。
「どうしたの佐藤くん? どこか痛むの?」
しかし、うつむいて苦悶の表情を浮かべる僕を本気で心配そうに覗き込む彼女は、やはり天使にしか見えなかった。
「ううん、大丈夫……なんでもない……」
そうこうするうち、僕らの足は駅前商店街に踏み入れていた。
まだピークではないけれど、人通りはそこそこある。
ここを抜ければすぐ駅だ。天国のようで地獄のような時間も、そこで終わる。
ふと前方を見ると、酒屋の店前にうず高く積み上げられた黄色いビールケースの塔を、店主のおっちゃんが下から一気に持ち上げようとしていた。
「坂上さん、気を付けて」
その真横を通り過ぎながら、僕が小声で囁いたのとほとんど同時だった。黄色の塔がぐらりと傾いで、二人のすぐ後ろに派手に倒壊したのは。
「こっち!」
瞬間、彼女に腕をつかまれた僕は、酒店と隣の建物の隙間の幅1メートルもない路地に──驚くほど強い力で──引き込まれていた。
「しゃがんでしゃがんで!」
屈みこむ彼女の肩越し、我が校の制服姿の男子が二人、早足で通り過ぎるのが見える。どうやら、僕らを尾行していたようだ。
「──ところで佐藤くん。わたし、あなたにとっても大切なお話があるのだけど」
薄暗い路地にしゃがんで向き合う。僕の目と鼻の先に、坂上さんの整った目鼻がある。
ほんのりと、果実のような甘い匂いがした。
ごくりと生つばを飲み込んだとき、路地の出口ぎりぎりに、酒店の配達用トラックが横付けされる。路地の幅的に開けようがない助手席側のドアで、ぴったりと塞がれてしまった。
「あっ、出られなく……」
「そんなの、いいから。ねえ佐藤くん、ほんとは」
彼女の口元に浮かんだ上弦の三日月みたいな笑みは、さきほどまでの天使のそれとは似て非なる──とても邪悪なものに見えた。
「知ってるんでしょう?」
──そして僕は思い出す。
あの日、常代大社本殿の裏──禁足地の最奥で、目にした恐ろしい光景を。