私のブルースター
「このブルースターの髪飾りはね、お父様とお母様の“求婚の花”なんだ」
「求婚の花?」
「お母様が生まれた隣国のポロックで、男の人が結婚したい女の人のことを例えるお花のことだよ。将来アイラは素敵な女性になる。そんなアイラと結婚したいと思ったポロックの男は、アイラのことを花に例えて結婚を申し込んで来るんだ。そして、もしもアイラがその男と結婚してもいいと思ったらそのお花を模った髪飾りを着けて、結婚したくない時は鳥のモチーフの髪飾りを着けて、求婚のお返事をしに行かないといけない」
「鳥のモチーフ?」
「ポロックにはお花を食べちゃう“ヒヨドリ”って鳥がいてね、街にはヒヨドリの髪飾りがたくさん売っているんだよ。お父様はお母様に『あなたはブルースターのように可愛らしい』って求婚したんだけど、お母様に次会う時、頭にそのヒヨドリの髪飾りが着いてるんじゃないかってとてもドキドキしたよ。でもね、お母様はそのブルースターの髪飾りを着けて会いに来てくれたんだ」
「そんな大切な髪飾りをアイラが貰っちゃって良いの?」
「良いに決まってる! お母様も天国からアイラを見て喜んでるはずだよ」
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私は前フラメル伯爵の娘、アイラ・フラメル。
今日はお父様の4回忌のお墓参りです。お供えするのはお父様とお母様の“求婚の花”ブルースター。ブルースターの花束を見るとお父様から髪飾りを貰った6年前の10歳の誕生日を思い出します。
「お墓参りはいつもブルースターだな」
漆黒の髪を風に靡かせブルースターの花と同じ青い目でこちらを見ているこの青年は、ミルズ伯爵令息ヒューバートです。
タウンハウスが隣で同い年という縁で幼い頃から仲良くしているヒューは、剣術大会で学年一番を取るくらい強く、お父様とお母様のお墓参りの時はいつも私の護衛をすると言い付いてきてくれるのです。
通常、貴族令嬢の外出には護衛が付くものなのですが、両親を亡くし叔父に家督が移った後の私には護衛が付かないのです。
「ブルースターの花束、素敵ね」
そんな私とヒューとの2人が定番だったお墓参りに初めて付いてきたこのご令嬢はバンクス侯爵令嬢リアーナ様。貴族学園の生徒の中で浮いている私に声をかけてくださり、親しくしてくれる不思議な方です。
侯爵家で冷遇されているリアーナ様にも同じく護衛は付いてません。
「ブルースターはお父様とお母様の“求婚の花”なのです」
「まぁ、素敵! アイラのご両親はポロック国とご縁があったのね」
先日の試験も学年で三番を取るくらい優秀なリアーナ様は、隣国ポロックの求婚方法まで知っているようです。
輝くような真紅の髪に、一点の染みもない白い肌、髪よりも明るい赤い瞳は切れ長で形も良く、そんなリアーナ様を見たポロックの男性は皆「真っ赤な薔薇のよう」と例えて求婚するでしょう。平民にありふれた茶色い髪に素朴な顔、青い瞳だけが唯一の取り柄な私には隣に並ぶのも恐れ多い美少女です。
美しいだけではなく学年で三番をとる程勉強ができる上に、最近では私の孤児院の手助けまでしてくれるリアーナ様は非の打ち所のない素晴らしい方です。
そんなリアーナ様に、お墓参りに来て欲しくなかったなんて思っている私の心はなんて醜いのでしょうか。「休日独りは寂しいからお墓参りに同行したいとリアーナ様に頼まれた」とヒューに言われた時、嫌だと断れなかった自分が悪いのに。ヒューと2人きりが良かったと後からうじうじと悩んでいる自分に失望します。
「俺、花瓶の水を替えてくるよ。2人ともここから離れないように」
「お墓の周りの雑草を抜いているから大丈夫よ。リアーナ様はそこのベンチで座って待っていてください」
「私も草抜きするわ。やったことがあるから任せてちょうだい」
ヒューは水場へ行き、私とリアーナ様はお墓の周りの雑草を抜きます。お墓の手入れを放置されるほど使用人を統率できていない家なのだとリアーナ様に知られた事が恥ずかしく、いつもはしないミスをしてしまいました。
「痛っ」
「大丈夫? ノアザミの棘で傷ついたのね。はい、このハンカチ使ってちょうだい」
そう言ってリアーナ様はハンカチを差し出しました。
このハンカチ……
ハンカチを見て固まってしまった私に気づかないリアーナ様は、ノアザミの棘で血を出している私の手にハンカチを巻いてます。ほっそりと綺麗な貴族令嬢の手をしたリアーナ様の手。私も4年前まではこんな手をしていたはずなのに、孤児院の手伝いで荒れてしまった自分の手が恥ずかしい。
「このハンカチ……」
「気にしないで。洗って返してくれたら大丈夫よ。ふふ、このハンカチ元々はヒュー様のものなの。この前ヒュー様の部屋で今度の孤児院のバザーに出す商品を探していた時にね、ヒュー様がこのハンカチもバザーに出すって言ったんだけど素敵なブルースターの刺繍だったから思わず貰っちゃったの」
これは両親の求婚の花がブルースターだと知る前、8歳のヒューの誕生日に私が上げたハンカチです。ヒューの青い瞳と私の青い瞳を4つのブルースターに模して刺繍したのです。
私の血で赤く染まっていく4つの小さいブルースター。
「どうした!」
水の入った花瓶を持ったヒュー様が慌てて戻ってきました。
「アイラが雑草の棘で怪我をしちゃったの。アイラ大丈夫?」
「大丈夫です」
大丈夫ではありません。ヒューの誕生日に上げたこのハンカチ、ヒューはこれをバザーに出そうとしていたのだと、リアーナ様に上げてしまったのだと知った心から血が溢れて止まりません。
「でも泣いているじゃないか。アイラは大丈夫って言いながら無理をするから心配だ」
この涙はあなたのせい、でもそんなことは言えませんね。
「お父様との思い出を思い出してたの。気を抜いてリアーナ様にご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「迷惑なんて掛けられてないわ。アイラ、私はもっと気軽に接して欲しい。私は侯爵令嬢とは言っても実情はそうじゃないのだから」
王家の血を引くリアーナ様に砕けた態度など出来ません。リアーナ様のお母様、バンクス侯爵夫人は現陛下の妹、元王女なのです。
今から6年前リアーナ様が10歳の頃、王太后様が亡くなりました。寂しくなった先王は王太后様にそっくりな娘と孫娘、つまりバンクス侯爵夫人と、リアーナ様の双子の妹エイミー様を、自身が住む王城内の離宮へ度々呼び寄せるようになりました。いつのまにか離宮に居住を移していたバンクス侯爵夫人とエイミー様。そして、リアーナ様のお父様であるバンクス侯爵は王城で仕事をした後に離宮へ通い、侯爵邸には殆ど帰らなくなったそうです。
まるで王妃様や王女殿下よりも権威があるかのように社交界を牛耳るバンクス侯爵夫人とエイミー様とは逆に、リアーナ様と前侯爵夫人は侯爵邸に捨て置かれた者として社交界で侮られるようになりました。1年前に前侯爵夫人が亡くなってからは、満足な使用人もいない中で生活しているのだとリアーナ様から聞いてます。
親に捨て置かれ社交界で侮られていたとしても、王家の血を引く侯爵令嬢には変わりません。特に今の私なんて社交界に残ることすら出来ない、学園を卒業した後はフラメル伯爵家が持つ孤児院の院長になる予定しかない貴族令嬢擬きなのですから。
「努力しますね」
「うん。アイラからもっと仲良くしてくれるのを待ってるわ」
私の思い出のハンカチを汚したリアーナ様が笑ってます。その顔にこのハンカチを投げつけたい。そんなことを思う私は人でなしです。
「傷口を洗った方がいい。水を持ってくるから」
そう言ってヒューはまた水場の方へ走って行ってしまいました。ヒューは相変わらず優しいのです。
ベンチに座りヒューの帰りを待つ間、リアーナ様が王家の開催する夜会について聞いてきました。
「アイラは今度の夜会に参加しないっていうのは本当?」
来週の王家の夜会、隣国ポロックの使者が当初予定していた王弟から第三王子殿下に変更になりました。そのために急遽、第三王子と同年代の若者が追加で招待されたのです。私も年頃の伯爵令嬢なので招待状をいただきましたが、王家の夜会に参加できる程度のドレスを持っていないために欠席のお返事をしたのです。
今まで夜会がある時はヒューのお母様からお声がかかりドレスをお借りしておりました。ですが、今回はお声を掛けてもらえなかったのです。
リアーナ様がヒューの私室まで入るほど親しくしていたと知ったことで、その理由がわかりました。
お父様が亡くなった時、不安定な立場になった私のためにとヒューのご両親であるミルズ伯爵夫妻は私たちの婚約を考えてくれたそうです。前ミルズ伯爵が強く反対しているために婚約できなくてごめんなさいと、ヒューのお母様から謝られてから4年経ちました。
今までヒューの婚約者が決まっていなかったために、心の奥でずっと期待してしまっていたヒューとの婚約。諦めないといけない時が来てしまったかもしれません。
「恥ずかしながら、着ていくドレスが無いのです」
「それなら良かった。実はね、私もドレスが無いから行けないってイライアス様にお断りしたのよ。そしたらイライアス様から夜会用のドレスを沢山いただいてしまったの。私の赤い髪よりアイラのブルネットの髪に似合うドレスが余ってるのだけれどそれを着てくれないかしら? アイラは私より小柄だけれどそのドレスなら少しのお直しで大丈夫。私、夜会に参加したことがないから、お友達のアイラが一緒だと心強いの」
イライアス様とは我が国の王太子殿下、リアーナ様とは従兄妹になります。私やヒュー、リアーナ様と同い年で貴族学園の同級生です。
「王太子殿下からリアーナ様へ贈られたドレスを、私なんかが着れません」
「“私なんか”なんて言わないで。アイラはとっても可愛いのだから。それに、もうイライアス様の快諾も得ているの。アイラに断られたらイライアス様にお友達がいないと思われてしまうわ」
入学当初、王太子殿下とその側近候補の方々はエイミー様と仲良くされていました。エイミー様は高貴で麗しい令息グループの紅一点として女生徒の羨望の眼差しを集めていたのです。それから4ヶ月、当初エイミー様がいたその場所には今、リアーナ様がいます。
「……では、ありがたくお借りいたします」
「本当! アイラと一緒に夜会に行くのを楽しみにしているわ」
来週の夜会はバンクス侯爵家でドレスを着せてもらうことになりました。
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リアーナ様と一緒に来た夜会会場広間の入り口、黒い生地に青い飾りがついたコートを着たヒューが立っています。そんなヒューを見たリアーナ様は、笑顔で駆け寄ります。
「リアーナ様、黒いドレスが素敵だね」
「ありがとう。ヒュー様の夜会服もとっても素敵だわ。こんなかっこいいヒュー様に初めての夜会でエスコートしてもらえるなんて夢のようだわ」
笑顔を返すヒュー。でも、あの笑顔は本当は困っている時の顔です。優しいヒューは自分がリアーナ様をエスコートしてしまったら、残る私がどうするのかと考えてくれているのでしょう。私はヒューにエスコートしてもらえると当たり前に考えていたため、まさかリアーナ様がヒューのエスコートを望んでいたなど思いもしませんでしたが、それはヒューも同じだったようです。
リアーナ様は時折、こういった周りが見えない行動を悪気なくすることがあるのです。私はリアーナ様をエスコートしてあげて欲しいと伝わるように、ヒューへ笑顔で頷きました。
「リアーナ様、お手をどうぞ」
「はい! 私、こんな大きな夜会は初めてだから緊張するわ。ヒュー様助けてちょうだいね?」
その悲しい生い立ちを悟らせない、華やかで麗しいリアーナ様と並んでもヒューが見劣りすることはありません。私がヒューの幼馴染として仲良くしていることが許せない、そう言ってくるご令嬢達もリアーナ様には何も言えないでしょう。その優しい内面とは相反し、スッキリとした鋭い眼差しで少し怖い顔に見えるヒューは、ワイルドでかっこいいと一部の女子から熱狂的な人気があるのです。
会場へ入ったあと、しばらくしてヒューとリアーナ様は2人でダンスを踊っています。リアーナ様から借りた青いドレスを着た私はひとり、壁の花になってます。
近くのテーブルでワインを飲む1人の男性が目につきます。周りの方達はその方の間違いを正さず、遠目でクスクスと笑っているのです。普段は消極的な私ですが、思わずその男性に声をかけてしまいました。
「すみません。もしかしてポロックの方ですか?」
いきなり話しかけられたその男性は目を白黒としてびっくりしてます。
「は、はい! 僕はポロックから参りました、あのっクライン麻疹の薬の開発に携わってって、えっとその研究者です。すみません! 貴族の夜会なんてポロックでも数えるほどしか出席したことがないので、緊張して、支離滅裂ですね」
「クライン麻疹の特効薬を作った方なんて! すごい! クラインの国民を助けていただいてありがとうございます」
我がクライン国の、その名のつくクライン麻疹とは数年前に猛威をふるった麻疹で、それまでの麻疹の薬が効かないその麻疹は、王太后様や私のお父様を含むたくさんの人たちの命を奪いました。
今日の夜会は我が国より医療が発達している隣国ポロックの研究者の方がクライン麻疹の特効薬を創り出し、その製法を教えてくれたことを祝う夜会です。
そんなクライン国の恩人で、夜会の主役とも取れる方が独りで嘲笑されているなど、あってはいけません。
「いや、僕は平民だし、研究者達の中の下っ端も下っ端だから、僕が創ったとは言えないかな。ってすみません! 言えないです、です」
おそらく、30代の半ばくらいのその男性。焦っているご様子と、ゆるく波打った茶色い髪に黒目がちな丸いタレ目が昔飼っていた犬を思わせとても可愛いのですが、お父様と同じくらいの年の男性を可愛いなんて思ってはいけませんね。
「私はアイラ・フラメルと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「あっすみません。僕、いや、私はケイレブ・ドーマーと言います」
「ドーマー様、気を悪くしないで聞いてくださいね。こちらのワイングラスに付いているこの飾り、グラスマーカーと言いまして飲む際にグラスの脚に付け直すのがクラインでのマナーなのです」
そう、こんな些細なマナー違反でドーマー様のことを笑っていた周りの方々に呆れます。
「これ飲みにくいなって思っていたんです。そういうことだったんですね。不勉強で恥ずかしいです」
「恥ずかしくなんてないです。実は私の母はポロック人なんですが、私の両親の出会いはグラスマーカーを知らなかった母に父が声をかけたのがきっかけだって聞いてます。私の母とお揃いです」
「それは素敵な出会いですね。僕は奥さんがいるからアイラ様のお相手になれなくてとても残念です。って僕なんかが相手になり得るなんて言ったら失礼ですね」
「失礼なんてことありません」
父を亡くし後ろ盾もなく婚約者もいないために他の貴族の方からは相手にもされない私。今日は寂しい夜会になる事を覚悟していたのですが、ドーマー様のおかげでとても楽しく夜会を過ごせました。
私がドーマー様と楽しく話していたその時、リアーナ様はエイミー様に頭からワインを掛けられ、バンクス侯爵夫人に会場を追い出され、追い出された後は月が綺麗に見える中庭でヒューに慰めてもらったのだと、翌日ドレスを返却した時にリアーナ様から教えていただきました。
もしも私がその場にいても何の手助けも出来なかったと思います。
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そんな夜会から1週間経ち、今日は孤児院で行われるバザーの日です。
私は来年の春にフラメル伯爵家を出てこの孤児院の院長になることが決まっています。
元当主の娘を追い出すのは体面が悪いと判断した叔父は、1年間の貴族学園生活と孤児院を含める不動産の譲渡を約束してくれました。慈善事業でしかない孤児院を、運営できるギリギリの不動産と共にすることで押し付けることにしたのです。
このバザーは私から孤児院のことを聞いたリアーナ様が発案した催しです。リアーナ様は、ご近所の家などから寄付してもらった不用品を売ることを考え出し、その市をバザーと名付けました。
リアーナ様は今日もお手伝いに来てくれてますが、ヒューは騎士見習いとしての訓練を休めず来れませんでした。
バザーの準備のため、最近の休日は孤児の子供達と一緒に寄付を募ったり、頂いた不用品の汚れを落とし修理や飾り付けなどをしたりしておりました。ヒューの家から寄付された不用品は、その中に思い出の品が入っていたらどうしようと怖くて確認することができず、子供達に任せっきりです。今日の子供達は、寄付されたものだけでなくクッキーや野菜なども売り切ってやるのだと張り切っております。
「すみません。このクッキーはいくらですか?」
バザーが始まってすぐの時分、準備に追われていた私が振り返った目の前には平民街の片隅にある小さな孤児院に似つかわしくない、見たこともないほど綺麗な青年が立ってます。
輝く銀の髪、優しく感じられる切れ長の綺麗な紫の瞳、スッキリと形の良い鼻と口、均整のとれた手足、まるで教会にある宗教画から飛び出してきたかのような美青年。こんな、と言ったら子供達に怒られてしまいますが、こんな質素なクッキーを食べるとはとても思えません。
「夜会では会わなかったのに、なんでこんなところに……」
あまりにも美しい青年にびっくりし固まってしまっている私の横から、リアーナ様の呟きが聞こえました。そしてリアーナ様はその美青年から距離を取り、大声で叫んだのです。
「ルパート第三王子殿下! こんなところまで押しかけて来られても困ります!」
この方はポロックの第三王子ルパート殿下のようです。先日の夜会ではドーマー様とお話ししていただけの私は第三王子殿下のお顔を見ていなかったために気づけませんでした。突然の王族の登場に、低頭した方がいいのかそれとも膝を折った方がいいのかと迷ってるうちに、リアーナ様の大声によって周囲の人が集まってきます。
「えっ王子様がいるの?」
「すごい、あんな美形初めて見る」
「僕も見たい!」
ざわざわと群れ出した人混みの中を、少し離れた場所から第三王子殿下の護衛の方々が駆け寄ってきます。
「殿下、これ以上はまずいです」
「いや、私はまだ話もできていないのだ」
「今日は帰りましょう」
なぜか私のことを見ながら渋る第三王子殿下は不承不承去って行きます。
「リアーナ様、ポロックの第三王子殿下とお知り合いなのですか?」
「夜会で一目惚れをされてしまったようなの」
ワインを掛けられ、会場から追い出されるだけでもすごいのに、ポロックの第三王子殿下に一目惚れまでされていたとは。物語の主人公のように波乱万丈な方だなと呆気にとられてしまいます。
しばらくすると第三王子殿下が去った方から護衛の方が駆けてきました。
「この度はお騒がせし申し訳ございませんでした。殿下も、バザーの成功を邪魔をするのは不本意だと反省しております。こちらは殿下からのお手紙でございます。お受け取りください」
そう言って護衛の方は私に向かって手紙を差し出します。なぜ私なのだと戸惑いながら手紙を受け取ると、リアーナ様が護衛の方にお返事しました。
「私にはお慕いしている方がいます。こんなこと困るのです。二度と近づかないでと殿下へお伝えください」
護衛の方は一瞬びっくりした顔をした後、不思議そうな顔をしながらも「殿下に伝えておきます」とだけ言い帰って行きました。
リアーナ様は私から手紙を取り上げました。これは私への手紙なのではないかと考えたのですが、夜会で出会った訳でもない、こんな私なんかがあの美しい第三王子殿下からお手紙をもらえるはずがありません。こんなにも堂々と一目惚れされたと言うのですからリアーナ様と第三王子殿下の間で何かがあったはずです。
おそらく護衛の方の間違いでしょう、と納得している私の横でリアーナ様は、なんと、手紙を読まずに破き出したのです。
「そんな! リアーナ様、王族から頂いた手紙を読まずに破くなんていけません!」
「内容は分かっているの。逆に読んでお返事してしまったら後戻りできなくなってしまうわ。アイラお願い、この手紙のことは誰にも言わないで! 無かったことにしたいの! ポロックの第三王子殿下から正式に求愛されてしまったらお受けするしかなくなってしまうわ」
手紙は粉々に破られゴミ箱に捨てられました。もう取り返しがつきません。
「……先ほどおっしゃってた“お慕いしている方”とはヒューのことですか?」
「そうよ」
美しく権力もあるポロックの第三王子殿下よりヒューを選ぶほどに重く真剣なリアーナ様の恋心。美しく、健気で、努力を怠らず、優秀で、私には考えつかないような発想を思いつくリアーナ様に唯一優っていると思っていたヒューの事を好きだという気持ち。
幼い頃から仲が良かったから、不幸な生い立ちの私に唯一優してくれるから、そんな理由でヒューの事を好きなのではないのかと迷ってしまう私よりもずっと純粋な気持ちに感じてしまいます。
こんな私なんかとリアーナ様、どちらがヒューに相応しいかなどわかりきったことです。
バザー開始直後にポロックの第三王子殿下が現れて混乱するというトラブルはありましたが、バザーは予定より多い売り上げで成功しました。早々に売り切れたクッキーに子供たちも大喜びです。
今日の大盛況を見た方から次のフリマへの参加希望を受けるなどし、次回の成功の予感に安心します。
次回はバザーではなく、場所代をいただいて近所の方ご自身で販売してもらうフリマを行う予定なのです。フリマもリアーナ様のひらめきを基に考えついたものです。
こんなにもお世話になっているリアーナ様の恋を応援できないのかと、私は自問自答を繰り返すのです。
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「アイラ、夏休みはリアーナ様やイライアス殿下達とエリソン領へ避暑に行くことになったんだけど、リアーナ様と仲がいいアイラも頼めば連れてってもらえると思うんだ。アイラも一緒に行かない?」
そう言って青い目を悲しそうに伏せるヒュー。孤児院を放置することができない私がその誘いを断ることを予想しているのでしょう。
あのバザーの後も、街のカフェや図書館、孤児院など、私といるリアーナ様の前に度々第三王子殿下が現れるようになりました。その度に王子がいると騒ぎ、人目を集めて逃げるリアーナ様。
そんなイタチごっこも来週からの夏休みに入れば激化するのではと、追い詰められたリアーナ様は王太子殿下にポロックの第三王子殿下に付き纏われて困っていると助けを求め、夏休みの間は内密で殿下の側近のエリソン侯爵子息セドリック様の領地へ避暑へ行くことになったのだとリアーナ様から聞いてます。
夏休みの中頃には第三王子殿下はポロックへ帰国する予定なのです。
「私は行けないわ。孤児院の仕事があるもの。それにしても、王太子殿下から目をかけていただけてるなんてすごい!陛下をお守りする近衛騎士もきっと夢じゃないわ」
「そうなれるように頑張るよ」
夏休みには私の16歳の誕生日があります。今年は初めてヒューのいない誕生日になるようです。
「ねぇヒュー、ヒューはリアーナ様のことが好きなの?」
「えっなんでそうなるの? リアーナ様はかわいそうだから助けないとって思ってるだけだよ」
「そうなんだ」
「俺にリアーナ様は恐れ多いよ。王子様のイライアス殿下や宰相の息子のセドリック様くらいじゃないと相手にもならないって」
学園入学してすぐのとある日、ヒューはベンチで泣いているリアーナ様と出会いました。
王太子殿下や側近の方々にエイミー様を虐めるなと注意を受けた、エイミー様とは虐めるどころか話をすることもない、10歳までは仲良くしていた彼らの誤解を解くことができない、と泣きながらも切々と話すリアーナ様を信じることにしたのだと、ヒューから言われたことを思い出します。
その後ヒューは、王太子殿下達はエイミー様から嘘を吹き込まれてたのだと裏付けし、殿下達とリアーナ様との仲を取り持ち、そして可哀想なリアーナ様から一番最初に頼られる男になったのです。
“かわいそうだから助けないとって思っているだけ”、か。
それは、私のこともでしょうか。母を亡くし、父を亡くし、後ろ盾も無いアイラは“かわいそうだから助けないとって思っているだけ”。
それに、もしもリアーナ様じゃなく私を選んでくれたとしても、また他のかわいそうな女の子が現れるかもしれない。好きじゃなくても、かわいそうだったら私の両親のお墓参りに連れてきて、かわいそうだったら乞われるままに私室へ入れ、かわいそうだったら私のお誕生日より優先するのです。
あの日、私の血で染まったブルースターのハンカチは、リアーナ様に返すことも出来ずに私の手元にあります。血が付いた部分は洗っても落ちずシミとなって残ってます。
そんな白いハンカチにある消えないシミのように、嫌な思考が消えません。
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夏真っ盛りの今日は私の16歳の誕生日。頭には6年前の誕生日にお父様にもらったブルースターの髪飾り。壊れたり汚すのが怖くて大切にしまっていたその髪飾りを、独りぼっちの誕生日を慰めるためにつけてみました。
街では夏祭りが開催されてます。眩しい日差しを避けるように並んだ色とりどりのテントの下で、ジュースやお肉、フルーツからアクセサリーやブローチなど様々な屋台が並んでます。毎年ヒューと巡っていた夏祭りを今年は1人で眺めています。屋台を一通り眺め、もう家に帰ろうかと噴水のある広場で休んでいました。
「アイラ」
後ろからいきなり声を掛けられました。驚いて振り返ると、屈託のない笑顔で私に微笑むポロックの第三王子殿下がいます。
「ありがとう。私のブルースター」
なぜかお礼を言われてますが、何がなんだかわかりません。美しくあからさまに高貴な見た目をしている第三王子殿下を見た周りの人たちがこちらを見てざわめき出しました。殿下の護衛の方々がその人混みをかき分けて走ってきます。
「殿下! いきなり走り出さないでください! 何回やらかしたら学習するのですか! ほら、退散しないと! 人混みで事故が起きます」
「アイラ、一緒に行こう」
そう言って第三王子殿下は私に手を差し出しました。いきなり一緒に行こうと言われても意味がわかりません。
「あの、私は家に帰ります」
「そうか、では家のものによろしく伝えておいてくれ。私からも追って連絡する」
そう言って第三王子殿下は護衛を1人残し足早に去って行きました。嵐のような方です。
おそらく帰宅する私のために1人残してくれたのであろうこの護衛の方に、よろしく伝えておいてとはどういうことなのかと問いかけましたが「末端の私にはわかりません」と言われてしまいました。
そしてその翌日、ポロック国の第三王子ルパート殿下からフラメル伯爵家に婚約の打診が来たのです。
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婚約の打診があった後日、ルパート殿下はフラメル伯爵家を訪れました。まるで恋人のように話しかけてくるルパート殿下と、訳がわからなく混乱している私。
その噛み合わない会話からルパート殿下の従者や私の叔父がしびれを切らし情報を整理した結果、なんと、ルパート殿下は王家の夜会で、信じられないことに、私に一目惚れをしていたと言うのです。
「周囲に笑われているドーマーを助け、あんなくたびれたおじさんのドーマーに優しく笑いかける君の笑顔に愛おしいという気持ちが爆発してしまったのだ」
と、照れながら説明しているルパート殿下の後ろ、従者や護衛の方達の中で、“くたびれたおじさん”と言われたドーマー様が苦笑いしております。
夜会の後、私の事を調べた殿下は独り暴走して孤児院のバザーへ乗り込み、周囲の騒ぎで話せなかった事で咄嗟に求婚を伝えるお手紙を書いたそうです。
まさかその手紙を私が読んでいないなどとは思わず、求婚のお返事をもらえるまで自分をアピールするために付きまといのようなことをしてしまっていたのだと、そして、夏祭りで求婚の花の髪飾りをつけている私を見て舞い上がってしまったのだと、一生懸命に説明してくれてます。
「すまない。私は求婚に応えてもらえたのだと思ったのだが、勘違いだったようだ。貴方に婚約を無理強いするようなことはしたくない。もう一度、貴方に私の気持ちを知ってもらえるところからやり直させて欲しい」
隣国の王族からの婚約者の申し込みを伯爵令嬢が断れるわけがないと、ルパート殿下は私に深く頭を下げてます。
「ルパート殿下は私をブルースターに例えてくれたのですね」
「あぁ。貴方のそのつぶらな青い瞳はブルースターのようでとても可愛らしい」
嬉しい。単純で飾らない言葉だからこそルパート殿下の本音だと感じます。こんなにも心が温かになるのは久しぶりです。お父様から『あなたはブルースターのように可愛らしい』と言われたお母様は、今の私と同じような気持ちだったのでしょうか。
正直、ルパート殿下は出会って間もない方です。でも、平民の研究者のドーマー様とも親しそうなその様子、何度も護衛を撒いて突撃してくる向こう見ずなところ、求婚されてると思っていなかった私を慮って一旦婚約の話を取り下げると言ってくれる誠実さ、そして何よりお父様とお母様のお導きのような出会い。
私は、お父様とお母様の代わりに見守って欲しいとポケットの中に忍ばせていたブルースターの髪飾りを取り出しました。
「このブルースターは、父と母の求婚の花なのです。ルパート殿下とのご縁は父と母のお導きだと思うのです」
そう言って私はブルースターの髪飾りをつけました。
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「イライアス殿下、それは例の取り調べ報告書ですか」
「『当て馬ヒューと結婚したい』か。セドリックはこの話信じるか?」
エリソン領へ避暑に来ていた私は、夏休みも半ばでリアーナを連れて王都まで戻ることになった。ポロックの第三王子ルパート殿下がフラメル伯爵令嬢に出した求婚の手紙をリアーナが故意に破って捨て、ルパート殿下の求婚に支障をきたしていたというのだ。
しかも「フラメル嬢との誤解は解けて2人は無事婚約出来たが、ルパート殿下がフラメル嬢に近づく度に妨害していたリアーナ嬢と、そのリアーナ嬢を囲っている王太子殿下からしっかりとした説明が欲しい」と、ポロック国から正式に訴えられているらしい。
フラメル嬢が婚約したことにショックを受け泣くヒューバートと、泣いてるヒューバートを見てショックを受けているリアーナと一緒の馬車はまるで地獄のようだった。ヒューバートのことに構わず、リアーナへ手紙の件を聞き出そうとするも「あれは私宛の手紙だ」と埒があかない。そもそもリアーナ宛の手紙だとしても他国の王族からの手紙を破り捨てるなどしていい訳がない。
10歳の頃から王城に住むようになり仲良くなったエイミーに「小さい頃からリアーナに虐められていた」と言われ、簡単にそれを信じリアーナに辛くあたってしまった過去が私にはある。バンクス侯爵夫妻と折り合いの悪い前バンクス侯爵夫人と同じ赤髪赤目、それだけの理由で家族から疎外されかわいそうだと同情もしていた。
その2点だけで無条件でリアーナは純真無垢なのだと思い、リアーナの言う事を信じ込んでいたのだ。エイミーに嘘を吐かれていた時から成長していない自分が嫌になるな。
冤罪をかけられたから、かわいそうな生い立ちだから、それらは別に本人の人格を保証するものになり得ないのだと思い知る。
王城へ戻ったリアーナは尋問を受けるも、支離滅裂で埒があかず、自白剤を投与された。通常、重犯罪を犯した訳でもない貴族が強い副作用のある自白剤を飲むなどあり得ない。それでも投与が決まったのは、国民が熱望していたクライン麻疹の特効薬をもたらしたポロック国を怒らせていることと、リアーナがバンクス侯爵夫妻から見捨てられていたために強く止めるものがいなかったためだ。
自白剤の抜けたリアーナは、副作用により記憶障害を起こし幼児退行してしまったらしい。
「『ここは前世で読んだ物語の中で、自分はドアマットヒロインで、ヒーローのルパート王子と結婚するよりも当て馬ヒューと結婚したいからヒューと結婚する幼馴染からヒューを奪いたかっただけ』ですか。人は狂っていても案外普通に見えるのだなとびっくりしてます」
そう返すセドリックは、生まれ変わりや物語の中の世界だとは一切信じていないようだ。
私も信じてるわけではないのだが『ヒロインが隣国に行った後に先王が死んで、ヒロインの家族は王様に王城を追い出されて、侯爵家は没落して物語はお終い』という部分が引っかかっている。
口外していないが、病を患っている祖父上はもって数ヶ月と言われているし、祖父上が亡くなったら父上はあの叔母家族を追い出し没落させかねない位には腹に据えかねているからだ。
「どっちにしろ、ヒューバートを慰めないとな」
「あいつはかわいそうな女が性癖なのでしょう。現実の女にそれを求めるのは不毛です。かわいそうな女が出てくる小説でも紹介してみます」
作者の活動報告でリアーナのネタばらしをしてます。
所々で匂わせていたリアーナの悪事の答え合わせがしたい方はぜひ。
(匂わせの裏を想像する楽しみが無くなるので、自分で想像したい方や雰囲気を壊したくない方は読まない方がいいと思います)