3 乗馬の時間です! 少尉さん
少女は少しずつ、しかし確実に成長する。
アンがレイルダーに会ってから三年余りが過ぎた。
くせっ毛も、ちびなのもあまり変わらないけれど、それでも少しでも彼に追いつこうと、苦手な牛乳を飲んだり、軍隊の本を読んだりしている。勉強も得意ではないが、学校も休まず通っている。
夏の終わりから始まった学期は、もうじき年度を終える。アンは四年生になるのだ。
しかし、アンは貴族の子弟が多いこの学園に、あまり馴染めないでいた。男子生徒は自己主張が強くて目立ちたがり屋が多いのだ。
彼らはいつも大きな声で喋るし、自分の得意なことをひけらかす。
貴族社会では要領よく立ち回ってなんぼだから、仕方がないのかもしれないが、自分より弱いものを上手に貶める学友達を、アンは密かに嫌っていた。
彼女の立ち位置は微妙なのである。
貴族としての位は高くはないが、父は有名な軍人だ。そして以前は内戦を勝利に導いた英雄で、今は王宮警護の近衛隊の副隊長なのだ。
女生徒は、アンの平凡な容姿や服装を見下してくるし、男子生徒は父の話を聞きたがったが、あいにくフリューゲルは家庭で仕事の話をしないので、話ができないし、そもそもアンはそれほど話し上手ではない。
そんなわけで、今では教室内で空気のような存在になってしまっている。
それでも一部の女生徒とは気が合うので、全くの孤独という訳でもない。
「今日の午後は乗馬だわねぇ。苦手だわぁ」
黒髪のソフィがため息をついた。彼女は裕福な布商人の娘である。
貴族の子弟が通う学園だが、最近は門戸は広く開かれている。身元が確かで一定額の寄付をすれば、優秀な平民も機会は与えられるのだ。
「今日は練習の総仕上げで近衛の馬場に行くのよね。近衛の兵隊さんが見物に来るかもしれないし、嫌だなぁ」
眼鏡のローリエも憂鬱そうだ。彼女は薬卸商の次女で学業優秀だが、運動系は全くダメだった。
女生徒と男子生徒とでは学ぶ科目が違うこともあるが、中には一緒に学ぶ授業もある。
ダンスや乗馬がそれだ。
「アンは乗馬上手いから羨ましいわ」
ソフィとローリエは声をそろえて言った。
「だって、それしか取り柄がないもの」
容姿も成績も運動も平凡か、それ以下のアンだが、乗馬だけは得意なのだ。
彼女は小さい頃から馬が大好きだったし、馬も彼女を慕ってくれるのだ。初めて乗馬を教えてくれた父が「こりゃすごい」と舌を巻いたほどだった。
しかし、学園では目立たないように、教官のいう通りおとなしく学んでいる。
「馬ってとても賢いのよ」
「はいはい。だから、下手な人を馬鹿にするのよね。馬だけに」
ソフィの冗談に三人は笑いながら、集合場所へと向かった。
近衛の馬場は広い。
王宮の警備をする近衛の訓練場も兼ねているのだから当然だが、馬も厩舎も美しく手入れされている。
貴族の子弟と言っても、今は屋敷に厩舎を持たない家も多いから、大抵はここで初めての乗馬を体験する。
馬も、軍馬としては大人しい引退した馬を使うのだ。
「それでは諸君、順に常歩で一周してくるように」
教官が二十人の三年生に向かって言った。まだ乗馬に馴染めていないものには補助の教官がつくが、一年間練習を積んだので、ほとんどの生徒たちは並足ならば、なんとか御せるようになっている。
「さぁ! やるぞ!」
男子の中では一番上手なヨアキムが一番に跨った。彼は伯爵家の次男で、成績も良いが要領もいい。今もちゃっかり一番良さそうな馬を選んでいた。
「先生、速歩をしてもいいですか?」
「いやまだだヨアキム。全員が常歩で一周してからだ」
「……はい」
ヨアキムは不満そうだが、早く練習したくて早速馬を進めている。
アンは最後の方に一番大人しそうな馬に跨って進んだ。高いところが苦手なローリエは、補助の教官が付き添っていた。彼女は本当に乗馬が苦手で、今も緊張で体が固まっている。
広い馬場にはいくつもの訓練場があり、三年生が使わせてもらっているところは隅の予備のコースだ。
「あなた、七十二号っていうのね? 本当に賢いわ」
アンは今日のパートナーの首を叩いた。栗毛の雌馬で、アンと目が合うと、すぐに乗って欲しそうに鼻面を擦りつけてくる。
「よしよし」
こんなこと誰にも信じてもらえないだろうが、アンには馬の心が手にとるようによくわかるのだ。一部の人間よりも伝わると言っても過言ではない。
「あら七十二号、早く駆けたいの? でも、も少し我慢してね」
アンは静々と雌馬をうたせた。
「おお! アン・フリューゲル、安定しているな。姿勢も美しいぞ」
「ありがとうございます」
教官の褒め言葉をヨアキムが聞き咎めた。彼はさっさと一周を終え、二周目に入ろうとしている。
「邪魔だ! 地味女、どいてろ!」
ヨアキムは馬に手綱をくれて速歩に切り替えた。
「はいっ!」
彼につられて少年たちが次々に速歩に切り替えていく。
彼らは自信があるのか、ゆっくり手綱をうたせている生徒をからかっていくが、コース取りはまだ未熟である。
彼らはもたもたしているローリエのすぐ脇を駆け抜け、その勢いに怯えたローリエが思わず手綱を叩いてしまい、馬が急に走り出した。
「きゃあああ!」
馬は走れと命じられたと思っているのか、勢いは止まらない。
不意をつかれた補助教官も馬には追いつけず、ローリエは恐ろしさで鞍にしがみついているが、今にも振り落とされてしまうそうだ。
「ローリエ!」
アンは思わず、七十二号に手綱をくれた。
Twitterにレイルダーの瞳の宝石の画像があります。