夜会は戦場
夜色のドレスに身を包んでセシーリアは単身で夜会に参加している。
この夜会は王族を無視して国内の貴族と交流を広めていくマティアスのお披露目会だ。大分渋っていたらしいが、ここまで顔が広まっているのに王族から正式な紹介がないのはよろしくないと開いたものだ。
主催である王妃はマティアスにエスコートされて会場入りし、今もマティアスの傍で国内貴族に今更ながら紹介をしている。
その様子を壁の花になりながら、時折誘われるダンスを断りながらセシーリアは会場を見渡す。
いつの間にか会場内では派閥が作られいくつかの集団と、その間を縫うように動く人々に分かれている。
マティアスや王妃への挨拶も早々に切り上げ"愛人"を連れてきている国王や、セシーリアをエスコートせず"庶民の愛人"を連れて来たコンラードに阿る少なくない貴族の当主夫婦や子女は、いつの間にか大きな集団となっており、マティアス達とは距離が開いていく。
(事前に通達していたはずなのですがね)
シンシアのドレスの色にセシーリアは深くため息を吐きたくなる。殿下には事前に今日の夜会で夜色のドレスにすることと大まかな生地・デザインを伝えている。万が一殿下がセシーリアをエスコートする場合に備えたのだが、これの状況には流石に頭を抱えたくなる。
(それにしても、阿る貴族は聞いていた通り、蝙蝠も大体目星がつきましたわね)
セシーリアは一房だけ垂らされているピンクブロンドの髪を整えるように撫で、会場の警備に目を向ける。
(王妃様が采配しただけあって陛下の近衛騎士団でも、貴族の子息の格好つけにある第一騎士団でもなく殿下の使う第二騎士団でもなく、本当に実力のある第三騎士団を警備に当ててますわね)
魔法師団も配置されているようで、内外への対策はしっかりされている。
国中の貴族が集められたこの夜会は朝まで続く予定のため、用意された飲み物も食べ物も、休憩にと準備された部屋も多い。
休憩用に準備された部屋の数は60以上で、その準備に走り回った侍女に思わず同情してしまうし、飲み物はともかく、大量に用意された食事も大半が残されるのだろうと思うと料理人にも同情してしまう。
(学園の生徒の大半には蝶が付いてますわね)
マティアスの魔法の一つであり、セシーリアやマティアス、隣国に敵意・害意を持っている人物であればその言葉や感情に反応し人物に触れた瞬間蝶は溶けて皮膚と同化し、発動主へ情報を伝えるもの。
皮膚に同化せず蝶を付けているものは少なくとも敵意を向けていないという証。
まったくないわけではないとわかってはいたが、やはり学園の生徒の中にも敵意もしくは害意を持つ子女がいたという事実に少し寂しく感じてしまう。
(それにしても……)
王太子の愛人とはいえ、ただの平民の夫人がこの夜会に参加しているのもおかしな話なのに、王太子の婚約者とドレスの色をかぶせてくるというのは明らかなマナー違反であり、通常であれば別のドレスに急いで着替えるべきなのだ。
国王の愛人のソフィー様もお針子に聞いて王妃とドレスが被らないように配慮しているらしい。
(王太子宮お抱えのお針子にも伝わっているはずですが、流石にデザインまでは被せてこなかったみたいですけれども、私は怒っていいのではないかしら)
そう考えてセシーリアは紺から水色へグラデーションになるよう羽を整えられている扇子を開いて溜息を吐く。
「なにかあったか?」
「いえ、私怒るべきなのかと考えてしまいまして。一応悪役令嬢を目指していた時期もありますし」
「悪役というのをリアができるかはわからないけど、王妃陛下のおかげで仕分けがやりやすくなって楽になった」
挨拶を終えたマティアスが王妃陛下の傍を離れてセシーリアの前に来てそう言うと、すっと手を差し出す。
「一曲踊ろうか」
「決定事項ですの?」
「うん。ちょっと軽めに見せつけてやろうと思って」
「殿下はシンシア様に夢中で私のことなど気にもなさいませんでしょうけど?」
「誰も殿下になんていってないけど?」
「あら、国王陛下にですか?」
「あえて言うなら両方」
「そうですの」
セシーリアは差し出された手に自分の手を乗せてエスコートされるままにダンスの輪に加わる。
自然と二人は中央に躍り出て、周囲の人々が距離を開けるため踊りやすい。
この国のダンスの曲でありながら、踏まれるステップは隣国の物でこの国のダンスよりも複雑であり、その分見栄えもする。
夜色のドレスは幾重にも軽く薄い布とレースを重ねたもので、セシーリアがクルリと回るたびに大きく広がり花を咲かせる。
マティアスは白い燕尾服を身に纏っており、中に来ているシャツはセシーリアのドレスと同じ夜色で、結ばれたタイの白さを引き立てている。
「見てるじゃないか」
その声に殿下を見れば、横にいるシンシアの腰を抱きながらこちらを睨みつけてきており、そのまま顔をシンシアに近づけ耳元で何かをささやいたかと思うと、腰を抱いたままダンスの輪に近づいてくる。
「ふっ」
「アス?」
「ダンスが得意なんだってね、あの愛人」
「ええ、そうですわ」
「じゃあ、まずその自信からへし折ってやろうかな」
「え?」
マティアスがそう言った瞬間、大きくセシーリアを回し、ステップをより複雑に、それでいて曲に合ったものを踊り始める。
お互いの息が合わなければ、崩れてしまうようなステップなのだが、マティアスがこちらに来て何度もダンスの相手をしているので問題はない。
ただ体を合わせ、たまに回るだけではなく、離れても同じダンスを踊っているのだとわかるようなステップに、周囲はいつの間にか踊る足を止めてマティアスとセシーリアに魅入っている。
ダンスの輪はいつの間にか消え、中央付近でこの国では見ない、それでいて思わず魅入ってしまうマティアスとセシーリアペアと、この国で定石のステップをうっとりと踊るシンシアと時折セシーリアを睨みつける殿下のペアのみが踊っている。
わざとこちらのステップを乱そうと近づいてくる殿下をマティアスはあっさりと躱して、それすらもステップだと言わんばかりにセシーリアを抱き寄せて大きく回してポーズを決める。
「ラディ、待って」
急なステップにシンシアが付いていけなくなってきたのだろう、段々と足にふらつきが見える。
「大丈夫、私に身を任せて」
「え、きゃっ」
ぐるりと回されてシンシアの足が完全にもつれ、体勢を崩したところを背後から抱き寄せて手を取りステップを続ける殿下に、流石だとは思うが肝心のシンシアが殿下を正面に見ることが出来ずに不安そうに後ろを振り返ってしまっている。
「ほら、崩れて来た」
「アス、性格が悪いわ」
「今更だよね」
そこで今度はセシーリアを正面に回し、腰に手をあて、もう片方の手を繋いで少し斜め上にあげる。
体を密着させるようにしてフロアを大きく円を描くように移動していくと、各所でポーズを決めるように音楽に合わせてゆったりと動いたり、セシーリアを回転させる。
殿下のほうを見れば、シンシアが慣れない動きへの戸惑いが強く、首を振って殿下の正面に体を向けようとステップを踏みながらもがいている。
そしてついに足が完全にもつれ殿下の足を踏んでバランスを崩して動きを止めてしまった。
「ご、ごめんねラディ」
シンシアの謝罪する声が聞こえたが、殿下はそれに答えずセシーリア達を見る。
音楽の終わりに合わせてゆっくりとポーズを決めた二人に憎々し気な視線を送り、動きを止めたままのシンシアの腰を抱きホールの中央から足早に立ち去ろうとして、丁度位置を変えたマティアスとシンシアの正面に立つことになってしまう。
「おや、もうお戻りですか?」
「ああ、パートナーが疲れたようなのでな」
「ダンスがお得意で何曲も続けて踊ると聞いていましたが、無理なステップでも踏みましたか?」
「得意です。でも今日はラディがいつもと違ったから」
「それでステップを見失って足を踏んでしまったと」
「だ、だって…あんなの習ってないもの」
「すまないな、貴殿らのダンスに影響されたみたいだ」
「そうですか。我が国ではダンスの得意なものが踊る物でね、セシーリアもダンスがうまいのでつい披露してしまいました」
「随分息の合ったダンスだったようだが」
「ええ、何度も二人で練習しましたから」
マティアスがクスクスと笑って殿下とシンシアを見る。そして黙ったままのセシーリアの腰を少し押して前に出す。
「そういえば、話は変わりますが。夜色のドレスは殿下のお気に入りなのですか?リアがこの色のドレスを着ると随分前に伝えているはずなのですが、まさかただの愛人に同じ色のドレスを着せるとはね」
「偶々だ」
「まあコンラード殿下。お言葉ですが上位の令嬢や夫人のドレスとかぶらないようにするのは最低限のマナーですわ。何のために事前にお茶会を開いたりお針子同士で情報を共有していると思うのですか?私は殿下にも王太子宮のお針子にもドレスの色とデザインを伝えたはずですわ」
「ラディがせっかく用意してくれたドレスなのにセシーリア様と一緒の色だからってなんで着ちゃいけないんですか?」
「貴族としてのマナーですが。……ただの平民になったとたんにそのような常識も忘れてしまわれましたか?」
「なっわ、私は……」
セシーリアの言葉にシンシアは怒ったように顔を赤くし、口を戦慄かせて殿下を見てその腕に抱き着く。
「私はラディのお嫁さんだわ!セシーリア様みたいにラディを置いて出ていくような冷たい人よりラディは私と結婚して幸せになるんです」
「あら、それはコンラード殿下も同意見でしょうか?」
シンとなった会場にシンシアとセシーリアの声が響き、すべての視線が殿下に集中する。
「……私の婚約者はセシーリアだ」
「ラディ!?」
「だが私はシンシアといる時間を愛しく思っている。シアといるときには得られなかった暖かさを感じている。私が愛しているのは、シンシアだ!」
「へえ?」
コンラード殿下の言葉に、マティアスはそれはそれは楽しそうに冷たい笑みを浮かべた。