(3)後編
誤字脱字報告ありがとうございます。
膠着していた事態が変わったのは、お茶会から4年経過したある伯爵家主催の夜会だった。
夜会を主催していたマイネ伯爵家には、アルドリックより2歳下の令息と4歳下の令嬢がいて、開示拒否していた家門の一つでもあったため、その晩は直接様子を見るためアルドリックも参加していた。
公爵家ほどではないものの、領地にある鉱山で良質の鉱石が産出される為、伯爵家らしからぬ力のあるマイネ家の夜会には多くの高位貴族達も参加していた。
会場では今日も妖精のように美しいアルーシャ嬢が参加しているのも見えたが、彼女の兄と一緒のようなので近寄ることはしなかった。
あれから彼女は何度もクラウディアを叱責することがあったが、その言葉は常に貴族令嬢としての品位を真摯に説くもので、少なくともアルドリックの知る限り、口汚く罵ることも他の者のように陰口を言うこともなかった。
ダンスに誘うことも出来ない私は、淡く輝くラベンダー色のドレスで兄と踊る彼女の美しい姿を、ただ遠くから瞳に焼き付けることしか出来ない。
自分が情けなく悔しかったが、せめて堂々と彼女に求婚できる立場を手に入れられるよう、一日でも早くアレクシス殿下の魅了酔いを解決するしかないのだ。
参加者の顔ぶれを見て何か掴めないかと思っていたが、あまりに多い参加者に辟易して、そろそろ会場を後にしようかと思いながらグラス片手にテラスへ出た時のことだ。
暗い庭の方からなにやら声が聞こえた気がしたアルドリックは、何事だろうと声の方へと近付いていったのだが…。
「いやっ!カロッサ侯爵令息様、おやめくださいっ」
「そうつれなくすることもないだろう?アーヴァ嬢、いい加減意地を張らずに婚約申し込みに良い返事をしてもいいんじゃないか?」
「意地を張っているなどと……貴方との縁談はお断りしているはずですっ!手を離してくださいませっ」
「……はっ、どうせクラウディア嬢の後釜を狙っているのだろうが、アーヴァ嬢では家の力も個人の魅力も公爵家の令嬢たちに勝てるわけないだろう!」
痴話喧嘩かと思われた口論は、アーヴァ・マイネ伯爵令嬢にハーゲン・カロッサ侯爵令息が無理に迫っている声で、アーヴァ嬢は腕を掴まれたまま庭の奥へと連れ込まれようとしている。
主催者宅の令嬢にも関わらず警備の人間は何をしているのかと頭が痛くなったが、見かけてしまったものは放置することもできない。
「おや、カロッサ侯爵令息にマイネ伯爵令嬢ではないですか。こんなところで酔い覚ましですか?ああ、そういえば会場の中でカロッサ侯爵殿がご令息を探しておられたようだが…」
「っ!?あ……アルドリック・ゴールデンバルト様…?」
「チッ……ゴールデンバルト家の……わざわざ知らせてもらって感謝するよ。ではアーヴァ嬢、またお会いしよう」
声をかけるとあからさまにホッとした表情のアーヴァ嬢とは対照的に、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちしたハーゲンはまずいところを見られた自覚はあるらしく、その場を急ぎ足で去っていった。
逃げるハーゲンの背中を見送ったアルドリックは、所々にライトアップされた庭に2人で残されてしまったので、とりあえず会場までアーヴァ嬢を送ろうと彼女の方を振り返った。
「お助けくださってありがとうございます、アルドリック様!私、嬉しいですわ!」
「いえ、王国貴族として当然のことをしたまで…で……」
その瞬間……頭がクラリとして胸がドクドクと早いリズムを刻み始めた。
それまで特に気にもしなかったアーヴァ嬢の香水の匂いが、身体に纏わりつくようで気持ち悪いのに離れがたい不思議な感覚に囚われる。
しまった!まさかここで仕掛けられるとは……
明らかに自分が何かに侵されていきながら、犯人の1人は彼女だったのだと確信する。
しかし、目撃者もいないこの状況では私が彼女に落ちてしまえば、アレクシス殿下もクラウディアも救うことはできない。
かといって、このまま何もしないまま胸の中をアルーシャ嬢以外で埋め尽くされるなど我慢できるはずもない。
できれば使いたくはなかったが、こうなっては他に方法はないと、アルドリックは奥の手を使う羽目になったことに苛立ってしまう。
「アーヴァ嬢、こういうのを自業自得というのですよ?」
「え?アルドリック様、何を…あ、うそ……あぁぁあああ、アルドリックさまぁ」
「もうずっとお会いしたかったんですよ、アーヴァ嬢。貴女にね」
「うふふふふ、うれしいですわぁ…アルドリック様」
先程の具合の悪さはもう感じないが、代わりに目の前のアーヴァ嬢が蕩けるような目で私を見上げてくることに苛立ちが止まらない。
さっき、確かに彼女はアルドリックに対して『魅了魔法』を使ってきたのだ。
ただ彼女は知らなかった……アルドリックの天恵は『状態異常反射』だということを。
ゴールデンバルト侯爵家の天恵は、クラウディアの『完全保護』やアルドリックの『状態異常反射』のような、己を守るための力を持つものが多い。
ちなみに父であるゴールデンバルト侯爵はアルドリックの天恵に近い『状態異常回復』である。
おそらくアーヴァ嬢は危ないところを助けられたことでアルドリックに好意を抱いたのであろうが、だからといって好意をもってすぐに魅了魔法を仕掛けるなど、まともな者がすることではない。
反射された魅了魔法でアルドリックに魅了されたとしても、正に自業自得であった。
意図せず自白剤や自白魔法を使う必要もなく、マイネ伯爵家の捜査をスムーズに進めることが出来たのは不幸中の幸いだった。
彼女の証言から、魅了魔法は術者の魔力が失われるか、術者自身が魅了を解除すれば解けることがハッキリした。
つまり、術者を捕まえさえすれば強制的にでも術を解除させれば良いということになる。
こうして、私は父とアレクシス殿下と国王陛下、そして隣国の第二王子殿下に協力を仰いで、その夜から半年後、国王陛下の誕生日を祝う夜会で犯人を誘き出す作戦を決行したのだった。
*****
王国中を震撼させた発表から半年が経過した。
5大公爵家のうち2家が力を失い、残った3公爵家も以前に比べるとその力は勢いを失った。
3大公爵家と同列に並ぶ公爵家へ陞爵したのは今回の問題を解決に導いたゴールデンバルト家であった。
天恵の報告義務についても、今後同様の問題が起きぬよう貴族議会でも承認され、事件解決に間に合わなかったものの、事件捜査時にのみ王家の許可制で使用できる『天恵強制開示魔道具』も開発された。
アルドリックはまだ学生でもある王太子アレクシス殿下と共にそれらを中心となって取り仕切っていた為、実に慌ただしい半年だった。
ようやく全てが落ち着いてきた先日、アルドリックが待ち焦がれた一通の手紙がゴールデンバルト公爵家に届き、どうにも落ち着かない気持ちのまま今朝を迎えていた。
「アルーシャ・レーマー嬢、今日は貴重なお時間を頂き感謝いたします」
「こちらこそ、お誘い頂いて嬉しゅうございます」
レーマー家の玄関まで馬車で迎えに行くと、美しい花が咲き誇るように微笑むアルーシャ嬢が出迎えてくれる。
内心ではグハッと血を吐くほど萌え転がっているアルドリックだったが、表面上は穏やかに微笑んで彼女を馬車へとエスコートしたのだった。
もちろん一方のアルーシャが、笑わないといわれるアルドリックが、どうやら自分と話す時だけは微笑んでくれる頻度が高いことに気付いて、嬉しさと恥ずかしさで内心枕をバンバン叩いていることなど知る由もない。
笑わない令息と堅物令嬢は、未だに互いの熱量の高さに気付いていなかった。
あの廊下で語り合った翌日。
アルドリックはようやく父から許可を得て、アルーシャ嬢への婚約申入書をレーマー公爵家に送った。
多くの者から王太子の婚約者になるだろうと思われていたアルーシャがフリーになったことで、レーマー公爵家には多くの婚約申入書が届いていた。
他の2つの公爵家からはもちろん、近隣国家の貴族や今回のことで降爵して当主となった侯爵たちも同様で、婚約者の選定まで時間を要するだろうと思われていた。
ところが、流石は計算高いレーマー公爵ということだろうか。
蓋を開けてみれば時間がかかるどころか即断即決。
ゴールデンバルト家の陞爵が決定されるよりも前にゴールデンバルト家へ婚約承諾書が届けられたことで、アルーシャ・レーマー公爵令嬢の婚約者はアルドリック・ゴールデンバルトに決まったのである。
それは秒で終わったはずの初恋が、5年の時を経て不死鳥のように蘇った瞬間だった。
婚約承諾書の入った封筒を胸に抱き、涙を流しながら拳を突き上げて天に感謝を捧げる『笑わない令息』の姿に、彼の家族も使用人たちも、この時初めて彼が恋していたことに気付いたのだった。
こうして念願の婚約は決まったものの、それを発表する夜会を開くには状況が落ち着かなすぎた為、ようやく来週にゴールデンバルト家で婚約発表の夜会を開くことになっている。
あまりに忙しすぎた為に婚約後も会える機会も少なく、会えてもレーマー家で短時間お茶を飲む程度だけ。
完全にアルーシャ欠乏症に陥っていたアルドリックだったが、今日ようやく2人でゆっくり出掛けられるのだ。
昨夜は今日の休みの為に日付が変わっても書類を捌き、今朝は早起きしすぎて自宅の庭を1時間程ランニングまでしてしまった。
「アルーシャ嬢、なかなか時間が作れず申し訳ありませんでした」
「お忙しいのは存じておりますもの。アルドリック様、今日はゆっくりできますの?」
「ええ。今日呼び戻したら半年は仕事をしないぞと、父も殿下も脅して来ましたから問題ありません」
「まぁっ、アルドリック様ったら真面目な顔でそんなご冗談をおっしゃって……ふふふ」
もちろん冗談などではないのだが、アルーシャ嬢が笑ってくれるのならどちらでも良いかなとアルドリックはあえて訂正はしなかった。
大切な時間に父だろうが殿下だろうが、他の男の名前をアルーシャ嬢の声で聞きたくはなかったから。
今日のアルーシャ嬢は、光の加減で銀色にも見える艶のあるブラックの品の良いワンピースに裾と襟元に薄紫色の花の刺繍が施された比較的カジュアルなスタイルだ。
一目見て心臓を打ち抜かれたように呼吸を忘れてしまうほどに可憐で、やはり彼女は妖精なのではないかと背中に羽を捜してしまいたくなる程だ。
それに彼女が纏う色合いは……。
「アルーシャ嬢、その……貴女のその服の色は…」
「ええ、アルドリック様のお色で仕立てたものなのですが……似合いますでしょうか?」
「とても、とても美しいです。貴女はいつも何を着ていても美しいですが、私の為に私の色を着てくださったという今日の貴女は、最高に可憐で綺麗で愛おしく思います」
「アルドリック様…そう言って頂けて嬉しいですわ。作った甲斐がございました」
ほんのりと頬を薄紅色に染める姿に、アルドリックは心臓をしっかり打ち抜かれてまたもや呼吸が止まってしまった。
私の婚約者が可愛い!
可愛すぎて食べてしまいたい!
いやもういっそのことこのまま連れて帰りたい!!
好き!可愛い!!愛してるっ!!!
心の中はやたらと喧しいほどに愛を叫んでいるくせに、5年も失恋状態だったヘタレなアルドリックは未だにキスもできてはいない。
20歳にもなって何をしているのだと、それを知った義理の弟になる王太子からは鼻で笑われた。
10歳から大事な妹にアレコレやらかしていたお前とは違うんだぞコラ!!と思いながらサヨウデスネと心の篭らない返答を返しておいた。
誰から何を言われても気にしない強い心を、この5年でしっかりと身につけたアルドリックは、自分のペースで関係を進めることにしている。
もしもアルドリックが動揺するとしたら、可愛い婚約者の言葉だけだろう。
「今日は少し郊外にある綺麗な湖へ行きませんか?綺麗な散歩道があるのです」
「素敵ですわね。今の季節なら、紅葉も見られるかしら」
「おそらく赤と黄色の落ち葉の絨毯になっていますよ。ただ、落ち葉の上は滑るので私の腕にしっかり掴まっていてくださいね?」
紅葉の散歩道を歩いた先には、湖の見えるテラス席がある美味しいケーキを出すカフェがあるのだと友人から教えられ、既に席はリザーブ済みだ。
アルーシャ嬢は甘いものも好きらしいので、きっと喜んでくれるだろうとアルドリックは笑みを深くした。
もちろん、恋い焦がれた彼女と腕を組んで歩く時間さえ、至福の時となるだろう。
「きっと美しいでしょうね……アルドリック様と一緒ならば転びませんわね。離さないでくださいませ」
「もちろんですとも。決して離しません。もしも転んだとしても、必ず私がアルーシャ嬢を守ります」
真っ直ぐに見つめて伝えれば、サファイヤブルーの瞳がパチリと瞬いて、目尻がほんのり赤味が強くなった。
自分の言動に照れてくれているのだと思うと、叫びだしたくなるほど嬉しいが、驚かせてはいけないと頬の内側を噛んで耐えていたアルドリックだったが、次の一言で忍耐が尽き果てた。
「あの……婚約者なので、ルーシャとお呼びください」
「では私の事はアルドリック……いや、アルと呼んで欲しい!ああ、ルーシャ。なんて愛しい響きなんだ。ルーシャ、ルーシャ……もう貴女は私だけのルーシャなのだね」
コップに入れた水が一度溢れたら次々に溢れ出るように、伝えたくても伝えられなかった想いが溢れ出して止まらなかった。
あまりの勢いに、アルーシャの頬は真っ赤なリンゴのように染まってしまっているのに、それでもアルドリックはまだまだ伝え足りないとばかりに、向かいの席に座っていたアルーシャをギュッと抱き寄せる。
抵抗することもできず、広い胸に抱き寄せられたアルーシャの真っ赤に染まった耳に、逞しい胸から響く早い鼓動が聞こえた。
「ずっと、ずっとそう呼べる日が来ることを諦めきれずに、5年以上も待ち望んでいたんだ!愛してるよ、ルーシャ。君の凜とした姿も淑女らしい考え方も、今みたいに可愛らしい所も…君の全部が大好きだ!」
本当は綺麗な湖のほとりで想いを伝えて、初めてのキスをするつもりだったのに。
逸る気持ちが抑えられなかったアルドリックは、揺れる馬車の中で不器用なキスを誰より愛する女性に贈ったのだった。
仕事面では有能なのに、恋愛ポンコツなお兄様と真面目で損するタイプのアルーシャちゃん。
楽しんで頂けたでしょうか。
最後に糖分追加できたかなぁ…。
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