薄れる気持ち
「木崎さん」
電車を降りた高田は、すぐにシャツを腕まくりしていた。
「ん?」
「カツ丼屋さんはどこにあるんすか」
「目の前のビルの地下」
おれは駅前にある七階建ての商用ビルを指差した。
「有名なんすか?」
「いつも並んでるし、有名なんじゃね」
「あ。あのビル、七階にルガータ書店入ってるじゃないっすか」
「ルガータが入ったのは最近だな」
「行ったことあるんすか」
「あるよ」
「併設されてるカフェであのクレープ食べたんすか?」
「食った。ウワサ通り、超うまかったぜ」
「マジっすか!」
高田と会話していると、お前が知りたい情報はそれじゃねーだろ、とつっこみたくなる。こいつの任務はおれの再現力とかいう力を調べることで、街のグルメ情報なんてどうでもいいはずだ。なぜ、嬉しそうに受け答えしている。いったいこいつは何がしたいんだろうか。
カツ丼屋は並んでいた。普段もだいたい十五分ぐらいは待つ。今回も同じような長さの行列だから、待つ時間も同じぐらいだとすぐに判断がついた。
カツ丼屋はカウンター席が十席あるのみ。創業してから長い。ただし、最近ビルの建て替えがあったので、店内はかなりきれいだ。メニューはカツ丼(並)かカツ丼(大盛)だけ。そのカツ丼目当てに、今日も男ばかりが静かに並ぶ。
「いいよなあ」
おれは窓ガラス越しに見える厨房の店員さんたちを見ながら、目を細めた。
「家族と一緒に働くのがっすか?」
確かに、五十代の夫婦とその息子らしき二十代の若者三人が働いていて、家族に見える。しかし、おれがうらやましがったのはそこではない。
「そうじゃねーよ。この列、三時間ぐらいずっと続くんだぜ。ボロもうけだろ」
「へー、それは儲けてそうっすね」
「ずっと、この場所で同じこと繰り返してるだけで金が入ってくるとか、正直うらやましくね?」
「いやー、バイトでずっと飲食店入ってた身としてはちょっと」
高田は顔を湿らせた。
「結構有名なラーメン屋で、バイトしてたんだっけ」
「そうっす。昼も夜もめっちゃ忙しかったっす」
「バイトはそんなにだけど、店長とか超儲かってたんじゃないの?」
「確かに、お金はあるって言ってましたね」
「最高じゃん」
「でも、お金を使う時間が無いっていつも言ってました」
「ゲ。そゆこと?」
「このカツ丼屋さんも、日曜しか休んでないですし、飲食業は店を開けてないときにやる仕込みとか掃除とかに超時間かかるんで、束縛される時間は相当っすよ」
「マジか。店を開けてる時間だけ働いときゃいいんじゃねーの?」
「そんな甘くないっすよ」
また、変な気持ちになった。人間世界のことをアンドロイドに教えてもらう、おれ。普通、逆じゃね? って思う。今まで過ごしてきた過去のことも妙にリアルに話してこられると、こいつはほんとに人間によって造り出された存在かどうかわからなくなる。
まさか、おれは目星をつける相手を間違えている?
「木崎さん?」
「おう?」
「ご主人に呼ばれてますよ」
「あ」
いつの間にか先頭にいたおれは、店の主人に呼ばれるまま、指定のカウンター席に着いた。次に高田が呼ばれて、おれとは離れたところに座った。この店は共連れとかまったく考慮しないので、一緒に行って隣同士になることは珍しい。さらに誰もしゃべっていないので、もし隣同士になっても、ワイワイ話せる空気でもない。この話はすでに高田にもしていた。
カツ丼は注文するとすぐに出てくる。三つ向こうの高田のところにも早速カツ丼が置かれていた。
デカい。
どうやら、高田は大盛を頼んだようだ。ひょろひょろのくせに、飯だけは毎回やたら食う。
高田は丼を写メで撮ってから、箸を持ってパクパクと食べ始めた。今日は離れていて顔は確認できない。それでも、高田がにこにこ顔で口を動かしている姿は容易に想像がつく。
朝はあれだけ気持ちの悪い存在だったのに、今はどうだろう。人間味溢れる高田の言動に心が反応して微熱を発している。
薄れてくる昨日の記憶。カッターナイフの件はやっぱり見間違いだったのではないかと、過去の自分を疑いたくなってくる。まさか……。となると、話はややこしくなる。高田がアンドロイドじゃないとすると、また犯人探しからとか面倒くさいことになる。