高田を誘う
次の日、おれはいつも通り家を出て、いつも通りの電車に乗って、いつも通りの時間に会社へ出勤した。
あいつはいた。みんなに混じり、何気ない顔をしてパソコンをパチパチと鳴らしていた。
「おはようございまーす」
「おはようございます」
「うっす」
「おはよー」
「おはようさん」
「おはよう」
あいつの「おはようございます」だけ温度を感じない。アンドロイドと分かってから、無機質なモノと接している感覚になってくるから不思議だ。おれは机とかペンとかカバンとかに話しかけたり、名前をつけたりはしない。モノはモノ。いま、おれの席の前で動いている高田と名乗る物体も、モノとしか感じられなくなっていた。
2秒。昨日の夜に出した結論。この間に髪の毛の生えた後頭部に、いまズボンの右ポケットに黒い入れているUSBメモリーを差し込まなければならない。高田を押さえ込もうとした瞬間、どんな抵抗にあうか分からない。だから、相手にとって何が起きているかよく分からない初めの数秒が勝負になると考えた。
高田の背はおれより少し高いぐらいだから、後頭部に関してはまだ捕らえやすい方だと思う。ただ、立っている状態で頭だけを抑えようとすると逃げられる可能性が高い気がしている。急にしゃがみこまれたりすると、簡単に下へ逃げられてしまうだろう。逃げられた瞬間、おれの運命は変わってしまう。そう考えると、腕を巻きつけて首を抑える必要があると思っている。首を抑えれば、頭を左右上下に動かしにくくもなる。ただ、相手の手がどう動いてくるか分からない。普通なら、首に絡んでいる腕をほどこうとするはず。でも、後頭部に大事な部分があると知っているアンドロイドは、自分の後頭部を手で押さえようとしてくるかもしれない。そうすれば、ミッションの成功率がものすごく下がってしまう。
また、このミッションは誰にも見られる訳にもいかない。おれにとっては自分の日常と世界の平和を取り戻すことが一番の目的。だから、他の人間を巻き込むと話がややこしくなると思うし、もしかしたら、秘密を知ってしまった目撃者が命を狙われることだって十分ありえる話。
「木崎くん?」
「はい?」
「やっと返事したわね」
「す、すみません、考え事してました」
どうやら、上手課長に何度も呼ばれていたようだ。おれは慌てて、上手課長の席に向かった。
「今日、午後から打合せあったわよね」
「はい。MONO製薬さんと」
「その打合せ、勉強がてら彼も連れていってあげて」
上手課長は高田も呼んだ。すぐに「はい!」と返事をして、高田はこちらに近づいてきた。
MONO製薬の案件について、以前は上手課長が担当していた。それをおれが引き継いで担当していた。クセの少ないお客さんで、無茶な納期を言ってくることもなく、こちらの立場も理解してくれた上での発言も多かった。そういったことも加味して、上手課長は今日の打合せに高田を同行させるよう言ってきたようだ。
「何でしょう?」
高田は頭を垂れながらやってきた。高田は上下関係に対してしっかりしており、目上の人に生意気な態度や発言をすることは無い。
「今日、木崎くんがMONO製薬に行くんだけど、高田くんも同行してくれる?」
「はい、分かりました」
高田が断る理由はない。
「じゃあ木崎くん、あとはよろしく」
「分かりました」
おれが断る理由もない。
「じゃあ、どっかの会議室取ってくれるか。社内ページからの予約方法知ってたよな」
おれは高田に指示を出した。思ったよりも自然と高田に話しかけることが出来た自分に驚いた。すべてを知ってからの初めてのコンタクト。何気にずっと、どうやって接していったらいいか悩んでいた。
「あら、それぐらいの打合せ、そのへんの会議卓でやったらいいじゃない。会議室は使いたい人がいっぱいいるんだから」
上手課長の指摘によっておれの企みは潰されてしまった。いつもならおれも会議卓を使っていたが、会議室は高田と二人きりで個室に入れるチャンスだった。会議卓には何の敷居もないから、周りから丸見え。USBメモリーを差し込むことなど絶対にできない。
「そうですね、すみません」
おれは何事なかったかのように、上手課長に愛想笑いをした。
「じゃあ、資料印刷すっから、十分後に向こうの会議卓で」
おれがそう言うと、高田は「了解しました」と丁寧にお辞儀をしてから自席に戻っていった。