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岸辺の物語「ルルヌイの子」  作者: 観月
ネマの島の子どもたち
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4

イオネツは今一度自分を取り囲む人々をぐるりと見回し、そして言った。


「ウォルセフが一緒だったよ」

「ウォルセフ? どこの誰だいそれは」

「ルルヌイの子のウォルセフだよ」


 イオネツの答えにミラルディはやれやれというように、首を大きく横に降った。


「それじゃあ、話にならないね」


 ミラルディが手を振ると、それまで漏れていたざわめきが収まり、大広間は、水を打ったような静けさに包まれる。

 誰もがミラルディの次の言葉を待っていた。


「イオネツを、地下牢に連れておいき!」


 大勢の息を飲む気配。

 ミラルディの声に、イオネツの腕が乱暴に引き上げられた。

 両脇を挟まれながら、引きずられていく。


「お待ち下さい」


 タジエナの声がイオネツの背後から聞こえた。その声に、イオネツを引きずっていこうとしていた下衆の動きが止まる。


「イオネツは明日、この中洲を離れることになっております。明後日には十三を迎えます……」

「残念だがタジエナ!」


 極力感情を抑えようとするタジエナの声に、甲高いミラルディの声が重なった。


「疑いが晴れるか、きちんとした罰を受けるまでは地下牢から出すことはできないよ。イオヴェズの火がイオネツの荷から出てきたことは間違いのない事実なんだ。牢から出してほしければ、そのウォルセフという者なり何なり、証拠になるものをお前さんが持っておいで。わかったね」


 そう言い終えると、もうこの後は誰の意見も聞き入れないとばかりに、ミラルディは足早に広間を出て行ってしまった。

 動きを止めていた下衆が、またイオネツを引っ立てていこうとする。


「そんなに引っ張らなくても歩くよ……ねえ……痛いってば……!」


引きずられていきながら、イオネツは母の顔を見ようと、首を後ろに一生懸命に捻ってみたのだが、その顔が目にうつることはなかった。


 

 イオネツが連れて行かれた場所は、地下牢とはいっても、天井近くに小さな明り取りのための窓がある。だから、置いてあるものの輪郭がうっすらと浮かび上がるほどの明るさがあった。晴天の日だったら、もっと明るい光が差し込むに違いない。

 このネマの島の中にある建物は、異国風の木造の建造物がほとんどであるが、地下のこの部屋は石壁に囲まれている。

 アマランス国の中でも温暖なロワンザであるから、この地下牢でも普通なら寒いなどということはないのだろう。だが雨のそぼ降る今日は、気温も低いらしい。

 石壁に触れる背中や尻から、ひんやりとした冷気が這い登り、イオネツの体は冷えていく。

 地下牢などと呼ばれているが、実はそれほど堅牢なものではない。地下の貯蔵庫の一角が格子で仕切られているだけのことだ。その格子には腰をかがめなくては通れないほどの小さな扉があって、平素目にすることはないような大きな錠前が取り付けられていた。

 牢の中から眺めれば、左手奥の方に地上へと続く階段がほんの少し見て取ることができる。そこには、上層から差し込む明るい日差しの中に、見張りの下衆が一人、背筋をピンと伸ばして立っていた。

 下衆の中でも主人のミラルディから一番信頼の厚い、ボノノワという名の、筋骨隆々とした男だ。


 ――これではこっそりナトギ様と会話を交わすこともできない。


 イオネツがほうとため息をついて、自分自身の膝小僧に顔を埋めようとした時、上の階から誰かが地下に降りてくるような気配がした。

 伏せようとしていた顔を上げ、上層へと伸びる階段を眺めていると、差し込む光の中から、館の主人のミラルディと、母タジエナが姿を現した。

 二人の姿を目にしたボノノワが、隅に積み上げられていた椅子を一脚、格子の前に運んでくる。


「すまないね」


 ミラルディはボノノワにそう言うと、用意された椅子の上に腰を下ろした。その隣にはタジエナが立つ。

 ボノノワはミラルディの座るそばに小さな丸テーブルを置くと、その上にランプを灯して、持場に戻っていった。

 ぽうっと灯った炎が伸び上がり、石壁に新らしく人影を作った。


「イオネツ」


 ミラルディの枯れた声が石壁に反射し、うっすらとした残響となって消えていく。それだけのことなのに、なんだかいつも聞いている声とは違うようで、落ち着かない心地になる。


「おまえの荷からイオヴェズの火が出てきた。まあ、これは事実だよ。だけどね。わたしゃ、お前さんが盗ったとは思ってないんだよ」


 膝を抱えて見上げるイオネツの様子を、じっと観察するようにミラルディが見つめていた。


「お前さん、盗人に心当たりはないのかい?」


 イオネツは「知らないよ」と答えてから、ぷいっと横を向く。

 

「別に、僕が犯人でもかまわないよ」


 小さな声だった。それでも物音一つしない地下の部屋の中では、妙に響き、くっきりと耳の奥まで届く。


「何を言っているの!」


 タジエナが、身を乗り出した。


「あなたがやったわけじゃないのでしょう? 犯人になるということがどういうことかわかっているの!?」


 見張りに立っていたボノノワがチラリとこちらの様子をうかがう。声を荒げたタジエナに驚いたのだろう。タジエナが大きな声を出すのは珍しい事だった。


「僕が犯人になったら、どうなるの?」


 イオネツはミラルディにたずねた。


「そうさね。なにがしかの罰は受けてもらわなくてはいけないよ」


 考えるようにミラルディは褐色の指を尖った顎に当てた。


「指をもらうか、墨を入れるか、それとも百叩きか……」

「ふうん」

「そして、お前さんはネマの島から出て行くことはできなくなる。おまえがここから出て行くことができるのは明日いっぱい。明日の刻の門が開く時間まで。だが、おまえが盗みを働いたと知ったら、ヴェイア硝子店ではおまえを雇わないだろうさ。おまえはこの小さな島の中で、下衆となって生きていくしか道はなくなるね」


 イオネツは自分の唇を弄びながらミラルディの話を聞いていたが、くっと顎を上げ、ミラルディへと顔を向けた。


「わかった。それでいいよ」

「なんだって?」

「それでいい。別に僕、この島からどうしても出て行きたいって思ってるわけじゃないんだ」

「イオネツ!」


 激昂したタジエナが、床を踏み鳴らしイオネツの言葉を遮った。イオネツですら、これほど取り乱す母を見たことはない。

 いつも感じる母の優しげな色と香りが、濃くなり薄くなりして、波立っている。


「あなた、簡単に考えすぎているわ。百叩きにしたって、どれほど過酷な罰だかわかっているの? そのうえ、あなたが盗人だという話はこの先ずっとついて回るのよ」

「お前は本当にそれでいいのかい?」

「いいわけないわ!」


 イオネツに向けられた問に、タジエナが大きく頭を振って答えた。とろりとつややかにたゆたう金の髪が乱れている。


「お願いミラルディ、明日の刻の門が開く時間まで待って。私がこの子の無実を証明するから」


 タジエナのきつく握られた拳が、震えていた。

 ミラルディはランプの置かれた丸いテーブルの上を指先でトントンと叩きながら、じっと何事か考え込んでいるようだったが、しばらくすると椅子から腰を上げ、見張りに立っているボノノワを呼んだ。


「話は済んだよ。片付けとくれ」


 そう言って、イスとテーブルを指差す。

 タジエナとイオネツが見守る中、ミラルディは黙って階段下まで歩いていくと、そこで振り返った。


「明日の開門の儀までイオネツに罰を与えるのは待ってやろうかね。だが、ヴェイア硝子店からの迎えはもっと早く、明日の朝には到着するのだよ?」


 確認をするミラルディにタジエナは安堵の息を吐きながら大きく頷いた。


「わかっているわ。なんとかしてみる。恩に着るわ、ミラルディ……」

「別にかまやしないよ。ボノノワ、ちょっと手を貸してくれないかい?」


 ミラルディはそう言って、自分の手を見張りをしているボノノワへと差し出した。ボノノワは差し出された手を取ると、階段を上っていくミラルディの体を支えながら、一緒に上層へと消えていく。


「ありがとう……ミラルディ」


 タジエナは階段を上っていく老女の背中につぶやいた。


「イオネツ」


 振り返ったタジエナは、地下牢の檻に手をかけて、その中にいる息子に語りかけた。 


「あなたに言わなくてはいけないことがあるの。いい? あなたのお父さんのことなの。本当はあなたが十五になるまでにゆっくり伝えようと思っていたのだけど……」


 母の言葉にイオネツは驚いて顔を上げた。


「僕のお父さん?……って、いるの!?」


 タジエナは格子にしがみつきながら、何度もうなずいた。

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