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岸辺の物語「ルルヌイの子」  作者: 観月
ルルヌイの岸辺
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 それにしても。


「イオネツ、お前、いくつだ?」

「僕? 今は十二。……あと三日で十三になるんだ」


 そう答えるイオネツは、何故か浮かない顔をしてうつむいた。

 普段のウォルセフなら、話している相手のそんな様子を見れば「どうかしたか?」と、声をかけるところなのだが、今は目の前にいる少年とタジエナ・ジュンランが親子であるという事の衝撃でそれどころではなかった。


「お前が十二?……十三? って、お前の母さん、いくつだよ?」

「うん。今は三十歳」

「はぁぁぁ!?」


 嘘だ。


 ウォルセフはまっさきにそう思った。あんな三十歳、この世界に存在するはずがない。かつがれているに違いない。そう思って隣のイオネツを見れば、うつむく横顔がタジエナに生き写しで、これで親子でないほうがおかしいという気にもなる。


「本当に、あの人……お前の母ちゃんなのか?」


 ウォルセフの知っている三十代の女と言えば、皆結婚をし、子どもを持ち、家を切り盛りする逞しいおカミさんといった雰囲気の女ばかりだ。恥じらいもなければ、自分自身を「おばさん」と呼ぶことにためらいもない。女を感じさせるような部分はないに等しい。……ようにウォルセフには思える。


「ねえ、一緒に遊ぼうよ?」


 呆然とするウォルセフを尻目に、イオネツはポケットの中から、銅銭やら銅貨を取り出し、座っている石の上にぶちまけた。


「石あて、やろうよ」


 銅貨は、銅銭十枚分の値打ちがある。子どもがジャラジャラと持っているようなものではない。

 ウォルセフは、それを惜しげもなくバラバラと石の上に撒くイオネツにぎょっとした。


「あ、銅銭は四角いから、石あてには向かないんだよね。じゃあさ、この銀貨を親石の代わりにしようよ」


 そう言って別のポケットから取り出したのは、銅貨十枚分の値打ちのある銀貨だ。


「待てよイオネツ! それで石あてやるのか?」


 ウォルセフは、とっさにイオネツの手首を掴んだ。


「うん。そうだよ?」


 いささかも悪びれた様子のないイオネツに、ウォルセフはどうしたらよいものやらと、困惑した。


「石あては、石でやるもんだ」


 取り敢えず、あまりにも当然と思えることを教えたのだが、イオネツは軽く首を傾げ、


「この島の中に、石あてに使えるような石なんて、ないんだよ?」


 とウォルセフに訴える始末だ。


「悪いがイオネツ。俺にはできない」


 多少きつめの声音を出し、そうはっきり言い渡すと、初めてイオネツの顔が歪んだ。


「なんで?」


 悲しげな表情。瞳には薄く透明な膜が張り始める。ウォルセフは自分自身を落ち着かせようとして、ふうっと息を吐くと、なんとか笑みを作ってみせた。


「ルルヌイの子って、知ってるか?」


 イオネツは首を横に振る。


「聞いたことはあるけど、よく知らない」


 そう答えるイオネツは、さほど年の変わらないであろうアッチェレと比べても格段に幼く見える。見た目だけなら、アッチェレは、イオネツよりも幼くすら見えるかもしれないのだが、話す言葉や仕草が、それを裏切る。


「そうか。あのな、ルルヌイの子っていうのは、親に捨てられたり、死に別れたりした子どものことだ。俺もさ、俺もルルヌイの子なんだ」


 それを聞くと、イオネツは目を大きく瞠って、ウォルセフの顔をまじまじと見つめてきた。


「ウォルセフも?」

「そうだ」


 この告白は、イオネツの興味を大いにひいたようで、彼は真剣な顔でウォルセフを見返している。それと同時に、零れ落ちそうだった透明な雫は、引っ込んでしまったらしい。


「俺たちは、町の人たちからルルヌイ川の渡しをすることで、住むところと金を与えてもらうんだ。困ったことがあったら、助けてもらうこともある。だけどな……ルルヌイの子はたくさんいるし、小さい子どもたちや女の子は渡し舟を漕げないだろう? だから渡しのほかにも、たとえば客の荷物運びをしたり、宿を紹介したり、観光の案内をしたりして小遣いを稼ぐんだ。そういう風にして稼いだ金は、自分のものだ。女の子だって、掃除や飯炊きの手伝いに出たりして、金を稼ぐ」


 ウォルセフは散らばる銅貨を指差した。


「そうやってもらう小遣いはだいたい銅銭一枚。だからこの銅貨なんか、めったなことで手にしたことはない。銀貨なんてのは、見たことないやつだっている。この金の中にだって、俺たちがそうして必死に稼いだ金が紛れ込んでいるかもしれない。俺たちばかりじゃないさ。みんなが、一生懸命働いて稼いだ金には、人間の汗とか涙が染み付いてると思う。だから俺は、その金で遊ぶなんてことはできない」


 じっと下を向いて散らばる金を見つめていたイオネツが、銅貨を一枚手に取った。そしてウォルセフを見上げた瞳には、一度は引っ込んだはずの涙がまた、浮かんでいた。


「説教臭いこと言って、ゴメンな」


 柔らかく笑いかけながら、イオネツの前髪を撫でてやる。アッチェレ相手になら、こんなことはしないだろう。彼の方でもそういったスキンシップは求めていない。だが目の前にいる、もうすぐ十三になるというこの少年は、その年にしては、あまりにも無防備で幼かった。

 イオネツは 銅貨を握ったままの手で目元をぐしぐしと拭う。


「ううん。僕も、知らなかった。そういう人たちがいるって。お金にそんな意味があるなんて知らなかった。ごめんなさい」


 ウォルセフは泣きながらあやまるイオネツの中に、タジエナの存在を感じた。

 多分タジエナはこの少年を真綿でくるむようにして育てているのだろう。

 自分がどれほどの思いをして金を稼いでいるのか、息子には悟らせてはいないのだろう。


「お前の母さんは、優しい人なんだろうな……」


 そう言うと、イオネツの顔はぱっと輝いたが、口をついて出てきたセリフは母に対する可愛らしい悪態だ。


「そんなことないよ! 母さんは、すごく厳しいんだ。読み書きをできるようにしなさいって、毎日毎日勉強。それから、きちんとした話し方ができるようにって、言葉遣いにもうるさいんだ」


 なるほど。

 ウォルセフは妙に納得がいった。

 島の中で暮らす子どもたちと会話をしたことはあるが、皆、イオネツよりももっと砕けた、下手をしたらルルヌイの子たちよりも乱暴な言葉を使う。ところがイオネツにはそれがない。どこかのお坊ちゃんと言っても通じるような雰囲気がある。


 これでは……と思う。


 タジエナはイオネツの為を思ってやっているのだろうが、これでは中洲の子どもたちの間では、浮くだろう。


「すごいじゃないか。俺だって、読み書きなんかできないんだぜ」


 そう言ってやれば、こぼれんばかりの笑顔を浮かべる。


 これは、やばいな。と思う。


 この笑顔を見たさに、甘いことを言ってしまいそうだ。


「お前、三日後が誕生日なんだろ? よかったら、きれいな石あて用の石を河原で拾ってきてやろうか?」


 だから、こんなことを言ってしまう。

 ところが目の前のイオネツの顔は困ったような曇り顔になる。しょんぼりとした様子で、散らばった銅貨を拾い集め始めた。


「僕、明後日にはここを出て行くんだ……」

「出て行く? どこへ行くっていうんだ?」

「母さんが、お前はこの島から出て行きなさいって。それで、母さんをひいきにしているロワンザの町にある硝子製品を扱う大きなお店に、住み込みで働かせてもらうことになってるんだ。ヴェイア硝子店って、知ってる? 明後日、そこのお店のご主人が僕を迎えに来るんだって……」


 悲しげに、そう言う。イオネツは硬貨をすっかり拾い集めると、ポケットにしまった。

 会話は途切れ、しとしとと降る雨音が聞こえた。

 ウォルセフの隣で、イオネツは抱えた膝の中に顔を埋めてしまった。

 ヴェイア硝子店というのは、ロワンザでも一番に大きな硝子店だ。店の主人が硝子工芸の盛んなヴェイア出身で、質の良い商品を買い付けてくるために、人気も高い。


「だったら……」


 ウォルセフがそっと発した声は、雨音の中に吸い込まれた。

 押し寄せる静寂と暗闇のなか、小さなランタンの灯る屋根の下で、たった二人だった。


「ルルヌイ川の渡し場に……俺に、会いに来いよ。その時までに石を拾っておいてやるよ」


 イオネツは膝の中に埋めていた顔を上げ、頬を膝小僧に乗せたままウォルセフの方を向いた。


「ほんとう?」

「ああ、本当だ」


 そう言ってやると、えへへと笑いながらずずっと鼻をすする。


「ルルヌイの子なら、皆俺を知ってる。ウォルセフって名前を出せば、俺につながる」

「うん……ねえ、ウォルセフ」


 右の腕がほんわりと温かくなる。

 イオネツがウォルセフに少しだけ身を寄せてきたらしい。確かに、空気は先程よりも冷えていた。


「じゃあさ、話を聞かせてくれないかな?」

「話?」

「うん。ロワンザの町の話。僕、一度もこの島の中から出たことがないんだ。ねえ、どんなところ?」

「ん? ああ、そうだなあ」


 なにを話してやろうか。

 雨は降り続いている。雨に濡れて歩くのは別に苦ではないのだが、この暗闇だ。今晩一晩は、このナトギの社の四阿(あずまや)で、夜を明かすのもいいのかもしれない。

 そう考えると、ウォルセフは、背後にあった柱にゆったりと体重を預けた。


「ロワンザには、北町と南町ってのがあってさ……このネマの島があるのは南町、北町にはルルヌイ川の渡し場がある、それから北町には……」


 ウォルセフはぬくもりを感じながら、ロワンザの町の話を、イオネツに語って聞かせた。

 降りしきる静かな雨のなか、二人の子どもは身を寄せ合い、いつの間にか眠りに落ちているのだった。

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