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5

 イオネツは一人、テノッサに 会うために地下室へと向かった。

 地上から地下へと伸びる急な階段を降りていくと、次第に空気がひんやりとしてくる。

 地下室への入り口には見張りの下衆が立っていた。

 階段を降りてきたのがイオネツであると確認する。


「どうした? 何か用でもあるのか?」


 首を傾げて尋ねてきた。


「うん。ちょっとテノッサと話がしたくてさ。ミラルディには許可を取ってあるよ」


 いい? と聞く代わりに、イオネツは部屋の中を伺うような仕草をする。


「ああ……かまわねえよ。なんかあったら、声掛けな」


 下衆は、ポンポンとイオネツの肩を叩き、階段を上へと上っていった。席を外してくれるつもりらしい。イオネツはその背中を見上げながら、


「ありがとう」


 と声をかける。

 下衆が上層にたどり着くのを見届けてから、イオネツは地下室の中へと足を踏み入れた。

 ほんの少し前まで自分の居た、格子で区切られた小部屋の中に、今はテノッサが片膝を立てて座っている。


「よう」


 イオネツを認めたテノッサは、自分から声をかけてきた。

 悪びれた様子もなく、何かが吹っ切れたようなその表情は穏やかですらある。


「やあ、あの、ちょっと……なんていうか、話がしたくてさ……」


 逆に、イオネツのほうがドギマギとしてしまう。

 テノッサとこうして向き合い、きちんと話をするのは、久しぶりのことだった。


「なんだよ、話って。俺のせいでここからから出て行けなくなったって、文句でもいいに来たのか?」

「……え?」


 イオネツは、思ってもいなかったことを言われて、虚を突かれたような気持ちになる。もともと、ネマの島から出て行きたかったわけではないのだ。 

 周囲からどう見られているかはさておき、今回の事件はイオネツにとっては渡りに舟ぐらいのものであった。


「ああ、ううん。僕、そのことはそれ程がっかりしてないんだ」


 そう答えると、テノッサがはははっ! と声を立てて笑った。


「おめぇ、正直すぎだ……」


 笑いながらそんなことを言っている。


「うん。母さんはがっかりしたと思うけど……」


 イオネツは赤面しながら答えた。


「でも、まあ、なんだ……悪かったな……」


 テノッサはイオネツから顔を背けると、ボソリとそう言った。

 まさか謝ってもらえるなんて思っていなかったイオネツは、ここへやってきた用事も忘れてぽかんとしてしまう。あんまり見つめていたらテノッサは「なんだよ」と言いながらイオネツを睨んだ。でもその目の奥には、今までのように刺すような気配はない。


「ううん。謝ってくれて……ありがと」


 テノッサは、フンと鼻を鳴らした。


「ねえテノッサ。モニエルのことなんだけど……」


 モニエルの名前が出た途端に穏やかだった空気が一変し、テノッサの纏う雰囲気が硬度を増した。


「ごめん! さっきは咄嗟にごめん! 絶対に他の人にはしゃべらないよ。でも、僕知りたかったんだ。ねえ、僕は知る権利があるでしょう?」


 テノッサは瞳の奥に暗い炎をちらつかせながら、それでもただ黙っていた。


「君が犯人だなんて、僕思ってない。だって、なにもかも、君らしくないんだもの。あの日、君はこの艶麗館の子どもたちと一緒に清華亭へ行ったよね。天気も悪くてさ。いったん清華亭に行ったのにわざわざ戻ってくるなんて……それも一人でさ。君、そんなことしないじゃないか。自分で、たった一人で艶麗館に戻るなんて、変だもん。それに僕、君が次の日の朝みんなと一緒に帰ってくるところにも出くわしてるんだよ? 清華亭に行って、すぐに一人で艶麗館に戻って、ミラルディの指輪を盗んで、僕の荷物に隠して、また清華亭に行ったの? ね? おかしいだろう? 盗むにしたってさ、テノッサなら、もっと上手くやりそうだもん。そんな行き当たりばったりなの、おかしいよ。いくら指輪が出しっぱなしだったって、テノッサならそんなのに手は出さないと思う。もっと計画的にやりそうだよ」


 そこまで言って、イオネツは牢の中のテノッサの様子をうかがってみた。睨みつけるようにイオネツに向けられていた目は、今は床の一点に向けられたまま、テノッサは何の反応も返してよこさなかった。

 少し考えてから、イオネツはまた口を開いた。


「ねえ、あの日、モニエルはミラルディに薬湯を運んだんだよね? そう考えると……」

「ごちゃごちゃうるせえな!」


 テノッサの怒声がイオネツの声を遮った。

 イオネツは口をつぐむ。薄暗い地下の空間にまた沈黙が降りる。

 テノッサの怒声が聞こえたのか、上の階から、ドンドン! と、床を叩くような音が聞こえた。


「ごめん! 大丈夫だよー!」


 イオネツは階段の上へ向かって大きな声でそう言うと、またテノッサへと向き直った。


「やっぱり……そう……なんだ」


 うるさいと言いながら、テノッサの反応はイオネツの中に芽生えていた疑惑を肯定したようなものだ。もしイオネツの指摘が見当違いなら、怒鳴りつけたりはしないだろう。


「おまえ……」


 テノッサは立ち上がる。格子を挟んで息がかかりそうなほどの距離にお互いの顔があった。


「それをわざわざ言いに来たのか? たしかにおまえには迷惑かけた。けどもう、今回のことの決着はついた。俺だって罰を受ける。それでいいじゃねえか……」

 

 テノッサはそこまで言うと、少し腰をかがめて、うつむくイオネツの顔を覗き込んだ。


「泣いてるのか?」


 自分でも泣いていることに気がついていなかったイオネツは、はっとして目を拭った。


「だって、僕だって、モニエルのことは、大好きだったんだ……」


 テノッサはくるりと後ろを向くと、木の格子に背を預けた。格子戸を挟んでテノッサのすぐ背後にイオネツが立っている。

 目の前にあるテノッサの背中が上下して、ふーっと吐き出される呼吸音が聞こえた。


「アイツもさ。アイツもお前のことは大好きだったぜ?」

「じゃあ、なんでっ!」


 涙に声が詰まった。

 艶麗館を出て行けなかったことはどうでもいい。でも、好ましいと思っていたモニエルがイオネツを陥れるようなことをしたのだということが、ショックだった。


「目の前の開きっぱなしの引き出しの中に指輪を見つけて、気がついたらそれ盗んで、お前の荷物に入れてたんだとさ……。お前のことが大好きなのに、島を出て行けること、一緒に喜んでやりたいのにって、大泣きしてたぜ? わかるかお前? 親もなく、ネマの島に閉じ込められて一生を終えるんだなって、俺だって時々めまいがするんだぜ。あいつは、月のものが来たんなら、店に出るんだろ? 今は俺たち、同じ服を着て、みんな一緒に生活してるのにさ、あいつはひらひらした服に着替えて、この館に閉じ込められて、一生出られやしないんだ。男は……下衆だけは館の主の許可があれば、外と内を行き来することができる。けど、あいつは決して外の世界は見られないんだ。そして……そんでさ……お前だって知ってるだろ?」


 テノッサが僅かに陽光を落とす天井近くの明り窓の方へと顔を上げた。体の脇で握りしめられていた拳は、細かく震えている。


「どんなにきれいな服を着たって、もし、あいつがジュンランになったとしたって……、あいつは自分自身を切り売りして生きていくんだ……。生きながら、殺されていくみてぇだって、あいつ言ってたぜ」


 テノッサは震える声を押さえつけるように最後まで言い切ると、握った拳で、自分自身の腿を叩いた。

 

 イオネツは呆然と、ただその様子を見ていた。

 幼い頃から母に「お前は大きくなったらここを出て行くのだから」と、言い含められて生きてきた。だから余計なものは見なくていいのだと、視線の先は柔らかい母の手で塞がれてきたのだ。守られて生きてきたのだ。

 母のそばにいたいと願った。だから、この島から出たいなんて、思ったことがなかった。

 この島で暮らすテノッサやモニエルの思いなんて、今の今まで、まったく気づいていなかった。


「ごめん……ごめんなさい……ぼくっ」


 泣く資格などないと思うのに、涙を押しとどめることができない。先程先ほどとは違う涙が溢れる。

 うつむいて必死で嗚咽をこらえていると、ふわりと頭の上に温かいものが乗った。

 ひくっ! と息を呑んで上目遣いに見上げると、こちらを振り返ったテノッサの手が、格子の隙間からイオネツの髪の上にあった。


「お前は、泣き虫だよな。そんで……ガキだな」

「ガキじゃ、ないよ……っ、もう、十三に、なるんだから」


 ふっと、テノッサの口元から空気が漏れるような音がした。


「まだガキだよ。俺より二コも、年下なんだから」


 イオネツは膨れてみせる。だって、そんなことを言ったら、一生年下なのは変わらないからだ。


「じゃあ、僕……そろそろ戻らなきゃ……」

「そうだな……」


 テノッサの手が、一度キュッとイオネツの髪を掴み、軽く引っ張ってから離れていった。

 イオネツが一歩下がる。


「今話したことは、他の奴らは知らない。あの日、清華亭に来たモニエルの様子がおかしかったから、席を外して俺が聞き出して、そこで口裏を合わせることに俺が決めた。だから他の子どもたちは、その間に俺とモニエルが盗んだと思ってる。ガキどもなんて、疑いもしやしねえよ。モニエルにも、しゃべるんじゃねえって脅してあっからな」


 そう言うと、テノッサはニヤリと嗤った。


「うん、わかってるよ。僕も誰にも言わない。じゃあ、ね」


「イオネツ……」

 出口へ向かうイオネツの名を、テノッサが呼んだ。


「悪かったとは思っている。俺は……お前はこの中州を出て行くべきだと、思っていた……」


 イオネツはその言葉を聞くとただ黙って左右に首を振り、暗く湿った地下室を出て、地上階から伸びる光を見上げた。

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