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岸辺の物語「ルルヌイの子」  作者: 観月
ルルヌイの子
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2


 

 ウォルセフはその日、町の代表の集まる評議会に、ルルヌイの子のリーダーの一人として出席をした。この評議会は仕事の少ない雨の日に開催され、町の代表の評議委員と、町の警備を担当する焔隊の代表、それにルルヌイの子のグループリーダーが出席する。

 町の現状や、これからについての話し合いが持たれるわけだが、たいていはその後に宴会へとなだれ込む。

 集まったメンバーの中で一番下っ端のウォルセフたちルルヌイの子のリーダー五名は、使い走りや、皆の接待でくたくたになる。しかし、そのおかげで孤児である彼らはロワンザの町の人々に受け入れられ、安心して生きていくことができるのだ。嫌も応もない。

 そうしてようやくルルヌイの子の住む川べりへ帰り着いてみれば、一人の下衆が、ウォルセフを待ち構えていた。アッチェレと一緒に半日もの間、ウォルセフの帰りを待ち続けていたらしい。

 嬉しげに立ち上がり手紙を差し出した下衆にウォルセフは言った。


「俺、字が読めないんだけど……」


 下衆は目をパチパチとしばたき、困ったような表情を浮かべた。


「俺もです」


 何とも言えない沈黙があった。


 ウォルセフは、数字なら難なく読むことができた。それに、幾つかの単語くらいならわかる。だが、手紙のような文章をスラスラと読むことはできない。そしてそれは他のルルヌイの子も同じだ。


「ウォルセフさん、とても大事な手紙なんで……」


 下衆はそう訴えながら頭をかく。

 そう言われても、ウォルセフにはこの手紙を読むすべがない。周囲に文字が読める人間もいない。


「俺は内容までは知っちゃいねえし、いろいろ伝えることはできねえけど……」


 下衆はじっとウォルセフを見つめ、


「明日の開門の儀までです」


 と、ひとこと言った。


「は?」

「開門の儀までになんとかしねえと、いけねえんで……」

「それって……イオネツに何か関係があるのか?」


 もっと聞き出そうと、ウォルセフが問いかけたのだが、男はそれ以上は何も答えてはくれない。

 ただしばらくウォルセフを食い入るように見つめてきた。頼りなげな印象だった下衆の目に、ぎゅっと力がこもり、そして、しばらくするとふっと目をそらした。


「さてっと、随分と遅くなっちまいました」


 下衆の男はつぶやき、座っていた腰掛けから立ち上がる。


「待てよ! 明日? 開門の儀までにこれ読めってこと? 明日で間に合う?……のか? イオネツが中洲を出るまでに読めってこと? いや、イオネツが中洲を出るまでなら、明日中で間に合うわけだから……」


 男は墨色の布を頭に巻きながら、ウォルセフの問いかけにフンフンと軽くうなずくだけだった。


「ではウォルセフさん、手紙は確かに渡しましたよ」


 ペコペコと頭を下げながら、その場を去っていく。

 ウォルセフがその後姿を見送り、どうしたものかと空を見上げると、ミルクを流したような銀河が見えた。雲が、星の海を渡っていく。


「なあ、ウォルセフ。それ、どうすんの?」


 それまで黙って話を聞いていたアッチェレが、背後からひょっこりと顔を出し、ウォルセフの手の中の手紙を興味深げに覗き込んだ。

 早く内容を知りたいのはやまやまだったが、これから町まで戻るという気力がない。それに、一刻を争う事態でもないらしい。

 明日の、開門の儀まで。

 それならば十分に時間がある。


「明日の朝一で、字の読める兄貴を誰か捕まえる」

「アトスと、バルニオあたりかい?」

「そうだな……」


 めったに使うことのない気を使いまくり、一日接待をしてきたウォルセフはくたくただった。

 渡しの仕事のほうが体力的にはきつい。だが渡しの仕事と評議会に出席する仕事、どちらがいいかと問われれば迷いなく渡しの仕事を選ぶ。

 ウォルセフが肩をぐるぐると回すと、バキバキバキっと、音がなった。


 ◇

 

 日の出前の、まだ薄暗いロワンザの町は、冷たい靄に包まれていた。

 ウォルセフは、しんと静まった通りを北へ向かっている。

 懐に手を当てると、そこに入っている紙がかさりと小さな音をたてた。

 それは、生まれて初めて自分宛てに届いた手紙だった。

 文字の読めないウォルセフは、まだ手紙の内容を知らずにいる。

 だが、マスカダイン島一の歓楽街、ネマの島を代表する遊女が下衆を使ってまで届けた手紙だ。大切なことが書かれているに違いない。

 そう思うと、自然に足は早まるのだった。

 ウォルセフは北町の外れにある、アトスとバルニオの家を訪ねようとしている。

 ルルヌイの子を抜けたばかりの二人は、今はルルヌイの治安を護る廻り番に所属していた。廻り番というのは罪人などを捕まえる焔隊の下部組織であり、ルルヌイの子を抜けた者が最も多くその先の勤め口として選ぶ組織だった。

 一人者ひとりものの若い廻り番は、たいてい北町の外れにある石造りの長屋に住んでいる。

 大通りからそれた雑然とした細い通りには、長屋の小さな扉がいくつも並んでいた。

 ウォルセフは、その扉のうちの一つを、どんどんと勢いよく叩く。


「アトス! バルニオ! 起きてる?」


 返答は待たずに扉を開けた。

 筋骨隆々のたくましい大男が目の前にいて、ウォルセフは踏み込もうとしていた足を止めた。男は中腰になって炉に火を入れ、湯を沸かしているところだった。


「あ、おはようアトス」

「ああ、ずいぶん早いな……」


 アトスは振り返り、口に咥えていた葉巻を指にはさむと、ぷかりと煙を吐き出した。

 ウォルセフが首を伸ばして部屋の中を見ると、アトスの同居人であるバルニオは、まだベットに丸まり、夢の中にいるらしい。

 何しろ小さな長屋だから、入ってすぐの炉と、その向こうの部屋一つしかない。首をちょっと伸ばせば隅々まで見渡せる。

 

「アトス、頼みがあるんだ。文字を習ってるんだろ? これ、読んでくれないかな? 急いでるんだ」


 ウォルセフは、懐の中から折りたたまれた手紙を取り出した。

 アトスは黙って受け取ると、石壁にもたれながら広げる。

 その間に、ウォルセフは火にかけてある鍋の中を覗いた。鍋の中には、干し肉と菜っ葉のスープが入っていて、部屋の中には良い匂いが漂っていた。


「ウォルセフ。そこにあるパーミをスープの中に入れてくれるか。煮立ったらな」

「うん」


 ふつふつと沸騰し始めた鍋の脇には穀物をすりつぶし、水でこねてから小さくちぎり、平べったい団子状にしたものがザルに入れられてある。パーミとか、パミと呼ばれる食べ物だ。

 ウォルセフは、次第にグツグツと大きく泡立ち始めた鍋の中に、一気にそれを投入した。そしてじっと鍋の中の様子を見守る。再びスープが沸騰し、一度底に沈んだパーミが浮き上がってくれば出来上がりだ。パーミに中まで火が通らないと美味しくないし、茹ですぎるとドロドロとしてしまい、これまた美味しくない。


「ルルヌイの子、ウォルセフ様」


 アトスが手紙を読み上げ始めた。


「先日……息子、イーネツ……お世話、する、いや、した。ありがとうございます」


 ウォルセフはパーミ入りスープの様子を眺めながら、アトスの声に耳を傾けた。


「私は、イ……あ、イオネツ? の母親で……た……た?……ああ、ちくしょう! 頭が割れるようだ」


 とアトスが呻いた。どうやらアトスの読解能力も大したことはないらしい。

 アトスは寄りかかっていた石壁から離れ、部屋の奥へと入っていくと、寝ているバルニオを足で蹴りとばした。


「バルニオ起きろよ。飯だ。そんでもってこいつを読むのを手伝ってくれ」


 大あくびをしながら起き上がったバルニオは、アトスとは対象的に針金のように細い男だった。顔も、アトスは角ばったしっかりとした顎であるのに対し、バルニオの方は細長い顔に尖った顎だ。

 体格がよく物静かだが気の良いアトスと、細い体で落ち着きがなく機転の効くバルニオは、正反対ではあるが、ウォルセフのグループのリーダーとサブをかつて務めていたコンビでもある。彼らはウォルセフとアッチェレを自分たちの後任に指名すると、仲良くルルヌイの子を引退し、今はこの長屋で暮らしていた。

 起き上がったバルニオの鼻先にアトスが手紙を突き出した。

 まだ目の開かないバルニオは、頭やら体をボリボリとかきむしり、口の中で何やらもごもごと文句を言っていた。


「なんだよー、朝っぱらから……。まだ早いんじゃないのぉ?」


 そう言いながら眠たげに薄目を開ける。


「あっれー? ウォルセフぅ?」


 と、頓狂な声を上げた。炊事場で立ち働くウォルセフに気がついたらしい。

 台所と部屋を仕切っているのは大人の胸の高さほどの板一枚しかないのだ。


「バルニオ、おはよう!」


 元気に挨拶するウォルセフに、


「おはよーさんー」


 とだらけた様子で返事をする。

 バルニオに手紙を押し付けると、アトスは炊事場に戻ってきた。


「おまえも食ってきな」


 そう言って、鍋の中から三つのお椀に出来上がったばかりのスープをよそっている。そして、部屋の隅にある、少しばかり斜めに傾いている小さな木製の丸テーブルに湯気を立てている椀を並べた。

 そら、と言って目の前に木製のスプーンが差し出される。

 ウォルセフは礼を言って受け取り、席に着くと、椀のなかのバーミ入りの干し肉のスープを口に運んだ。


「これ、昨日見回りに行った店の女将さんに貰ったやつだ」


 といって、スープの脇に丸い焼き菓子が添えられる。



「ルルヌイの子、ウォルセフ様。

 先日は息子がお世話になり、ありがとうございました。

 私は、イオネツの母、タジエナと申します」


 まだ布団の中にいるバルニオが、手紙を読み始めた。


「本当なら私が直接出向いてあなたにお願いをしなければならないのでしょうが、私はこのネマの島から出ることが許されていません。私付きの下衆に手紙を託しました。ご無礼をお許し下さい。

 今、息子のイオネツは盗みの嫌疑をかけられ、地下牢に入れられております。イオネツが盗みを働いたと言われているのは、私が鍵役を務めました晩の、雨の降り出した頃のことでございます。息子はあなた様と一緒にいたと申しております。

 もし、このことが本当でしたら、あなた様に息子の無実を証明していただきたいのです。

 明日の開門の儀を過ぎると、イオネツはこの中洲から出て行くことができなくなってしまいます。

 どうぞ、あなた様のお力をお貸しくださいませ。


タジエナ・ジュンラン」


 しばしの沈黙。


「ええええええ!? タジエナ・ジュンランって、あのタジエナ?」


 バルニオの声が早朝の長屋に響き渡った。アトスがうるさいというように耳をふさぐジェスチャーをする。

 スープを啜っていたウォルセフは、動きを止めた。


「明日って……その手紙貰ったの……昨日だぞ? 今何時(なんどき)だ?」


 呆然と呟く。


「まあ、あわてることもなかろ。開門の儀は日没だぞ」


 バルニオにそう言われたが、ウォルセフは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、


「あわてるよ!」


 と叫んだ。


「刻の門はシャンケの時シャンケの刻(午前九時半頃)を過ぎたら閉まっちまうんだぞ! そうしたら、島に渡れないじゃないか!」


 しばしの沈黙の後に「あー」という間の抜けた声をバルニオがあげた。


「走れ! ウォルセフ!」


 アトスの声を合図に、ウォルセフはバルニオから手紙をひったくると、一目散に部屋を飛び出していった。

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