2.闇市の昼下がり
今日は夢を見なかった。疲れ切った体は脳をしっかりと抑えんだらしい。イネは事務所の仮眠室から這い出した。ブラインド越しに差し込む鈍い明りを頼りに電灯をつけて、薄い寝間着のまま、よろよろと洗面所に向かう。黒髪が、赤っぽく光った。疲れのせいか、痛みやすくてたまらない。セミロング程度に短くしたというのに、だめかあ、と頬を撫で回した。
ショボショボする目のまま顔を水で洗う。癖で洗顔料を探すがとうに切れたんだと手を戻して、タオルで顔を拭いた。こういう細かいものは次の補給か交代まで待つか。それか廃墟の街から発掘するか、闇市で買うか。どちらも難しいところだ。まだ発電機と井戸の汲み上げポンプが動いているから、ほかの戦場よりマシな方だけど。
所帯じみた思考に割り込んでくる汗の臭い。ぐっしょりとした野戦服と下着をぶち込んだ洗濯籠があった。
「わ゛ーすーれーてーたー」
さっさと片づけなければ。ため息を吐いた後、粉洗剤と一緒に洗濯機に放り込む。しかし、乾くまで時間がかかる。予備の服はこの間ざっくり裂けてしまった。
仕方ないので、ささっと学校の制服に着替える。イネのひいひいおじいちゃん、その祖国、地球の日本で使われたセーラー服という系統の制服だ。黄色いスカーフを襟下にある輪に通して、ふわりと整える。これでひさびさの女子高生だ。どうにもスカートは落ち着かないが、それ以上に懐かしさに頬が緩む。
結局、高校には、ほぼ通えなかったが、それでも本来の形に収まった気がする。うっへっへっ、とはにかむ。
忘れずに通信機つきのヘッドホンを首にかけて、多機能ベルトを腰に締める。修めていたお守り代わりの拳銃に予備の弾薬と榴弾、ちょっとした応急処置キット、手帳にペン、そして愛用のカメラをそれぞれ確認する。
ベルトはサバイバルゲームのための玩具だが、デジタル・カメラは馬鹿みたいに頑丈なものだ。画面を見れば、懐かしい顔が微笑んでいるが。いつまでも眺めてばかりもいられない。
「さぁて、今日も頑張りますかねぇ」
肩から体をぐっと伸ばして、体をほぐす。ゴリゴリとなりそうな体をストレッチしてから、適当な保存食とペットボトルを手近なリュックサックに数個、詰めた。こちらも微妙だ。念のため持っていくが、ちゃんと炊いた白いお米が食べたい。文句を載せた鼻息を吐き、一番食べるのが簡単なゼリー飲料を朝食がわりにすすりながら歩く。
父母がいたら行儀の悪さに眉をしかめるだろうが、もう、どこにいるかもわからない。どこかに疎開しているといいけれど。
ぼんやりとした思考のまま、グレネードランチャーを肩掛けカバンのように身に着ける。そして、ゆっくりと外に出た。曇天広がるの下、わずかにぬるい風が吹き始めていた。砂利の敷き詰められた事務所の庭は管理がされていない。そのためか、積もった灰の間から青草が伸びてしまっていた。
そんな中に止めてあった自転車に乗る。いわゆるマウンテンバイクで通学用に買ったものだった。郊外から高校へ行くために買ったものだ。しかし、熱源や振動音の探知に引っ掛かりづらいので、むしろ戦争開始後の方が活躍している第二の愛機だ。
「よぉいしょぉッ!」
気合を入れて扱ぎ出す。高台になっている事務所から、壊れた街へと勢いよくこぎ出した。灰が噴き上がる坂道を猛然と下っていく。下に行けば行くほど爆撃のせいでボロボロと崩れている悪路だが、何度もさすがに慣れた。
爆弾の直撃を受けてバラバラになった建物はかつて通っていた高校だ。その脇を抜けて砲弾が貫通したビル街に入り込む。大型ショッピングモールだった廃墟を抜ければ、ざわめきが聞こえてきた。
巨大な駅、そしてその前のだだっ広いロータリーを利用した市場がある。路線としては電気が通っていないため、死んでいるが、線路は自体は損害が少ない。そのため、こうして商機を見つけた人々や街の生き残りが、隔週の土日に出店して臨時市場を築いている。
それを見張るように、灰色に塗られた歩行車両が駅を背に立っていた。愛機と同型のノーマッドだが、頭部に取り付けられたカメラは橙色をした丸い二つ目で、標準型の頭部よりも格闘戦での立体視を優先したものになっている。値段もお手頃で補給しやすいのもメリットだ。なんといっても愛嬌がある顔が、イネとしては気に入っていた。
それにイネはぶんぶんと手を振った。反応して胴体装甲がスライドして、コックピットが椅子ごとゆっくり降りてくる。
ガタイと貫禄がある男が、狭いコックピットにちょこんと座っているのは、ちょっと笑えた。へらへらと顔をゆるめて、イネはさらに近づく。
「いやあ、社長、無事開催ですねー」
「おまえがよくやったからな」
社長と呼ばれた男は眠そうに答える。いつもはオールバックにして、ぴっちと決めているはずの黒髪もぴょんぴょんと乱れている。元々、濃い顔をしていたが、疲労のためかすっかり野趣あふれる風貌だ。今まで夜番をしていたようで、大破して休んでた葉山の頭は思わず下がる。もっとも気を使うと、この男は割とメンドクサイので、サクッと気分を持ち上げることにする。
昨日の夕刻、正統政府の小隊がこの市場にちょっかいをかけてきた。イネ達が所属する民兵組織“都市国家同盟”との戦争は長引くばかりで、小競り合いばかりが続いている。どちらの勢力も決定打がなかった。
地球からの支援を受けた正統政府は、だだっ広い惑星グリーンネストでばらばらと反乱を起こす各勢力には対処しきれず、戦線は伸びに伸びている。
逆にこちら、惑星政府側も惑星の大統領が空爆で亡くなったため、勢力は思惑ごとに分断されてしまった。協力はしているものの一枚岩になりきれず、また正統政府の本拠点が宇宙軌道にあるため攻めあぐねているのが現状だった。
小競り合いばかりが続き、昨日の夕刻で起こった戦いも少数勢力による市場の摘発だ。正統政府にとっては闇市であり、反乱軍の支援もしていると見なされている。実際、どこから手に入れたのか、歩行車両のパーツなども並んでいるし、気合の入った商人は傭兵まがいの連中を歩行車両に乗せていることも少なくない。
「いやあ、昨日はヤバかったですね」
「まあよく生き残ったもんだ。さすが“大破の”イネ」
「むぅー、それは褒めてませーん」
唇をすぼめて、肩をだらんとして猫背になる。頬を膨らませて口からぶーっという唸り声を出していく。
現状、相手も少数なら、こちらも大きく戦力は裂けない。“都市国家同盟”がこの定期市場に出した護衛は歩行車両が四台だけだ。うち一台は整備用の予備機だから、実質三機が護衛だ。この規模の人間を統率するには少ないが、協力的な自治会があるのでなんとか回っている。
不満を抱えたまま、ざわめきの方、焦点に目を向ける。顔を戻して自転車のペダルを逆に回しながら、問いかける。
「で、社長、うちの商売はうまくいってます?」
商売といっても、襲撃してきた敵から強奪した武器や歩行車両本体だのを売り払って整備代金や活動資金の足しにしている。むしろ、これがないと回らないぐらいだ。補給も予算もまちまちの民兵小隊ではよくある話である。
昨日はイネの愛機がボロボロになる変わりに、敵の装備を腕ごと二本もぎ取り、おなじくボロボロながら一台、鹵獲した。パイロットには森へとおかえり願ったので、面倒くさい捕虜の処理もしなくて済む。
「ああ、朝一番に買い取ってくれたぜ。目減りしねぇように、ほとんどは部品と飯に変えておいた。いつもの倉庫にしまってあるからもってけ」
「おおー、ナイスです。今夜は銀シャリですねッ! よ、イサゴ興業バンザーイッ!」
「はッ、まあうまくやらなきゃ、名前に負けちまうからな」
唇を弾きながら社長こと砂金天十郎は答える。意思の強い目と四角張った顔が、わずかにニヤリと歪む。相変わらず悪そうな面構えだ。その割に面倒見はよく、彼の名を取ってイネ達の歩行車両チームはイサゴ興業を名乗っている。
実際に部隊指揮を任されているのはイネだが、対外的にはやっぱり見た目がいかにも隊長めいている天十郎の方が努めている。学歴も地球留学をして大学まで行ったエリートだ。イネよりは交渉のいろはも知っている。
「さぁて、ついでに、日用品の買い物でも……」
自転車を預けて、おひとり様一箱と大々的に書かれた旗の下、トイレットペーパー売りの方へいこうか、という時にヘッドホンが振動し、社長のコックピットの画面もうるさく明滅する。
森に置いた見張りからだ。顔を引き締めてヘッドフォンを被る。マイクを合わせて通信を入れると、うるさい声が二重で入り込む。社長のコックピットからもビンビンと唸るような声が響いているせいだ。
「はろーはろー、どうにもお客さんが来ているっぽい。映像送るよー」
ゆるい声で少年の声がざらついた音を立てて響く。首都空爆の時、使用された特殊弾頭のせいで通信機器はいつだってノイズ交じりだ。耳が痛くなるのを我慢して、通信機のスイッチをひねる。すると投影された映像が網膜に割り込んでくる。目が痛くなるので好きではないが、仕方ない。
「輸送車か」
「そーそー、たぶんフロッガー」
網膜に写されたのは森の中、グリーンネスト特有の巨大なシダの木が並ぶんでいる。その間をすり抜けるような狭い道路いっぱいに粉塵を吹き上げる大型車両フロッガーが見えた。対歩兵用に多少の武装と装甲を取り付けているが、基本は民間用のホバートラックだ。昔から大量の物体を道の悪い郊外へと運ぶのに使っていたが、今となっては歩行車両を運ぶのに用いられることが多い。
唸り声をあげてから、イネは声を張り上げた。
「トレヴァー、適当に張り付いて。ヤバかったら撤退して。社長と一緒に向かうから、交戦は避ける感じでよろしく」
「あいあいまむ」
通信はわずかな雑音のあとぶつりと切れた。さて、と唇に親指を当てて頭を傾ける。どう対処したものかと、ぐるぐると思考を回す。
「戦いは避けるべきだな、きびしいぞ」
疲れ切った顔でストローボトルから水をすする。タナゴからの連絡もないが、あれだけの破損ではイネのノーマッドは修理が終わらないだろう。タナゴの乗る予備機はあるが、あくまで整備用、それで水増しするのも厳しい。
唇をするりと撫でて、イネは唸る。
「ゔーん。確かに、うちじゃあ、対処しきれないですしねぇ」
「フロッガーだからな。最悪、歩行車両4台と殴り合いだ」
「いやはや。こんな時じゃなければ狙い目だったんですけどねぇ」
戦地は入り組んでいるが、都市空爆に晒された地域であるアヅマや首都近郊は、拠点としての重要性はかなり低い。そのため、配置される戦力もまばらで緩衝地帯に近いものになっている。互いが互い、秘密裏に輸送隊を通すのによく使われている。おそらく、そのうちの一つだろう。
「とりあえず、合流しましょう。市場に来ないようだったらスルーで」
「分かった、先に行くぞ」
「お願いしますぅー」
できるだけ気楽に頼みながら、胸部へと飲み込まれていく天十郎を見送った。巨大な二つ目が橙色に輝いてく。安っぽい塗料のせいで、玩具めいているが、それでも三メートルを超す巨人は圧迫感がある。
それから自転車ごと離れていく。
確認しただろう社長は同時に、ノーマッドの腰部のホバーを起動した。巨人は腰から猛然と空気を吸い込み、股下から吐き出す。そうしてホバーで軽くなった機体が、思い切り地面を蹴る。そのまま跳ねて跳ねて、あっという間に小さくなる。
ホバークラフトを使った沼地や不整地でも劣化しない機動性。頑丈さ、価格と並んでノーマッドの強みだ。
風で暴れないように後ろ髪をゴムで縛りつけて、気合を入れなおす。
「嗚呼、いいなあフロッガーぁー。うちも欲しいぞフロッガーぁー、居住スペースぅー、お風呂つきぃー」
緊張とは真逆の間の抜けた声、空想を歌にしながら必死に自転車をひいひいと踏み込み、森の小道へと向かっていく。それに通信が割り込む。
「みつかっちたい。めんごめんご」
トレヴァーの軽く、ゆるい声が思考を震わせる。自転車からずり落ちそうになるのを我慢すると、マイクに向けて叫びをあげる。
「うげー、とりあえず牽制に留めて! 私も合流します!」