1.赤い底へ
すでに夜闇が広がった部屋にイネはずいっと滑り込み、ぱちりと電灯をつける。
はじめて目に付いたのは、ロッカールームに備え付けられた鏡だ。自分を見れば消耗しているのは見てとれる。写った自分の背後に、炎までも見えるようだ。ひりつく思考を抑えながら、首を押さえる。イネは喉元をなでて、長い息を漏らした。
「しっかりしておくれよ」
派手に染めた金髪をわしゃりとかき乱しながら、タナゴが鏡の反射に割り込んでくる。作業用のツナギ姿で腰には工具のついたベルトを巻いている。
「あ、うん、ごめん」
「はいはい、ほら、着替えしな」
タナゴは滅多に使わない観音開きの大型ロッカーを明けた。その中に座るような形で、入っているのは古い型のパイロットスーツだ。橙色の耐圧服で、断熱性も高いが、重くて仕方ない。
地上用に最適化されたモデルで油圧式の簡易パワードスーツにもなっており、ちょっとした弾丸程度なら流せる防弾装甲も付いている。“大鎧”と呼ばれるのも納得できる。
もはや、小型の歩行車両と行った方が正しいだろう。
「ちょっと見ておくから、下、着ておいて」
そう言ってタナゴは“大鎧”を開いていく。その間に、イネは唾を大きく飲み込んでから、なるべく、いつも通りの口調へと呼吸を整えた。
「あーい」
努めてゆるい声を出して、着ていた制服だの下着だのをずんずんと脱ぎ捨てる。そして雑にロッカーに放り込んだ。そして、ぴっちりとしたツナギのような下着を着ていく。
黒いダイビングスーツに似た物だが、漏電や裂傷による負傷を避けるための装備だ。鎧下ともいうべきものだが、あんまり使いたくはない。締め付けられる感じが好きではない。同じ素材の足袋を履き、手袋をぎゅっとはめこんだ。
その姿で軽く体操して、具合を見ていく。ほつれ、たるみはないし、動きづらさも許容範囲内だ。太ったつもりはないが、どうにも窮屈だ。
「うーん、まあ、よし。こっちはいいですよー」
「あいよぉー、ちょい待ち」
カチャカチャと“大鎧”を弄りながら、受け答えをするタナゴの姿をイネは手持ちぶさたのまま、眺める。
「しっかし、また無茶な作戦だねぇ」
「はあ、選択肢がないというか」
両目を閉じて、目蓋を押す。すると、燃え続ける森によって、空に浮く戦艦が煌々と照らされている。これの対処なのだから、まともな作戦であるはずはない。
ふぅぅぅっと長い息を吐いて、その光景を吹き散らす。そうしてからゆっくりと目を明けた。
「ま、やることは簡単、集めるだけ人を集めて、突っ込んで、でかいのを落とす」
すでにメエマ隊が伝令として、都市の警邏隊から森に散っていた部隊、さらには近隣の前線基地から、かき集めている。
「だからって、先鋒も先鋒、決死隊志願なんて、おまえさんもよくやるよ」
「場の勢い、というか、なんというか」
「いつもなら止める男連中も荒れてたしね、まあ、アレじゃあしゃーないけど」
たはっと笑って、頬をかいてごまかした。
あの炎の下にいただろう戦友たち、そしてリュドミラとドルヴァ、子供たち。彼らの顔が怒りの感情に焼きついて、他のことが考えられなかった。
今もじくじくと腹の奥で、怒りが傷のように痛む気がする。だが、それをへらりとした仮面で押しつぶした。
「まあ、そもそもあの戦艦に肉薄するんですよ。今から耐火装備やら改修やらが、間に合うチームは私らかメエマ隊の二択ですし」
「あ゛ー」
納得したが、飲み込めないとばかり、タナゴは低い声でうめいた。
感情を抜いても、防衛慣れしたメエマ隊を引きはがしてまで、前面に出すよりは葉山隊が出た方が無難だろう。他の部隊を戻して、作戦を伝えるのも難しいし、時間が足りない。
「それにゴグマゴグは宇宙対応型だから、他の機体よりマシですからねぇ」
本来ならゴグマゴグはマクラガの研究施設に送り付けて、解析でもしたい所だ。だが、今は手持ちの戦力として使うしかない。
「そりゃあ、そうだけどねぇ。でも別に炎に強いわけじゃないからね、冷却にも限界あるから、目立っても消火剤バラまいた方がマシだね」
「ですよねぇ」
消防用の歩行車両もあるが、それも四六時中、炎の中にいるわけではない。建築物への突破緊急措置であり、山火事のど真ん中へ突入は難しい。
「まあ、こっちもうまいこと利用させてもらいますよ」
「ナラカ弾頭なんていまさら、ひっぱり出すことになるとは」
ぼんやりとした口調だが、タナゴはしっかりと“大鎧”の足回りを確認していく。
「ま、在庫整理にゃあ丁度いいか、余ってたしね」
ナラカはグリーンネストのメジャーな焼夷弾頭のことだ。この弾頭は粘着性と持続性を強めたもので、着弾すれば、パイロットを蒸し焼きにするまで燃え続ける。戦争初期に、流行った戦い方だが、森林火災の多発と有効な消火剤の発見によって、陳腐化していった。とはいえ、対策していなければ脅威ではあるので、現在の戦線では、ほとんどの機体が消火装置を常備している。
早々に時代遅れの武器となって、大型の武器と一緒に眠っていた。戦友や、昔の隊長も、これで悲鳴や苦悶を上げさせられながら、死んでいった。ずっと眠っていた欲しかった。正直、敵に向けてだって、使いたくない武器である。
ナラカ弾頭、すなわち地獄弾頭とは文字通りの品だ。イネからは、うんざりとした声が漏れてくる。
「ほんとに、必要なんですか、ナラカ弾頭」
「あー、探索艇ってのは、核融合炉つーので動いているから、ほら」
「いや、まあ、理屈はわかってますけど」
核融合炉は、基本的に共通設計として緊急停止装置が配備されている。戦闘兵器の動力源としては旧式だが、未だによく使用されているものだ。その危険性故に物理的な損害を受けた時なら、停止して通常程度の燃料爆発程度に周囲被害を抑えるように調整されている。そして、他にも炉心への致命的な異常があれば停まる。
動力部で許容できる熱が溜まりすぎれば、核融合炉が暴走するため、その動力が緊急停止するようになっているのだ。予備動力であの巨体と反重力装置を動かし続けることはできないだろう。
「宇宙船相手に歩行車両で普通に攻撃しても、しょせんは豆鉄砲。スペースデブリより威力が低いんだから、どーしようもない」
「だから、熱で攻めるしかないと」
「そういうこと。ま、ゴグマゴグの電磁滑空砲なら、弱い所にうまいこと当てられれば、可能性はあるけどね」
タナゴは肩をすくめてから、ふぅっと息を吐いて立ち上がる。腰を数回叩いて、伸ばす。
「はい、調整は終わったよ。試してみな」
「はーい」
言われるまま、座り込むようにして“大鎧”を着込む。カチカチと固い音を立てて、自動的に固定されて、閉じていく。惑星間移動が多かった開拓期の品だけあってテクノロジーを凝らしている。目に投影される映像も鮮明だ。
イネは一回り大きくなった体を起こす。重いはずなのに立ち上がりが、普段より軽い。
「地球規格に調整しておいたから、ゴグマゴグとはコックピットで連結できるよ」
「ありがとう、助かりますよ。いやあ、さすがにここまで専門的なものは難しくて」
「いいってことさね、アタシが手伝えるのはここまでだし」
タナゴは決死隊に参加せず、基地防衛に残る。戦えるとはいえ、元来、整備が仕事だ。天十郎やトレヴァーと比べれば、どうしても戦闘経験が劣るのは否めない。
「帰ってきなよ」
タナゴは必死に柔らかく笑ってくれた。そして、弱い力でこつんとイネの胸を叩く。見えないのが分かっていても、こちらも必死に笑い返す。震えが出そうな指先を動かして、親指を立てる。
「もちろん、みんなで戻ってきますよ」
震えずにうまく声が出たことを願いながら、不敵なつもりでイネは答えた。その強がりが、戦友への礼儀だと二人は信じていた。