最強の黒 ~俺はどうやら“伝説”らしい~
──ソード・アンド・マジック・オンライン。略して、SAMO。
VRMMOモノとして一世を風靡したソード・アーツ・オンライン。その二番煎じとして作られたSAMOには、『伝説』のプレイヤーが存在したという。
男性プレイヤーいわく“ハードボイルドでクールな漢”
女性プレイヤーいわく“叶わぬ相手”
ランカープレイヤーいわく“世界が違う”
そして──『最強』と。
──しかし、伝説などというものは所詮、人の幻想に過ぎないのだ。それは遥か昔、神話の時代から、変わらない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
閉め切った筈のカーテンの隙間から入ってくる日の光。脳が完全に覚醒してないながらも目を開けてみれば、見慣れた我が家の天井がそこにあった。
目を擦りながらもベッドから体を起こし、カーテンを開ける。
さんさんと輝く太陽の暖かな日差しを浴びながら、俺は大きく欠伸をした。
今、何時だ……?
おそるおそる、ベッドに置かれた時計を確認してみる。
去年中古屋で買ったそのアナログの時計は無情にも11時30分を差していた。
幾ら夏休みとはいえ、この時間は不味い。
アチャーと顔を顰める。
「寝坊しちまった……強敵までは……後三十分だな……まあセーフだろ、うん、セーフ!!!」
俺は家に俺以外の人がいないことをいいことに大声でそう言うと、転がり落ちるようにしてベッドから降りた。
「ふっ、我ながら華麗なフォームだぜ……っと、さっさと飯食っちまわないとな!」
部屋の扉をバーンと開け放ち、マイブームのモデル歩きでキッチンへ向かう。
やかんに水を入れて火にかけ、戸棚からマイブレックファストをチョイスする。
「ふーむ……今日はこれだな……」
沸いたお湯でマイブレックファストを作り、一気にがっつく。
いやー、ほんと美味しい。幸せ。
「ふふーんふーん♪」
キッチンの電気を消し、今度はムーンウォークでスイーッと自室に戻っていく。
少し歩けばマイルーム。扉を開けると、なんということでしょう!
三畳ほどのその部屋には、扉の反対側の壁に窓が一つ、カーテンの隙間から細い日光が差し込んできています。
右側では、哀れ、この部屋の住人は独り身なのでしょうか、シングルベッドの上にグチャグチャになった布団がでーんと置かれています。
そして、その左側には、ゲーム用のテレビに、pa3やpa4、wjjにCS。
そして……俺が最近ハマっている、VRヘッドセットがそこに!!
流線的なフォルムはどこか先鋭的で、スイッチを入れるといくつかのボタンとライトが明滅し始めた。
俺はソイツを被ってベッドに寝っ転がり、ヘッドセットの側面にあるボタンをカチッと押す。
数秒後、視界が暗転した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《ピーピー、システム正常可動に成功しました》
頭に声が響く。
「んぁ……この感覚は何度やっても慣れないなぁ……」
頭をコンコンと叩きながら周りを見渡す。
確か前回は、ラムドルの町の宿屋でログアウトしたはずだった。予想通り、部屋には俺が一人でベッドの上にいるだけだった。
部屋の木造の扉を開け、階段を降りていく。
次第に人々の喧騒が聞こえてきた。ワイワイガヤガヤ、人々が酔っ払った声で何やら騒いでいる。
この宿屋は一階が酒場になっていて、真っ昼間からプレイヤー達が酒を飲み交わしているのだった。
階段を下り終えると、カウンター席に向かう。
基本的に四人パーティーで冒険をするこのゲームにおいて、カウンター席はあまり人気がなかった。やはりカウンター席は人気がなく、端っこに一人軽戦士がいるだけだった。
少し高くなっている椅子に座ると、巨漢のマスターに酒を注文した。
ここのマスターとは旧知の関係で、昔は共にダンジョンに入ったこともある仲だった。
「はいよ、いつもの」
「ん、さんきゅ」
マスターが持ってきたグラスの内一つを受け取る。
乾杯をしたあと、グラスを少し啜って言った。
「ぷはっ。今日の強敵はどうなんだ?もういっぱいなのか?」
「いっぱいなのは観客のほうだな、参加者はまだ空いてるぜ」
マスターが口の端を歪めながらそう言った。
「なるほど、だから満席だったのか」
「いつもは空いてるみたいな言い方をするなよ……んで、お前はどうすんだ?」
顔を顰める彼に思わず苦笑する。
「まぁ、一応は参加してる。竜種だったら狩りたいしな」
「はっ。参加者パーティーが危なくなったら助けに行く癖によ……お前って奴は本当に素直じゃないよな」
このゲームでの『死』にはペナルティーが課せられる。
まず第一に、持っていたアイテムや装備、ゴールドはその場に置き去りになる。取りに戻ることは可能だったが、人に拾われるかもしれなければ、モンスターに拾われることもあった。
次に、レベルとレベルを上げて手に入れた能力値ポイントが半分失われる。このペナルティーによって、強者と呼ばれていた者の名前を聞かないと思ったら前線から遠く離れた後方にいた、というような話はよくあることだった。
返答に肩を竦めてやってから酒をちびちびとやっていると、しばらくしてマスターが口を開いた。
「そろそろだな」
無言で右手をフリックさせて時間を確認する。
デジタル時計のようなものが浮かび、11時59分と表示された。
もう一度フリックしてオブジェクトを消し去った時だった。
《ピー、レイドイベントの発生を確認。各地の映像転写地に映像を送ります》
頭に響く声。それと同時に、酒場にいくつものスクリーンが現れた。酒場が一瞬だけ静かになる。
俺はその内の一つを操作し、カウンターの上に移動させた。
「さて……今回はどんな奴だ?」
マスターがそう言う頃には酒場はいつもの喧騒を取り戻していた。スクリーンを肴にする者や、じっとスクリーンを見つめている者、酔いが回ったのか机につっぷしている者もいた。
スクリーンに映るイベント会場、ナルシア高地に空間転移の巨大な魔法陣が現れる。
幾何学的な模様から発せられる光が輝きを増し、やがて、収束していった。
そして一本の木も生えていないような荒れ地に現れたのは──巨大な龍。
全身を白い鱗で包まれ、四本の足の先には剣の様に鋭く尖った爪が付いている。二枚の羽は畳まれて尚、莫大な存在感を放っていた。
長く伸びた首、深い知性を感じさせる双眸、鋭利に尖った牙。
いずれも、竜種の更に上位種にあたる龍種の特徴であった。
予想外の敵の出現に酒場でのざわめきが広がった。
マスターが声を上げる。
「龍種……だと!? 運営は何してやがるんだ!? 龍種は最低でも……」
「──特Aランクに値するな。子供でも『災害』レベルだ」
「くっそ! どうなってやがる!? 前回は特Bランクの死霊騎士だったじゃねぇかよ!」
ランクがを一つ間違えば、致命的な事態になる。
それほどまでにこのゲームでのランクは重要だった。
ちなみに、龍種は子供でも特Aとして扱われる程の超強力モンスターで、しかも、スクリーンに映る個体はどうみても成体である。特Aどころか、Sはくだらないだろう。ひょっとすると特Sに値するかもしれなかった。
──それにしても、様子がおかしい。
氷属性を司っているはずの白龍がドス黒い吐息を吐き、どこか苦しそうにしていたのだ。
その姿は、異様、の一言に尽きた。
瞳は黒く染まりきり、真っ白だった鱗には所々黒のラインが刻まれ、口からは絶え間なく黒い吐息を吐いている。さらには、まわりを黒い靄が覆っていた。
ここまでの変化の様子を見ていなかった者にこいつを白龍だと言っても誰も信じることはないだろう。
それ程までに、変貌していた。
と、白龍だったであろうソイツはゆったりとした動きで周りを見渡した。
やがて、その視線は一点で止まる。
「オイオイ、こりゃ不味いんじゃねぇのか……?」
そう言ったのは顔を顰めたマスターだ。
そもそもの話、強敵戦は魔王と人の王が戦争で余計な犠牲が出ない為に作った代理戦争のようなもの、という設定なのだ。
魔王軍側と人間側、両側から集まった強者がそれぞれの威信をかけて、戦う。
よって、この戦いに出ている者はプレイヤーの中でも上位に入る精鋭達だ。彼らが国境近くを行ったり来たりすることで、人間側はかろうじて今の領土を守っていた。
つまり、彼らが死に、トップクラスの能力値ポイントと様々な迷宮から集めてきた装備がなくなれば。
人間側はその活動域を大きく後退させることになるのだ。
それはそのまま、プレイヤーの活動域の後退に繋がる。
白龍改め白黒龍の双眸に射竦められたレイド参加者達の動きは既に止まっていた。
白黒龍はそこにゆっくりと近づいていく。
そんな様子を見ながらマスターが口を開いた。
「お前、この状況は…………っていつ出てったんだ?あいつはよ」
マスターが釘付けになっていた視線をスクリーンから外すと、そこにいたはずの彼は既にいなくなっていた。
「ま、あいつが行けばなんとかなるか」
マスターはスクリーンを食い入るように見ている他の客を見て、これじゃあいつがいつ出て行ったかは誰にもわからねぇな、なんてことを思い苦笑しながらも視線をスクリーンに戻したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どうして?なんで?なにが?
奴が現れて初めに浮かんだのは、そんな思いだった。
私はいつも通り、精鋭プレイヤーとして強敵戦に参加していた。
いつもの仲間達や、二つ名を聞いたことがあるような冒険者も参加していた。
軽い気持ちで、挑んだ。
現れるのは強くても、今の私達なら少し苦労するくらいの、それでいてこのメンバーなら油断しなければ負けることもない、ごく一般的な特Bクラスのはずだった──のに。
現れたのは、成体の白龍だった。
近くにいるだけで、桁が違うことを理解する。
黒い靄に包まれ、白龍が呻き始めた時も私達は誰一人として動くことはできなかった。
頭では、こいつがVRシステムによって作られた幻影にすぎないと、理解している。
しかし、私達は誰一人として動くことができなかったのだ。
私達を包んだのは、本能的な恐怖。
白龍が悶えるのをやめたとき、それはさらに増した。アレにとっては私達など道端に転がる石に過ぎないのだと本能が言う。
ようやく、ここまで上り詰めたのに。
仕事終わりに通い詰めて、ようやく“精鋭”と呼ばれるまでになったのに。あの圧倒的だった竜種も皆でなら倒せるようになったのに。
ここで、終わりかぁ。
黒を纏った白龍が、その双眸をこちらに向ける。
白龍がこちらに向かってくる足音とともに、不思議とこのゲームでの様々な思い出がフラッシュバックされていく。
これが走馬灯という奴なのだろうか。
まさか、ゲーム上での死で体験するなんて。
ああ、死にたくない。
もっとこのゲームで、もっと、皆と──
目から涙が流れ出たとき、白龍がその緩慢な動きを止めた。
驚き、目を見開くと。
そこにはやつれた黒いマントに身を包んだ青年が白龍の前に立ちはだかって、いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突然現れた俺に、白黒龍が動きを止める。鋭い双眸で此方を観察しているようだった。
よかった、間に合ったみたいだ。
「とりあえず……お前……何故レイドに現れた?」
声をかけてみるが、白黒龍の瞳は黒く濁ったままだ。そこに知性の光は全く感じられない。
やはり、おかしい。
本来、竜種及び龍種には優れた知性、もとい優れたAIが設定されている。それこそ、その辺の町人を余裕で凌ぐほどの。
そんな彼らが言葉を理解できないわけがない。
つまりあの白龍は、操られているのか、狂暴化が発動しているのか。
しかし、龍種のあんな形態は見たことがない。
狂暴化した龍種とも何度も戦ったが、あの黒い靄を見たことはなかった。
何者かに操られている、又は操られ狂暴化も発動していると思った方がいいだろう。
と、両者がお互いに読み合いをする中、動きが止まった白黒龍を訝しんだのか強敵戦の参加者達が顔をあげはじめた。
彼らの殆どが、龍種の目の前に人が立っていることに驚き、目を見開く。その人の正体を理解し、また驚く。
そして、誰ともなく、言った。
「『黒』──!?」
──ボロボロの黒マントに身を包む男、通称『黒』、数々のプレイヤーが彼に窮地を救われていて、中には竜種の成体を一撃で倒したとの噂もある。
そのような途方もない噂の数々から都市伝説だと思われていたが、少し前のレイドで存在が確認された。その強さ・正体は未知数。
と、ウィキの二つ名プレイヤーの一覧にはある。
──まあ、俺のことなんだけどね。
いやね、わかってる。わかってるよ。黒? なんだよそれ、俺はもう28だぞ? 黒マントは顔がバレないように付けてただけ。それだってのに──
心の内で頭を抱えている内にも参加者達のざわめきは大きくなっていく。
「本物だ……」「彼ならばもしかすると……!」「加勢しよう!」
おっと、自分の悲しい事実と向き合っている内に彼らが意味のわからない結論に達したようだ。
彼らのステータスを見る限り一対一では竜種にすら勝てなさそうだからな。成体の龍種なら道端を歩く蟻を踏み潰すように殺せるだろう。
とは言っても、あれでも精鋭なのだから彼らが死ねば魔王軍押し寄せてくるし、NPCは惨殺されてPCは隠れながらプレイしなければならなくなるし。
やらなきゃいけない、忠告しないと。
さあ、口を開くんだっ!! 俺!!
そうして、意を決して彼らに忠告しようとしたときだった。
「おい黒! 俺が手を貸し──」
戦斧をブンブンさせながら隣にやってきた男の首から上が、吹き飛んだ。
白黒龍が此方を睨み付けたまま、尖った尻尾でやったのだ。
あーあ、言わんこっちゃないよ。
まあでも、これで皆わかってくれたみたいだし。仕方ない犠牲って奴か。
光の粒になっていく首無しの体を唖然として見つめている参加者達の方を向いて口を開く。
さあ勇気を出して! 俺!
はい、いきます!
「あの、君達、ついてこれない、邪魔」
「……っ! わ、私達は精鋭なのよ! あなたが幾ら強くても、私達が負けたあいつに勝てるわけ無いじゃない!」
震えた声で反論してきたのはオレンジ色の髪の女だった。参加者の中では唯一の女で、戦いのためか髪をショートにしていた。てか、なんで涙目なのよ……
──苦手なんだよなぁ、こういう奴。
圧倒的に男性プレイヤーのが多いオンラインゲームにおいて女性プレイヤーというのは珍しい。
どうせオタサーの姫みたいな感じでチヤホヤされてきたんだろうな。とんだ勘違い野郎だよ。ホント。
ため息をついて黙った俺に、自分が優位だとでも思ったのかオレンジ髪が続けてまくしたてようとしたときだった。
白黒龍が轟音とともにその二階建ての一軒家程の体躯を四本の足で支えて立ち上がった。
参加者達は青ざめ、這々の体で逃げ出していく。
俺が白黒龍にひと睨みすると、咆吼一つに尖った尻尾を勢いよく打ち出してきた。
狙いは俺──じゃなくてオレンジか!
急いで背中の大太刀を抜くと、腰を抜かして座り込んでいるオレンジの前に滑り込み、向かってくる尻尾を刃の上を滑らせるようにして横に受け流す。
尻尾が岩に当たる激突音とともに土埃が当たりを舞い始める。
「おい、大丈夫、か」
自分の人見知りに心の内で歯ぎしりしながらもオレンジに声を掛ける。
「え、ええ。でも、腰を抜かしてしまったみたいなの。ゲームなのに、ははは」
「……」
仕方ない。
俺は身の丈ほどもある大太刀を背中に納刀すると黙ってオレンジを肩に担ぎ、走り出す。
オレンジが何故か暴れ始めた。
「ちょっと、何をしているの!」
「お前、戦い、邪魔」
そう言うと、オレンジが黙り、暴れるのも止めた。
白黒龍の尻尾の妨害を躱して向こう側に抜けると、イベント会場から少し離れたところまでやってきて、オレンジを落とす。
「きゃあ!」
「……」
黙って会場に戻ろうとすると、オレンジが後ろから声を掛けてきた。
「……あなた、強いのね。…………か、感謝してないわけじゃないから」
「ん」
「……それと、あの……」
なんだ?と思って振り向くと目が合ったが、オレンジは悔しそうに唇を歪めてそっぽを向いてしまった。
「……なんだ?」
「……何でも無い」
ため息を一つついてから再び会場まで走り戻る。
ほんと、女ってわけわからね。感謝してるのかしてないのかどっちだよ。あー、ほんと意味不明だわ。
地面を思いっきり蹴って跳躍する。
「お前もそう思うだろう? 白黒龍」
白黒龍の目の前に着地すると同時にそう言うと、白黒龍は言葉を理解したのかしていないのか、耳が割れそうな咆吼で返してきた。
ゆっくりと大太刀を抜刀していく。
ああ、この高揚感。──たまらないッ。
これだから、やめられない。
自然と口角が緩むのが抑えられない。
ああ、最高だ。
「さあ、やろうか──ッ!!」
構えると同時に地を蹴る。
龍の後ろに回り込んでから再度地を蹴り、上に跳ぶ。
「うらよッ!」
白黒龍の背中に、振りかぶった大太刀を両手で大きく振り下ろす。
空中からの全体重を掛けた一撃。
──まずは、小手調べ。
が、鈍い金属音を立て、鋭利に尖った尻尾で防がれる。
思ったより反応速度があるようだ。
「ちっ」
膝を曲げて龍の尻尾を蹴って離脱する。
地面に着地すると同時に、振り向いた龍が前足で攻撃を仕掛けてきた。
振り下ろされる左足の爪を大太刀で弾き、横に凪いできた右足を間一髪で後ろに躱す。
紅黒い大太刀と純白の爪がぶつかりあい、火花を散らす。
鈍く光る黒い紅と透き通るような白が凄まじい速度で入り乱れる。
先に均衡を崩したのは──白黒龍だった。
攻めても攻めても死なない俺に業を煮やしたのか「ゴギャァァッ!!」とひとつ咆吼して俺を吹き飛ばした。
吹き飛ばされた俺がなんとか受け身を取って立ち上がると、既に白黒龍は両足をピンと伸ばして地面に爪を突き刺し、口を大きく開きエネルギーを集め始めていた。
──不味い。
完全に力量を見誤っていた。どうやらあいつは、あの黒い靄によってかなり強化されているようだ。
そもそも普通の龍種ごときなら最初の一撃で死んでいる筈なのだ。龍種ごときと思って舐めていた。
いや、楽しかったからついとかじゃないよ? まじでー。
それならば、仕方ない。
俺も少しばかり──力を出そう。
と、白黒龍の口に集まった白と黒のエネルギーが球体の形に纏まり発光し始めた。
俺は急いで右手で持っていた大太刀を目の前で横にし、左手の人差し指を柄から刃の方に滑らせ、血を垂らす。
「ゴギャルガァ──ッ!!!」
白黒龍が収束し終えたエネルギー弾、『龍の息吹』を放つ。
それと同時に、俺も呟いた。
「『解放』──蠢け、『血晶龍刃』」
瞬間、大太刀が鈍く光り、禍々しい姿に変貌を遂げる。
紅黒い刀身は歪み、黒い紋様が浮き出る。更には何処からか現れた紅黒い靄が周りを漂い始めた。
「吸い尽くせ、『血晶盾』」
途端、ふわふわと漂っていただけだった筈の靄が六角形の薄い板六枚に変貌し、大地を割りながら突き進むエネルギー弾の前に立ちはだかる。
双方がぶつかり合い、轟音と目も開けられない閃光の後に──エネルギー弾が、消えた。
目を見開いた龍が困惑したように鳴く。
が、それも仕方が無い。この世界で『龍の息吹』を止められるのは何千年も昔の、それこそ伝説上の存在だけなのだから。
そして──
「蠢き切り裂け──『血龍刃』」
盾となっていた靄が刃に纏わり付き、刀身をさらに大きくしていく。二メートルを越え、三メートルを越え。やがて出来上がったのは、四メートルもの大刀。
それを脇に振りかぶり、膝を曲げ、全力で大地を蹴る。
白黒龍は本能的に危険を察知したのか、翼をはためかせて逃げようとした。
が、奴の体は動かない。
『龍の息吹』には3秒の硬直時間があるのだ。
竜レベルなら3秒の時間程度では、あまり勝敗には関わらないかもしれない。が、俺達のレベルではゼロコンマの隙ですら致命的。3秒もあれば勝敗は決まったようなものだ。
──これで、終わり。
龍の首に向かって、大きく横に凪ぐ。
断末魔と共に、龍の首が落ちた。
少し遅れて、龍の胴体も倒れる。
「サンキューな、血晶龍刃」
そう言うと、4メートルもあった大刀が見る見るうちに小さくなり、やがて元のサイズに戻った。
元の形に戻ったそれを納刀し、着地する。
砂塵が辺りを舞い始める中、俺は光の粒子に変わりつつある龍の死体に近づいていった。
「ドロップは……これだな」
先程まで龍の死体があった場所に転がるそれをインベントリに加える。
戦闘を終え、ほっと一息ついたその時だった。
俺の五感が警鐘を鳴らした。
俺はばっと振り返り、いつでも抜刀できるよう背中の大刀に手を添える。
「すごいわっ!」「うぉぉ!」「魔剣!?魔剣ですか!!!」
砂塵を破って突っ込んできた人影。
オレンジを筆頭にした……精鋭達だ。
唖然としていた俺はあっという間に囲まれてしまった。
これが……数の暴力ッ!!!
俺が突如として現れた脅威に血晶龍刃を解放するか迷っている間にも、奴らは俺に近づいてきた。
「うわっ! おまえら、何を──」
「『黒』さん! ありがとうございます!」
「感謝する──!」「ありがとうな!」
突然の感謝の言葉に俺の動きが止まる。
その隙に胴に幾つもの手を添えられてしまった。
──罠だと思ったときにはもう遅い。
俺は──胴上げをされてしまっていた。
「ウワァァァァァッ!!!!!」
そこからの事はあまり覚えていない。
気付けば俺はマスターの宿屋の、いつもの部屋にいた。
人間怖い……。
疲れた俺はため息をつき、ベッドに横になってからログアウトしたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
意識を手に入れた俺はゆっくりと目を開ける。
時計を見れば、もう夜の7時だった。
「腹、減ったぁ……」
ベッドからゆっくりと降り、立ち上がって欠伸する。
何気なく部屋を見渡して、目を見開いた。
「……なんでいるんだよ……」
部屋にはなぜか、母がいた。
「あららー、こんな汚い部屋しちゃってー。だからお嫁さんがいないのよー」
「うるさいわ!」
「あーあ、早く孫に会いたいなー。昔会わせてくれるって約束してくれたのになー」
「うっ……」
さすがは俺の母だ。的確に急所を突いてくる。
まずい──このパターンは──。
「まあでもー、その前にー? 就職しないとねー」
俺が血ヘドを吐いてベッドに倒れる。
すると、母は満足げな顔で部屋から出て行った。
ユー、ルーズ……とでも聞こえてきそうだ。
もう察したであろう。
そう、俺はSAMO(多分)最強のプレイヤーにして、永遠の夏休みを満喫中のコミュ障人見知りニート、二十八歳。
悲しいかな、二つ名は『黒』である。
「絶対に……就職してやる……!!」
確かな決意を孕んだ俺の声は、夜の闇に吸い込まれていったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
白黒龍戦後の二つ名プレイヤー『黒』のページ。
──ボロボロの黒マントに身を包む男、通称『黒』、数々のプレイヤーが彼に窮地を救われていて、中には竜種の成体を一撃で倒したとの噂もある。
先日のレイドイベントにて、運営のミスによって出現したと思われる龍種の変異種、と思わしき個体を1対1での激闘の後に撃破。
尚、その変異種は二つ名プレイヤー『豪斧』を瞬殺しており、その戦闘力は計り知れない。
このゲームにおいて3本しかないと明言されている“魔剣”の内1つと思われるものを所持。
その戦闘は、上述の竜種を一撃で倒したという噂にも信憑性があると思えるほどに華麗で激烈で俊敏である。
まさに、このゲーム世界内での“伝説”に値する存在であろう。




