赤ちゃんがやってきた
俺はDT。DTと呼んでくれ。DT、それが俺のアイデンティティ。
俺の恋人はライトハンドである。こいつは俺を裏切ったりしない。
2歳の途中でおむつが取れて以来、俺は途中まで両ハンド使いだったが、4歳になるころには右手になったと母親が言っていた。おむつが取れたての頃、股間に遊び道具を発見し、パンツを脱いでは仰向けに寝っ転がっていっしょうけんめいM字開脚したり天井を蹴るように足ピンポーズで頑張っていたそうで、そのお尻のあまりの可愛さに萌えて止められなかったのを激しく後悔していると泣いていた。
5歳で寝室以外でするのを父親に禁じられ、以来両親のいない隙を狙ってありとあらゆるところでいたちごっこ的に行ったが、それを書くとバイブル並みの厚さになるので割愛する。
事故で両親亡き今、俺も30になる。いくばくかの資産と、両親の遺族年金の残りと、昭和の終わりに山で修験者になったばあちゃんの死亡届を出していないのでまだ年金が振り込まれている、それを生活費に食いつぶす立派なニートである。
さて、枝ごと葉っぱが落ちて町内会に怒鳴り込まれて以来、俺は朝夕家の前の道路だけは掃除するようにしている。夜のうちに落ちた道路の葉っぱを側溝に落とそうと掃き始め、何か門の前に籠が置いてあるのに気が付いた。
白い布にくるまっている物体がある。今は10月である。朝は冷え込んできている。ゴミか何かかと思ってのぞき込むと、人間の顔をしている。誕生日と名前が書いてある。6、7か月ほど前に生まれたようだ。
信じられない。犬猫ならまだわかる。
とりあえず回れ右してそのまま庭をつっきり後ろ手に玄関の扉を閉めた。現実を認めたくなかった、犬猫なら裏の林にでも置いて来ればいいが、人間は林に置いてきていいのか? てか、なんでここに。思考する間もなく鳴き声がし始まった。まぎれもなく表の赤ん坊が泣いているのである。
俺は慌てふためき、気が付くと籠ごと赤ん坊を家の中に連れてきていた。
抱っこしろ、と誰かが言った気がした。俺は無我夢中で抱っこした。小さくてフニャフニャしていた。赤ん坊は朝の冷気でほっぺたや出ていた手の先が冷たくなっていて、なんかどうしようもなく可哀想になった。俺は一回籠を下して自分の手を洗って顔を洗って歯も磨き、清潔な服に着替えた。泣き止ませようとわけがわからなくなって歌ったが、ボカロははたして子守唄になるのか。もう一度抱くとき、なんだか途中で強制されたように力がかかった気がした。うまく抱けた。わからないがなんだかスクワットしろ、揺らせ、と脳に指令が来た気がしてスクワットした。5分ほどしっかり抱えてスクワットし続け太ももとふくらはぎがプルプルしたところで赤ん坊は泣き止んでもう一回寝た。
俺はとりあえず赤ん坊をかごに戻し、座布団の上において、入り浸っている掲示板に書き込んだ。
<立ったら書く。赤ん坊が来た。どうすればいい>
マジキチ、氏ね、通報した、ガチで1は犯罪者、いろいろ暖かい返事が来た。
俺はニートである。実社会が怖い。警察なんかに関わりあいたくない。俺には車の免許もない。俺が正直に言って誰が信じるだろう、だいたい痴漢の冤罪だって証明は難しい。赤ん坊をはずみで家の中に入れてしまったが、それが善意だと誰が信じてくれるのだろう。犯罪者確定のパティーンじゃないのか。誘拐したことになるんじゃないか。
何かを疑われたら誰が証明してくれるというのだろう。だいたい、1800年代生まれのばあちゃんの存在がばれ、返金請求されたら俺のニート人生は終了である。人生ならすでに詰んでいる。
思考停止して情報収集した。いろいろネット情報を検索した。とりあえず赤ん坊はすぐ腹がすく、泣くということが分かり、青ざめた。
俺は犯罪者になるのか。
てか、そもそも赤ん坊を飢え死にさせたら犯罪者じゃないのか。
俺は粉ミルクとおむつと哺乳瓶と抱っこ紐をアマゾンの即日宅配でぽちった。哺乳瓶の乳首の固さや大きさを選んでいるうちに赤ん坊が寝ているのをいいことに一発抜いた。今まで思ったこともなかったが、最低な気がして泣いた。
午後にアマゾンから荷物が届いた。
午前中起きて赤ん坊が泣いて抱きっぱなしだった俺の腕は筋肉痛で、もう腱鞘炎になりかかっていた。
震える指で瓶を洗い、レンジで消毒し、ミルクを分量通りに作り、人肌にさました。俺は待ちに待ったご褒美を赤ちゃんに捧げる気分になっていた。
「一日に何回も飲むんだってな、よく泣いたし腹減ったろ、さ、飲めよ」
仕入れたにわか知識でもう母親になったようなセリフを喋ったが、そもそも赤子は飲まなかった。
哺乳瓶の乳首を口に入れたが、泣いた。俺は自分でも口はつけずに飲んでみた。甘かった。母乳プレイはこれだけ旨いのなら十分できそうだった。俺は全力でオナネタに逃避したいのを止めて赤子に対処した。取り付けの乳首を変えてみた。少しだけミルクの濃さを変えた。横にして飲ませてみた。あぐらに座らせて飲ませてみた。まだ泣いた。さらに泣いた。俺はあやした。血の涙の代わりに母乳が出ればいいのにと泣いた。こんなに本気出したのはブログの炎上商法以来だった。何が悪いのよくわからず、一時間以上試行錯誤して検索してを繰り返し、ミルクは何回も冷めてしまった。またミルクを作り直し、ふと気が付いて先ほどよりもう少しだけ温めてあげてみた。
赤ん坊は飲んだ。じゅっじゅっと乳首を通過する音がするほどミルクをごくごく飲んだ。
「うおおおおおお!」
俺は感涙にむせんだ。何年かぶりにいいことをした。
150CCほど飲んで、赤子は疲れたように俺の肘に頭を持たせかけて目を閉じた。
そーっと座布団を布団にして寝かせた。一番きれいなバスタオルを赤ちゃんにかけながら、俺より体力ないな、はは、と笑いかけたが、俺も気が抜けて隣に倒れて、気が付いたら寝ていた。