⑨
「ちょっとあんたたち! 初対面のレディーを差し置いて、なにゴニョゴニョやってんのよ!」
不意に、マトリョーナおばさんが叫んだ。そういえば彼女のことを忘れていた。サトウ探索の重要な参考人になるはずだ。
「あぁ、マトリョーナおばさん、大丈夫だった?」
不用意に投げかけたその言葉に、彼女の円らなおめめがギラリと僕を睨み付けた。
「ちょっとあんた! レディーに向かってオバサンとはなによっ! 失礼な子ね! しかもアタシはマトリョーナじゃないわ。マトリョーシカよ。覚えといて!」
「・・・・・!!」
あまりの剣幕に圧倒されて僕は言葉を失った。マトリョーナおばさんに、いったい何が起こったというのか。
「おいピョンタ、あれ、ババァじゃねぇぞ!」
「そうですね。マトリョーナおばさんより、少し声も高いようです」
プリリンとオメザメクンは、いち早く違いに気付いた。
「えっ・・・、でも、顔はおばさんにそっくりだよ・・・」
「あぁ、アタシと摩り替わったあのオバサンと間違えてんのね。まったく失礼しちゃうわ、お肌のツヤが全然違うでしょ? アタシはまだ生まれて十年も経ってないんだからね」
「十年? じゃあやっぱり、おばさん、じゃん?」
「だから違うっていってるでしょ! アタシはマトリョーシカ。あんなオバアチャンと一緒にしないで!」
「えっと、じゃあ、マトリョーシカねえさん?」
「マトリョーシカでいいわよ。それより、ここはどこ? こんなに緊張感の無い現場は始めてだわ」
オメザメクンが恐る恐る声を発した。
「あの、マトリョーシカさん? じゃああなたは、今朝までここにいたマトリョーナおばさんと、摩り替えられたってことですか?」
「そういったでしょ、ったく、何度いわせんのよ! そうじゃなくて、アタシが聞きたいのは、ここがどこかってことよ!」
「あぁ、はい、ここは我々のご主人様である、エリカ様の部屋です」
「ふぅん、エリカっていうのね、あの女。悲劇のヒロイン気取っちゃってさ・・・。アタシ、ああいうタイプ、いけ好かないわ」
マトリョーナおばさんも決して口がいい方ではなかったけれど、ここまでトゲトゲした物言いはしなかった。しかも初対面なのに。顔は似ているけれど性格はまるで違うみたいだ。
でも、いまの一言で、ついにというか、ようやくというか、プリリンが切れた。
「なんだとテメェ、エリカさんのこと悪くいったらオレが許さねぇぞ!」
「あぁら、粋がっちゃって、カワイイわねぇ・・・。あんた、なんて名前?」
「へっ? あ、あの・・、プ、プリリン、です。・・・か、かわいい? てへっ(^^)v」
あっという間にやられた。
「えっ、なに、そいつ? ちょっとヤダッ、ヘンタイ?」
プリリンを手玉に取った直後のあまりにもストレートな発言に、僕らの視線は自然とアヤパンに集った。
「・・・やっぱ、ボクのことですか? すんません、これでやらしてもうてます。アヤパンいいます。やっぱり外国の方には共感してもらえませんかねぇ・・・」
いやいや、国籍は関係ないと思うけど・・・。
「あら、しゃべれば普通じゃない。他人に危害を加えないのなら、個性は尊重するわ・・・。そっちの丸いのは、どこかで見たことがあるわね・・・。どこだったかしら・・・」
オメザメクンのことだろう。なのにオメザメクンたら黙ったままで名乗り出ようとしないから、代わりにいってあげた。
「彼はオメザメクンだよ。毎朝やってるテレビ番組のキャラクターで・・・」
「ちがうわよ。そんな時計のオバケは知らないわ」
「と、時計のオバケ? 私のことでしょうか・・・?」
「隣のあんたよ。その丸い身体にひょろ長い手足。どこかで見たことあるのよね・・・」
彼女の円らな瞳は僕を捉えていた。
「えっ、僕のことを知ってるの!?」
「えーと、誰だったかなぁ・・・、どこで見たのかしら・・・」
初めて現れた僕のことを知っているかもしれないヒトに、それまでの態度や口の悪さを忘れ、縋るような眼差しを贈った。
「うーん、やっぱ思い出せないわ。あら、あっちの高いところで寝てるのは、ケブカーシカ?」
気まぐれな彼女の興味は、あっという間に棚の上段に移っていった。もうちょっとがんばって思い出してよ・・・。
「あの方はモンキッキ先輩です。ロシア生まれのケブカーシカとは少し似ていますが、日本オリジナルのキャラクターです」
オメザメクンもすんなり乗っからないでよ!
「へぇ、そうなの? ずいぶんおとなしいけど、死んでるわけじゃないわよね? それにしても狭い部屋ね。こんなところに五人も六人も押し込まれてたんじゃ、うるさくって仕方がないわ。はぁあ、今日は疲れた。もう休ませてもらうから、あなたたち静かにしてね」
一方的にまくし立てると、口の悪い木製の女は口を閉ざした。
「ったく・・・、なんなんだよ、あいつは?」
「いやぁ、今朝お会いしたおばさまも大概でしたけど、こっちはこっちでキッツいヒトですねぇ?」
「それにしても、マトリョーナおばさまはどこに行ってしまったのでしょう?」
「そういやぁそうだな。おい、ピョンタ、聞いてみろよ!」
「えぇ、僕? やだよ。あのヒト、恐いよ・・・」
「それより、あの紙をマトリョーシカの中に入れたんは、ほんまにサトウさんて人の仕業ですかねぇ?」
「おお、そうだ。それを忘れてた。ていうか、エリカさんがサトウのことが好きだなんてオレは認めねぇからな!」
「エリカがいってた、サブローさんが邪魔したっていう話、あれって昨日のクリスマス・パーティでのことだよね? その場にアヤパンもいたんじゃないの?」
「ええ、まぁ、そうですけど、ほとんどラッピングされてましたし、どの人がサトウさんかっていうのは見当もつきません・・・」
「なんだよ、メンバーの中に太ったヤツはいなかったのかよ?」
「うーん・・・、むちゃくちゃデカい人はいましたけど・・・、せやから太ってるとは限りませんて!」
「だから、マトリョーナおばさんは、どこにいったのでしょう?」
「あぁ、もぉ・・・、何が何だか、ワケがわかんねぇよ!」
突然の状況に、僕らの困惑は深まるばかりだった。でも、そのとき思い出した。外での状況を見てきたかもしれないヤツが一人いることを。
「そうだ! おーい、ドラックマくん!」
「ふにゃ?」
机の端っこでバッグのポケットからぶら下がっていたドラックマが、フラリとこちらを向いた。
「あのさぁ、マトリョーナおばさんがどこにいったのか、知らないかい?」
僕の問いかけに、ドラックマは小首を傾げるような素振りをしながら口を開いた。僕らは彼の言葉に耳を澄ませた。
「らいがくろ、へんへぇのふぇら、ひっひゅんへ、ひれはらは・・・」
無駄だった。
「・・・いきなりかよ」
「さっぱり聞き取れません・・・」
「やっぱり彼は、なんやオカシイですねぇ」
翌日、エリカはいつものように慌しく朝の支度を終えると、いつものようにモコモコ姿で出かけていった。
いつもなら、ここからマトリョーナおばさんとの中身のないトークが延々と続くのだけれど、この日は静かだった。いつもは疎ましくさえ思っていたのに、いざなくなってみると、なんだか寂しい感じがする。昨日やってきたマトリョーナおばさんにそっくりなマトリョーシカという木製の女は、ムッツリと押し黙ったままだった。
それに加えて静かなのには、もう一つ理由があった。
「プリリンにいさん、なんや顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」
「うるせェよ、なんでもねェよ」
アヤパンの問いかけにぶっきらぼうに返したプリリンは、小刻みにプルプルと震えていた。顔色はいつもと同じ淡い黄色だけれど、確かに少し元気がないように思えた。
「今日はサンリヲ・キャラクター総選挙の結果発表日ですから、緊張しているのでしょう」
「うるせェな、別に緊張なんかしてねェよ!」
そういうプリリンは、明らかにいつもと違っていた。
「へぇ、そうなんだ。結果はいつわかるの?」
「午後には発表されると思いますけど、私のところに情報が届くのは、明朝の『お目覚めTV』の時間です」
「そうですか。選抜入れたらいいですねぇ! ボクも応援しますわ!」
「おめぇなんかに応援されたって、どうにもなんねぇんだよ。選挙権は人間様にしかねぇんだからよ!」
「そんなの、別にいいじゃん。プリリンの順位がどうでも、エリカは僕たちを見放したりなんかしないよ。きっと」
「おめぇみたいなバッタに、オレたち純正キャラの気持ちはわかんねぇんだよ! いいから、ほっといてくれよ! ってか、呼び捨てやめろって何回いわせりゃ気が済むんだ!」
なんだよ、そのいい方。こっちは元気付けてあげようとしてんのに。
そのとき、人間様の近付いてくる気配がした。ドアを開けて入ってきたのは、やっぱりお母さんだ。でも今日は、洗濯物を抱えてはいなかった。
お母さんは部屋に入ってくるなり、ゴミ箱を覗き込んだ。クシャクシャになった紙くずを拾い上げては、広げて中を覗いている。幾つかの紙くずを確認した後、またパソコンの電源を入れた。立ち上がるまでの間に部屋を見回し、本棚の一点に目を留めた。視線の先にはマトリョーシカがいる。
お母さんはマトリョーシカを掴むと、彼女の上半身と下半身をひねり上げた。
「ちょっと、なによ、急に! 誰っ、このおばさん!?」
マトリョーシカは突然のことに驚きの声を挙げた。
「その人は、エリカのお母さんだよ!」
「いけすかない女の母親だけあって、やっぱり嫌な女ね!」
ひとまわり小振りなマトリョーシカが悪態を吐いた。その声は少し高くなっている。
そうこうしている間にもマトリョーシカの身体はすっかりバラバラになり、お母さんは最後の一つ、マトリョーシカちゃんを摘み上げた。
「ちょっとあんた、ナニモノよ!? でも、残念だったわね、アタシの中にはもう何も残ってないわ!」
ちっぽけなマトリョーシカが甲高い声でいくら喚き上げたところで、まるで迫力がない。それ以前に、人間様には全く聞こえていないのだけれど。
お母さんは最後のマトリョーシカをひねり上げ、小さな身体の中を覗き込んだ。その中には何も残されていないことは、僕たちも知っている。何もないことを確認したお母さんは、マトリョーシカの身体をもとの通りに組み立て、もとの本棚へと戻した。
「いやぁね、ほんと。失礼しちゃうわ」
そう告げたのを最後に、彼女はまた押し黙ってしまった。
お母さんはしばらくパソコンをカチカチといじっていたけれど、やがて満足したように部屋を出ていった。
「いいアルバイトは見付かったのかな・・・」
お母さんの後姿を見送りながら、プリリンは呟いた。
緊張してたんじゃなかったのか?
「しちじ、さんじゅっぷん。しちじ、さんじゅっぷん。」
翌朝、オメザメクンの時報で眼を覚ました。その直後、ミニコンポから音楽が流れ出す。相変わらずノイズが酷い。
その音で目覚めたエリカは気だるそうに身体を伸ばしたが、その隣にいるはずのアヤパンの姿が見えない。彼は昨晩初めて、エリカの隣で眠る栄誉を得ていたのだ。遠慮がちに寄り添う初々しい姿を横目に、僕は眠りに就いた。
そのアヤパンの姿が見当たらなくなっていた。きっとエリカに蹴飛ばされて、ベッドの外まで飛ばされてしまったのだろう。
ベッドの周囲を注意深く観察していると、グズグズと身体を起こしたエリカのお尻の下に、ペシャンコになったアヤパンがいた。無残にもブリーフが捲れ上がり、なんの特徴もなかったはずの顔がオモシロイ表情になっている。どうやら大変な一夜を過ごしたらしい。
「し、死ぬかと、思いました・・・」
顔を隠しながらヘッドレストへと戻ってきた彼は、息も切れ切れになっている。それでもどこかその素振りには、達成感や満足感を滲ませているように見えた。
そのとき、オメザメクンが興奮気味に声を上げた。
「プリリンさん、結果が届きました!」
「にいさん、いよいよですね!」
「どうだったの? 何位、何位?」
僕らのテンションも上がる。けれど、肝心のプリリンはプルプルが尋常じゃない。
「あー、あわわわわぁ・・・」
指先で辛うじて掴んだ両耳の先をパタパタさせて、聞きたいのか聞きたくないのかよくわからない挙動を繰り返した。
「プリリンさん、おめでとうございます! 第七位です!」
「へっ・・・」
プリリンの超音波的プルプルがピタリと止まった。僕らも耳を疑った。去年は確か、十六位で選抜落ちギリギリだったハズでは?
「な、なない? オレ、七位なの?」
プリリンが、その無表情な顔に浮かべた弱々しい視線をオメザメクンに送った。
「おめでとうございます。フロントメンバー入りです!」
「うわーっ! やったー、プリリンにいさん!!」
「おめでとう! スゴイじゃん!!」
僕らの昂奮をよそに、プリリンは呆然としている。
「え・・・、オ、オレが、フロントメンバー? ウソ、だろ?」
「本当です。この冬、代官山のパティスリーとコラボレーションしましたよね。これまでトロトロ滑らかがトレンドだったプリン業界に一石を投じた、しっかりと腰のあるプリン、その名も『プリプリ・プリン』が大ヒットして、そのイメージキャラを務めたプリリンさんの人気も急上昇です!」
「マ、マジ・・・?」
「はい。それに今年の台風の目といわれたドラックマですが、デザイナーとの間で商標権を巡る訴訟問題が起こってから、人気が急速に萎んだこともフロント入りできた要因ですね。ちなみに彼は、十六位です」
「な、七位・・・、オレが・・・、フロント、メンバー・・・」
ピタリと動きを止めていたプリリンが、再びプルプルと震えはじめた。そのプルプルは、さっきまでの超高速のプルプルとは少し違っていた。
「あれ、プリリン、泣いてるの?」
「バカやろう、オレさまが泣くわけねぇだろ!」
プリリンが何かを誤魔化すような大きな声を張り上げた。
その直後、久しぶりに雷が落ちた。
「テメェら、やかましいぞ!」
お祝いムードが一瞬にして凍りついた。プリリンの快挙に羽目を外しすぎたようだ。
僕たちは恐る恐る上段を仰ぎ見た。視線の先には、ビニル樹脂製のあどけない笑顔が僕たちを見下ろしている。あどけない笑顔の隣には、親指を立てた右手が添えられていた。
「いったい、何度いわせりゃ気が済むんだ・・・。プリリン、よかったな」
今日の雷は、やさしい音で響いた。