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 翌朝、眼を覚ましたマトリョーナおばさんは、寝ている間にやってきた新しい仲間に興味津々だった。

「ふうん。あなたのことは大体わかったわ。でも、気になるのよねぇ・・・。その、ブリーフの中は、どんなお顔なのかしら?」

「いや、すんません。こればっかりは勘弁してください。ヒト前に晒せるような大したもんじゃありませんから・・・」

 そのやりとりにプリリンも参戦。

「なんだよ、水臭いじゃねぇか。もうオレたちゃ仲間なんだから、隠し事は無しだぜ!」

「いやいやいやいや、親しき仲にも礼儀かな、ですよ!」

「それをいうなら、頭からブリーフ被ってる方がよっぽど失礼だろ!」

「そ、それはいいっこなしでしょう。これはボクのアイデンティティですから・・・」

 いつもは僕がイジられるところを、アヤパンが身替りになってくれているみたいだ。正直いって気が楽になった。でもこのままじゃ可哀想、というかアヤパンに悪い気がして口を挟んだ。

「もういいじゃない。嫌がってるんだから・・・」

「なんだよピョンタ、おめぇまた人気者に取り入ろうとしてんだな」

「だから、そんなんじゃないってばぁ・・・」

「ボクみたいなもんに取り入ったところで、なんもありませんし・・・」

 僕の助け舟は、なんの役にも立たなかったみたいだ。

「べつに、どうしてもヤダっていうなら、ムリに見せてとはいわないわよ。でも、これから毎日一緒に暮らしていくわけでしょう? それはもう家族も同然よね。家族にまで顔を隠し続けるなんて、ちょっと、ねぇ?」

「いや、そういわれると、返す言葉もないというか・・・」

「それに、ロシアにはこういう諺があるわ。『ドレスを脱がせたいのなら、まずは仮面を取るべきだ』ってね」

「それどういう意味!?」

 そのとき、すっかり身支度を整えたエリカが朝食を終えて部屋に戻ってきた。クローゼットから取り出したモコモコダウンを着込み、ドラックマがぶら下がった携帯をカバンに放り込んだ。

 僕らは毎朝繰り返されるこの光景には慣れっこだ。少々身体を動かしてしまっても気付かれる心配もないから、バタバタとしたエリカの動作をあまり気にすることもなく会話を続けた。

「だけど、なんでそこまで恥ずかしがってんだよ? 若気の至り的な痣とか傷とかタトゥーとか、なんか入ってんのか?」

「いえいえ、滅相もない。そんなものは一切・・・」

 エリカは僕らのそんなやりとりには全く気付かず、支度を終えていつものように部屋を後にするかと思われたそのとき、異変が起こった。

「ロシアには他にもこんな諺があるわ。『仮面舞踏会に出るようなおと・・』」

 マトリョーナおばさんが得意のロシア諺を連発しようとした途端、おもむろにその身体を掴まれ、カバンの中へと突っ込まれた。

「えっ、あっ、なに? ちょっとエリカ、どこいくの? ねぇ、ちょ・・・」

 マトリョーナおばさんの声は、エリカとともにドアの向こうへと消えた。

「なんだなんだ、なにがあった?」

「マトリョーナおばさん、連れてかれちゃったね・・・」

「少なくとも私がここに来てから、ご主人様が誰かを外に連れ出すのは初めてです」

 エリカがどうしてマトリョーナおばさんを外へ連れていったのか、僕たちにはまったく分からなかったけれど、少し羨ましいとも思った。だって僕はこの部屋から一歩も外に出たことがない。エリカが学校でどんな勉強をしているのか。どんな友達がいるのか。何を食べているのか。部屋の外にいるときのエリカはどんな顔をするのか。

 僕はエリカのことを、なにも知らない。


 その後、マトリョーナおばさんがいなくなったことも忘れてしまったかのように、プリリンとアヤパンはあいかわらずパンツを取る取らないのやりとりを続けていたとき、人間様が近付いてくる気配を感じた。

「しっ、誰か来る!」

 僕の声に部屋は静まり返った。廊下を歩くパタパタというスリッパの足音が近付いてきて部屋の前で止まった。僕らは息を潜めてドアに注目した。ノブを廻すガチャリという音とともに顔を覗かせたのはお母さんだ。この時間この部屋にくる人間様といったらお母さん以外にはいない。今日もきれいに畳まれた洗濯物を抱えている。

 いつものように、洗濯物をベッドに置くとゴミ箱を覗き込んだ。今日はゴミが少なかったのか、ゴミ箱の中を軽く掻き混ぜただけで、中の袋を入れ替えることはしなかった。

 それから部屋をゆっくりと見回したかと思うと、不意に視線を止めた。こちらを見ている。でも焦点は僕ではない。視線の先へとお母さんの手が伸びてきた。その手が届いた先は、アヤパンだ。

 お母さんはアヤパンを手に取り、じっくりと観察し始めた。お腹を丹念に揉み解しては、今まさに渦中の話題であるブリーフをおもむろに外した。頭頂部で縫い付けられたブリーフは完全に取り外すことはできず、頭の天辺でホームベースのような形に裏返った。お母さんはそのままアヤパンの身体をクルリと廻し後頭部の辺りを観察した。

 その結果、パンツを剥ぎ取られた素顔のアヤパンは、僕らと顔を見合わせる格好となった。白昼のもとに晒されたその顔は、これといって特徴のない、無難にかわいらしい鳥のマスコットそのものであった。

「・・・・・・」

 僕らは、言葉を失った。

 べつに落胆とかではない。そうではないのだけれど、顔面ブリーフという強烈なファースト・インプレッションの割に、素顔は至って平凡。どこにでもいるようでいて、どこにいるかは決して思い出せない、そのくらいありきたりなキャラクター。あまりにも普通すぎて、僕らは何一つ言葉を発することができなかった。

「・・・そやから、見せたなかったんですよ。いっつもこんな空気になりますもん・・・。いや、そりゃそうでしょ、中は別に普通ですって!」

「・・・なんか、わりぃ・・・」

 珍しくプリリンが素直に謝った。

 お母さんは満足したのかアヤパンにブリーフを被せなおし、もとのヘッドレスト下段へと戻した。再び部屋の中を見廻すと、今度は本棚にできた不自然な空間に視線を留めた。マトリョーナおばさんがいた場所だ。しばらく眺めていたけれど、やがて何ごともなかったかのように部屋を後にした。

 アヤパンは、少し気まずそうに僕らに背を向けていた。


 その夜もエリカの帰りは遅かった。

 しかし、今日はいつものようにベッドに倒れ込むことはせず、今朝連れ出したマトリョーナおばさんをバッグから取り出して机の真ん中に置いた。デスクライトを点けると、ズングリとした身体がツヤツヤと光を跳ね返した。

 何が始まるのかと僕らは固唾を呑んで見守った。すると次の瞬間、世にもおぞましい光景を目撃することになった。

 なんとエリカは、両手でマトリョーナおばさんの上半身と下半身を掴むと、一気に捻り上げた。次の瞬間、おばさんの身体が、一番膨らんだお腹の真ん中で真っ二つに分かれたのだ。

「キャー!!」

 あまりの惨劇に僕は悲鳴を挙げた。しかし、プリリンもオメザメクンも落ち着いていた。

「バーカ。よく見てみろよ」

 プリリンの醒めた言葉に、僕はゆっくりと視線を戻した。すると真っ二つに分かれたマトリョーナおばさんの下半身から、少し小振りなもう一人のマトリョーナおばさんが現れた。

「マ、マトリョーナ、ねえさん?」

「あのババァは、ああいう作りなんだよ。あの中にさらに小さいマトリョーナ、その中にはまたさらに小さいマトリョーナが入ってんだ」

 プリリンのいうとおり、エリカは少し小さなマトリョーナも同じように捻り上げては、その中からさらに小さなマトリョーナを取り出し、さらに小さなマトリョーナも捻っては、またさらに小さなマトリョーナを取り出し、それを次々と繰り返していった。マトリョーナおばさんの隠し子疑惑とはこういうことだったのか・・・。

「あぁ、そういうことですか。ボクもビックリしましたわ・・・」

 彼女の仕組みを知らなかったのは、アヤパンも同じだったようだ。

 やがてエリカは五人目、大きさにして四、五センチのマトリョーナを同じように開いた。すると、その中には六人目のマトリョーナではなく、小さな紙切れが入っていた。それを取り出して眼を通すと、本棚から無造作に取り出した、僕の身長と同じくらいの大きさの本の間に挟んだ。

 机の上は凄惨な事件現場のように、バラバラになったマトリョーナの大小さまざまな身体があちこちに散らばっている。エリカはそれらをそのままにして、フラフラと立ち上がるとベッドに突っ伏した。その衝撃にまだ慣れていないアヤパンが、マットレスへと落ちた。エリカは落ちたアヤパンの身体を掴むと、彼に向かって語りかけた。

「ペンタゴンだって・・・」

 僕たちは、また顔を見合わせた。

「いまペンタゴンっていったよね? なに? バンダムの仲間?」

「いえ、そんな名前のロボットは登場しません」

「ボク、知ってます。『ポケワン』に出てくるキャラですわ。ボクの生みの親である中学生男子はポケワンの大ファンでして、ペンタゴンというヤツのカードが宝物やとかいうてました」

 アヤパンがエリカに身体を掴まれたまま叫んだ。

「オメザメクン、『ポケワン』ってなに?」

「正式名称は『ポケット・ワンダラー』。『ワンダラー』と呼ばれる摩訶不思議な生物を飼育・調教しながら敵と戦う育成・格闘ゲームです。元々は銀天堂のゲームソフトですが、コミックやトレーディング・カード、アニメ、映画へとマルチメディア展開を図ってそのほとんどが大ヒット。いまや数百種といわれる『ワンダラー』がキャラクター業界へも進出してきまして、我々ヌイグルミ界でも一大勢力となりつつあります」

「へんっ、一大勢力ったって、ヤツらは子供とオタクが相手だろ。オレたちヌイグルミの本分はなんだ? 女子だっ! いたいけな乙女の心を癒してこそのヌイグルミだろうが! しょせんヤツらは邪道さ!」

「いえいえプリリンさん、その考えはいささか古いのでは? いまや多様化の時代です。人口減少時代に突入した日本では、昔ながらの考え方だけでは生き残っていけません。我々ヌイグルミも新たなマーケットを開拓して・・・」

「わかった、わかったよ、オメザメクン。いまはその話はやめておこうよ。それより、エリカと、その『ポケワン』ってのと、どう関係しているんだろう?」

「おぉ、そうだなぁ・・・。アヤパン、そのペンタゴンってのは、どんなやつなんだ?」

「ボクも詳しくは・・・。ボクの生みの親が宝物にしてるというのはトレーディング・カードらしいんですが、かなりのレアもので滅多に入手でけへんそうです」

「じゃあエリカも、そのカードが欲しいのかな?」

「エリカさんがそんなオタクの遊びなんてしねぇだろ。恐らく、サトウだな」

「そうですね。サトウさんがエリカさんと同じ学部の学生で、男性であるなら彼は理系男子です。理系男子の八五%がオタク文化に傾倒、もしくは共感を示すという統計情報もあります」

「じゃあ、サトウはデブの上に、オタクかよ!?」

「エリカはマトリョーナおばさんの中から出てきた紙を見てから、『ペンタゴン』って呟いたよね? マトリョーナおばさんの中にあの紙を仕込んだのは、サトウなのかなぁ?」

 僕らの推理がそこまでいきついたとき、エリカはアヤパンの羽根をパタパタさせながら呟いた。

「はぁ・・・。昨日はサトウさんに近付くチャンスだったのに・・・。サブローさん、邪魔だなぁ」

 やっぱりサトウと関係があったんだ。そして新たな登場人物。どこかで聞いたような気もするけれど・・・。

「サブローって、誰だ?」

 プリリンの問いに、アヤパンがすぐに答えた。

「それは、ボクをクリスマス・パーティーに連れていってくれた前のご主人様ですわ」

 そういえば、昨夜そんなことをいっていたっけ。

「でも邪魔っていったね? サブローさんはサトウさんのダイエットを邪魔する人なのかな?」

 そのとき、聞き慣れた声が響いてきた。

「今日はゴハンどうするの?」

 お母さんだ。

「食べる~!」

 エリカはそう叫ぶと、机の上でバラバラになったマトリョーナおばさんを手際よく元に戻し、いつもの定位置である本棚の中段に戻すと、部屋着に着替えて部屋を出ていった。

「あのぅ、すんません。サトウさんとかダイエットとか、なんの話か、よかったらボクにも教えてもらえませんか?」

 僕らの元へと戻ってきたアヤパンがそういうので、エリカの帰りが遅くなったことや、エリカがサトウさんのダイエットのことで悩んでいることなどを、オメザメクンが手際よく説明した。話を聞きながら考え込むような素振りを見せていたアヤパンは、オメザメクンの話が終わると一拍置いて、きっぱりと告げた。

「みなさんの推理は、まったくの見当違いやありませんか?」

 僕らは呆気にとられた。なぜだ? なにが違うというのだ?

「ご主人様が、そのサトウさんという人を振り向かせたいといったのは、話の雰囲気からして、動作やなくて気持ちのこととちゃいますか? ご主人様はサトウさんに、気に留めて欲しいんやないでしょうか?」

「えっと・・・、それって、つまり?」

 アヤパンの言葉の意味がよくわからず、さらなる説明を促した。すると、恐るべき答えが待っていた。

「つまりご主人様は、サトウさんという人のことが、お好きなんでしょう」

 ・・・・・

 思いもよらぬアヤパンの言葉に、僕は思考が停止した。オメザメクンの針も止まった。プリリンは激怒した。

「て、てめぇ、なにいってやがる! エ、エリカさんが、そんな肥満体ヤロウを好きになるわけがねぇだろうが!!」

 昂奮して詰め寄るプリリンにもアヤパンは怯まない。

「いや、サトウさんは太ってるとは限らないでしょう? そもそも自己中心的な人間様がですよ、他人のダイエットに思い悩むなんて考えにくくないですか? 恋煩いやと考えるんが普通やと思いますけど」

「い、いや・・・、そんな・・・、まさか・・・」

 プリリンも言葉を失った。

 でも、たしかにそうかもしれない。いくらお世話になった人であっても、毎晩毎晩、溜息吐くほど、その人のことで思い悩んでいるとなると、やっぱり特別な感情を抱いていると考えた方が自然なのかもしれない。

 しかし、そんな・・・。エリカが、僕たちを差し置いて、よそに好きな男を作ってくるだなんて・・・。

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