⑤
「げぼっ!」
おかしな叫び声で目が覚めた。
隣では、早起きのオメザメクンが心配そうに叫び声の主を覗きこんでいる。その視線の先では、エリカの左ヒジがプリリンのみぞおちに減り込んでいて、いつも無表情なプリリンの顔が苦しそうに歪んでいる。エリカはヒジを立てた不自然な態勢にも関わらず、気持ち良さそうにスヤスヤと眠っていた。その天使のような寝顔に見惚れている間も、プリリンは手足をプルプルと震わせてもがき続ける。
「ヒャヒャヒャヒャヒャ・・・」
一晩中ぶら下がったままだったのであろうドラックマが、不気味な笑い声を上げた。まるで首吊り死体が笑ったようで、怖い。
やがてオメザメクンが機械的な声を上げた。
「しちじ、さんじゅっぷん。しちじ、さんじゅっぷん。」
ちょうどエリカが起きる時間だ。もちろんオメザメクンの時報はエリカの耳には届かない。エリカは目覚まし時計代わりにミニコンポのタイマーをセットしている。オメザメクンの時報の直後に、ラジオの音が流れ出した。
アップテンポの軽快な音楽が、朝の爽やかさを盛り立てるはずが、ガザガザとした酷いノイズが混ざっていて台無しだ。昨日まではなんともなかったのに、どうしたのだろう。
「ふぁーあ・・・」
あくびと共にエリカが眼を覚ました。ダルそうに身体を捩って、オメザメクンの隣に置かれた本物の時計を眩しそうな目で見た。
「あぁ・・、起きなきゃ」
と、半分寝ぼけたまま呟いたエリカの声に、プリリンの声が重なった。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・、助かった・・・」
慌しく朝の支度を整えたエリカが「いってきまーす!」と僕らに声をかけて部屋を出ていった。
「オメザメちゃん、今日はどんなニュースがあった?」
マトリョーナおばさんは、今日もワイドショーネタを強請った。二人の会話になるべく関わらないようにしながら、僕はエリカのことを考えた。
なにかに悩んでいることは間違いない。サトウという人は誰なのか。突然現れたドラックマというおかしなヤツと、何か関係があるのだろうか。
随分と時間が経ってから、プリリンがマットレスから戻ってきた。
「やっぱ、久々だとキツイなぁ。毎日一緒に寝てたときは、あんなエルボー簡単にかわせたのに。鈍ってんのかなぁ。なんだか内臓がズレたみたいだ・・・」
プリリンはいつもの無表情のまま、ポコリとしたお腹の形を気にしている。
「官能がどうとか、するんじゃなかったの?」
「それはバッチリだ。もうエリカさんはオレのプルプルが忘れられねぇハズだ」
「どうだか。今日はきっと僕と一緒に寝ると思うよ」
「ほざいてろ、ガキが」
「ガキじゃないよ、僕はピョンタだ!」
「ピョンタなくてバッタだろ!?」
「バッタじゃないよ! 僕はピョンタだってば!」
「だから、ピョンタって何なんだ?」
「それは・・・」
「手足は確かにカエルっぽいけど、その頭の上にあるトサカの出来損ないみたいのはなんだ?」
「これは・・・」
「それに、その丸いフリルのついた襟はなんだ? ロリ系コスプレか? 変態だな」
「変態ならプリリンには負けるよ」
「オレのどこが変態なんだよ!」
「官能とか、ガムテープとか・・・」
「ガムテープは別に変態じゃねぇだろ!! だたの嗜好だ!!」
「あぁっ、ムキになった! やっぱ後ろめたいと思ってんだろ!」
「なんだと、新米のくせにえらそうに!!」
「変態に新米もベテランもないだろ!!」
「このやろう・・・!」
そのとき、また雷が落ちた。
「テメェら、朝からやかましいわぃ!!」
あっ、ヤバイ。
僕とプリリンは、慌てて上段を仰ぎ見た。マトリョーナおばさんとオメザメクンも驚いて会話を止めた。上段からは、ビニル樹脂のあどけない笑顔が僕たちを見下ろしていた。
「いい加減にしろよ、こっちは術後のキズがまだ癒えねぇんだ。テメエらのキンキンした声がキズに響くんだよ!」
「す、すみません!!」
僕は出来る限りの申し訳無さそうな表情を浮かべ、出来る限りの頭を下げた。
「まぁいい・・・。それより、昨日から聞き覚えの無い声が聞こえてたが、新入りか?」
「はい。えっと、新入りといっても、紐で携帯に縛り付けられたちっちゃいヤツです」
プリリンが答えようとしないので、僕が答えた。すかさず、マトリョーナおばさんも口を挟む。
「あたしも見たわ。なんだか不気味な子だったわね」
「紐? 携帯ストラップか。エリカの携帯には、確か宝石のようなアクセサリが付いていたハズだが?」
「あぁ、それ私も知ってる。バイオレットのキラキラしたキレイな石が付いたわよね」
「えっと、それは無くなってます。代わりにソイツが付いてたんです。ドラックマとかいう女子高生に人気のキャラだって」
モンキッキ先輩はいつものあどけない笑顔を浮かべていたけれど、円らな瞳の奥にはどこか醒めた光を湛えているように見えた。
「そうか・・・。誰かにもらったとか、いってなかったか?」
「いえ、それはいってなかったけど・・・。あぁ、もしかしたらサトウという人が関わっているのかも・・・」
「サトウ? そいつは誰だ?」
「なに? 誰? 男?」
「マトリョーナ、いちいち口を挟むな!」
「なによ、いいじゃない。ワイドショーよりこっちの方が愉しそうだもの」
「ったく・・・・。おい、プリリン、おめぇさっきから黙りこくってるけど、どうしかしたか?」
「いえ、なんでもありません・・・」
プリリンは、ドラックマの話題にはあまり関わりたくなさそうだ。
「ところで、そのサトウってのは誰なんだ?」
「大学での知り合いのようですが、詳しいことはまだ・・・」
やっと、プリリンが答えた。
「そうか・・・。ともかくその新入りだが、声を聞いた限りではちょっとおかしなヤツだったな。おまえたち、暫くの間そいつに注意していてくれ。何かあったらすぐに教えるんだ」
「そう、そうなのよ。さっき見たけど、眼つきが悪くて、小さいくせに気持ちが悪かったわ・・・」
「それはもう、さっき聞いた! ともかく、おまえたち頼んだぞ」
「わかりました!」
なに、この展開? 刑事ドラマ?
その日もエリカの帰りは遅かった。いつものようにカバンを机の上に置くと、ベッドに倒れ込んだ。
「はぁー・・・。つかれた・・・」
寝転がったままオメザメクンを手に取り、顔の中心にピンで留められている針をクルクルと廻した。針の動きに合わせてオメザメクンの手足がブラブラと揺れて、苦しいのか、くすぐったいのか。そんなことは気にも留めず、フェルトで出来た針をクルクルクルクルと廻しながらエリカはオメザメクンに語りかけた。
「なかなか手掛かりが掴めないなぁ・・・。どうしてサトウさん、振り向いてくれないんだろう・・・」
サトウさん、振り向いてくれない?
「なんだろう。サトウさんという人は、耳が遠いのかな?」
クルクルされているオメザメクンをうらやましく眺めながら呟いた。隣ではプリリンも同じくエリカたちを眺めていた。
「うーん・・・。もしかしたらサトウは、人間様のくせにオレたちみたいに顔と身体が一体化してるのかもしれねぇぞ」
「えぇ! そんな人間様いるの?」
「知らねぇけどさ、中にはそんな人間様もいるんじゃねぇの? 振り向くこともできないってんだから、すげぇ太ってるヤツとかさ・・・」
机の上を見ると、カバンのポケットから垂れ下がった紐にドラックマがぶら下がっていた。相変わらず不気味な眼つきでエリカの方を見ている。
「サトウさんてば、かなり鈍いみたいだし、ちょっと強引に迫った方がいいのかなぁ・・・」
エリカがまた口を開いた。
「ほら。いま、『鈍い』っていったろ? やっぱ太ってんだよ。サトウは」
「そうだね、いったね・・・。そうか、サトウは太っていて、顔と身体が一体化しちゃってるのか・・・」
そのとき、すっかり御馴染みの声が遠くから響いてきた。
「ゴハンどうするの? 食べないんなら片付けるわよ!」
お母さんだ。
「食べる~。すぐ降りる~」
エリカはオメザメクンを乱暴にもとに戻すと、グレーのスウェットに着替え、カバンのポケットから取り出した携帯を充電器に接続して部屋を出ていった。
「オメザメクン、大丈夫?」
フラフラしながらもオメザメクンはなんとか立ち上がった。
「いやぁ、眼が廻りました。あんなにグルグル廻されたのは初めてです」
それだけエリカは悩んでいるということか。
「しかし、少し見えてきたな」
プリリンが無表情な顔に不敵な笑みを浮かべた風に話し始めた。
「エリカさんは、太りすぎて首が廻らなくなったサトウをなんとかして、振り向けるようにしてあげたい、と思ってんだよ」
「でも、『強引に迫る』とかいってたよ。どういうことだろう?」
「だから、サトウは首が廻らなくなるほど太っちゃうようなヤツだぜ。きっと運動とか食事制限とか苦手なんだよ。でも痩せるにはそれなりに努力しないとダメじゃん? それで、エリカさんがダイエットを強引に迫ってんだよ」
「あぁ、なるほど・・・」
ようやくフラフラが落ち着いたのか、オメザメクンが口を挟んだ。
「じゃあ、あのコは、そのこととなにか関係あるんですかね?」
オメザメクンの赤い手袋をした丸い手が、机の上に無造作に寝転がったドラックマを指差した。
そうだ。謎はもう一つ残っていたんだ。プリリンは尚も推理した。
「そうだなぁ・・・。こういうのはどうだ? あのストラップをサトウがプレゼントしてくれたんだよ。だから、そのお礼に、ダイエットさせてあげようと・・・」
プリリンの言葉を切るようにオメザメクンが口を挟んだ。
「それでは、想像の域を出ませんね」
「まぁ・・・、想像だけどよ・・・」
「自分で買ったのかもしれません」
「いや違うだろ。あれはどうみてもエリカさんの趣味じゃねぇよ」
エリカとサトウの関係は少しずつ見えてきたけれど、やっぱり突然現れたアイツの存在が謎のままだ。僕は机の上を覗き見た。相変わらず携帯のそばで仰向けに転がっていた。もちろん紐で繋がれたままだ。
「ピョンタ、アイツに直接聞いてみろよ。誰からもらったのか」
「ん? あぁ、わかったよ・・・」
自分で聞けばいいのにと思ったけれど、プリリンはアイツのことがやっぱり苦手なんだ。総選挙で追い抜かれそうだから? 総選挙ってそんなに大事なのかな。僕は何位であろうと、エリカに愛されていれば全然平気だ。愛されてさえいれば。
僕は枕の上に立ち上がって、机に向かって声をかけた。
「おーい、ドラックマくん! 起きてる?」
仰向けのままじっとしていた真っ黒の子グマが、もそもそと起き上がった。
「あのさあ、キミは、誰かからのプレゼントなの?」
あいかわらず座った目が僕を捕らえた。
「おかあさん」
「お母さんって、ここのお母さん?」
「そうらよ。きのうのあさ、ごしゅひんさまは、おはあさんはら、もらっはんら」
「おい、ピョンタ!」
背後から小声でプリリンがいった。
「お母さんは、なんでエリカさんにアイツをプレゼントしたのか聞いてみろ!」
小さく頷いてから続けた。
「じゃあ、お母さんは、どうしてキミをエリカにプレゼントしたの?」
立っているドラックマの身体がフラフラと揺れていた。なんだか具合が悪いみたいだ。
「ほふひは、ははらはいへほ・・・、ほしゅひんははは、にはははへふほほは・・・、ひはっへ・・・」
もう何をいっているのか、さっぱりわからなくなった。
「ダメだ、ますます酷くなってるな。最初の二言くらいしか会話できねぇ」
プリリンが吐き捨てるようにいった。僕はドラックマとの会話を切り上げた。
「もういいよ、ありがとう。はやく寝たほうがいいよ」
ヘッドレストに戻り、二人と向きなおった。
「それにしても、どこからやってきたんだろう?」
「さあな・・・。でも、どうせオレやオメザメクンとおんなじ、中国生まれの大量生産だろう?」
「最近は、ベトナムやインド生まれの仲間も増えてきたそうですが、日本にいる仲間の約六〇パーセントは中国生まれですからね」
ふーん、そうなのか。
僕は自分の生まれ故郷がどこだか知らない。みんなは生まれた時のことまでちゃんと覚えているし、お尻のあたりに付いているタグには生まれ故郷が書いてあるそうだけど、なぜだか僕には付いていない。
「でもまあ、お母さんからもらったんなら、あんまり心配する必要はなさそうだな」
プリリンは一件落着したかのように、スッキリした無表情でいった。
「お母さんは、どうしてあんなヤツを選んだんだろう?」
お母さんは、ああいうエキセントリックなヤツが好みなのだろうか。
「もう歳だから最近の流行とかわかんねぇんだろ。店であれが流行ってるって騙されて、それを信用して買っちゃったんじゃねえの?」
「ドラックマが流行ってるのは、事実ですけどね」
オメザメクンのつっこみに、プリリンは気分を損ねた。
「いちいちうるせぇんだよ。オレは認めねぇよ、あんなヤツ」




