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 その後も、エリカの帰りが遅い日は続いた。

 今日もまた帰って来るなりぐったりとベッドへ倒れ込むと、手を伸ばした先にいた僕の身体を掴み上げ、お腹の辺りをムニムニと揉まれた。こそば気持ちいい。

「はぁー・・・。うまくいかないなぁ・・・。どうすればいいんだろう?」

 これって、悩み事じゃない? しかも、僕に向かって話している。これはやっぱり、プリリンよりもオメザメクンよりも、誰よりも僕のことを信頼しているってことだよね。ちゃんと答えてあげなくっちゃ。エリカの悩みは、僕の悩みなのだから。

 僕は、誰もがキュンとしちゃうこと請け合いのおちゃめな笑顔を浮かべ、エリカの瞳をしっかりと見詰めた。

「大丈夫、エリカならうまくやれるよ!」

 その言葉に対して返ってきたのは、アドバイスに感謝するお礼の言葉ではなく、背後からのヤジだ。

「なんだ、その無責任は答えは!? ってか、呼び捨ては止めろっつってんだろうが!」

「そもそもご主人様が何に困っているのか、解ってるんですか?」

 プリリンのはともかく、オメザメクンの指摘はもっともだ。僕はお腹のこそばゆさを堪えつつ、改めてエリカに聞いてみた。

「ところで、何がうまくいかないの?」

 エリカは僕の笑顔にキュンとした様子もなく、お腹をムニュムニュし続けている。

「わたし、ロボットとか詳しくないしなぁ・・・。ピョンタぁ、バンダムって知ってる?」

「ばんだむ?」

 エリカにムニュムニュされている僕の身体は、後ろを振りかえることは出来なかったが、気持ちだけは思いっきり振り返ってヘッドレストの同志たちへと問いかけた。

「ばんだむ、ってなんだ?」

「なんだよ、バンダムも知らねぇのか」

「世界で一番人気のある、ロボット・アニメですよ!」

 すかさずオメザメクンから答えが返ってきた。

 なんだ、アニメか。

「エリカ、あんなもの詳しくなくたって全然平気さ。ただの子供だましだよ。大人になってアニメなんか視てると、オタクって呼ばれてイジメられるらしいよ」

 判ってはいたけれどやっぱり僕の声は届かなくって、エリカは僕を視界に入れてはいるけれど、その焦点は僕の身体をすり抜けてずっと後ろの方にあるような感じがした。

「はぁあ・・・。DVD借りてきてもいいんだけど、突然詳しくなるのも不自然だよねェ・・・」

「だから、アニメなんて視ちゃオタクと間違われるよ! 止めた方がいいよ。そんなヒマがあるのなら、僕たちとオシャベリしようよ! みんなもエリカと遊ぶのを待っ・・・・!!」

 ムニュムニュに飽きたのか、不意にエリカは僕の身体を放り投げるように、もとのヘッドレストへと戻した。勢いよく二人の丸くフワフワした身体にぶつかった。

「んだよ、イテェな・・・」

「おかえりなさい」

 バウンドする身体のバランスを取りながらも、僕はエリカから視線を外せなかった。エリカは仰向けに寝転がって、天井をボンヤリと眺めている。

「ピエゾとか、ジャイロとか、コンデンサとか、インダクタとか・・・、もう、なにもかも苦手なんだよなぁ・・・」

 僕はそばにいる同志たちと顔を見合わせた。

「エリカはいま、なにをいったの? バンダムの仲間?」

 プリリンは考える素振りさえ見せず、オメザメクンに視線を送った。知らないことはオメザメクンに聞く、というのがほとんど条件反射になっている。

 僕らの視線を浴びたオメザメクンは、顔の真ん中に付いている時計の針をクルリと廻してから、申し訳なさそうに目を伏せた。

「い、いや、私にもさっぱり・・・」

「オメザメクンでも解んねェんじゃあ、お手上げだなぁ・・・」

「モンキッキ先輩かマトリョーナおばさんはどうだろう?」

「どうかな? 二人とも昔のことには詳しいけど、最近のことは全然知らねぇぜ。それに、ババァは寝るの超早ぇからな」

 結局のところ、理由はよくわからないけれど、とにかくエリカは悩んでいる。なんとか力になってあげたい。

 ボンヤリと天井を眺め続けるエリカは、ひときわ小さな声でボソリと呟いた。

「サトウさん、どう思ってんだろ・・・」

 僕たちは、その小さな声を聞き逃さなかった。再び三人して顔を見合わせた。

 サトウさんとは人間様の名前のようだけど、誰にも心当たりはないようだ。

 そのとき、聞き覚えのある声が響いてきた。

「ゴハンどうするの? 食べないんなら片付けるわよ!」

 お母さんだ。

「食べる~。すぐ降りる~」

 エリカは勢いよく起き上がるとグレーの部屋着に着替えて出ていった。

「で、サトウって誰だよ?」

 誰もが抱いた疑問を、プリリンが口にした。すかさずオメザメクンが答える。

「二〇一二年の統計によりますと、サトウさんは日本全国に一九九万人存在します」

「そういうことじゃねぇだろ。エリカさんの周りにいる誰かだろ?」

「千葉県内に限定すると、約八万人と推計されます」

「だからぁ・・・、もういい。オメザメクンはお休みしてな。明日も朝早いんだろ?」

「いいんですか? じゃあ遠慮なく。お休みなさい」

 オメザメクンは壁に背をあずけ、動かなくなった。

「ピョンタ、どう思う?」

「どうって、なにが?」

「だから、サトウってヤツだよ。誰だろうなぁ? 大学の人かなぁ?」

「さぁ・・・」

「毎晩、遅くなることと関係あんのかなぁ?」

「さぁ・・・」

「サトウはバンダムに詳しいのかなぁ?」

「さぁ・・・」

・・・・・・

「未来のヌイグルミには、縫い目がなくなるって聞いたんだけど、ホントかなぁ?」

「さぁ・・・」

「さぁ、さぁ、さぁ、って、オマエはなんも思いつかねぇのかよ!」

「・・・さぁ・・・」

 プリリンが「ダメだ、こりゃ・・・」と呟いたその時、聞き慣れない声が響いた。

「サトウさんは、らいがくのひとらよ」

 初めて聞く声だ。甲高いうえに妙に滑舌が悪い。なんだか酔っぱらっているみたい。

「だ、だれ?」

 僕は周囲を見回しながら、声の主を探した。

「ここらよ、ここ」

 ヘッドレストから顔を覗かせ、声のした方へと注意深く視線を巡らせた。

「ぼくらよ」

 いた。

 机の上だ。小さなクマ。首輪から延びたヒモが携帯電話に繋がれている。いわゆる携帯ストラップだ。妙に目が座っていて、雰囲気が病的に怖い。

「きみは、誰だい?」

 子グマは大げさに仰け反った。

「えぇ、しららいの? ぼくはあの、ドラックマらよ」

「ドラックマ?」

『あの』とかいわれても知らない。

 プリリンなら知っているかと隣を見ると、なんだか様子がおかしい。プリンのようにプルプルと震えている。フクフクとした可愛らしい拳をギュッと握りしめ、いつもの無表情な顔面には怒りとも恐怖とも取れる神経質な感情が浮かんでいるように見えた。

「ドラックマは今年の秋口から人気急上昇のキャラクターです。その名の通り、薬物中毒の子グマというアングラなコンセプトが女子高生に大ウケしたんです。年末の総選挙では選抜入りはもちろん、フロントメンバー入りが有力視されてる注目株ですよ」

 なるほど、プリリンのライバルというわけか。それでプルプルしてんだ。それよりオメザメクン、寝たんじゃなかったの?

「なにが注目株だ! オレは認めねぇからな! ラリってるクマなんてそんな不健全なもんが、子供たちに与えられていいワケねェだろ!」

 プリリンが拳をプルプルさせながら叫んだ。

 マズイよ、そんなに大きな声を出したら、またモンキッキ先輩を怒らせちゃう。

「まあまあ、落ち着こうよ。向こうはたかだが携帯ストラップなんだから。ほら、あんなに小っちゃいじゃないか」

 僕はプリリンの手を握った。まだ少し震えていたけれど、それに気付かれたくなかったのか、激しく手を払った。

「別に、オレは落ち着いてるっつーの。あんなもん、誰が本気で相手にするかよ!」

 いつもプリプリしているプリリンだけど、今日のプリプリにはいつものようなキレがない。プリプリというより、やっぱりプルプルだ。

 でも、あの子グマはサトウさんという人のことを何か知っているみたいだ。教えてもらいたいけれど、プリリンが酷いこといっちゃったから機嫌を損ねてしまったかもしれない。僕は再びヘッドレストから顔を覗かせ、様子を伺った。

 相変わらず目つきが座ったままで携帯電話にもたれかかっている。表情が表情だけに、怒っているのかどうかは判らない。思い切って聞いてみよう。もし暴れ出したとしても、紐で繋がれているから大丈夫じゃないか。

「ねぇ、ドラックマくん。教えてよ。そのサトウさんって人は、どういう人なの?」

「だから、らいがくのひと。そうちろ、つかいからを、おしえてくれるんら」

「らいがく? なに?」

 僕にだけ聞こえるような小声で、プリリンが答えた。

「あいつ滑舌わりぃなぁ。何だろう、『だいがく』かなぁ?」

「あぁ、大学ね・・・」

 エリカが通う大学にいる人ということか。だけど、それだけじゃあ、エリカが何に悩んでいるのかさっぱり判らない。ドラックマにもう少し聞いてみた。

「おーいドラックマくん、そのサトウさんって人は、エリカと同じ大学の人なの?」

「えりはってられらぁ。ごしゅひんさまろ、さとうはんは、こいひとらろりぃ・・・」

 なんだ? なんていったのか全然わかんなかった。となりでプリリンは再びプリプリし始めた。

「おいっ、テメェ! なにいってんのかさっぱりわかんねえんだよ! もう一度、いってみろ!」

「らからぁ、ごひゅひんはまほ、はほうはんは、ほいひろろうひらひ・・・」

「ろうひらひ? なに?」

「ダメだこりゃ。あんなにラリってちゃ話になんねぇ」

 たしかに、話しているうちにどんどん呂律が廻らなくなっていくみたいだ。そういうキャラ設定なのだろうか。

「ありがとう、もういいよ。もう寝た方がいいんじゃない?」

「ふるへぇ、よってらんからい・・・」

 まだ何かいっていたけれど、最後の方はもう言葉にもなっていなかった。結局のところ、サトウさんは大学の人かどうかもはっきりしないままだ。


 夕食とお風呂を済ませたエリカが部屋に戻ってきた。灰色の上下スウェットに湯上りの火照った肌がほんのりと映える。僕がそのほっぺにじっと見惚れていたにもかかわらず、エリカは僕の視線には一切気付くこともなく、机の上のパソコンへと向かった。

 エリカの行動は毎日ほとんど変わらない。

[帰って来る→着替え→夕食→お風呂→勉強→僕と一緒に寝る]

という流れだ。

 以前はこうだった。

[帰って来る→着替え→勉強→夕食→お風呂→僕とおしゃべり→僕と一緒に寝る]

 帰るのが遅くなったせいで、おしゃべりの時間が無くなってしまった。それはもしかしたら、サトウのせいだろうか。

 以前のエリカは、いろんな話をしてくれた。

 ヤマが当たってテストでいい点が取れたこと。

 街に出かけたらチャライ男がたくさん寄ってきてウザかったこと。

 クリーニングに出したお気に入りのカーディガンが、縮んで返ってきたこと。

 お父さんからあまり連絡が無くて寂しいということ。

 お母さんの作ってくれた麻婆豆腐が思いのほか本格的で美味しかったこと。

 入りたかった研究室を諦めて違う研究室に入ったこと。

 本当はよく知らないのに知っているふりをするのは大変だということ。

 学園祭でまたミスキャンパスに選ばれたこと。

 エリカが話してくれたことは全部覚えているけれど、そういえば学校の先生や友達の話は聞いたことがない。エリカは友達がいないのだろうか。サトウはもしかして、初めてできた友達なのかもしれない。

 エリカはパソコンの画面に映し出された何かを熱心に読んでいる。ときおり、携帯とパソコンの画面を見比べたり、カバンや上着のポケットから取り出したメモのような紙切れを見ながらキーボードを叩いたりしている。僕にはエリカがどんな勉強をしているのかさっぱり解らないけれど、でもエリカが真面目で勉強熱心なことだけは知っている。誰よりも美人で優しいことも知っている。胸の膨らみが特別柔らかいことも知っている。

「ふぁーあ。もうこんな時間かぁ・・・。寝よ」

 大きく伸びをしてから、パソコンの電源を落としたエリカがベッドに上がった。

「たまにはおまえと寝るか」といいながら、プリリンのポッチャリとした身体を掴むと、頬を摺り寄せるようにして布団に入った。

 そうなのだ。エリカはときどき、二週間に一回くらい、僕ではなくプリリンと眠るときがある。悔しいけれど仕方がない。たまにはプリリンにもいい想いをさせてあげないと。

 なんて僕は心が広いんだ、と自画自賛していると、久々のことにテンションが上がってしまったプリリンがつまんないことをいってきた。

「おーぉ、悪りぃなぁ。今日はオレがエリカさんの柔肌をいただいちゃうぜ!」

「ちぇっ。イヤラシイことしちゃダメだよ!」

「おまえみたいなお子ちゃまでは味わえない、官能の夜を存分に堪能させてやるぜ!」

 もう、なにいってんだか解らない。昂奮したヌイグルミには付き合いきれないや。

 部屋の電気が消え、スヤスヤとエリカの寝息が聞こえ始めた。プリリンはエリカのほっぺたに寄り添うようにして、プルプルしている。

 いいなぁ。

 でもほとんど毎日、あそこにいるのは僕だ。みんなはどんな気持ちでエリカの隣で眠る僕を見ているのだろう。

 オメザメクンは寝るのが早いからなんとも思っていないのだろうけど、モンキッキ先輩もやっぱりエリカの隣で眠りたいのだろうか。でも、エリカはかなり寝相が悪いから、叩かれたり押し潰されたりするのは当たり前で、僕なんか蹴られてドアの前まで飛ばされたこともある。そんな試練にモンキッキ先輩の弱った縫い目では、きっと耐えられないだろう。

 そういえば、あいつはエリカのことをどう思っているのだろう。気になって、机の方を覗いてみてギョッとした。

 机の角ギリギリに置かれた携帯から、ストラップが垂れさがっていた。暗い部屋の中、首輪から伸びた紐で吊り下げられたドラックマの影がゆらゆら揺れていて、まるで首吊り自殺のようだ。

 自殺、ダメ、絶対!

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