③
昼間、エリカが学校へ出かけている間の僕たちは特にやることが無い。だからといって、おとなしく過ごしているかというと、そんなこともない。
「ちょっと、モンさん大丈夫? すっごく魘されてたけど死んじゃったんじゃないの?」
マトリョーナおばさんだ。
僕らがいるベッドと反対側の壁際には、エリカが毎日勉強するための机があり、机の隣には三段に区切られた本棚がある。難しそうな本がぎっしり詰まったその棚の真ん中の段、本に挟まれるようにして立っているズングリとした人形。
派手な色のほっかむりにフリルの付いたエプロン、パッチリとしたおめめ。穢れを知らない少女にも見えるし、子育てに奮闘中の新米主婦にも見える。かなりの歳だとのことだけど、実際の年齢はモンキッキ先輩も知らない。さらには、たくさんの隠し子がいるという噂も。
「マトリョーナか? もう大丈夫だ。エリカが縫ってくれた」
モンキッキ先輩がしっかりとした口調で答えた。
「あらそう、それは良かったわ。もういい歳なんだから、若い子たちと一緒になってはしゃいじゃダメよ!」
マトリョーナおばさんはモンキッキ先輩にも上からモノをいう。年齢のせいだけではないのであろうその貫禄は、外見からは想像もできない。
「年寄り扱いすんな! まだまだこいつらには負けねぇよ」
「まぁた強がっっちゃって。もう身体中ほころびだらけなんだから、ほんとに気を付けてよ・・・。ところでオメザメちゃん、今日はなにか面白いニュースなーい?」
マトリョーナおばさんは、オメザメクンが提供するワイドショーネタが大好物だ。
「今日のトップニュースは、韓流アイドルグループ『美女世代』のプロデューサーが、メンバー五人のうちの三人に手を出してたことが発覚した、という話題です」
「えっ、マジ? そいつスゲーな!」
真っ先に反応したのはプリリンだった。芸能ニュースに興味なんてないだろうし、『美女世代』なんて知らないはずなのに。結局のところ、下世話な話が大好物なのだ。
「あらぁ、身内の若い子に手を出すなんて最低ねぇ・・・。その・・・、プロ、プロ・・・」
マトリョーナおばさんは外国人のくせにカタカナに弱い。僕は助け舟を出してあげた。
「プロデューサー」
「そう、プロジューサー? ところでその、プロジューサーってなーに?」
えっ? なにっていわれると答えられない。だって、なんとなく雰囲気で使ってるだけの言葉だもの。すかさずオメザメクンが答えてくれた。
「プロデューサーはですね、一言でいうと、そのアイドル・グループを作った人です。グループのコンセプトを決めるところから始まって、メンバーのオーディションや、曲を作ったり、衣装を決めたり、歌やダンスを教えたり・・・」
なるほど、と感心する。オメザメクンはなんでもよく知っている。さすがは情報番組のイメージキャラクターだ。
この部屋にテレビはないけれど、オメザメクンは『お目覚めTV』放映時間に起きていれば、その日の情報を受信することができるのだそうだ。どういう仕組みでそうなってるかは、本人にもわからない。
ともかく彼はそういうワケで、ヌイグルミ界一番の早寝早起きだ。
「へぇ・・。じゃあそのプロジューサーって、歌や踊りと一緒にエッチなことまで教えてたのね」
マトリョーナおばさんのコメントに、またプリリンが反応した。
「うわぁ、いいなぁ・・・。オレもアイドルのプロデュースやりてぇ!」
「なにいってんのバカね。あんたみたいなズングリしたのがアイドルなんて作れるわけないでしょ! もし作ったとして、どうやってエッチなこと教えるつもりよ! チ○ポも生えてないくせに」
「うわっ、ひでぇ・・・。セクハラで訴えてやる!」
「なにがセクハラよ! そもそもあんたたち毎日素っ裸でウロウロしてるじゃない。そっちが先に猥褻物陳列罪で捕まっちゃうわよ! あっ、そうか。陳列する猥褻物もないのね。キャハハ・・・」
「クゥー、ちきしょう! モンキッキ先輩、何とかいってくださいよ。同じ全裸仲間でしょう? セクハラおばさんをギャフンといわせてくださいよぉ」
「おめぇバカか! オレがタチウチできる相手じゃねぇだろぅが! 相手は・・・」
先輩の言葉をさえぎったのは、もちろんマトリョーナおばさんだ。
「モンさん、あなたは入ってこなくていいの。病人なんだから大人しくしときなさい!」
「は、はい・・・」
つぶらな瞳でギョロリと睨まれ、モンキッキ先輩はあえなく沈黙した。セクハラ攻防に勝利したおばさんは、満足気に僕の方へと向きなおった。
「そういえば、ピョンちゃんは上品な服着てるわねぇ。いいところの生まれなのかしら?」
「いや、ぼくは・・・」
自分の生い立ちも、本当の名前すら知らない僕は、言葉に詰まった。すかさずプリリンが余計な口を挟む。
「ピョンタはバッタのバッタだぜ。いいとこの子のワケがないじゃん」
「そぅお? でもあたし、どこかで見たことあるような・・・。どこだったかしら・・・」
ここぞとばかりプリリンが反撃に移った。
「おばさん、長生きしすぎて記憶がおかしくなってんだよ。もうボケが始まってんじゃないの?」
「まぁー、憎たらしい。ほんとにプリリンたら口は汚い、ブサイク、スタイル悪い、下品でエロい。一つもいいとこがないわね! それに比べてピョンちゃんは、上品だし顔もかわいらしいし・・・、わたしは断然ピョンちゃんの味方よ!」
「うるせぇ! ババアの味方なんていらねぇんだよ!」
「あんた! いま、ババァっていったわね! わたしのことをババァっていったわね・・・!」
「ババァにババァっていって何が悪い!? 悔しかったらほんとの年齢明かしてみろよ!」
「わたしは、永遠の十七歳よ!」
「ハァ!? 十七歳とは生まれてから十七年ってことですよ! ちなみに一年は三六五日ですよ! 年月の数え方間違えてませんか?」
「キィー!!」
・・・・・・・・・・・・・
こうなると、もう僕たちに出る幕はない。延々と続く二人の罵り合いを、静観するばかりだ。まちがって余計な口でも挟もうものなら、二人から攻撃されるのがオチだ。
プリリンが調子のいい日はだいたいこうなる。そうじゃない日は、僕が捕まってエリカへの不満を延々とグチられるか、オメザメくんがワイドショーネタを際限なく要求され続けるか、だ。ようするに、その日最も運の悪い一人が、マトリョーナおばさんの相手を延々と務めなきゃならない。
僕は早々に二人の不毛な争いから離脱して、エリカのことを考えていた。
エリカは毎日遅くまでなにをやっているのだろうか?
どうしてあんなにも疲れているのだろうか?
どうしてあんまりお喋りしてくれなくなったのか?
そこへ突然割り込んできたやや高いダミ声。
「おい、ピョンタ! おまえもそう思うだろ!!」
「え、なに?」
急に振られても、話の筋がわからない。
「だから、あのババァが十七歳のワケがねぇだろ!?」
そんなの答えられない。そもそも、僕らにとって十七歳といえばかなりの老人だけど、マトリョーナおばさんの固い身体ならもっと長生きできそうだし、だからといって、「ホントはもっと歳上でしょ?」なんていえば、今度は僕が口撃されてしまう。
返答に困った僕は、ムリヤリ話題を変えてみた。
「え、えーと・・・、マトリョーナおばさん、ちょっと教えてもらっていいですか?」
「え、なぁにピョンちゃん。そんな改まって気持ちが悪い」
気持ちが悪いって・・・。さっきはカワイイっていってくれたのに・・・。
「え、えっと・・・。モンキッキ先輩とマトリョーナおばさんは、どこで知り合ったんですか?」
「あ、それオレも知らない。オメザメクンは知ってんのか?」
「いえ、私は『お目覚めTV』で採り上げられたニュース以外の情報は何も知りません」
僕らはおばさんの返事を待った。
「それは、オレから説明しよう」
口を開いたのは、モンキッキ先輩だ。
「いまから四年前、高校生だったエリカは、当時お父さんが赴任していたロシアに留学することになった。小さなカバンの隙間にムリヤリ詰め込まれたオレも、一緒にモスクワの地に降り立った。フライト中は息苦しくて死ぬかと思ったが、モスクワの町は寒くてもっと死にそうだった。毛が凍り付いてはパリパリと折れて、後頭部の円形脱毛はそのときにできたんだ。エリカも寒さと不安のせいで、オレを抱きしめてガタガタと震えていたっけなぁ・・・。それはともかく、なんとか一年間の留学期間を終えて日本に帰るその日、ホームステイ先のアンナばあさんからお土産にもらったのがマトリョーナだ」
「そうなのよ。アンナったらエリカがいなくなるのが寂しいって、わたしの中に手紙まで忍ばせたりしてね。それなのに、いざお別れのときがくると、わたしもろともエリカの手を握り締めてワンワン泣き出しちゃうものだから、エリカもずっと手を引っ込められずに困った顔をしていたわ。わたしはわたしで久々の海外赴任だったし、しかも、よりにもよってニッポンだなんて・・・。マンシュウまで攻め込んできた野蛮な国だっていうじゃない、もう怖くて怖くてそれどころじゃなかったわ・・・」
マトリョーナおばさんはやっぱり外国生まれなんだ。そして、モンキッキ先輩も外国に行ったことがあるなんて初耳だ。それにしても、日本って怖い国なの?
「チョット待って!」
すっとんきょうな声を上げたのはプリリンだ。
「ということは、マトリョーナおばさんがここに来たのと、オレがここに来たタイミングって、そんなに差が無いんじゃねぇの?」
その問いにも、モンキッキ先輩が答えた。
「そうだ。オレたちが日本に帰ってきて、すぐにエリカは大学に入学したんだが、入学式から二、三日後だったかなぁ。プリリンは確か、新歓コンパのビンゴの景品で当たったとか・・・」
しんかんコンパ? ビンゴって、あのビンゴだよね。てことは、なにかのパーティーみたいなものだろうか?
僕にはまだ知らない言葉がたくさんある。生まれたのが遅いからだろうけれど、意味を聞くとプリリンにバカにされるから、あんまり聞けない。だから自分で想像する。しんかんコンパの意味を想像していると、プリリンが昂奮した声を上げた。
「そうだ、思い出した! 一等は仁天堂DSで、二等はソミーのウォークサン、三等がマイパロディの抱き枕で、オレは六等か七等だったんだ。なんでオレがマイパロより下なんだよ! あんなのオーバーオール着てるだけのだたのウサギじゃねえか!」
すかさず冷静な解説が入った。
「総選挙でのマイパロさんは最高位ニ位、去年は四位、五年連続フロントメンバーです。最高位九位で去年はギリ選抜のプリリンさんより、明らかにランクは上ですね」
オメザメクン、いまそれはいわなくてもいいのでは・・・。
「ち、ちきしょう・・・。でも、でも、エリカさんはオレが当たって、すごく喜んでくれたんだ! その日から毎日、オレとベッドを共にしたんだ。誰かが来るまではな!」
プリリンが無表情な目に敵意をみなぎらせて、僕を睨み付けた。僕は気付かないフリをして話をそらした。
「オメザメクンはいつ、どうやってここに来たの?」
オメザメクンは記憶を探る素振りもなく、淡々と話し出した。
「二年前になりますが、『お目覚めTV』で京葉大学の学園祭を取材したことがありまして、なんでも近所の子供向けにオペレッタを上演しているサークルがあって、それが大盛況だとかで・・・。で、そのときの取材のお礼として、私は学園祭実行委員長へプレゼントされたのです。ところが、実行委員のどなたかが、ミスコンの副賞を用意し忘れたとか。そこで急遽、わたしがミスコンの副賞となったわけです。次から次へとご主人様が入れ替わり、わたし自身はなにがなんだか判っていなかったのですが、最終的にミス京葉大学に選ばれた今のご主人様のもとへとやってきた次第です」
複雑すぎてよく判らなかったけれど、いつも淡々としているオメザメクンも波乱に満ちた人生を送ってきたということらしい。
「はいはい、もう昔話はいいでしょ? それよりオメザメちゃん、さっきの美女世代の話、詳しく教えなさいよ。それにしても、手を出されなかった二人はどう思ってるのかしらねぇ? どうなのよ、その二人は手を出された三人よりもブサイクなわけ? ねぇ、オメザメちゃん・・・」
マトリョーナおばさんはオメザメクンのワイドショーネタに喰い付いていった。
ちなみに僕がここにやって来たのは、去年のクリスマスのことだ。誰かからのクリスマス・プレゼントだったのだけれど、それが誰だったのか僕は知らない。
気が付いたときには暗い箱の中だった。どのくらいの時間、そこにいたのかもわからない。永遠に続くと思われた暗闇が突然破られ、明るい光が差し込んできた。眩しさに目がくらんで一瞬、何も見えなくなった。そのとき、
「なんだろう・・・?」
という可憐な声とともに伸びてきた優しい手に抱えあげられた。光に慣れてきた目が、可憐な声の主をようやく映し出した。
天使だ。いや、女神様だ。
僕は一撃でハートを打ち抜かれた。
後になってエリカという名前だと知る女神様が、僕を見て最初にいった言葉は、
「なにこれ? へんなの・・・」
だった。
「かわいい!!」でも、「やったー!!」でも、「はじめまして!」でもなく、「なにこれ?」で、「へんなの」だ。
そして女神様の二つ目の言葉で僕の名前が決まった。
「よし、おまえのことは、ピョンタと呼ぼう!」