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ストロベリーアイスクリームの秘密

作者: 成田純一

 タキヲがフライパンでもやしを炒め、その油に引火した炎が高らかに上がる。噂では童貞ではないかと言われ、いかにも女にモテなさそうなタキヲは厨房で子気味のいい音を鳴らしながら美味しいものを作っていた。

 その時私と親友のエミ、そして彼女の恋人レオはラーメン屋『長居』で腹ごしらえをしていた。他にはスーツを着た客が一人いるだけだ。店内は奥に細長く私たちが座るカウンター席しかない。とてもおしゃれとは言えない内装。入口の反対側に化粧室。古いタイプのエアコンが唸りながら炎天下の外とは別世界を作っている。この店は私が通っている高校の近くにあり、生徒たちは制服姿のままラーメンをすすりによく立ち寄った。タキヲが作った醤油ラーメンが空っぽの私の胃袋をじんわり満たしていく。

「アイツ何考えてるんだろ?」

 私は汁が絡んだ細いちぢれ麺をそしゃくしながらモゴモゴと言った。

「ユキのこと試してんじゃね?」

「あぁ、それあるかも」

 店の奥から私、エミ、レオと細長いカウンターテーブルに並んでダイエットの敵をかっ食らっている。そのレオとエミが続けて私に言い放った。

 付き合い始めて三カ月、突然私のパートナーであるシュウイチが連絡を絶った。宅電、スマホによる電話、LINE 、メール、全て音信不通。彼は隣町の高校に通っているので会うこともままならない。 

 二週間前自宅の私の部屋で映画のDVDをいっしょに観たのが最後、それ以来音沙汰がない。あの日は家族が在宅だったので他人に言えないことはしなかったが、別れ際玄関前で私たちはキスをした。

 あれからずっと考えている。私は何かシュウイチを怒らせることをやらかしたんだろうか、と。小太りのタキヲが顔をテカらせて食器洗いをしている。噂によるとタキヲの左足首には自らの尻尾をくわえ込んだ蛇のタトゥーがあるという。終わりの始まり。答えの出ない疑問。永遠の謎。

 いつの間にかスーツ姿の客はいなくなっていた。タキヲがレオ相手に店が流行らないことを愚痴っている。たとえ食欲旺盛とはいえどんぶりの底の模様は確認出来ず麺と具材以外を残し私は化粧室へ向かった。なぜこの店には冷やし中華がないのだろう。こんな夏の暑い日、スープが煮だったようなラーメンは私たち客には酷だ。タキヲは客のニーズがまるで解っていない。だから女にモテないんだよ。

 化粧室は一畳ほどのスペースで奥に男女兼用のトイレがある。安っぽい鏡の前に立った私は身だしなみを整えた。ショートヘアにしては長すぎるボブの髪の毛を右手で後ろにまとめてみる。もうすぐ夏も終わる。ロングヘアにするにはいいタイミングかもしれない。黒髪が両サイドから退いたので化粧っ気のない顔の輪郭が露わになる。都会なら話は別だが田舎町のこの辺で念入りな化粧をする女子高生はまずいない。ただし夜遊びに行く場合は例外だが。

 ピアスの穴、空けようかな。私は無防備な両耳を見てそう思った。友達の半分は身体のどこかにピアスを付けている。でも私はその際の施術の痛みが怖くて躊躇している。すでに耳に付けるピアスを持っているというのに。

 シュウイチとは深夜の公園の自販機の前で知り合った。お互い地元のクラブに潜り込んだ帰り、遊び足りなくて夜の街をうろついていたのだ。知り合った頃、彼は私がピアッシングガン体験者と勘違いして薔薇の花がモチーフのピアスをプレゼントしてくれた。今度会う時それを付けて行けばシュウイチは喜ぶかもしれない。それとも調子に乗るか鼻で笑うか。いずれにせよ仲直りのきっかけにはなる。決してケンカしてる訳ではないのだが。

 私は控えめだが品のいいリップグロスを唇に塗り直して化粧室を出た。 

 店内ではエミ、レオそしてタキヲが楽しそうに談笑している。席に戻るとラーメンどんぶりは片付けられており、その代わりに私たち三人の為にストロベリーアイスクリームが置かれていた。ジェラートではなくアイスクリーム。それは一枚いちまい摘み取った薔薇の花びらを丁寧に重ね合わせたように片手に乗る程のボウルに入っている。

「美味しいよ」

 タキヲの心遣いを食べながらエミが幸せそうにつぶやいた。

「ボーイフレンドが行方不明なんだって?」

 タキヲがニヤニヤしながらカウンター越しに私に言った。

 ちっ、タキヲめ、私の話を全部聞いていやがったか。

「サービスだよ、食べな」と、タキヲは友人を紹介するようにストロベリーアイスクリームを指し示した。

「ありがとうございます」

 私は少しムッとして逆にバカ丁寧に礼を言った。そして席に着きタキヲの言葉に甘えた。

 ストロベリーアイスクリームは絶品だった。世界の色恋沙汰の秘密を私が独占しているのだと錯覚させる酸味、喉の奥が灼けるような甘さ。そしてさっぱりとしたあと味。

「もしシュウイチ君の本音が知りたいのならー」

 タキヲはゴツい赤ら顔でそっぽを向きながら語り始めた。

「『行きたくないんだけど、クラスのイケメン男子にデートに誘われた、どうしょう?』って手紙送ってみな」

 私はポカンとしながらタキヲの話を聞いていた。何だよ、童貞のタキヲが私に恋愛のアドバイスかよ、と。

「『行きたくないんだけど』ていうフレーズ忘れちゃダメだよ、それによって『あなたのことが好きなの』というメッセージが込められる」

 エミとレオがデザートから顔を上げた。私も一瞬でタキヲを見直した。それは使い慣れ気にも留めなくなったスマホによく当たる占いのアプリをダウンロードした時のようだった。

 確かにタキヲの言う通りのメッセージを送ればシュウイチはハッキリとした態度表明を迫られる。もしシュウイチが私のことを好きでいるならば何らかの形で愛情表現せざるを得ないだろう。そうなればシュウイチは私の前に姿を現すかもしれない。

「いいアイデアだけど手紙はないな」

 私は内心タキヲを大絶賛しながらそれを隠して駄目出しをした。タキヲは照れる風でもなく、もう今さっきのことは全て忘れたようにもくもくと洗いものをしている。

 私はふと思った。果たしてタキヲはどのような経緯で、ここでラーメン屋を営むに至ったのだろう。いっぱしに調理師の専門学校へでも通ったのか、それとも老舗のラーメン屋で修業をしたのか。いずれにしてもタキヲが出したラーメンどんぶりの数だけ時間の連なりがあるということだ。その間には妖しい女の微笑みを見ることもあっただろうし、甘い女の吐息を聞くこともあったのだろう。恋の駆け引きを私にレッスンすることが出来るのも当然といえば当然だ。

 私、そしてエミとレオはストロベリーアイスクリームを完食し会計をしてラーメン屋『長居』を後にした。外に出ると太陽は西にずいぶんと傾き通りをもう吹く風は涼しい。このあたりの田舎町は酷暑とは無縁で真夏とはいえ朝晩ともなると少し冷え込むのだ。そんな土と草の香りがする通学路を私たちは駅へと向かってとぼとぼ歩いた。

「そろそろ夏が終わるね」

 もう二度と夏を体験出来ないのではないか、いや、夏はおろか明日になれば私自身が消えていなくなっているかもしれない。私はそんな言い方をした。エミとレオも切なそうに微笑んだ。 

 そして秋がやって来た。

 結局、シュウイチは本当に行方不明になってしまった。彼の母親によると朝学校へ行ったまま二度と帰って来なかったそうだ。シュウイチの家族は地元警察に捜索願いを出したが未だに見つかっていない。彼の失踪事件はしばらく周囲をザワつかせた。そう、しばらくは。どういうことかというと、月日が経つにつれてシュウイチの話題を口にする人は減っていったってこと。私も最初はシュウイチの家出の原因が自分にあるのではないかと罪の意識に駆られたが、やがて忘れていった。薄情な女。

 ところで冬が近づき劇的なことが起きた。私とラーメン屋のタキヲが付き合い始めたのだ。今後どうなるかは解らん。ただ滞りなく数回のデートは済ませた。笑ったのは本当にタキヲが童貞だったという……。タキヲは34歳、ある意味無敵とも言える。

 そして私は両耳にピアスの穴を開けた。冬の寒さがまだ癒えぬ傷に沁みた。薔薇の花がモチーフのピアスは捨ててしまったのだけれど。

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