65 愛別離苦
俺は、俺の顔をしたそいつを──そう、ヴィティスの首を両手できつく、締め付けた。
俺はヴィティスに馬乗りになっている。ヴィティスは抵抗しなかった。しようとしてもできないだろう。ヴィティスの四肢は切断されていた。俺が切り裂いたんだ。
ヴィティスのアバター化は完全に解除されている。<狂人化>を酷使した結果、ヴィティスの脳がアバター化の負担に耐え切れなくなったんだ。俺だってそうだ。限界に近い。それでもまだ、何とかアバター化を維持てきている。
「………………ッ」
擦れた声が聞こえてきた。ヴィティスの口から洩れたんだろう。
その眼はうつろに、どこか遠くを眺めている。何を見ているんだろうか。何を感じているんだろうか。まだ、ヴィティスの身体は鼓動している。生きているんだ。
ヴィティスの唇が動いた。
俺は手を緩めない。
それでもヴィティスの唇は、動き続けた。
静寂が流れる。
擦れた声も聞こえない。
気が遠くなるほどの時間が流れた気がしたけれど、
本当は、一瞬の事だったかもしれない。
今、ヴィティスの身体から力が抜けた。
俺も、手から力を抜いた。
ああ、終わった……
虚無感に似た何かが、俺の身体を駆け抜けた。けれど、まだだ。まだやるべきことが、残っている。
俺は立ち上がり、約束を果たすために、全てを終わらせるために──オヤジと香凜を探した。
この部屋には、大量の脳がある。それらは全て、バベルの運用の為に使われているんだろう。もしくは、あの、シデンの使っていたシステムの為に。香凜の具現化能力を増強させるというシステムのサポートとして、使われている……そういうことなんだろう。セラだったかシデンだったか、確かそんなことを言っていた。
全部を全部、ぶち壊せたらいいんだけれど。でも、そんなことをするだけの力は、今の俺には残っていなかった。
大量にあるカプセルの中。俺は、その中でもより巨大なカプセルの前で、立ち止まった。
「香凜……オヤジ……」
俺の前には、二つのカプセルがある。そしてその中には、脳が一つずつ浮かんでいた。無数の配線が接続されていて、もうそれは人間の脳のようではなかったけれど──俺にはわかる。これは、確かにオヤジと、香凜だ。
何かを言おうと口を開きかけて、やめた。
そんなことしたって何にもならないんだ。
……俺は、無言で引き金を引いた。
二丁の拳銃から弾丸が放たれる。ガラスが割れた。液体の中を弾丸がスパイラルしながら突き進んでいく。そして。それは、二つ同時にそれぞれの脳を貫いた。
カプセルから液体が噴き出る。程なくして、周囲のコンピュータが異常な点滅を繰り返した。数秒後、アラートが鳴る。
……やったか。
即死だろう。
二人に意識があったかどうかはわからない。でも、死んだはずだ。これで、終われたはずだ。
一瞬、俺は俺のしたことの正しさを考えたが、
そんなことはどうだっていい。
正しくても正しくなくても。
俺には引き金を引く以外の選択肢はなかった。
正しさの問題じゃないんだ。
正しさだけじゃ、生きていけない。
アラートが止まない。今もなお、強く鳴り響いている。カプセルから流れ出る液体は、俺の足元にまで広がっていた。それに血が混じって、俺の足元を濡らす。オヤジと、香凜の血だ。あんなにも求めていたものなのに……
「ああ……」
俺の身体から力が抜けた。ほどなくして身体が光に包まれ、アバター化がとける。俺は俺の姿に戻っていった。それと同時、俺はその場に崩れていく。
培養液と血のつくった水たまりに、俺は何の抵抗もなく倒れこんだ。頬が濡れる。ひんやりとしていた。視線の先に、チューブが接続された脳が見える。あれは、きっとオヤジの脳だろう。その中心には穴が開いていて、そこからは血が流れ出ていた。
ふと、何かの音が聞こえてくる。機械的な音だ。何かの駆動音。そうだ、これは、自動防衛機械の……
視線だけ動かすと、カプセルの隙間から黒くて多脚のそれが一機。見えた。いや、一機だけじゃない。次々とやってくる。数機……十数機……だめだ、考えるのも馬鹿らしい。
どいつもこいつも、モノアイのカメラでターゲットを探している。きっと、メインサーバを破壊した侵入者を、探しに来たのだろう。
今、そのうちの一つが、俺を捉えた。それから間髪入れず、全てのモノアイが俺へと向けられる。
ゆっくりとそいつらが俺に向かって来た。地面を通して、その足音がよく聞こえる。
生きろ、とは言われたが……
「正直これは、どうしようもないな──」
立ち上がる力がない。そんな気も全く起きない。これ以上、何かできるとは思えなかった。
それに、ここで死ぬってのも悪くはない……
黒い銃口が俺に向けられた。機械音が耳に響いている。俺は、ずっとそれを見ていた。何かを見ながら、終わりたいと思った。ああ、そうか、もしかしたらヴィティスも、こんな気分だったのかもしれない。
「ごめんな、香凜……」
ふと、俺はそんなことを呟いていた。
涙も、流していた。
その理由を頭の中でちゃんとした言葉にしようとして。
瞬間、銃声が。
そして、俺は────────




