56 発光
「ああっ……ああああああああああああああああああああああああああ!!」
ヴィティスの絶叫が響いた。その前には、身体の捻じれた香凜の姿がある。腕が完全に関節の限界を超えて曲がり、脚はもげてカプセルからはみ出ていた。上半身と下半身は180度以上、回転している。
「何を泣いてるんだ?」
俺はヴィティスに向かって問うた。
「テメェにわかるかよ……死んだんだ。香凜が死んだんだ。テメェに、ニセモノのテメェなんかに、この気持ちがわかるはずがねぇ!」
ヴィティスの言うとおりだ。俺にはこれを見て、泣く理由がわからない。こんなものを見て泣けるはずがない。気味が悪いとは思うが、それ以上に、ヴィティスのように泣くことなんてできない。絶対に。
だって、カプセルの中の香凜は、血を出していないんだ。
「それは香凜じゃない。お前だってわかってるだろう?」
「何を……ッ!」
「そんなに重症なのに血が出ないなんておかしいだろう? それは人形じゃないか。大方、シデンがお前の行動をコントロールするためにでも造ったろ?」
「違う……ッ!」
「シデンは、最初から香凜の具現化能力を利用するつもりだったんだ。それなのに脳をそのままにしておくわけがない。肉体もきっと、研究に使われてるだろう。だから、そこにあるのは香凜じゃない。香凜であるはずがない」
香凜がそこにいるはずがないんだ。シデンが香凜の身体を奪ったのは、香凜の脳を利用するため。だとしたら、その肉体をそのまま保管しているわけがない。ヴィティスが香凜だと思ってたのは、ただの、それに似た人形だ。
カプセルの中には、一滴も血が流れていなかった。身体が捻じれていて、首が曲がっていて、そして、肉体の断面は肉や血の色ではなく、肌色だった。よくできたマネキンみたいなものだろう。
香凜は初めからそこにいなかったんだ。全ては、ヴィティスの思い込みで……
「違う……ッ! 違う……ッ! 香凜はここで眠ってたんだ。俺は目を覚ますのを待ってたんだ。テメェを殺せば香凜は目を覚ましたんだ! それなのに、そうだ、テメェがいるから! テメェがここに来たから!」
ヴィティスが頭を掻き毟る。音を立て頭皮から血が流れるのではないかというほど、強く、強く、何度も頭を掻き毟った。
ダメだ。こいつはもう、壊れてしまっている。まともに状況が判断できなくなっている。もしくは、わかっているのに受け入れようとしない。こいつを支えていたものが、崩れようとしているんだ。狂って誤魔化して偽って、そして現実に直面して壊れて──
「クソが、テメェのせいだ。テメェのせいだろ、ニセモノ。何もかもテメェだ。テメェがいるから香凜は世界を拒むんだ。そうだ。そうに決まってる。だから、だから、だからよォ!!」
ヴィティスが立ち上がった。その手に〈大剣〉をジェネレートする。そしてそれを振り回しながら、俺に向かって跳びかかってきた。
「死ね死ねしねしねしねしねシネシネシネシネシネ! アヒャッ! ヒャハハハハハハッ! ハハハハハハハハッハハハハッ!!」
狂ったように笑う。その身体に向け、俺は二丁の〈魔法銃〉の引き金を引いた。弾丸がヴィティスを貫く。呻き声が漏れた。その顔が歪む。俺は再び引き金を引いた。銃声。もう一度弾丸がヴィティスにめり込んで、そして──
ヴィティスの腹を突き破るようにして、それが表れた。
「な……っ」
それは無機物的ではなく、生態的なもの。まるで巨大なツタだ。俺の胴体ほどの太さを持つそれが、ヴィティスの腹部を貫いている。
俺は咄嗟に地面を蹴った。背後へと後退し、ツタをかわそうとする。だがツタは俺の動きを追い、そして正確に腹を貫いた。
「が……っ」
痛みと吐き気が同時に押し寄せてきた。俺は手に持った〈大剣〉を振い、そのツタを切り落とす。そして、ツタ俺の身体から引き抜いた。俺の身体が自由になる。しかし、依然としてヴィティスはそのツタに貫かれたままだ。
ツタの断面が蠢いている。そしてそれ植物のように成長、ヴィティスの身体を包み込んで、絡めとった。俺は地面を蹴り、その場から距離を取る。
……何が起きている?
「よくやった。もういい。お前は、眠れ」
声が、聞こえてきた。声の主はこちらに向かってきている。この声は、シデンだ。
いつの間にかシデンはこの部屋に入って来ていたらしい。白衣を着たその男は、ツタに絡みとられたヴィティスの元へと歩いていた。ヴィティスはかすれた声で叫び続けている。弱々しい叫びだ。腹はツタに貫かれ、その四肢も完全に絡めとられてしまっている。身動きを取ることができないんだろう。
「シデン、あんた、何を……」
俺は理解ができなかった。何故こいつはヴィティスを襲ったんだ?
「貴様が余計な事をしてくれたからな。また人格の再形成を行わなければならない」
そう言った後、シデンはツタに全身を拘束されたヴィティスを眺めながら、ぶつぶつと呟きだした。
「これが望むから、この場所を作ったというのに。それが裏目に出てしまったか。八雲香凜に執着させすぎたか? いや、それは仕方のないことだった。元から八雲周の人格はそれを強く欲していたんだ。無理に消すことは具現化能力にも支障が出かねなかったのだから、どうにもならないか……」
ヴィティスを拘束しているツタは、ドームの地面から生えだしていた。まるで、その場所から急激に樹木が成長したかのようだ。どう表現すればいいのか―そうだ、これは木属性の魔法に似ている。誰かが魔法を使ったのか? いや、それはない。ここにいるは、俺とヴィティス、そしてシデンだけだ。それにシデンはアバターの姿ではなかった。だが、シデンが何かをしたのは明白だ。一体、何を?
「さあ、残るは貴様だけだ。八雲戒の忘れ形見。」
シデンが俺に向けて、手を翳した。瞬間、俺の周囲から大量のツタが地面を突き破って表れる。俺は武装を〈大剣〉から〈靴〉へ換装、生物的に蠢くそれから距離を取る。だが、避けきれないほど早く、地面から次々とツタが現れた。いつの間にか、俺の四方をツタが囲んでいる。逃げることはでいなかった。
「クソ……ッ!」
身体の自由を奪われた。ツタが俺の身体を強く締め付け、固定しようとする。脚が地面から離れ、宙に浮いた。俺はそれに抗いながら、〈魔法剣〉をジェネレートする。そして炎属性の魔法を唱えようとするが、直前にその〈魔法剣〉をツタによって奪われてしまった。
「終わりだ」
シデンの声が聞こえる。無数のツタが、うねりながら俺の前に現れた。そして、その先端が突如植物的なものから金属の槍へと変化した。まるで、金属性の魔法みたいに。
そして、その槍が回転を始めた。貫かれたらひとたまりもないだろう。クソ、もう一度武装をジェネレートして──
その時、突然。強烈な光が、俺の視界を覆った。




