45 ウルティメイト
「香凜は紫電の元にいるはずだ。だがその前に、まずはお前の事について話さなくてはならない」
「そんなことどうでもいい。俺は……記憶を改竄された、八雲周のコピーなんだろう? 先に香凜のことを教えろ」
「おいおい、何を言ってるんだ。私はお前の記憶に手を加えてなんかいない。する必要なんて、全く無かった」
なんだって? どういうことだ? 俺の記憶に、手を加えてない?
何故だ。俺は仮想空間の中で生きていた存在じゃないのか?
「俺とヴィティスは別の存在だ。ヴィティスが本物の八雲周なんだろう? だったら、俺が記憶を書き換えられていなくちゃ、おかしいじゃないか」
「ああ……なるほど……紫電にそう吹き込まれたのか」
何かを悟ったのか、ぶつぶつと呟きだした。そして結論が出たのだろう、顔を上げて言う。
「それは違うよ。間違ってる。そのヴィティスは、八雲周という器を使っているだけの、別の存在だ。むしろ、奴こそが改竄された存在だと言ってもいい」
「ヴィティスが……?」
「そうだ。周、お前は並はずれて具現化能力が強い。紫電はそれに目を付けたんだ。お前の力を我が物にし、計画に利用しようと考えた。その結果があの夜の交通事故だ。覚えているだろう? お前が死んだ、あの日だよ。奴は私達の目を欺くため、交通事故に見せかけてお前の身体を手に入れようとしたんだ」
「俺が、死んだ?」
「そうだ。お前はもう一度、死んでいる」
脳裏にあの夢が蘇る。星を見た、あの日の夢の事だ。ぼんやりとしたイメージ。曖昧な記憶。でもその中で、確かなことがある。
香凜の声。見上げた星。そして、俺が死んだこと。
……あれが、真実だったっていうのか?
「世良の協力によって、私は瀕死のお前から記憶のコピーと遺伝子サンプルを採取することに成功した。しかし、お前の器はその後、紫電に奪われてしまったんだ。そして、お前の記憶を弄り、ヴィティスと言う存在が産み出された」
「なら、俺は? ホンモノの八雲周は?」
「オリジナルのことを八雲周と呼ぶのなら、もうそれは、存在しない」
「八雲周が、存在しない?」
「お前も私と同じ存在だ。八雲周のコピー。その精神が、あの事故以来、VR空間で生きていただけということ。ヴィティスとは、紫電がお前の具現化能力を利用するため創りあげた駒。そして周、お前自身は私と世良が選んだ、紫電に対する切り札だ」
「……俺は戦うためだけの存在ってことか」
「違う。私達がお前を利用していることは確かだ。私の都合で、死んだはずのお前を生き返らせてしまった。その結果、お前は変わってしまった。狂ってしまった。引き金に重さを感じれない人間に。だかな、周。それでも私は、お前が愛おしい。どんな人間になろうとも、お前は、私の息子だ」
「何を今更。笑わせるな。俺と香凜を二人だけにして? 愛おしいだと? 都合がいいな、あんたは」
「こんな存在となったというのに、どうやって会えばいい? 私は、ここのサーバーが稼働することで、存在している。〈オメガ〉のシステムを流用したこの場所でしか、私は生きれない。それにもし会ったとして、一体どうなった? 紫電にお前たちのことを悟られてしまうだけだっただろう? 結局、お前たちの居場所は突き止められてしまったが……」
「そんなことはどうでもいい。どんな形でもよかった。俺はただ、あんたが居てくれさえすればよかったんだ。香凜を助けてくれたら、俺の話を聞いてくれたら、それでよかった……」
そう、居てさえくれればよかった。俺一人では、香凜を助けられなかったんだ。やろうと思えばできたのかもしれない。でも現実は、できなかった。気づいてやることもできずに、そうなったときにはもう、手遅れだったんだ。
あの時、俺はどうすればよかった?
香凜を励ましてやればよかったのか。同情してやればよかったのか。慰めてやればよかったのか。どれもが違うかもしれないし、どれもが正解なのかもしれない。
その答えが欲しかった。なあ、親父。俺はそれが、欲しかったんだよ。明確な、生きる指針ってやつが。それを父親に求めるのは、間違っているか?
「ダメだな……私はやっぱり、何かが欠落しているようだ。お前のことを愛しているはずなのに、私の抱く愛は愛ではないらしい。すまない、周。きっとこんな私だから、お前を狂わせてしまった」
「謝っても、何も変わらない」
「そうだな。変わらない。私にできるとこと言えば、この程度だ」
俺の前に、光る球体が現れた。それはゆっくりと俺に向かい、そして身体に溶けるように入り込んでく。
同時、身体が強く鼓動した。全身に力が溢れてくる。ヴィティスから力を奪われた時とは、真逆の感覚だ。
ステータスが上がっている。武装も新しいのが追加されたみたいだ。そして、能力が流れ込んでくる。俺が失くしたものも、新しいものも。
〈疾走〉、〈跳躍〉、〈疾風〉、〈金剛次元魔剣〉、〈雷電砲〉……
しかし、探しても〈狂人化〉は見つからなかった。代わりに、似た名前の能力が追加されている。
「〈超人化〉……?」
「それは、お前のためだけの力だ。身体能力が極限まで上昇し、思考速度が高速化する能力、〈超人化〉。〈狂人化〉と違い、本能ではなく理性によるリミッター外し。ただ、これは〈狂人化〉と同じく、脳に対する反動が激しい。もっとも〈狂人化〉はそれ以上に危険で、脳に、人格に大きな影響を与えるものだったのだが」
「こいつを使ったら、俺はどうなる」
「元々お前は、死んだ意識をサルベージした存在だ。だからこそ記憶があやふやで、曖昧になっている。その上脳に過剰な負荷をかけるというのなら──記憶がさらに混濁し、下手をすれば、自分が誰かと言うことすら忘れてしまう。私としてはあまり使用を勧められない。しかし、ここに来たということは、ヴィティスが〈狂人化〉以上の力を持っていた、ということだろう? これは必要な力のはずだ」
自分が誰かすら忘れてしまう、か……
確かにこれが〈狂人化〉以上の力を持っているのなら、俺にはこいつが必要だ。これがなくては、ヴィティスには勝てない。つまりバベルは潰せないし、香凜にも逢えない。その代わりに、記憶がなくなる。
やるか、やらないか。選択権の無い二択だ。どうするかなんて、もう決まっているのに。
「頼む、周。その力でバベルを潰し、紫電の企みを阻止しろ。コンピュータに取り込まれた私のオリジナルを破壊してくれ。そして──香凜を、救って欲しい」
「香凜を、救う?」
「潜在的な具現化能力は、お前よりも香凜の方が強い。それを紫電に利用されたんだ。紫電は、香凜の具現化能力を利用して世界を書き換えようとしている。アルカディアのユーザーの脳を手に入れたのは、そのためだ。自動防衛機械も快楽による洗脳も、そのための足掛かりでしかない。全ては、香凜の持つ具現化能力を強化するためだ」
「待て……どういうことだ?」
「香凜は、あの交通事故に巻き込まれている。そして私たちが回収できたのは、周、お前の死体だけだ」
なんだと?
「どういうことだ。香凜はもう……死んでるっていうのか?」
今の話を解釈するのなら、そういうことになる。だとしたら、俺の知っている香凜は、アルトリスは?
「俺が〈オメガ〉で会っていた香凜は誰なんだ。まさかあの香凜は、あんたらの創ったNPCだとでも言うのか? そんなはずはない。そんなはずは……!」
「それは違う。あの件に関しては、私にはわからない事象が働いている。世良も認知していないことだ。これは推測だが……香凜はまだ生きている。どのような形でかはわからない。だが、香凜の意思は、まだこの世界のどこかに残っている。そしてそれは、恐らく紫電の元に」
「香凜は、生きてるんだな?」
「ああ。それは間違いない」
俺は胸を撫で下ろした。もし香凜がいないのだとしたら、俺は……
ああ、やはり俺は、香凜に依存している。結局、俺が戦うのは香凜に逢うためだけだ。どうしても求めてしまう。あの時の暖かさがもう一度欲しい。何故だろう?
「周、私が父親として不甲斐ないのはわかっている。だが、託せるのはお前だけなんだ。お前しか、その力は使えない。並の人間では、その変化を身体が、脳が拒んでしまう。当たり前ではだめなんだ。言ってしまえば、狂ってしまったお前だからこそ──その〈超人化〉を扱える」
「狂っている俺だから、か……」
「周、世界を想像し、創造しろ。自らを変えろ。世界はお前で、お前は世界だ。お前こそがお前の世界を確定させる存在だ。お前が変われば、世界も変わる。単純なことだろう? 結局、自分の目に映るものが全てなのだ。この世界に神がいてもいなくとも、唯一絶対、自分と言う存在だけは変わらない」
「……知っているさ、そんなこと」
「ならいい。それならもう、私が言わんとしていることはわかるだろう?」
「何に対して?」
「お前の、悩みに対する答えさ」
俺の悩み──それは俺自身の、存在意義だ。けど、その答えと言うことは……
……ああ、そうか。そういうことか。
神がいてもいなくとも、俺と言う存在は変わらない。なら、存在する意義がなくとも、俺と言う存在は変わらないんじゃないか?
世界を創った理由が何だとしても、俺にはなんら、変わりはない。俺はそう思っているし、そう確信している。だったらそう──神が俺という存在を創ったとして、その理由が何だって、俺は、俺でしかないんだ。それ以上でも以下でもない。
例え俺の存在する理由が戦うためだったとしても、それでも、俺は俺のままだ。
なんてことはない。最初から答えは出てたんだ。だから俺は、ナロとナエを殺したんじゃないか。俺の意義は俺が決めると、だからあの時、二人の喉を引き裂いたんじゃないか。
……この親父に気付かされたというのが、癪だけど。
「お前が何について悩んでいるかなんて、言わなくたってわかるさ。親子だ。思考回路はどこか、似るんだろうよ。ああ、だからお前は、何かが欠落しているのかもしれない……ああ、もう十分に話はできた。それに、そろそろお前も加勢したほうがいいだろうな。さあ、行け。世良達が待っている」
「あんたは?」
「私は、ここら辺で終わるとするよ」
「死ぬってことか?」
「ああ、そうだ。本来、私という存在は終わっている。私もここで、終わるべきだ」
「今まで生きておいて、何故?」
「私が生きてきた目的は達成できた。お前に逢えたから。もう私は満足だよ」
俺に逢えたから、だと? ふざけるなよ。何だ、それは。それだけでもう、死ぬって言うのか? 全部俺に投げて、任せて、背負わせて? そんなちっぽけな理由で、親父、あんたは死ぬのか?
そんなの、俺は……
「勝手に生きて、勝手に死ぬつもりか? どこまでも素晴らしいクソ親父だな、あんたは」
「私に、生きろと言ってくれるのかい?」
「さあ……それは自分で考えればいい」
俺は親父に背を向けた。瞬間、世界が色あせ、白くなる。
意識がリアルに戻されていく。俺の身体が、元の身体に戻る感覚があった。
何で、俺は親父にあんな言葉を吐いたんだろうか。らしくない。ガラじゃないだろう。
自分でも自分がわからなくなっている。動揺しているのか? 無理もないか。神だとか俺はもう死んでいるとか、そんなことを聞かされた後だから──
いや、違うな。それが動揺した理由じゃない。きっと、そうだ。
けど、ふと。
ただ、何となく。
全部が終わったら、もう一度ここに来てもいい。
そんなことを、俺は思った。




