44 箱の中の猫
二回連続で長いネタばらしが始まります。
こういう話だったってことで……
どうかお付き合いください。
荒上と蓮華が後からやってきた。二人を見て、目の前の男──親父のコピーはわざとらしい笑顔を見せた。
「やあ、君たちは周の友達か? 会えて嬉しいよ。息子の友人をこの目で見れる日が来るなんて。もっとも私は八雲戒ではないから、正確には違う、ということになるか。だがそれは些細なことなんじゃないか?」
「八雲さん、この人はあの時の……」
「違う。こいつは紫電光鸞じゃない。親父のコピーだと、今、こいつが言っていた」
「おいおい、父親のコピーに向かって『こいつ』はないだろう? ああ、育児の方法を間違えたんだろうか。いや、そもそも私はそんなことお前にしてやれなかったな。悪いと思っている。本当に」
「あんたが世良の言っていた、力をくれるってヤツか?」
荒上が問う。
「そうだね。その通りだ。私は君たちをここで待っていた。いずれ来るだろうってね。でも──少ないな。たった三人だなんて。見たところ周は力を奪われているようだし、君らはバベルによって壊滅的な被害を受けたんじゃないか? だから世良がいないのかな? けど、観測者である世良が死ぬはずはないから、あいつは外で敵がここに入ってこないように足止めしている、ってところか」
コピーはぶつくさ何かを言って、一人で勝手に結論を出した。
「さて、君たちには知ってもらわなければならない。この世界の真実。観測者という存在の意味。バベルの、紫電の目的。その全てを。生前の私は、そのために私と言う存在を残したのさ。真実を告げるため。本当は自分自身でやりたかったんだが、その時にはもう紫電に命を狙われていたからね。少々時間がかかってしまうけど。外で闘っている世良の事は、気にしなくていい。彼もこのことは知っている。時間稼ぎに頑張ってもらえばいいさ。大丈夫、どうせ彼は死なない。むしろ目的を持って死ねるのなら、彼にとっては本望だろう」一気に親父のコピーは捲し立てた。「ところで君たちは、世良からバベルの目的をなんだと聞かされている?」
答えろ、ということだろうか。
「世界征服……じゃないんですか?」
蓮華が言ったように、俺達は世良からそう聞かされている。それがバベルの目的なんじゃないのか?
「バベルの目的は世界掌握じゃない。それは手段に過ぎないことだ。本当の目的は、世界の私有化。無限の研究資源と、無限に等しい時間の入手。何者にも邪魔をされない空間。全ては、神を殺すために」
「神?」
思わず俺は、その言葉を口にしてしまった。
神だって? 神とは何だ?
それを殺すとは、どういう意味だ?
「そう、神だ。この世の中に、神はいる」
「何だと?」
荒上が疑問に思うのも、無理はない。この世界に神がいるだって? そんなまさか。
「それは、比喩か?」
俺は尋ねた。
「いいや、違う。この世界──いや、宇宙を創った創造神が、いるってこそさ。そしてそいつは、僕らをずっと見ている。それが、明確に誰かはわからない。ヤハウェかゼウスか仏かブラフマンか、はたまたサイエンティストか。けど、そう言った存在は、つまり、神は存在する。自らが創造した世界を、観測し続けているのだ」
「創造した世界だと? おい、あんた。それは本当なのか?」
「そうだ。この世界は神によって創られた」
創られた世界、だって?
まるで神話だ。創造神がこの世界に存在するだと? そんなの、お伽話の事じゃないか。
けど──それに近い世界を、俺は知っている。そう、アルカディアであり、〈オメガ〉。仮想という名を持った、もう一つのリアル。
「この世界は……ヴァーチャル・リアリティなのか?」
「いいや。それは違う。私たちは電子配列による存在ではない。言うなればここは、フラスコの中の宇宙だ。私達はシュミレートされた存在ではない。生命体としてこの世界に存在している。神は何らかの方法で、それを作り出した。何故創ったのか、それはわからない。だが、神は私たちの世界から、何かを見出そうとしている。そして、その神の使い手が観測者──つまり、世良新醐だ」親父のコピーは、言葉を続ける。「観測者とは、神の声を聴ける者。歴史上、これまでにも何人かそう言った人間はいた。オカルトとして扱われることが多いがね。彼らは死なない。正確には死ぬが、取り返しのつかないレベルでなければ再生し、生き返る。そして、死ねば新しい観測者がこの世界の人間の中から無作為に選ばれる。そういうものだと、世良は言っていた」
「あの……何のためにそんな人が、いるんですか?」
「物理学の話をしてみよう。ミクロの世界の中では、物体は存在か非存在か、不確定だ。観測した瞬間に初めてそれが確定する。シュレティンガーの猫、と言えば分りやすいか? 箱の中の猫が生きているか死んでいるかは蓋を開けるまで不確定、という思考実験だ。まあ、本来の意味はそうじゃないんだが──まあ、それはそれで置いておこう。このシュレティンガーの猫を、もっと大きなスケールで考えてみようか。そう、広く広大な宇宙から見て、私たちの生きるちっぽけなこの星は、まさにそれにあたるんじゃないか? この宇宙の外から見た私達の存在は、神にとっては不確定なんじゃないか? 私達の視点から見て確定していることすらも、宇宙の外、神から見れば曖昧だ。だから、神の視点からこの世界を見つめるために、観測する者が必要なのだ。この世界を観測し、神に伝える者。神にとって曖昧なこの量子的宇宙を確定させる者。それが観測者。そして、時として神は彼ら観測者に歴史の介入を行わせるのだ。つまり、観測者を介して、神が文明の加速と歴史の導きを行うわけだ。具体的にいうのなら、私──八雲戒に脳科学の知識を与えたのも、紫電光鸞に量子力学の知識を与えたのも、世良だ。私達の脳内に直接知識を流し込むことによって、な。全ては神の望むままに」
「何を言ってるのか、わからなくなってきた……」
荒上が眉を顰め、小さな呟きを漏らす。この手の話が苦手なのだろう。
「端的に言おう。この世界を創った神がいる。世良は、その神のパシリだ。便利な手下、ということ。これでいいか?」
「ああ、それならわかりやすい」
ずいぶんと適当だと思うが、荒上にはそれぐらいで丁度いいのだろうか。
「それでは話を続けよう。私たちがコネクトシステムを発表したのは、2005年。当時の科学のレベルから、私達の研究はあまりにも突き抜けすぎていた。元々私や紫電にその類の才能があったことは確かだ。しかし、私がもし世良から知識を授かっていなければ、あのレベルまで到達するのに、少なくともあと十年、下手をすれば二十年は必要としただろう神は。そう、、この世界を意図的にコントロールしようとしている」
「えっと……何の為にですか?」
「わからない。所詮私たちは、箱の中の猫だ。外の世界に怯え、暗闇の中で生きていくしかない。それに、この世界が創られた世界だとしても、私達は結局、その中で生きて死ぬしかない。だろう? だが、それを良しとしない者がいた。それが、紫電光鸞だ」
なるほど、話が見えてきた。
「バベルがやろうとしていることは、神に対しての反逆。観測者を通じて紫電は神の存在を知った。それが耐えきれなかったのさ。彼は天才だ。疑う余地はない。神の介入がなくとも、いずれ革命的な発見を無数に行えただろう。だから──神が許せない。この世界に神がいることを受け入れられない、というわけではない。いずれ自らが発見できたであろうことを、無理やりに享受させられた。それが、彼は気に入らないのだ。天才ゆえのプライド、というやつだろうね。彼は私にも協力を求めてきた。だが私は断ったよ。そんなことをすれば、この世界自体を消去されかねなかったからな。神と言う存在が具体的にわからない以上、あらゆる可能性を考慮すべきだ。だろう? だが、紫電の考えは変わらなかったよ。だから彼は、私を殺した。利用するために」
なんだ……ただ、それだけのことだったのか。
紫電光鸞が異常なまでに、自我欲が強かったという、それだけじゃないか。自らの研究を先取りされたから、神を殺す? 笑えるくらいに狂っている。狂気そのものだ。俺が言うのも、どこか可笑しいかもしれないが。
目の前の男が、ふと、空を見上げた。
「ん……外の世界で動きがあったようだ。ちょっとマズイな。世良独りではもう、限界か……」
男は両の掌を前へ、荒上と蓮華に向かってかざした。光の球体が二つ、現れる。その光はゆっくりと荒上と蓮華に向かって行き、そしてその身体に入り込み、同化していった。
「こいつは、まさか」
「すごい……トップレアの……」
「それは〈オメガ〉の中でも、最高ランクの武装と能力さ。きっと、君たちの力になるだろう」
それが新しい力、というわけか。だが、男は俺に何かを寄越す気配がない。正直言って、一番力が必要なのは俺だ。今、俺は全ての能力をヴィティスの〈全知全能〉によって、奪われてしまっている。
「俺には何もないのか?」
「まあ待てよ、息子。お前にはまだ話があるんだ。と言うわけで二人とも、先に戻っておいてくれるか? 世良に加勢をしてやってほしい」
「え……あの……」
「行くぞ、蓮華。貰うものは貰った。バベルの滅茶苦茶な話も聞かされたしな……それにもう、ここにいたって、しょうがないだろ」
その言葉の後、荒上の姿が消えた。ログアウトしたのだろう。
「それじゃあ、私も……八雲さんのお父さん、ありがとうございました」
丁寧に礼を言って、蓮華も消える。律儀な奴だ。
「それで? 話って、なんだ? 手短にしろ。あんたの話は面倒だ」
「せっかく親子水入らずなんだ。もっと嬉しそうにしれくれたっていいんじゃないのか? まあ、お前が私を受け入れられないってのはわかるがね。ああ、喋りすぎていけない。他者と関わり合うのは久しぶりだから、気持ちが高ぶってしまうよ。というか周、お前は衝撃的な話をしたってのに、全然ショックを受けていないみたいだな。ここまでだとは、予想外だ」
「神が居たら、何か変わるか? どうせ、信じたって救いもしてくれない神なんだろ、そいつは。それにこの世界が神が創られたとして、だからなんだ? 結局、あんたが言ってたように、俺達はこの世界で生きていくしかない」
そう、生きていくしかない。神が存在しても、していなくとも、世界をコントロールしていても、していなくとも、俺は今ここで生きている。この世界が胡蝶の夢だとしても、五分前に誕生したものだとしても、細切れで不連続な創造世界だとしても、今まさに終わりを告げるとしても、それでも確かに今、ここにいる。
「……さて、本題に入ろうか。これはお前も知りたがっていることのはずだ。八雲周というその存在。お前とヴィティス。私のオリジナルの行方と、そして香凜のことについて。聞く価値は、あるはずだ」




