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27 白紙という選択

 俺は棚からコップを一つ取って、露草の前に座る。

 ただの夜更かし、と言うわけではなさそうだ。チップスやジュースを飲み食いしていたのは、手持ち無沙汰だったからなのだろう。


「どうしたんだ?」

「眠れないんだよ。なんか、こう……今日の闘いでさ、見るもの見ちゃったから」

「ああ……」


 それはきっと、自動防衛機械(オートマター)のユニットの事だろう。露草は知らなかったのか。というか、世良が知らせていなかったのか。

 自動防衛機械(オートマター)を破壊すれば、その内部にある脳が必ず出てくる。もし何も知らずにあれを見て、平然とはしていられないだろう。露草のようなまだ年齢も行かない少年なら、なおさら。


「俺さぁ、てっきり世界を救うヒーローなんだー、とか思ってたんだよ。選ばれた勇者様ってやつ? でもさあ、何あれ。脳味噌じゃん。ってことは、中身って、人じゃん。いや、わかってはいたつもりだったんだ。今までだって、バベルのメンバーを襲って、殺してたんだし」


 その感覚はわかる。

 大義名分があるかないか。それだけで罪悪感というのがすさまじく減少する。やらなければならないことをやっているんだと、そう自分に言い聞かせることができるから。


「でもさぁ、あれって、悪者じゃん。俺の目の前で、何人もの人を殺してきたし……だから、そうされる前に、倒すんだ。それはまあ、殺す、ってことだけど。それだと話は簡単なんだけど、あの脳味噌って絶対、どこからか調達したやつだよね。ってことは十中八九、アルカディアで昏睡状態になった人じゃん。だからさー、なんてーかさー、俺って何やってんだかなーって」

「世界を救うってところは、間違ってないんじゃないのか?」

「うーん、兄ちゃんはそう思う?」

「救っているんだろう? バベルが世良の言うような、悪の組織ってやつなら」

「世界を救うって、なんだろう。人殺しも世界を救うってことになるのかな」

「世間一般的には、そうだろうな。大量殺人を企てるテロリストを殺せば、皆は安心して暮らせる」

「人殺しなのに?」

「ああ」

「でも、テロリストはそれっきりだよ」

「世界は、ただ一人の人間のものじゃないってことだろ」

「そうか。そうだよね。でもなー、なんかさー、こう、うーん……」


 そう、人が死ねば、その人の世界は終わる。二度と覚めることのない、眠りにつく。

 それなのに人は、人を殺す。人だけじゃない。動物を殺して喰らう。死によって他者から生を奪い取って、そして死に長らえる。

 ようするに、生きていたいんじゃなくて死にたくないんだ。大概はそう。だから他者を殺す。自分が死なないために。

 でもそれは、間違ったことなんかじゃない。


「理想郷って、なんだろう」


 露草が言った。


「楽園の事じゃないか?」

「楽園?」

「誰もが泣かない。誰もが苦しまない。争いも憎しみもない世界」


 もっとも、これはナロとナエの受け売りだ。


「それって、天国?」

「天国に争いはないと思うか?」

「あったら神様が怒るんじゃない?」

「この世界の争いは見過ごしているのに?」

「あ、そっか。じゃあ案外、天国でも戦争はあるかもしれないのか……」


 なかなか面白いことを言う。確かにそうだ。天国と地獄の選別があったとして、悪者が排斥されたとしても、ただそれだけで戦争がなくなるとは思えない。

 争いの元はエゴであり、欲だ。天国に行っただけで、人は欲を捨てられるだろうか。もし捨てられないのなら、天国でも人は変わらない。


「でもさあ、バベルじゃないけど、理想郷ってあったらいいよね。誰も泣かない、苦しまない、争わない、憎まない。サイコーじゃん。みんな仲良しだよね」

「でも、息が詰まる」

「そう?」

「ああ。理想郷とはつまり、誰も泣かせてはいけない、苦しませてはいけない、争ってはいけない、憎んではいけない世界だ。つまり、悪意や敵意を向けてはいけない。苛立ちすらも覚えてはいけない。それって、無理だろ。人間には」

「えー、そっかな」

「それにそれは、犠牲の上に成り立ってちゃいけない」

「それはそうだね。うん、確かにそうだ」


 露草は頷くと、チップスを口に放り込んだ。俺も炭酸ジュースをコップに次いで、口にする。炭酸が舌を刺激する。こういう感覚も、嫌いじゃない。


「だから兄ちゃんはイカロスに入ったの? バベルが許せないから?」

「いや、違う」

「じゃ、何で?」

「妹に逢うため」

「シスコンじゃん」

「そうかな?」

「そうでしょー。まあ、俺も気持ちはわからなくはないけど……蓮華がいなくなったら、やっぱり嫌だもんな。助けに行こっかなーってくらいは思うよ、絶対」


 それが普通だと思っていたが、違うのだろうか。まあ、俺達が仲悪くなかったから、と言うのは大きいだろう。確かに毎日ケンカしていたら、助けようとは思わなかったんだろうか。

 いや、でも今はそうじゃない……

 最初は助けなくちゃ、と思っていた。でも今は、少し違う。逢いたい。香凜に逢いたい。触れて抱きしめて確かめて、そして俺と言う存在を肯定してほしい。


「ああ、なんか眠くなってきちゃった。もう寝れそう」

「答えは出たのか?」

「んー、いや。でもさ、どっちにしろやらなきゃなんねーわけじゃん。それに答え出なくても一応、生きてはいけるかなって」


 欠伸をしながら露草が言う。席を立ち、コップを台所に片づけ、チップスのゴミを捨てた。


「じゃーね、兄ちゃん。俺は先に寝てるよ。オヤスミ」


 露草が廊下へと消えた。部屋の中は俺だけになる。

 俺はコップに残った炭酸ジュースに口をつけた。少しだけ炭酸が抜けている気がする。


 そうか……答えなんてなくても、生きていけるのか。

 俺は露草の言葉を思い出して、そんなことを考えた。


 確かに間違っちゃいない。気になることは気になるけれど、大概、それでも何とかなる範囲だ。

 考えてみれば、人間は誰もが知らないことだらけの中で生きている。そう、例えば自分が生まれてきた意味とか。


 大概は親のエゴ。子供が欲しいって、ただそれだけ。降ろせない、ってのもあるか。

 そういうのじゃなくて、もっと明確な、そう、自分は何のために存在しているのかってのを、みんな知りたいんだ。何のために生きて、何のために死ぬのか。わかっている人間なんて、多分いない。いたとしてもそれは、きっと違う。

 生命としての存在意義は、種の保存。子孫を残すこと。でもそんなんじゃ、みんな納得できない。俺だってそうだ。

 限りない時の中を、限りある俺達が生きている。そして死んでいく。


 何で死ぬ?

 何で生まれた?

 何のために?

 何が目的で?


 ……知らなくたって、生きていける。 


 知りたいことに変わりはない。けどまあ、そういう選択肢があるのだって、確かだ。

 とりあえず、これを飲み終えたら寝よう。それでいいと、思うことにした。

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